第23話 北都の玄氏
剣護と別れた蓮音は一人、将軍府の門前に来ていた。門番たちが、怪しいものと思ったのか、「何者だ」と制してくる。
蓮音は被っていた笠を外し、「本日、玄 流帆将軍にお世話になるお約束をしました珠蓮音です。将軍にお取次ぎ願えないでしょうか」と大真面目に答えてみた。
門番たちも蓮音姫の一行がここを訪れることは知ってはいたが、姫がお供も連れずに一人で歩いて尋ねてくるなんて誰が思うだろうか。しかも、門番程度の立場の者では蓮音の顔などしらない。
「これは将軍の兄上様であり、わたしの師でもあった玄 流舟先生からの書簡です」
そういった蓮音は門番に書状を一通差し出した。さきほど尋ねた際に、念のためといって流舟が一筆書いてくれたのだが、それが役に立ちそうだった。門番はそれをもってどこかに走っていく。しばらくすると玄将軍自ら出迎えてくれた。
「やあ、わが妹よ、長旅お疲れ様。知らなかったとはいえ、うちの門番が失礼したね。ところでどうして一人で?」
「玄兄さま! 出迎えありがとうございます。それが、なんというか……」
蓮音は歩きながら今までの経緯を簡単に説明した。
「ははははっ。さすがはわが妹だ」
流帆は妹といっているが、もちろん実の兄弟ではない。流舟は蓮音の学問の師であったが、同時に自分の弟の面倒も見ていた。いわば二人は流舟の兄妹弟子なのだ。
流舟と流帆は兄弟だが、流帆は後妻の子のため母親が違い、年も一回り以上離れている。兄の流舟は知的だがどこか近寄りがたい孤高の雰囲気を漂わせる貴公子であった。一方、弟の流帆は社交的で快活な性格の持ち主だった。
「にしても、今日はずいぶんと顔色がいいね。北都で君の笑顔が見られるとは思ってもなかったよ!」
「えっ、わたし、いつもそんな死にそうな顔していました?」
流帆は何も死にそうな顔とは言っていない。蓮音のほうが実はそういう心地で、でも水が怖いことを悟られないように平静を装っていたつもりだったのだ。でも、親しい者の目には北都にいるときの蓮音は極度に緊張しているように見えたのだ。
「はははっ、そんなところかな。まぁ、女性は結婚すると強くなるっていうしね」
「はぁ、というかまだ結婚してないですけど……」
「ははははっ。ところで、蒼迅は今頃青く、いや真っ赤になっているだろうね。うん、きっと見ものだなぁ」
「……あはは、彼らが着いたらちゃんと謝りますって」
蓮音は苦笑いした。
一方、蒼迅はことあるごとに「クソッ、クソッ」と口にしながら足早に北都に向かっていた。頻繁にエリックに蓮音たちのいる場所を確認させ、少しでも道にそれると気が気ではなかった。海遠に「気持ちはわかるけど、少し落ち着きなよ」と言われたが、どうして落ち着いてなどいられようか。蓮音が北都の宮城についてから半時(1時間)ほど後に、ようやく彼らも到着したのだった。
蒼迅たちが部屋に通されると間もなくして流帆が現れた。
「はははっ、思った以上に早かったじゃないか。我が弟よ!」
「姫さんは? 姫さんは無事についているんっすよね?」
「まあまあ、焦るな、我が弟よ。蓮音姫ならば何の問題もないよ。今、部屋に使いを送ったから、彼女もそのうちここに来るだろうさ」
流帆がそう話していると、誰かが走ってくる足音が聞こえた。
「蒼迅、みんなもごめん! 心配したよね?」
元気そうな蓮音の姿をみて、一同はほっとする。
「まったくだ! 俺らがどんだけ心配したか!」
「姫様、無事でよかった! あのうさん臭い商人に何かされてないですか?」
蒼迅と万梅がそう口にし、他の者もうんうんと頷く中でエリックだけは一人、
「姫様、成功です。大成功ですよ! いやー、さすがは私。この追跡魔法は使えますよ!」
と大はしゃぎだった。
「これ以降、今度勝手な行動をとったら、アイツを野放しにしておくわけにはいかねえ。そう思ってくれ」
「李公子は悪くないの。悪いのは全部わたし。あの人は、わたしの言うことを聞いてくれただけ」
蓮音が剣護を庇う。蒼迅はそれがまた気に食わなかった。あいつにそそのかされたと言われた方がまだマシだと心の中では思っていた。
「とにかく、次は容赦しない。覚えておいてくれ」
そういって、蒼迅はその部屋を後にした。
「蒼迅!」そういって蓮音は後を追うべきか迷った。でも、今はこれ以上話しても彼をもっと怒らせるだけかもと思い、追うことができなかった。それを見た流帆が、蓮音の肩をポンと叩き、「ここは、お兄様に任せなさい」と言って部屋を出た。
ほどなくして、流帆は、蒼迅が兵士の訓練所にいるところを発見した。
「悩める少年よ! 既婚者であるこの私が、お前の悩みを聞いてやろうではないか」
「27歳になって数か月前にようやく結婚できた男が偉そうにしないでください」
兄を名乗るこの男にいろいろと見透かされているような気がして、蒼迅はわざと皮肉めいた一言を言う。
「おお、弟よ、痛いところを突いてくれるなよ。まずは、お前にいいことをおしえてやろうではないか。お前の師匠でもある私の兄はな、40歳を過ぎたというのに独身であるばかりか、今まで一度も浮いた噂がないんだよ。初恋をこじらせすぎるとああなるぞ」
「えっ、先生には好きな女がいたんっすか? 全然気が付かなかったな。俺の知っている人っすか?」
「まあ、兄のことはあまり追求しないでやってくれ。とにかくだ、お前、このままでいいのか? このまま何もせずに姫をほかの男に盗られても?」
「盗られるも何も、相手は大国の皇帝で、政治とかも絡んでっから、俺にはどうしようも……」
蒼迅は急に口ごもりだす。
「姫の心を盗もうとしているのは、本当にその男か?」
蒼迅はそういわれてはっとする。
「どこまで知ってるんっすか?」
「何も知らないさ。ただ、北都が苦手なあの子が平気な顔してここまで歩いてきたんだ。これは十分に驚嘆すべき事実じゃないか」
「……!」
「まあ、どんな男か知らないが、兄としてはかわいい妹を知らない男にくれてやるよりは、弟に頑張ってもらいたいと思っただけさ。とにかく、何もできずに後悔することだけはないようにな。はははははっ」
蒼迅の背中をポンと叩き、それだけ言うと、流帆は訓練所を後にした。




