第20話 水の都にて
二人は馬を走らせ、国境付近にある大都市、北都を目指した。馬車道を使うと一日かかる距離だったが、山間の細道を馬で飛ばしてきたので、寄り道しながらも昼過ぎには北都に到着することができた。
二人は遅めの昼食をとろうと店を探した。一軒の店の前に来ると、蓮音が「ここの小籠包は絶品なの。北都に来たら一度は食べないと」と言う。昼時を少し過ぎた時間だというのに店はかなり混んでいて、人気なのがよくわかる。二人は個室に通してもらった。
二人きりでゆっくり食事をするなんてこれが最初で最後かもしれないと蓮音は思った。お茶を一口飲んだ蓮音は、「あなたが中央諸国を旅した時の話をまた聞きたいな」と剣護にお願いした。
「もちろんだよ、どんな国の話を聞きたい?」
「うーん、そうだなぁ。異種族の国、例えば、獣人の国とかは行ったことある?」
「あるよ。金獅子族と銀狐族とは戦ったこともあるよ」
戦ったことがあるどころか、今では両種族の首領は彼の部下となっている。
二つの種族のムラは、開国の北西にあり、金獅子族はあたりの草原地帯を、銀狐族はさらに北に行った周囲の山々を縄張りとしていた。純粋な力を信奉する獅子族に対して、銀狐族は妖術に長けていて知略を重視するなど性格が全く違ったため、両種族にはほとんど交流がなかった。
この二種族を配下に取り込み、支配域を広げようと企んでいたのが魔王を自称していた「天魔ディザスター」だ。この自称魔王は、開王国の国境付近にもたびたび出没しては隊商を何度も襲ったので、開王国は西に兵を割かないといけなくなり、そこを帝国につけこまれることになってしまったのだ。
剣護も最初は隊商の護衛として西の守備についた。そんな中で両種族の争いを治め、ディザスターを打ち倒し、その地の支配者となったのだ。望んでなったというよりは担ぎ上げられたのではあるが、魔王を倒したのだから、それが勇者でなければ新たな魔王となる。
実際に自分に魔族の血が流れているのかどうかはわからないが、人並外れた魔力や身体能力からそう考えるのが自然だろうと剣護は思っていた。
剣護は、炎を使った術を得意としていて、さほど魔力の強くない相手であれば一瞬で消し炭にすることができた。漆黒の髪が戦場で風になびき、灰となった敵が煙のように空に舞い上がった様子から、魔王「黒煙虎」の名が知られるようになった。
剣護は、その戦いに開王国軍として参加していたかのように蓮音に語って聞かせた。蓮音は、臨場感たっぷりの剣護の話を目を輝かせながら聞いた。
「じゃあ、ってことは、魔王や獅子将軍も見たことがあるの!?」
会ったことがあるというか、魔王に関しては本人である。にしても、獅子将軍こと豪毅と並び語られるのはかなり不本意だ。
「ねぇ、二人はどんなだった!?」
蓮音はワクワクしながら聞いてくる。
「まぁ、そうだね。魔王は噂のままだよ。獅子将軍の豪毅は、噂以上にバカだな」
「あははははっ、バカって何それ! でも、魔王軍の将軍相手にそんなこといっても大丈夫? あなたが怖いもの知らずなのはもうわかってはいるけど」
世間では、魔王黒煙虎は、「冷酷無比、残虐非道で色欲に溺れている醜い大男」と言われていた。なぜ醜いと言われていたのかというと、彼は人前に現れるときには必ず顔の上半分に黒い仮面を付けていたからだ。
仮面を付けていた理由は割と単純で、顔を、特にこの紅い目を多くの人に見られたくなかったからだ。助けた男が魔王になったと知ったら、あの少女は傷つくかもしれない。だから秘密にしておきたかったのだ。
剣護の話とおいしい小籠包でおなかがいっぱいになった二人は店を後にして、北都の城下町を歩いた。
