第17話 逢引の約束
先ほどとは違う通りに入ると剣護は、走るのをやめて「強引なことをしてごめん」と謝ろうと蓮音を振り返った。蓮音は少し高揚した顔で剣護の顔を見つめると、急に「うふふふっ、あははははっ」と笑い出した。
「えっ、何がそんなにおかしいの?」と言いながら、つられるように剣護も声を出して笑った。
「だって、きっとあとで蒼迅たちに怒られちゃうね。うふふふっ、あはははっ。にしても、おなか空いちゃった。何か食べに行こう」
吹っ切れたようなすっきりした顔で、今度は蓮音が剣護の手を引いて歩き出した。
何を食べようかと立ち並ぶ屋台を眺めていると肉が焼ける香ばしい匂いが漂ってきて、自然と足がそちらに向かう。子どもの頃、よく屋台で食べた羊肉串だ! 屋台の女将さんが、「そこのお二人さん! 熱々のお二人にピッタリの焼き立てだよ!」と勧めてくる。
蓮音が「じゃあ、二本ください」といってお金を渡そうとしたら「ここは僕が」といって剣護が先にお金を差し出した。女将さんは「お嬢さん、ここは旦那に花を持たせてやりなよ」といって剣護から代金を受け取る。「じゃあ、次はわたしが出すね」と蓮音がいうと、剣護は小さく頷いた。
その隣にはお茶の屋台が出ていて、羊肉串と若い男女ににぴったりの甘い香りが特徴の鉄観音茶を進められるがままに購入した。
羊肉串とお茶を片手に、二人は近くにあった長椅子に腰を下ろした。
蓮音は、雅なお姫様であることを垣間見せるときもありながら、どこにでもいるような普通の溌剌とした女の子の部分も併せ持っていた。子どものころからそうだったが、蓮音は何を食べても実においしそうに食べる。山間の寒村で一緒に生活したあの時と変わらない彼女の姿がさらに愛おしく感じた。
周りには多くの人がいて、美形の二人を無遠慮にじろじろと見てくるものも少なくは無かったが、剣護には蓮音の愛らしい姿しか見えていなかった。ずっと求めていた憧れの人と、彼らのことを誰も知らない場所で、ただの男と女として二人だけの時間を過ごしている。強烈な幸福感を覚えた剣護は頭が麻痺して、蓮音をそのまま自分の城へ連れ去ってしまいたいたくなった。
羊肉串にかぶりつきながら蓮音が話しを始めた。
「実はわたしもこんな風にお祭りを楽しむのって久しぶりなんだ」
「そうじゃないかと思ってたんだ。護衛をぞろぞろ連れたお嬢様が城下をぶらついていたら目立つだろうからね」
「うん、だから今日はなんだかすごく楽しい。連れ出してくれてありがとう」
「じゃあ、もっと楽しもう。あいつらに見つからないようにね」
人差し指を立てて口元に当てながらそう言って剣護は片目をつぶった。
屋台で買った食べ物を二人で分け合ったり、出店で装身具をああだこうだと品評しながら選んでみたり……。二人は普通の恋人たちが過ごすような時間を存分に満喫していた。
しばらくすると蓮音はにこにこしながらある提案をしてきた。
「ねえ、李公子、ちょっと厚かましいお願いがあるんだけど。いいかな?」
「うん? なに? 何でも言ってみて」
「もしかすると、あなたにはかなり申し訳ないようなお願いなんだけど……」
「申し訳ないことなんて何もないよ。あなたの願いならば何でも叶えたいんだ。遠慮せずに言ってみて」
命の恩人だからなのだろうが、他に想い人がいる彼がどうしてそこまで親切なのかわからないものの、何でも叶えたいと言われて蓮音はためらいながらも言葉を続けた。
「えっとね……明日、さっきみたいに、わたしを攫ってほしいの」
剣護は予想もしていなかった蓮音のお願いに、驚いて目を丸くした。爆弾のようなお願いをしてきた蓮音は、その内容とは裏腹に相変わらずにこにこと微笑んでいる。
知らないとはいえ、魔王である自分に攫ってほしいだなんて、一体彼女は何を企んでいるのだろうか。だとしても、何でも構わない。蓮音の願いは全て叶えると決めたのだ。
剣護は蓮音の右手を取ると自分の胸の前に導き、少し身をかがめて、
「姫君の仰せのままに」
といたずらな笑みを浮かべた。そして、騎士が守護する姫君に忠誠を誓う時のように、その手の甲に慇懃に口づけをした。
蓮音は心臓がはち切れそうだった。剣護といけない約束を共有しているからか、それともこの美しい男が自分を怪しげな眼差しで見つめながらその柔らかい唇を手に押し当ててきたからか……。
二人で皆へのお土産の買い物をして、ある男が披露する拙い武芸を見物していたら、ついに蒼迅と香隠に見つかってしまった。
蓮音は手に持っていた袋からりんご飴を取り出すといたずらっ子っぽく「怒らないでっ」といって二人の口に押し込んだ。
蒼迅は剣護に完全にしてやられてしまった。明鈴の計画だと、蓮音を連れ出し、祭りを二人で楽しむのは自分の役目だったのに。この男は蓮音を独占して、どんな至福のひと時を過ごしたのだろうかと思うと悔しくてならない。
蒼迅は蓮音が口に突っ込んできたりんご飴を手に取ると怒りに任せてガリガリと食べた。
蓮音が「留守番の明鈴たちにもお土産をあげなきゃ」と宿に戻る気になっていたので、二人は剣護のことを睨みつけはしたものの蓮音にきつく注意をするようなことはしなかった。
にしても、明鈴が見込んだように、この祭りで蓮音と剣護の距離は一気に縮まってしまったようだ。もともと人懐っこい姫ではあるが、見ていると蓮音が何気なく剣護の腕を引いたり、ポンポンと肩を叩いたりするのだ。
剣護のほうも人混みを避ける際にごく自然に蓮音の背に腕を回して引き寄せたり、あの美しい髪に触れたりしている。
祭りの魔力おそるべし。それとも、あの男の魅力のなせる業なのか。
「目論見が外れて、明鈴ががっかりするだろうな」
香隠が、蓮音にもらったりんご飴をかじりながらぼそっとつぶやいた。




