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黒い眼

作者: よるきつね

 少女の視線がちらちらとこちらを向いていることに、カズキはとうに気づいていた。

 車の外では激しく雨が降り続いている。いつタイヤがぬかるみにはまるのではないかと、不安でならない。とはいえ、前の席で運転している老女は落ち着いていて、なにも問題がないように見えた。

 カズキが夏休みに、この片田舎へ来たのは、お盆の墓参りのためだった。母の実家へ両親とともに来たが、母が突然の風邪をひき、父が看病している。カズキがひとりで墓参りにくることになった。歩いていけない距離でもないので、問題はないーーはずだった。

 午後になって急に曇りだした空に、嫌な予感はしていた。

 窓の外には落ちる雨粒。絶え間なく降り続き、その雨音も、絶えることはない。

 カズキは雨を、車の中で眺めていた。雨に困っていた彼を助けてくれたのは、今、隣で、こちらの様子を興味津々とうかがっている少女だった。

「…………」

 ずっと見られている居心地の悪さと、わざわざ雨宿りのために車へ乗せてくれたことへの心苦しさを感じる。

 隣に座る少女も、墓参りに来ていたらしい。少女と出会ったのはその時だった。墓参りに来ていたのは自分と少女たちだけだったので、お互いに意識しないでもなかったが、急に強く降り出してきた雨に、少女は自分の家で雨宿りをしていかないかと言ってくれた。

 提案には申し訳なさを感じたが、冷たさよりは痛さを感じさせる雨粒に晒され、彼は提案を受けざるをえなかった。

 そのため彼女らの車に乗せられ、ろくに整備されていない山道の振動に揺られている。

 自分を車に乗せてくれた少女は、明らかに自分より幼かった。おとなしく席に座っているものの、幼さゆえの無邪気さや好奇心が見てとれた。こんな田舎にはふさわしくないほど上質な衣服を身にまとっていて、それでいて着こなしが嫌味になっていない。洗練された高貴さと、わざとらしいほどの子供らしさが両立されている。

 と、大きな石を踏みつけたのか、車が、がたん、と傾いだ。自然と彼は、ハンドルを握る運転手へ視線を向けた。

 車を運転している老女は、少女の親類という感じには見えなかった。見知らぬ男を車に乗せようとする少女に、老女は反論さえしていない。言うなれば、避暑地にやってきた令嬢と、その召使いといった雰囲気である。

「もうすこしで、別荘に着きますよ」

 少女がかわいらしい声でそう言ったのを聞いて、カズキはなんともなしにつぶやいた。

「別荘……ね」

 やはり、普通の少女ではない。彼女はそんなこちらの思いも知らず、揺れる車内で行儀よく両手を膝の上にのせ、にこにことこちらに笑いかけてきていた。黒い二つの眼が、落ち着かない彼を見つめている。

 黙ってもいられず、彼は訊ねた。

「なんでこんなところに別荘なんて建てるんだ? もっと、田舎じゃなくちゃんとしたところに建てればいいのに」

 田舎の山奥の方が、土地代が安いからかもしれなかったが。

 少女は不思議そうに瞳を揺らし、こちらに問いかけてくる。老女は気にせず運転に集中しているようだが、

「こんなところ、とは? どういうことですか?」

「人里から離れすぎてて、不便じゃないか? 娯楽に富んでるとも言えないしーー」

「いえ、楽しみならたくさんあります!」

 彼の言葉を遮って、少女は元気よくそう言ってきた。瞳の中にお星様が飛んだように、輝くような眼差しでこちらを見つめていた。

 そして、

「たとえば」

 と、少女が窓の外を指さした。雨でガラスが濡れているため、いまいち見づらい。

 彼女の指の先には、今までと同じように森の木々が広がっているだけだ。いや、目を凝らすと、森の奥に水たまりのようなものが見えた。遠いからただ水たまりに見えるが、本当は違うのかもしれない。だが、魚釣りを楽しむというのでも、ここでなければならない理由などないはずだった。

 疑問を感じていると、少女が弾む口調で続けてきた。

「あそこの泉が見えますか。あの泉では、呪われた屋敷で切断され焼死した女の子の幽霊が溺死してーー」

「…………」

 つまり、少女の言う楽しみというのは、オカルトだとかホラーというようなものなのだろう。

 カズキは言葉を詰まらせた。行儀よく座っているかわいらしい少女が、明るく恐怖話を語っているのが、どこか間違いのように思える。

 あと、幽霊が溺死とはなんなのだろう?

