精霊の声
フィアによる精霊術の治癒を受けた後、直時は血臭の中を歩く。
幼い姉弟と母であろう亡骸。そこかしこに苦悶のまま息絶えた盗賊。全身をナマス斬りにされていた父親であろう男性。フィアのカマイタチで細切れになった男達。
「野の骸はそのままにしておくのが通例よ。次の命を育む糧になるから」
辺りの様子を把握しただろう直時へと戒める。
「これをケジメにするから……。だからこの家族は俺が弔う」
フィアの謂わんとすることは理解できたが、それを飲み込むために何かが必要だった。それが例え自己満足であったとしてもだ。直時がこの世界でこれからを生きるために、それは必要な事だった。
彼は盗賊の持ち物だった幅広い両刃の剣をスコップ替りに黙々と地面を穿つ。汗まみれの直時は荒い息を吐くだけだ。フィアも何も語らない。
墓穴は大きく、広く、そして深く掘った。子供達を内に、両親が外側から守るように。家族が一緒であるように。直時の勝手な自己満足、願いだった。
街道の傍らの草原に大きな土の山が出来上がる。墓石のつもりの大きな石を安置する。石の横に積荷から少々の食べ物と子供達のものであろう髪飾りと竜の人形を供える。盗賊たちの腰から水筒を集めて戻ると、フィアが野の花を摘んで作った小さな花束を置いていた。
「この世界でも死者に花を贈るんだな」
少しだけ目元を緩める直時。
「生者も死者もないわ。愛しい人には等しくね」
「――有難う」
「礼を言われる義理はないわよ?」
「そうか」
直時は、気恥ずかしげなフィアに心の中でもう一度礼を言った。集めた水筒の水を墓石に注いで、目を瞑り両手を合わせる。弔いの言葉は無い。
「じゃあ、行くか」
合掌を解いてフィアに言う。
「次の町で服買わないとね。ボロボロよ?」
穴だらけの上、血で汚れてもいる直時の格好におどけてみせる。
「お? 服をプレゼントしてくれるのか?」
「代金はまとめて返してもらうけどね」
「――けちんぼ」
意図的な軽いやり取りで気分を変える。
フィアの勧めで必要な装備を盗賊から、ある程度の食料を荷馬車から集める。水と保存食、毛布を一枚。護身用の武器として中型の槍(約1・8メートル)を失敬する。荷物は自転車のフレームに括りつけ、槍は革紐で背に斜め掛けにした。集めた物資は直時のためである。
次に、あまりにも軽装な直時に盗賊の鎧を剥がすようフィアが言うが、彼は何故か頷かない。
「重い鎧なんて動けなくなるし、攻撃魔術だって防げなさそうじゃないか!」
戦いの素人を自覚する発言にも一理ある。本音としては死者の衣を剥ぎ取るのがどうにも嫌だっただけであるが。
その割に、路銀だけはせっせと集めて全部をフィアに渡していたりする。直時の道徳観とか倫理観が掴みにくいと感じるのはフィアだけではなさそうだ。
「これだけあれば、ヒビノの立て替え分はチャラにしてあげるわ」
お墨付きもいただいたようで一安心した直時であった。
「色々あって疲れちゃったから、次の町まで精霊の力を借りましょう」
「風で後ろから押してもらうわけね」
「そう。街道沿いだと目立っちゃうから、ちょっと外れるわよ」
「了解。んじゃ風の精霊さんへ宜しくお願いします」
頼り切った発言に、フィアは直時の顔を凝視する。
「――何?」
「精霊術使ったの憶えてない?」
「――フィアが?」
「ヒビノが、よ」
「さっきのはフィアのついでにお願い聞いてくれただけじゃないの?」
少し迷いつつも、決心をするフィア。
(彼の甘いとしか言えない考え方。でも、だからこそ判った。メイヴァーユ様が御心配なさる『力』を持っていても彼ならば濫用はしない。何よりこんな様子ではこの先すぐにでも死んでしまう。それは何だか残念な気がする。そう! これは彼が生き残るために必要な事!)
