13. エーリカの楽しみ
エーリカが週に一度、王城に通い始めてから5年ーーー
お城では仲良しの侍女も出来たし、望めば庭園のあちこちを散策する事も許可されている。
お城での勉強は、礼儀作法と語学に加え、美術品や音楽、詩の鑑賞などの教養が増え、これらは伯爵家で学ぶのは難しい事ばかりである為、エーリカはとても感謝していた。
新しい事を学ぶと新しい気づきがある。それを馴染みの侍女を相手に話す事は、今ではエーリカの一番の楽しみである。
「ラーシルの“夜明け”は、シェルジーの絵画に心を打たれて作られた曲なのですって」
「まあ、本日は音楽鑑賞でいらしたのですね」
「ええ、シェルジーの“星空”に心を打たれて作られた曲の名前が、どうして“夜明け”というのかしらと不思議だったのだけど、この曲名はラーシルが亡くなってからつけられたものだそうよ」
「まあ、曲名を他人がつける事もあるのですね」
「ええ、“夜明け”は楽譜が見つかった時は名前はついてなかったそうなの」
「それでは仕方がありませんね」
「そうね。ラーシルはシェルジーの“星空”を見て思いつくままに曲を作ったけれど、発表するつもりはなかったのかもしれないわね」
「そうでございますね。だから曲名をつけなかったということなのかもしれませんね」
「ええ。ラーシルが友人に出した手紙で、シェルジーの“星空”を見た感動を伝える為に書いた楽譜の走り書きが“夜明け”と一致していたことで、明らかになったのよ」
侍女は楽しそうに話すエーリカをにこにこと眺めた。
本来であれば、エーリカが侍女を相手にお喋りしながらお茶を飲んでいる状況は、笑っていていいものではないだろうけれど、こうも無邪気な様子では微笑ましく感じてしまっても仕方がない。
侍女はエーリカの前の空いた席にちらりと目を遣り、そして城を見上げたい気持ちを押し殺した。
「今日はレモンのメレンゲクッキーをご用意していますので、お楽しみにお待ちくださいね」
「まあ、メレンゲクッキーですって!?それはシェルジーが好きだったお菓子ではなくって!?」
「そうなのですか?エーリカ様がお喜びになるだろうとユリウス殿下から伺いましたが、そういう事だったのですね」
「そう。メレンゲクッキーがなければ自分は絵は描けないと夫人にお話になっていたそうよ」
日差しは穏やかで、時折風が吹き抜ける。
王城の庭園でお茶を飲む様になったのは冬が明けて暖かくなってきた頃からだけれど、春になってからはユリウスに待たされる事が増えていた。ーーーいや、より正確にいうならばユリウスに待たされる事は毎週のことであり、そしてそれは気のせいでなければ少しずつ延びている様に思う。
とはいえ、ユリウスが来てしまえば侍女と話し込むわけにはいかないので、遅れてくる事自体は問題ない。
などと言えば、ユリウスがお茶の席に来る事をエーリカが憂鬱に感じていると思われてしまうかも知れないけれど、エーリカはそんな風に思っている訳でもなかった。
ユリウスはとても優秀な王子様である。
まだ成人前で、公の場に出る機会は多くはないけれど、侯爵子息だけでなく、伯爵家の子息との交流もあるようで、アロネン伯爵の耳にも第一王子の評判は聞こえてきている。
相変わらずエーリカとは目を合わせようともしてくれないけれど、だからこそユリウスの美しい所作を遠慮なく鑑賞出来るのだと思えば、特別困る事ではないとエーリカは感じていた。
年に一度、お互いの肖像画を交換するという習慣は今でも続いていて、エーリカの部屋のユリウスの肖像画は今年も新しく掛け直されている。
四枚目の肖像画を交換する前に、北のアナンの末姫が婚約したらしいという噂が聞こえてきた事で、おそらくこれがエーリカと交換する最後の肖像画になるだろうとアロネン伯爵家では予想していたけれど、婚約解消の話が持ち上がる事はなく、五枚目の肖像画がエーリカの部屋へとやって来たのだ。
アナンの末姫の婚約相手が銀髪で菫色の瞳なのかどうかまでは分からない。
けれども懸念がなくなったのであれば、ユリウスがエーリカと婚約している必要はないだろう。
アロネン伯爵は首を捻り、「もしかしたらアナンの姫の婚約相手が、探していた銀髪で菫色の瞳の男であるのか確認しているのかも知れない」と考えた。
もしも違っていたとしたら、それは探していた外見の男が見つからなかったからで、ユリウスが婚約解消をした結果、声を掛けられては困るという懸念だろうか。
「いえ、逆かも知れないわ」伯爵夫人は言う。
「逆?」
「ええ、銀髪で菫色の瞳の男を見つけて姫と婚約したけれど、外見だけで選んだ事で、婚約破棄して再び探し出さないか確認しているのかも」
「………なるほど」
「あるいは、アナンの姫の婚約を聞いて直ぐに婚約解消してしまうのでは差し障る事があるのでしょう」
エーリカも楽しそうに城で勉強しているし、それならば…というか、結局のところ、「婚約解消はいつ頃の予定でしょう?」などと聞くわけにもいかないのだから待つより他ない。
エーリカが第一王子と婚約してもアロネン伯爵家は社交の幅を広げてはいない。
招待自体は増えてはいるが、いずれ婚約解消になるはずだと信じている伯爵はひっそりと過ごす事を心掛けていた。
だから招待に応じて出掛ける事も、断りきれないものくらいであって、その慎ましやかな態度を国王も好ましく思っていた。
もっとも国王は、まさかアロネン伯爵がその様に過ごしている理由が、いずれ婚約解消されるだろうと予想しているからだなどとは想像もしていなかった。
とはいえ、もしも国王とアロネン伯爵の間に思い違いがなかったとしても、おそらくアロネン伯爵が浮かれて社交に耽る事などなかっただろうけれど。




