第4話 鬼姫は美形が好き。
時はさかのぼり、約2週間前、五か国同盟の一国・清富王国南部にある国境付近にある城に彩華国からの急報が届いた。3か月にわたり大昇帝国軍と国境沿いで小競り合いを繰り返していた清富・彩華連合軍だったが、蓮音と炎刃隊の幹部は今すぐ華陽に帰還せよとのことだった。蓮音は蒼迅たちを連れて転移魔法で帰国した。そこに待ち受けていたのが、帝国からの例の書簡だったのだ。
当然、蓮音は烈火のごとく激怒した。
「おのれ、昇昊舐めた真似を! 今すぐ清富に戻って、帝国軍を殲滅してやる!!」
地団太を踏んで暴れる蓮音を、6歳年上の従兄で国王の伯栄がなだめる。二人とも子ども時代に両親を亡くしていたこともあって、その絆は並の兄妹よりも強かった。
「落ち着いて、蓮蓮。今、帝国軍に手を出せば人質が危ない。まずは豆腐花(豆乳プリン)でも食べましょう」
そういうと伯栄は蓮音の口に無理やり豆腐花を押し込む。長い付き合いもあり、伯栄は蓮音の取り扱いはよく心得ていた。蓮音は甘くて冷たい甘味のおかげで少し冷静さを取り戻した。と、同時に伯栄の手から豆腐花を奪い取ってやけ食いをする。
「悔しい悔しい悔しいっ!!」
今まで怒り狂っていた蓮音だが、帝国にしてやられたことが屈辱的過ぎて今度は大粒の涙を流しだす。伯栄は「おかわりもありますからね」と蓮音の頭を撫でながら慰めた。
二人の性格は真逆だった。冷静沈着、知的で常に穏やかな伯栄に対して、喜怒哀楽が激しく、頭よりも体が先に動く蓮音。真逆ながらもお互いを補完しあうように若い二人で力を合わせてこの国を守ってきたのだ。
「ああ、そうでした、蓮蓮。17歳の誕生日おめでとう。本当は当日に渡したかったのですが、あなたは遠征中でしたので遅くなりました」
そういって伯栄は白い蓮の花を模った大粒の真珠があしらわれた耳飾りを渡してきた。
「わあ、綺麗。伯栄ありがとう!」
先ほどまで泣きじゃくっていたのに美しい耳飾りに機嫌がよくなる蓮音。蓮音は鬼姫などと言われているが、決して美を解さない武骨者ではない。美しいものが好きなのだ。花々が咲き誇る美しいこの国、見目麗しい容姿の男女、天上の響きを思わせる歌舞音曲、一点を狙いすまして放たれる鋭い切っ先、そんな攻撃を可能としてくれる研ぎ澄まされた武器。
「せっかくですので、顔を洗って着替えてこれを付けてみてください。久々に一緒に夕餉を食べましょう。蒼迅も一緒に」
「あいつはいいよ。いつも一緒だから」
「あなたはそうかもしれませんが、私は久々なんです」
伯栄はそうと言うと苦笑いを浮かべた。
◇ ◇ ◇
「にしても、姫さんに結婚を申し込むとは。昇昊って野郎も後宮の美女たちとヤリたい放題できる皇帝の癖に随分と物好きだよな」
夕餉の席で、蒼迅が無遠慮な物言いをする。これだからこいつはいいって言ったのにと蓮音はムッとする。
「まあまあ、考えてみれば蓮蓮も年ごろの女性ですからね、そういう話があること自体はおかしくないかと。それにしても、相手が敵国の皇帝とは……こうなる前に誰かに嫁がせておけばよかったですかねぇ」
「誰かって誰? そんな人いないでしょ?」
蓮音は色恋に疎いものの、周りが妙に伯栄や蒼迅を進めてくるには気がついていた。
伯栄は蓮音の従兄なだけあって顔はいい、風流なところもあって性格も悪くはない。だけど、蓮音の目から見て彼には決定的に足りないものがあるのだ。そう、肉体美、つまり筋肉だ。彼の大胸筋と上腕二頭筋は理想とは程遠いのだ。それに穏やかすぎて何というのか情熱が足りない。「かわいいですね」「きれいですよ」と蓮音のことを褒めてくれるものの、彼の言葉は恋人というよりは家族のそれなのだ。