少しの葛藤の後、フィアは口を開いた。短い時間だったが、直時の人物を観察した判断は間違っていないはずだと思う。
「――精霊術はね。適正があるの」
「ほう」
「まず精霊が見えることが大前提。そして、精霊と話せることね。単純だけれど、出来る人は少ないの。ヒビノは見えたって言ってたわよね?」
「この子達のことか?」
問いながら右手を空中に差し出す。直時の掌には笑いながら半透明の昆虫の羽のような存在が集まってくる。呆れ顔のフィアが続ける。
「そう。そして貴方の言葉に反応してるってことは話せているってことなのよ」
「え? 笑い声が聞こえるだけでこの子等の言葉なんて判らないぞ?」
「あのねぇ。会話ってのは何も言葉だけじゃないでしょう? 試しに思いを伝えてみなさい。イメージしたものをお願いしてみて」
「ふむ」
少し考えこむ直時。
「竜巻座布団作ってー」
直時がイメージしたのは小さな竜巻に座る自身の姿。途端、お尻が持ち上げられフワフワと浮かぶ。
「おおぅ?」
空中で浮輪に座っているかのような感覚。下を覗き込むと風が渦を巻き、小さな竜巻の上に確かに座している。
「――またあっさりとやってくれたわね」
フィアが深い溜息を吐いた。
「人魔術なんかよりよっぽど楽じゃないか! なんで教えてくれなかったんだよ?」
「だからねぇ……。精霊が見えて、しかも自分の意思を相手が叶えてくれるなんて人は殆どいないのよ? エルフだってここまで精霊に好かれる人は少ないってのに!」
「好かれてるの?」
「好かれてるわよ! めちゃくちゃ好かれてる!」
なんか怒っているようである。
「精霊は本来ただそこに在るだけなの。好む場所には集まってくるってのはあるけどね。例えば風廊の森なんかもそうね。何もしてないのに集まってくるなんて精霊に対する特異体質としか言いようがないわ」
「あはははははっ! ヒラヒラしてるから君たちひーちゃんってことで! ひーちゃんズ? あははははははっ! あっ、ちゅーされたあ!」
「聞けよこらっ!」
風の精霊と戯れる直時にフィアが半ギレであった。
「というわけで、只今をもって風の精霊術士として免許皆伝になりました」
「あ、はい。有難うゴザイマス?」
まだ怒りが収まってないフィアが怖いが、とりあえず礼を返す。
「攻撃魔術を教えてなかったのは失敗だったかなーとも思ったけど、精霊術を使えるようになったんだからもういいよね?」
「風に由来しそうなことなら何でも出来るってこと?」
「明確にイメージ出来て、それを精霊に伝える事が出来るならね」
少し考えこむ直時。
「試しても?」
「そうね。いざというとき使えないと困るし、やってみなさい」
フィアが少し離れたところにある一抱えほどの岩を指差す。
(ひーちゃんズ。真空竜巻斬り!)
無言で右掌を岩に突き出す。イメージするのはカマイタチの風の渦。
直時の右手から小さな竜巻が高速で撃ち出された。一瞬後、標的の岩が細切れになって吹き飛ぶ。砕けたのではない。裁断された後、吹き飛ばされたのである。
「ひーちゃんズ……。すげーな」
「アンタが! でしょっ」
息を呑む直時の後頭部にフィアの手刀が軽く落ちた。
「あと、治癒術使った時に水の精霊も見えていたようなこと言ってたわよね?」
「無重力の水滴みたいにプルプルしてたやつかな?」
「無重力ってのがちょっとわからないけど、多分それね。呼んでみてくれる?」
「呼ぶ? 召喚するってこと?」
「難しく考えないでいいから、姿を思い出して呼んでみなさい」
「プルちゃん、出ておいでー」
「――何よ、その名前?」
フィアのジト目を余所に半透明で拳大の水滴が漂ってくる。
「じゃあ先刻と同じく水にまつわる現象をイメージしてみなさい」
「うーん」
(水…、水…、噴水かな? プルちゃんズ。噴水お願い!)
直時の掲げた人差し指から細い水の柱が迸った。陽の光を反射して小さな虹が出来る。
「なごむぅ~」
緩みまくっている後頭部にフィアのショートフックが極まった。
「治癒術ってのは精霊術でも高度な部類でね。最低でも二種類の精霊の協力がないと出来ないの。ヒビノは実際に風と水の精霊術を使えたから、治癒術に関してはもう問題ないと思うよ?」
「それはもの凄く頼もしくて嬉しいんだけど、医学的な知識とかなくても大丈夫なもんなの?」
「精霊術はイメージさえ明確なら問題ないわよ。そりゃ、傷が治っていく過程を具体的な知識でイメージできれば効果的だけど、治癒したあとの健康な身体をイメージ出来ればそうそう問題ないわ。安心しなさい」
フィアにも専門知識は無い。しかし、直時の大怪我を治癒できた事実があるのでひとまずは大丈夫と安心する。
「じゃあ次の町まで急ぐわよ? 今夜は宿屋のベッドだからね!」
「了解!」
街道を少し外れたところで、風を身に纏い宙に浮くフィア。白金の髪を風に乱れさせて軽く地面を蹴る。風に舞うように、いや、風そのものとなって草原を翔ける。
その姿に見惚れていたのも束の間、直時も風の精霊に請う。銀色の自転車が弾かれたように地を駆ける。
天翔ける妖精を追いかける一筋の銀。
誰も眼にすることのない疾風の鬼ごっこは空が茜に染まるまで続いた。
精霊術師としての目覚めです。自覚はあまり無いようです。