「ーー暗い水の底から友達を求めているんです! すばらしいと思いませんですか? いわくありげな出来事がこの辺では多いらしくって、私、感動しちゃいました。昔から古い屋敷を買い取って改修して、自分の別荘にしたんです!」

 見た目も仕草もまともなその少女の口から、延々とキチガイじみた話が語られるのを、彼は雨音に紛らわしながらぼんやりと聞いていた。

 ふと気づいて、訊ねる。

「屋敷……?」

「え、はい」

「ええっと、女の子が焼け死んだっていう……呪われた?」

「はい、もうすぐですよ!」

 その言葉通り、少女ーー天ヶ原芽衣の別荘である、呪われた屋敷の威容が、濡れたフロントガラスの向こうに見え始めていた。


「ごっはんー、ごはんー、ごはんですー♪」

 通路を先導する芽衣はにこにことーーこちらから表情はうかがえないが、車で見たような笑顔を浮かべているのは間違いないーー楽しそうに即興の歌を歌っていた。

(電話のこと、忘れてないだろうな……)

 外では雨が降り続き、激しく窓を叩いている。今日はもう雨が止みそうになく、帰れそうにないーー

 そのため彼は、夕食をごちそうになる前に両親と連絡を取ろうとしていた。気が進まなかったが、この不気味な屋敷で夜を過ごすことになったからだ。

 墓参りの道具は少女の車に乗せたままだったが、他の手荷物は案内された寝室に置いてきた。しばらくして夕食を告げに来た彼女は、天候が悪化するばかりだから、この別荘に泊まっていってくださいと言ってきた。

 でも、ご両親が心配するかもしれませんね、とも。

 なので、電話をかして欲しいと申し出たのだが。

「ごーはーんー♪」

(不安だ……)

 よくまあ、能天気に歌っていられると思う。雨風が吹きすさび、建物のきしむ音があちこちから聞こえている。遠く、風のうなりが悲鳴のように響いていた。気温は低く、肌寒い。

 ちらりと、窓の外から芽衣へと視線を戻した。彼女はこの、恐怖でえぐられるような雰囲気を好んで別荘を選んだのだ。

 正気では、ない。

「ごーはんですっ♪ ……あ」

 歌っていた芽衣が、突然足を止めた。ぐるりと顔を向け、黒い二つの眼が、こちらを見る。

「すいません。この屋敷では自由に過ごしていただいてかまわないのですが……一つだけ」

 少女の声にはどこか、喜悦が含まれていた。口元は確かに人受けのいい笑みを浮かべている。が、眼が冷たくこちらを嘲っていた。

 少女がすうっと脇の扉を手で示す。

「こちらの部屋は、いまは誰も入らない呪われた部屋です。決してーーここには立ち入ってはいけません」

 くすり、と、少女が微笑する。

 一瞬で彼女を囲んだ雰囲気に、呆然と立ち尽くす。

 そして、

「……とか意味ありげなこと言うと、雰囲気出ませんかっ? いいですよね、雨で外界から遮断された屋敷。 足を踏み入れる訪問者!」

「えーと……」

「あ、入っちゃいけないのは本当ですよ? 掃除とかしてなくて汚いですから」

 芽衣はそう言って、くるりとこちらに背中を向けると再び歩きだした。

 ごはんの歌を歌いながら。

 だが、

(嘘……か?)