一方の蒼迅は、武人なだけあって身体は素晴らしい。だけれども、性格がガサツ過ぎる。彼からは一度たりとも「きれい」とか「かわいい」などと言われたことがないどころか、女扱いされた試しがない。伯栄がくれるような繊細で優美な洗練された贈り物をもらったこともない。いいヤツだし、頼りになる仲間だとは思うけれども、蓮音の理想とはかけ離れている。
蓮音の理想の男性は、彼女が13歳の時に亡くなった父親、先代の彩華国王だった。父は見目もよく、剣聖の名で知られていただけあって腕も立った。何よりも蓮音の母のことを一心に愛していた。13歳まで理想を絵にかいたような男性を身近に見ていた蓮音は、どうしてもほかの人と比べてしまい、「何か足りない」と感じてしまうのだ。
「はははっ、言われてみるとあなたの相手が務まるような男はこの国にはいませんね。そうなると案外、昇昊陛下と言う選択肢もありかもしれませんよ。陛下は蓮蓮の大好きな美丈夫らしいですから」
「はあ? あんな姑息な手を使う男が!? 男だったら正々堂々、正面から勝負しろっ!」
「まあまあ、計略を用いるのも戦略の一つですから」
「伯栄は何で敵の肩をもっているわけ?」
「そうだぜ、王様。帝国は敵だ。いくら奴がいい男だったとしても簡単に姫さんを渡すわけにはいかねえだろうがよ」
「いえいえ、別に昇昊陛下の肩を持っているわけではなくただの一般論ですよ」
「だいたい、昇昊だって本当に美丈夫か怪しいぜ。俺らだって奴のことは人物画でしかみたことねえんだからよ。姫さんの美人画を考えてみろよ」
実は、世に知られている例の「姫さんの美人画」の被写体は蒼迅である。自分が小柄であることを知られたくなかった蓮音が蒼迅を身代わりにしたのであるが、その際に香隠と万梅がゲラゲラ笑いながらひどい化粧を施したのだ。
「わざわざ帝国まで行って、もし美形じゃなかったら、股間を踏みつけてやる!」
「蓮蓮、気持ちは分かりますが、それだけはやめましょう。あなたはかわいい女の子なんですし」
「おう、姫さん、その意気だ! やっちまえ、やっちまえ!」
「はあ、あなた方を外交使節として派遣するのは不安でしかありませんね……なんだか昇昊陛下がお気の毒に思えてきましたよ……」
蓮音自身は戦や修練や冒険に明け暮れてきたので、今まで愛だの恋だのに真剣に向き合う機会はあまりなかった。いざ結婚というものが目の前に降ってきて、そこから逃げられそうにもないこの状況を思うと、一度でもいいから誰かを真剣に愛してみたかったなと痛感する。宿敵であること以外よく知らない男との政略結婚で幸せになれるなどということがあるだろうか。しかも生活の場が後宮なのだ。どう転んでも上手くいく気がしない。
それに相手の昇昊だって蓮音を人質にしたいだけで妻として求めているわけではないだろう。
それもこれも全部自分が王族などという窮屈な身分の中にいるからだ。蓮音は生まれて初めて自分の身分を呪った。
蓮音は寝台にごろんと横になると無意識につぶやいていた。
「誰か、わたしをここから連れ去ってくれないかな……」
今まで自分の運命は自分の手で切り開いてきたつもりだ。それなのにこんなところで他力本願な願いを口にしてしまうなんて。蓮音は自嘲気味に笑うと目を閉じた。




