12. 婚約者との交流
ユリウスがエーリカの肖像画を見る時には、幾つかの約束事が課される事になった。
何の予定もない空き時間でなければならないのは前提として、その日の教育係の課題を終えた後でなければ部屋へ入る事は許されない。
加えて、肖像画の前で、まずはエーリカへの挨拶の練習をする事。
それを経てやっと、ユリウスはエーリカの絵を眺める事が出来るのだ。
これで実物のエーリカとの挨拶も何とか出来る様になるのではないかと侍従は希望を抱いたけれど、直ぐに上手くいきはしなかった。
やはり実物と絵では違うか…と侍従は唇を噛み、成果に結びつかない焦りから、お茶会でエーリカと挨拶を交わす事そのものを、肖像画の部屋へ入る為の課題の一つに上げてしまったのだけれど、結局ユリウスは課題をこなす事が出来ずに終わってしまった。
幸い…とも言えないだろうけれど、お茶会当日はエーリカと会った喜びでいっぱいでいたユリウスであったけれど、翌日絵を見に行く事を禁じられて項垂れた。
その様子に侍従も胸を痛め、ユリウスを支えきれない不甲斐なさを苦しく思った。
そもそもユリウスがエーリカと交流を深められる様にする事が目的であり、肖像画の前での挨拶練習は、彼女ときちんと挨拶を交わせる様になる為の練習である。
だというのに、本番とも言うべきエーリカとの挨拶を、絵を見る為の条件にするというのでは本末転倒ではないか。
そんな事をすべきではなかったと侍従は深く反省したけれど、この苦境がユリウスに閃きを与えた。
実際のところ、エーリカとの挨拶は決まり文句を口にするだけの事であるのだ。
それだけの事が出来ていなかった以上、とても「するだけの事」、などと言える訳もないけれど、とは言え、平時の挨拶はやはりそれだけの事なのだ。
ユリウスはエーリカの絵を見る為に、絵を目に入れる為の呪文を唱えるかのように挨拶を口にしている。
それと同じ様にと考えれば、つまりエーリカを見る前に挨拶を口にしてしまえば良いのだ。
とはいえ、エーリカは絵とは違って動くし口を利く。
だからエーリカの気配を感じる段階から胸が高鳴るし、声が聞こえた瞬間から顔が熱くなり、そして大きく響く心臓の音の向こうの声を聞く事だけで精一杯になってしまい、言葉を返す余裕がなくなってしまうのだ。
けれども挨拶は定型で、つまりは聞こえなかったとしても決まり文句であるならば言葉は返せる筈なのだ。
正確に言うならば、絶対に必ず決まったひとつの挨拶がある、というわけではないけれど、まだ幼いエーリカはいくつかの挨拶を使い分けたりはしない。
だからエーリカの言葉が終わってから、とにかくユリウスが決められた言葉を言えばいい。
そんなユリウスの作戦は上手くいき、ユリウスは初めてエーリカにきちんと挨拶を返す事が出来た。
挨拶の時にユリウスが目を瞑っていた事など些事だ。…とは本来言うべきではないかも知れないけれど、今は致し方ない事だ。
ユリウスだって、エーリカの前で目を閉じてなどいたくはないけれど、エーリカの姿が視界にあると、決まり文句すらも出てこないかもしれないのだから、苦渋の決断だったのだ。
しかしこの成功でユリウスは多少のコツを掴み、挨拶はぎこちないながらも交わせる様になった。
となれば、次は更に会話を交わす事が求められる。
しかしながら何もしなければ会話は発生しない。
そこで侍従はこのお茶会を社交の練習を兼ねているとして、ユリウスにエーリカへの質問を投げかけるようにと課した。
お茶会よりも前に質問を決めておき、本番では侍従にさりげなく促されながら、回らない頭でとにかく言葉を口にする。
エーリカの答えを聞き、そして更に会話を広げ…ることまでは流石に難しかったけれども、取り敢えずやりとりめいた事を出来るようになったことに、侍従は胸を撫で下ろした。
とはいえ、まだまだだ。
事前に質問を用意し、エーリカの返答を侍女が書き留め、会話の想定問答を検討し、エーリカに更に言葉を返せる様に準備する。
エーリカの回答を予測して、更なる返事までを決めて臨む事から始め、複数の回答それぞれの返答を用意した上で、答えるべき台詞をどうにかその場で選択する。
それでも上手くいきそうになく侍従や侍女の助けを受けつつ、試行錯誤し、
そうして何とか会話めいた言葉を交わす。
それだけの事が出来る様になるまでに、エーリカの肖像画は五枚も増え、そしてエーリカとユリウスは10歳になっていた。
会話はともかく、礼儀作法は頭を働かせずとも無意識に動ける様になるまで訓練したので、とてもスムーズだ。
想定問答作成の為に、エーリカの言動にはユリウスの侍従や侍女すらもとても詳しくなったし、だからこそ、ぎこちなくとも会話は成立している…ように見える。
とはいえ、それはエーリカがそのぎこちない会話を受け入れているからであり、その事にユリウスの傍付きは深く感謝している。
そこにユリウスへの関心の薄さがある事に侍従が気付かなかったのか、それとも目を逸らしたのかはともかくとして、
エーリカとユリウスは交流めいたものを重ねていったのだった。




