21. 恋とは幸福である
恋……。
ユリウスは学院控室の窓から、いつもの様に中庭を眺めていた。
ユリウスにとってエーリカは、幸福を具現化した様な存在だ。そこにいるのだというだけで心が温まり、けれども近寄りすぎると体までもが熱くなり、ぼんやりとしかものを考えられなくなってしまう。
だから困った存在でもある……といえるのだろうけれど、ユリウスはエーリカを自分を困らせる存在だ、などと感じた事はない。
そもそもそのぼんやりとした心地自体が幸福であるのだ。
ユリウスの心境としては、それがほぼすべてだ。
とはいえ。成長に伴い公務も増え、
そうなると婚約者を伴わねばならない事も増えるのだから、公務の上では支障もある。
それを自覚出来ていない訳でもないから、ユリウスは努力を重ねている。
この幸福が恋……。
ぽわりと胸の内にくすぐったさが宿った。
エーリカに恋をしているのだろうかと気付いた時には、恐々とした戸惑いがあった。
常に傍にあったものの名前が、思いがけないものであった事を上手く呑み込めなかったのだ。
けれどもこれが恋なのかと理解すれば、それはすとんと腑に落ちた。
恋とは、つまり幸福であるのだと、ユリウスは唇の端を上げた。
そんな風に名の知れぬものに名を与えた事による心の輪郭を辿っていたユリウスの視界に、エーリカが入った。
こうなるともうユリウスの全部がエーリカに向いてしまう。
ただエーリカを見つめていられる幸福を、ユリウスは意識しないままで喜ぶ。
今までよりも鮮やかに感じる幸福感に揺蕩っているユリウスの視界の中、
エーリカに話し掛ける人影があった。
エーリカの事はどれだけ遠くにいようとも、それがエーリカだとユリウスには分かる。
けれどもエーリカに近付いた人物が誰なのかまではユリウスには分からなかった。
少なくともユリウスがよく知る人物ではないだろうとはあたりをつけられるものの、まったく見知らぬ人物なのか、それとも見かけたくらいはある人物なのかすら、判断するのは難しい。
意識は変わらずエーリカに向けているからそちらに向ける余地がない、という為でもあるのかもしれないけれど、意識の際に不快さが滲むのだ。
それがあのダンスの合同授業で、エーリカがダンスを踊っている時に似たものであるとユリウスが思い当たるより前に、ユリウスは窓辺から離れて踵を返していた。
「殿下?」
侍従の驚いた声を後ろに、ユリウスは控室から出た。
廊下を進み、階段を下り、ただひたすらに中庭へと足を動かす。
こんな事は初めてだった。
エーリカを見ていられるひとときを自ら放棄しても、エーリカの隣に行きたいと思ってしまった。
エーリカがお城のお茶会で、侍女と話をしている姿は愛らしかった。それが侍従であったとしても変わりなかっただろうし、騎士や従者でもそれは同じだろう。
実際に目にしていない以上絶対ではないけれど、おそらく。
彼女が彼女の両親といる姿も特別嫌だとは思わないし、国王や王妃、それに弟であっても……、嫌ではない。が、そもそもエーリカと親しげにする情景が思い浮かばない。
公務で顔を合わせる事は稀にあるけれど、国王夫妻は声を掛ける程度であるし、弟はまだ段取りに一生懸命といった状態だからだ。
もともとエーリカと会うのは、お城で決められた時間か必要な公務の時だけであり、
だからエーリカが、ユリウスの見知らぬ誰かと話をする場面を見ること自体が、王立学院に入学する以前にはなかった事だった。
入学してからもクラスの違うエーリカとは顔を合わせる機会はなく、ユリウスは毎日窓からエーリカの眺めるだけであった。
それだけでユリウスは幸せに満ちていたから、
それ以上を求めようとは……というよりも、それ以上の事を思いつきもしなかった。
今、ユリウスがエーリカの隣を求めているには、恋を自覚したからなのだろうか……。
もしも恋だと自覚していないままであったなら、今もただ窓から眺めているだけであったのだろうか。
それが分かる者など、ユリウス自身を含めても誰もいないだろう。
**
ユリウスが中庭に辿り着いた時、そこにはもうエーリカの姿はなかった。
控室から中庭を見るのは、窓から視線を下すだけで良いけれど、足を動かして向かうとなるとそんなわけにはいかない。
控室のある棟の出入口は中庭とは反対側にあり、教室棟に向かうならば渡り廊下を通れば済むことだけれど、ユリウスはおそらく棟を出てから回り込んで中庭に向かったのだろう。
控室から出て行くユリウスの後を、侍従は追いはしなかった。
学院での時間は、ここで控えている事が侍従の役目であるからだ。
おそらくはクラスメイトなのであろう男子生徒と挨拶らしき短い言葉を交わしたエーリカが歩き去った後、中庭に現れたユリウスが所在なげにしている。
窓からそれを眺めている侍従は、深い息を吐き、
ユリウスの遅い恋の自覚が、成長の契機になる事をひっそりと願った。




