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Femto Boy  作者: 弘田宜蒼
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ゆく人くる人

 今年、うちの事務所にはオレを含め、5人の作家志望者が入って来た。しかし、9月までに3人が辞めてしまう。給料はないに等しいし、リサーチの仕事は想像以上に大変だから、見習期間中に辞めてしまう人が殆どらしい。


 特に夢を大きく見過ぎた人は、現実との間でジレンマが溜まって行くのかもしれない。オレは殆ど解っていない状態で入ったから、逆に良かったのだろう。

 3人中、社長に辞めると告げたのは一人だけで、他はフェードアウト。でも、それも珍しい事ではないのだそうだ。


 9月に入って連絡が着かなくなった神谷汐弥君もその一人。彼はオレより一つ下で、自主的に企画書を書いて来ては、社長や先輩に見て欲しいと頼んでいた。見習の仕事をしながらだから、寝る間も惜しんでいただろう。それだけ神谷君には伸び代があった。


 坂木社長は去る者は追わずというスタンスだが、彼に対しては違った。

 9月も中旬に入ったが、まだ残暑が続く金曜日の16時過ぎ。社長から事務所に戻って来るようメッセージが入った。『ルーム――』の会議を終え、19時を少し過ぎて事務所に入ると、社長は休憩エリアで別の作家と談笑していた。オレと目が合うと頷き、「ちょっと待ってろ」とアイコンタクトして来た。


 その間デスクに戻り、ホン(台本)をまとめる事にした。20分程経って、『ポンっ』と右肩を叩かれた。

「ちょっと神谷の家まで行って、様子を見て来て欲しいんだ」

 社長はオレを見下ろして言った。

「良いですけど、そんな親しくないですよ?」

 会えば少し会話を交し、一応連絡先も交換したが、それ以上の関係はない。

「ああ、だから野村も連れて行け。これ、あいつんちの住所。タクシー代はオレが出すから」

 野村さんは神谷君と3日違いで入った女性だ。

「解りました」

 パソコンを閉じ、社長からメモを受取りながら立ち上がる。これも新人の務めか。


「おーい野村! お前ユースケと一緒に神谷の様子を見て来てくれ」

 野村さんは立ち上がりながら、「……はい」と含みのある返事をした。乗気でない事が直ぐに解る。社長はそれを気にせず、オレ達を送り出した。


 タクシーを拾い、神谷君の自宅がある世田谷区を目指す。

「あのう、申し訳ないんですけど、神谷君のとこ、ユースケさんだけで行って貰えないですか?」

 のっけから伏目がちの野村さんが言う。

「別に良いけど、それまで何してる?」

 含みのある返事といい今の言葉といい、2人の間で何かあったのは確実だ。

「マン喫でリポートまとめてます」

 出発前、彼女は何かをUSBに保存していた。初めっから行く気はなかった訳だ。途中で彼女を降ろし、独り神谷宅へ向かった。呼鈴を鳴らし、母親に在宅を確認すると彼が出て来る。


 駅近くのファミレスに入って話をする事になった。ドリンクバーを注文し、神谷君に了解を得て、序に夕食を摂る為ハンバーグセットも頼む。

「社長が心配してるんだよ」

「態々済みません」

 外では暗くて解らなかったが、彼は頭髪を、正面から見て右半分を茶色に染めていた。只の気分転換か、それとも、もう気持ちは別の方向へ向いている現れか。


「何で事務所に来なくなったの?」

「……」

 彼は下唇を噛み、宙を見詰めて思案に暮れている様子だった。

「言いたくないんなら良いんだよ。尋問しに来たんじゃないから」

「……実は……野村さんっていますよね? 彼女に見られたんですよ」

「見られたって何を?」

 彼の様子からみなまで言わせるのは酷かもしれないが、途中まで聞いたら全て聞きたくなるのが通念。

「……シモです」

「シモ?」


 神谷君の話では、ある日彼は事務所のトイレで大をしていた。鍵を掛け忘れている事にも気付かず……。そこに、野村さんが入って来てしまう。うちの事務所は男女兼用だ。

 驚いた彼は思わず立上り、これまた思わず後ろを向いた。パンツもジーンズも下ろしたまま。彼女は「キャーー!!」と悲鳴を上げてドアを閉めたという。オレは事務所にいなかったので全く知らなかった。


「……それは気まずいね」

「そうっす」

 でも何か引っ掛かる。彼にすれば羞恥心満載で重大な事だろう。それは察する。しかし、それだけで志を絶つだろうか?

「本当はさ、他に理由があるんじゃないの? 実はそれより前から辞めようと思ってたとか?」

 そこまで追求する必要はなかったが、口を衝いて出た。

「敵いませんね」

 神谷君は苦笑した。


「その通りです。正直限界を感じてました」

「体力的に?」

「それよりも、精神的にです。企画書を出すたんびに「もっと解り易く書け」とか、「自分の殻を破れ」とか言われて。言われれば言われる程、解らなくなって行きました。でも、そこを乗り越えてプロに成って行く訳ですから、オレなりに必死にやりましたけど」

「期待が大きくて辛辣になる人いるからね」

「常に良い案を求められる職業ですけど、失敗するのがそんなに悪いのかって、そっちの気持ちの方が大きくなったんです」

 彼の表情には悔しさが滲んでいた。

「生意気言うなら、「徐々に覚えていきゃ良いんだよ」って、誰かに言って欲しかった」

「そっか……」


 どうしても優れた人と比べられ、それを求められる。勿論、早く職能を上げようと頑張るが、本当は十人十色。それで人間社会は成り立っている筈なんだ。

会計を済ませ、神谷君と別れてタクシーを拾った。途中で野村さんを乗せて事務所に戻る。


 社長には、

「精神的に辛かったんだそうです。憔悴した顔をしてました」

 と、事実と嘘を交ぜて報告した。社長は「そうか……」と残念そうな顔をした。

 

 良い悪いではなく、神谷君は放送作家として一本立ちするまでのプロセスを乗切る、精神力を併せ持っていなかったのだ。


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