07 疲れた日
魔法の修練を終えた後アリエルは、部屋に戻る途中で会いたくない人と出会ってしまった。
それは先に家に帰っていたアリルだった。
アリエルを見たアリルが口を開く。
「カイラス様にハンカチを届ける事はできたわ」
「そう、良かったわね」
「喜んでくださったのよ。届けられてよかった」
会話の内容は当たり障りのないものだったが、アリエルは油断しない。
アリルはふと表情を曇らせる。
「お姉さま、お怪我をされたんでしょう? 大丈夫なの?」
話題に出すのは昼間の事件についてだ。
アリルはアリエルが怪我をした肩を見つめる。
「平気よ。心配しないで」
アリエルは言葉少なに返事をして、さっさとその場から去ろうとする。
しかし、アリルが呼び止めた。
「授業中だって上の空だったじゃない。先生の質問には答えられていたみたいだけど……。考え事してたでしょ?何か困ったことがあるなわ、私に相談して? 家族でしょう」
アリエルは無表情にアリルの顔を見る。
アリルの表情は表面上、どこからどう見ても姉を心配する妹にしか見えなかった。
しかし、アリエルは警戒を解かずに口を開いた。
「ありがとう。でも本当に大丈夫だから」
アリエルはアリルに背を向けて歩き出す。
近くを通りかかった使用人が咎めるように睨みつけてきたが、アリエルは気にしなかった。
アリエルの背後で、使用人の言葉が聞こえる。
「まあ、なんて冷たい人なんでしょう。アリル様がこんなにも心配していらっしゃるというのに」
そして、アリルの声も続いた。
「大丈夫よ。私は平気だから、心配してくれてありがとう。アリエルは今心に余裕がないだけよ。きっといつか元のお姉様に戻ってくださるわ」
背中を向けてそれらを聞いていたアリルは、子供の頃に劇場で見た演劇の事を思い出す。
その演劇の内容は、変わってしまった王様と、その王様に振り回される兵士や騎士たちの話だ。
病で王妃をなくしてしまった王様が、精神を病み、暴君になってしまう。
しかし、周囲の献身的な支えによって、元の王様に戻るという話だ。
子供の頃に見た時、アリエルが抱いた感想は素直なものだった。
王様が元の優しい王様に戻ってよかった。
そんな王様を支え続けた周りの人達は、なんて優しい人達なのだろう、と。
今のアリエルの状況はそれとよく似ていたが、実際はかなり異なっていた。
アリエルは自分の保身のために行動する事はしばしばあるが、暴君だと言われるほどの事はしていない。
だが周囲からは似たような者とみられている。
一部の者達は改心を期待している。
しかし、アリエルが彼らの期待に応える事はないと断言できる。
アリエルは、アリルの方が悪役だと知っているのだから。
廊下を歩くアリエルの対面から母親と父親が歩いてきた。
しかし、彼らは何も言わずにアリエルを素通りした。
彼らは嬉しそうな声音で、アリルに声をかけた。
「アリル、料理長が美味しいケーキを焼いてくれたのよ。一緒に食べましょう」
「お前の好きな林檎を使ったケーキだぞ。ほら、例の事件で元気がないだろうと思って、気を使ってくれたんだ」
「まあ、嬉しい。それなら、お父様もお母様も一緒に食べましょう?」
楽し気な家族の輪だが、そこにアリエルは必要なかった。
アリエルは、部屋に戻って、疲労を自覚しながら息を吐く。
壊れそうなボロ椅子へ腰を下ろす。
普段なら、傷んだ家具はそろそろ修繕する頃合いだが、今はそのまま放置している。
なぜなら数か月後に卒業式が待っているからだ。
卒業式後、アリエルはシャナの元へ嫁ぐため、この部屋には住まない
だから、家具の修繕などは行わない方針でいる。
そんなアリエルにも気に掛ける家具はあった。
小さな子供が使うような木製のテーブルだ。
それはちょうど先ほどアリエルが7歳の頃に、仲の良い少年からもらったものだった。
悪戯心で屋敷から抜け出し、町へ遊びに行った時の事だ。
貴族のご令嬢としての身なりでいったため、アリエルが無事に家に帰ってきたのは奇跡に近い。
その時、一緒に遊んだ平民の少年が、アリエルにテーブルをくれたのだ。
端の方にひび割れができているため、なんとか修繕したかったが、アリエルは馬車を使う事ができない。
テーブルを持ったまま貴族令嬢がで歩いていたら目立つ事この上ないだろう。
そのため、修理できずにいたのだ。
疲れたアリエルは、マーカスからもらった手紙を出して、中身を読む。
内容は事件についてで、アリエルの体調を尋ねるものだ。
シャナは変人でもあるが、ただ一般的な親しみと心配の感情をこめて手紙を贈ってくれたのだから、早急に返事を書かなければならなかった。
しかし、アリエルはそんな気分にはなれなかった。
手紙から視線をそらしたアリエルは、自分のベッドに体を横たえる。
アリルの部屋にあるものとは比べ物にならない、低くて硬いベッドだ。
それでも床に眠るよりはマシであったため、アリエルはこのベッドを使い続けていた。
我儘を言って家具を変えてもらったり、アリルに仕返しをするなど無駄な事だったからだ。
「……疲れた」
目を閉じたアリエルはすぐに睡魔に襲われる。
服を着替えていなかったが、その事実を気にする体力はなかった。
眠気に身を任せるままにしていると、数秒で夢の国へと旅立った。




