26. 恋の転換
それはとても魅惑的だった。
恋を自覚したユリウスが、初めてエーリカの心を意識した瞬間だった。
エーリカの眼差しを正面から見る事が未だに出来ないユリウスが、心を真っ直ぐに向けられた様な心地だったのだ。
身体が熱を帯び、心臓が高鳴った。
胸の苦みでしかないと思っていた嫉妬は、裏返せば歓喜に変わるのだと知った。
ただ見ているだけで幸福だったユリウスが、初めてエーリカと心を通わす喜びを味わったのだ。
…通わす………までは至っていなかったとしても。その喜びの一端………切れ端………の様な……。
ともかく、
エーリカの心を求めた瞬間であった事は間違いない。
そこから、二年生の終わりまでーーつまりは更に新しい肖像画が増えても、ユリウスの毎日が窓からエーリカを眺めるばかりの変わり映えしない日々であったとしても。
それでもこれが、ユリウスの恋の転換であったのは確かだろう。
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ユリウスがエーリカと顔を合わせる際の予習に、嫉妬というピースが加わった。
…が。
そのピースは、エーリカとの会話の予測に活かされる事はなかった。
そもそもユリウスがエーリカと過ごす時に、嫉妬の対象になる人物が介する事がなかったし、どう予測を立ててもそんなピースが挟まる余地が浮かばなかったからだ。
それでもユリウスは時々それを心で味わっていたのだけれど、
段々とそれとエーリカとの乖離に気づかないわけにはいかなかった。
あの喜びは夢だったのかも知れない。
現実を前にすればそう考えるべきだっただろう。
ただ、それを夢に変えてしまいたくないユリウスの気持ちが、偶然を掴んでしまったのかも知れない。
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ユリウスが教室へ戻ったのは、エンリクが教師に呼び出されてしまった事で、時間を持て余してしまったからだ。
控室に行こうかと考え、けれどおそらくは直ぐに戻るだろうエンリクを待つならば教室の方が良いだろう。
そんな成り行きで戻った教室に入ると、そこにリリヤがいた。
教室に入って来たユリウスを見て、リリヤは一瞬ぎくりと体を強張らせた。
リリヤはあの日以来、いつユリウスに怒られるのかとびくびくして過ごしていたのだ。
けれども、いつまでも何も言って来ないユリウスに、もしかして許してくれるのだろうか……いや、もしかしたらあれは夢だった?と、すっかり気を緩めて過ごす様になっていた最近を後悔したい気持ちが溢れ出しそうだった。
「……そう言えば、もう意地悪をされたりはしていないかい?」
だから、そんなユリウスの言葉に、リリヤは当て擦りだろうかと泣き出しそうになった。
「…………っ」
何か言わなければ。と思うのに、何をどう言えばいいのか分からずに、リリヤは俯いてしまった。
しかし、黙っていても事態が好転する筈もない。
だから、リリヤは頑張って口を開いた。
「…………」
開けた口からは言葉は出て来ずに、ただ、はくっと空気が漏れ出ただけだった。
あんな事を言ってしまった後は、我に返って勘違いだったのかもと言い訳しようかと考えてもいたのだ。
だけれど、リリヤが側に寄らなければユリウスがリリヤに近づく事はなく。問いただされる事もないままに、時間だけが過ぎた。
もう咎められたりはしないのではないだろうか。そんな風に安堵の割合が徐々に増え、すっかりと油断してしまっていたタイミングでのユリウスの言葉に、何を返したらいいというのだろうか。
リリヤは真っ白な頭をなんとか動かそうと必死になり、
そしてひとまずは謝ろうとようやく口にすべき言葉を見つけた。
「……もうしわけありません…」
あれは有りもしない事だったのだとも言えず。けれどももう一度同じ言葉を口にするわけにもいかず。リリヤはただ謝罪の言葉を口にするより他ない。
しかし、それ以上どうしてよいのか分からなかったリリヤに、ユリウスは思いもよらない言葉を掛けたのだ。
「……やっぱり…まだ意地悪をされているのか………」
「………え?」
恐る恐る顔を上げ表情を伺ったユリウスは、本当にリリヤを気遣っている様にしか見えない。
「…あ……殿下のお側に……いえ、同じクラスなのですもの。それくらい大した事ではないです……」
だから、ついそんな言葉をリリヤは返してしまった。
ユリウスは思案気に口元を手で覆い俯いた。
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ーー夢じゃなかった。
不安な気持ちが氷解し、夢と現実が混ざり合った。