 彼はそう感じていた。あの部屋には、何かがあるのかもしれない。

 召使いのいる少女が。掃除など、するはずがない。

 と、少女が声を上げて、また立ち止まった。

「……あ」

「こっ、今度はどうしたんだ……?」

 身構えるカズキに、芽衣が言う。

「電話、通り過ぎちゃいました」


 夕飯は総じて美味しかった。

「肉とか、コリコリしてたな……。なんの肉だったんだい?」

「さあ、なんでしょう?」

 少女に訊ねてみても、にこにことはぐらかされてしまう。

 結局、寝室に戻った後も、彼はベッドの上でなんの肉だったかを想像していた。今まで食べたことのない肉であるのは、間違いない。

(やっぱり、高級なのかね……)

 考えはそのうち、今まで見た料理番組へと移っていく。テレビに出てくる芸能人に、高級店。そして、出される高級料理。だが、今日の夕食も、それらに劣らないように思える。

 考えは行ったり来たりを繰り返していた。その中で、彼は思い出す。

(そういえば、見たい番組があったんだ……)

 この部屋には、テレビがない。食堂にもなかった。屋敷のコンセプトなのかもしれない。

 両親に電話すれば、録画してくれるかもしれない……。

 そう思って、彼は部屋を出た。部屋にはなぜか外鍵も内鍵もついていなかったので、鍵を閉める必要はない。

 彼は電話のところまで歩いたが、運の悪いことに、芽衣にも老女にも出くわさなかった。もし会えば、テレビについて聞けたのだが。

「…………」

 そっと受話器を置く。信じられないものを見た気分で、彼は電話を眺めた。

 まったく通じなかった。この暴雨で線が切れたのかもしれない。

 こうなるとテレビ番組は、諦めるしかない。

 ここへ泊まることを線が切れる前に両親へ連絡できたのは、幸運としか言いようがなかった。

(まさか、な……)

 雨は降り続いている。土を叩く不快な音が、心をかき乱している。不安のままに、彼はつばを飲み込んだ。

 まさか。

 ーー電話線が切られたなど、あるはずがない。

 もし、雨のせいで電話が不通になったのなら、芽衣か老女に知らせておいた方がいいだろう。だが、本当に正しいかは彼にはわからなかった。

 しばらく考えてから、意を決して声を上げる。

「おーい……」

 周囲に呼びかけても、返事はなかった。夜の間どこにいるかなど、夕食の時に聞いておけばよかったのかもしれない。

 仕方なく、周囲を歩き回る。雨に物音が消されるせいなのか、不気味なほどに人の気配が感じられない。

 ふと、扉が目に入った。

(入るなって、警告されたやつか……)

 彼は入らなかった。夕食の後、入るチャンスがあったにも関わらず。それは、不吉ないわくのあるこの屋敷に、興味を持たないようにしようという考えからだったが。

 しかし、この状況でもそれが正しいだろうか……?

 とってに手をかけるが、彼のあてがわれた部屋と同じく、鍵はついていなかった。これなら誰でも、容易に侵入できてしまう。

 彼はそっと部屋に忍び込んだ。敷き詰められた絨毯や、降りしきる雨が物音を消してくれて、このことは誰にも気づかれることはない。そのはずだ。

 廊下から差し込む明かりが部屋の中を照らしている。室内を見回しても、特別に不思議なところはなかった。部屋の奥に書き物机が置かれていて、窓際にはベッドがあった。壁には本棚があったが、本は一冊も置かれていなかった。腰をかがめて、さっと指で絨毯をさわってみたが、ホコリひとつ感じられない。

 部屋の扉を開けたままにしているわけにはいかず、壁に手を這わせた。ようやく出っ張りを見つけて、部屋の照明のスイッチを入れる。にぶい音と同時に、ぼんやりとした明かりが室内を薄暗く照らした。電球の寿命が切れかかっているのか、調子が悪い。

 照明をつけてから気付いたが、部屋の照明で忍び込んでいることがばれてしまうかもしれない。だが、部屋の扉を開けているよりはましだろう。さいわい、照明も強くない。さっさと、用事を済ませて部屋を出なければ。

(さて、どうするか……)

 本棚にはなにもない。ベッドの下も気にはなるが、まずは書き物机にある引き出しだろう。

 彼はそう見当をつけた。

 慎重に机へと近づくと、引き出しに手をかける。

 とーー、

 思っていたよりも大きな音を響かせて、引き出しが開いた。ひっと息をのむ。いや、予想以上に音が出たから、驚いてしまっただけだ。この部屋の外にまで、音が漏れるはずがない。そのはずだ……。

 雨は降り続いている。

 ゆっくりと。そうっと、後ろを振り返った。誰もいない。あたり前だ。

 視線を引き出しへと戻し、中を覗く。そこには、色があせ変に癖のついた書類が数枚あった。書類を、震える指で取り出す。その紙の文面に、じっと目を這わせていく。

 と、雷鳴がなった。窓ガラスが大きく揺れ、室内を真っ白に染めあげる。瞬間浮かび上がった人影に、彼は体をひねった。

 なにかがいるーー!