北都は水の剣護神である玄武の加護を受けた都で、城下には複数の水路が張り巡らされていた。そのため徒歩ではなく、渡し船で移動できる場所も多い。水の都に相応しい風光明媚で洗練された商業都市なのだ。好奇心旺盛な蓮音は渡し船に乗りたがるのではないかと思ったが、むしろ彼女は徹底して水路を避けているようだった。おそらく彼女は水が苦手なのだと剣護は気が付く。
蓮音は炎の精霊力の持ち主で、水属性とは相性が悪い。それでも子どもの頃はそこまで水が苦手ではなかった。蓮音が13歳の時、両親が海難事故で無くなって以来、水の中で泳いだり、船に乗ったりすることができなくなってしまったのだ。17歳になった今でもそれが克服できずにいた。
実は北都に早く来たかったのには理由があった。ある人に会いたいと思っていたのだ。蓮音によると、その人は父の親友で蓮音の学問の師でもあった。彼は蓮音の両親と同じ船に乗っていたが、自分だけ生き残ったことに罪悪感を抱いて、若くして官職を退き、故郷に戻って隠棲してしまった。蓮音は国を離れる前に別れの挨拶をしたいと思っていたのだ。
蓮音は屋敷近くの茶屋で手土産を購入し、剣護に「先に宿に戻ってて」と伝えた。しかし、剣護は「ここで待っているよ。ゆっくりしてきて」という。何となくこの水路だらけの街で彼女を一人にしてはいけないと思ったのだ。
蓮音は久しぶりに師匠と再会した。九歳の時、蓮音の従姉に会うために師匠たちと一緒に今と同じ道を通って、神雲国と南黄帝国を抜けて、開王国まで行った時の思い出話に花を咲かせた。
別れ際、彼は「姫様、国を思うお心はご立派ですが、どうかご自身のことも大切にしてください。彩華の民も亡きご両親もそれが一番の願いです。私も陰ながら姫様の幸福を願っております」と告げ、門前まで出て蓮音を見送った。
剣護はその様子を水路の向こう側の茶屋から、通り過ぎる女性たちにキャーキャー言われながら見ていた。
師匠が一瞬こちらを見て目が合ったような気がしたが、師匠はしばらくの間、頭を下げたままの姿勢だった。剣護は水路に掛かった橋を渡り、蓮音のもとに駆け寄った。顔をあげて二人の後姿を目にした師匠はつぶやいた。「あの少年はまさか……そうでしたか」それだけ言うと表情を緩めて、屋敷に戻った。
将軍府近くに来たところで、蓮音は剣護に話しかける。
「あっ、そうだ、今のうちに渡しておこうと思って。あの、これ、すっごく下手くそなんだけど、わたしが作ったの。あの、ほら、あなたはお金持ちでしょ? だから高価なものはいくらでも持っているだろうから。でも、その、今日のお礼がしたくて」
いつもと違い歯切れが悪い蓮音だったが、懐からひとつの香嚢(香袋)を取り出した。紺色の袋に小さく白い花の刺繍がしてあった。
「これを、僕に?」
受け取ると、甘くていい香りがした。蓮音がいつも身につけている香嚢と同じ香り、蓮音の香りだ。
「あなたは強いからこういうのはいらないかもしれないけれども、お守りみたいな? あの、本当に下手くそで、人に見られるの恥ずかしいから、懐にでもしまっておいてっ」
照れて焦りながら蓮音が言う。そんな蓮音が愛おしくてたまらないと剣護は思う。蓮音は手芸が苦手なのに、自分に贈り物をするために、旅の間に一生懸命これを作ってくれたのだと思うとぐっと込み上げるものがあった。
「すごくうれしいよ。ありがとう。大切にする」
剣護はそういうと香嚢を自分の帯にサッと括りつけると、「じゃあ、また明日」と言って手を振りながら走り去った。後ろから、「だから、しまっておいてっていったのに」と蓮音が声を上げるのが聞こえた。