 そして、そこにあったのは。なんでもない。ただ、自分の影だった。誰もいるはずなど、なかったのだ。

 どうやら、無駄におびえていたらしい。息を落ち着けて、書類に目を落とした、瞬間に、


 彼はため息をついた。芽衣が話してくれたことの詳細が、淡々と書かれていただけだった。

 ーーある日、この屋敷に双子の女の子が産み落とされた。しかし、この辺りでは双子というのは忌み子とされていたらしい。父親はどちらかを殺そうとしたが、母親は生まれてきた我が子をかわいく思って、父親を説得した。双子はすくすくと成長し、仲もよかった。彼女らはいつも二人で遊んでいた。ある日、双子の片方が事故で暖炉の火に焼かれてしまい、重傷を負った。なぜか電話が通じないせいで医者も呼べず、少女は息を引き取った。だが、本当は息があったにも関わらず父親が少女を殺し、遺体を隠してしまったのだ。電話線を切ったのも、父親だった。母親は娘の死にめっきりふさぎ込み、父親は次第に罪の意識にかられ精神を病んでいった。孤独になったもう片方の少女は、遠くへ遊びに出かけるようになった。その途中、足を滑らせて泉に落ち、息を引き取ってしまった。心を病んだ双子の両親が長く生きることはなかったが、以後、何人もの人間がこの屋敷に住むようになった。そして、そのすべてが、何者かにとり憑かれたかのように変死したのである。

 読み終えると、丁寧に書類を引き出しに戻した。

 なんとも、気分の悪くなるような内容だった。悪霊の祟りなどを信じる訳ではないが、それを知ってわざわざこの屋敷に住むあの少女は、まともではない。知ってはいたのに、改めてそれを感じずにはいられなかった。

 だが、問題は。

(電話線、だ……)

 書類でも、電話のことにふれていた。電話線は、父親が切ったのだと。だとすれば今回も、誰かが切ったのかもしれない。

 ふと背後を振り向くと、扉の隙間から光が見えた気がした。もちろん、隙間がないようにきちんと閉めたはずである。それと、眼だ。黒々とした二つの眼が、こちらをのぞいていたように思える。

 これ以上この部屋にいる気分になれず、彼は立ち上がった。


 雨はやまない。

 時計を見ても、まだ深夜というわけではなかった。なぜか、時間が長く感じられる。

 自分の部屋に戻ってくる途中、あまりの暴雨によって物が飛び、窓ガラスが割れていた場所を何カ所か見た。屋敷の二人は対処する気はないらしい。

 なんにしろ、この天気の中で外に出ていくのは自殺行為に違いない。いくら屋敷が怪しかろうと。

 電話が通じないのは激しい雨のせいだろうし、あの部屋で光が見えたのも閉め方が悪かったのだろう。扉が勝手に閉まったのは、割れた窓からの風によるものだ。

 そうに違いない。無理にでも信じ込みながら、カズキはベッドに倒れ、ジジジッと鳴きわめくセミたちの声が、いつの間にか聞こえているのを耳にしていた。

「くそっ」

 いらいらとする。気持ちが落ち着かない。時計の針が進む音を、雨とセミの鳴き声がかき消している。

 力なく息を吐いた。

 そして、はっと気付く。

 夏にセミがいるのは不思議ではない。詳しくないが夜に鳴くセミもいるのかもしれない。

 だが、この雨の中で鳴き続けている?

 カズキは立ち上がった。部屋を出る。音はジジジッと鳴り続けていた。屋敷の中に響いている。

 彼は通路を歩いていく。

 またなにか、起ころうとしているのか。だが、なにも見つからない。音が大きくなる方へと進んでいるはずなのに……。

 部屋のひとつで、ビニールの袋に包まれている動物の死体を見つけた。夕食はこれの肉だったのだろう 

 音は近くに感じる……。

 動物の死体の脇に、暗い色調の扉が目に入った。他とは雰囲気が違う。扉がわずかに開かれている。

 慎重に、近づいていく。

 少女が、天ヶ原芽衣が、テーブルの上に寝そべっている。いや、横たわっている。あちこちを包帯でおおい、その端から傷がのぞいていた。そして、血が、床へと流れ落ちていた。

 口はガムテープで塞がれ、手足を縛られ、あどけない顔を恐怖に染めてもがいている。

 芽衣のそばには、老女が立っていた。ジジジジジッと、雨の夜にうるさく、電動ノコギリが老女の枯れた両手に握られている。

(なん、だ……)

 理解できない。理性は理解を拒んでいた。頬を汗が垂れ、息が詰まる。

 老女が両手を振りあげる。

 刹那、芽衣の目が、こちらを向いた。

 つられるように、老女がこちらを振り向く。

 カズキは走り出した。

 息が切れる。老女が追ってきているのが気配で感じられた。そして、嘲笑が聞こえた。

 くすくす、くすくす。

 後ろからではない。通路のあちこちから、嘲笑が聞こえる。屋敷にいたのは、二人だけではなかったのか……?

 嘲笑と、気配と、響きわたる電気ノコギリの音。だが、玄関の扉の前にたどり着いた。

 これで逃げられる!

「あ……」

 がんがんと、音が響く。扉は開かなかった。力を込めても、鍵を回しても、扉はなにかに引っかかるように動かない。塞がれている。

 どうしようも、ない。自然と目から、涙があふれた。

 呆然と振り返ると。

「びっくりしましたかっ?」

 電気ノコギリを小さな両手に持った、天ヶ原芽衣がそこにいた。

「は……?」

「どうですっ、雰囲気出たと思いませんか!? 見てください、この包帯と特殊メイク! あとあと、さっきのくすくす笑いは館中に金属管が通っていてーー」


 夜が明けて、昼頃まで時間が過ぎたとき、ようやく、雨がやんだ。

「……ひどい目にあった」

「まあまあ、いい夏の思い出じゃないですか。いえ、今の状況はべつですが……」

「土砂崩れは仕方ないさ。それより、足は大丈夫か?」

「はいっ!」

 芽衣が元気に返事する。

 暖かい太陽の下、森の間にある道を二人は歩いていた。昨夜に土砂崩れが起こったせいで、車が使えないらしい。芽衣が墓地まで案内してくれていた。

 屋敷から解放されて、カズキは解放的な気分を感じていた。彼女のいたずらは正直迷惑ではあったが、今となっては楽しかったと思うしかないのだろう。

 風のささやきに枝葉がこすれ、優しい音が響いている。

 芽衣は笑顔で道を先導している。何度もこちらを振り向いて話しかけてくるのが、なんとも微笑ましい。

 歩いていると近くに泉が見えてきて、芽衣が声を上げた。

「あれ! 来るときにお話した泉ですよ!」

 はしゃいで、彼女は泉に近づいていった。遅れるようにして彼も泉へと歩いていく。

 泉の水に指先を触れさせると、ひんやりと冷たかった。

 そろそろ出発しようと腰を上げる。

 泉の近くは、涼気を感じさせた。そんな中で、振り向くと芽衣が笑っていた。二つの眼がじっと彼を見上げている。

 嫌なものを、感じた。

 そういえばなぜ、彼女が道を案内してくれているのだろう? 道の案内だけならば、召使いの老女にやらせてもかまわないはずなのに。芽衣が一緒に来なければならない理由が、なにかあった?

 目の前の少女はただ、クスクスと笑っていた。

 夏の日差しの中で、首筋に冷たいものを感じた。ふと、少女の最初に語った屋敷のいわくについて、彼は思い返していた。

 水音がする。少女は笑っていた。あの二つの黒い眼が、嫌悪を誘うようにこちらを見つめている。こちらと、そして下の方へと、視線を交互に行き来させている。

 ああそうか、と思った。

 少女はこのためにきたのだ。

 冷たい水が、自分の服を濡らしている。誰かが、友達を求めている。

 そして。

 愉悦に満ちた黒い眼が、ぎょろとこちらを見ていた。

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