第八話 登校初日
『オキロ、オキロ。現在時刻6:00』
転校生の登校初日と言えば、寝坊して、猛ダッシュで曲がり角を曲がると、トーストを咥えた女の子と激突する___なんて事を想像してしまうが、八郎は全然そうではなかった。
いつも通り、アラームの設定時刻に間に合う様に目を覚まして、慣れた手つきで朝の支度を済ます。今日は何を食べようかと、ゆっくりとした足取りで食堂へ向かう。
研究所へ連れ去られても生活リズムも一切変えなかった八郎は、寝坊する事なく第13ゲートに辿り着いたのだった。
「おはよ、八郎くん。いよいよ今日からね、緊張してる?」
「おはようございます。多少は緊張してますけど、まぁ......取り敢えずは、ボロ出さない様に頑張ります」
「偉い偉い。学園内ではあなたへの指揮権が霜山さんに移るから、後の指示は霜山さんからもらってね」
自分への指揮権を塩見が所有していた事に八郎はまず驚いている。どうやら学園の中は、班関係無しに霜山が指揮をとっている様だ。
「分かりました。そう言えば、霜山さんってどんな人なんですか? メール貰ったんですけど、知りたくて」
「男性、身長は180cmくらい、年齢は多分40代前半。筋肉質ではあるけど、所々でたるみが見られる。視力は____」
「いやそうじゃなくて、性格とか、雰囲気とかを」
「あらそう。霜山さんはねー......しっかり者で、とっても優秀な人。所長もよく褒めてたくらいにね。あ、それと甘党! 人が居ない時間帯を狙って、隠れてパフェ食べてたのを見たことがあるわ。ちょっと可愛いわよね」
厳格な頑固者とかでもなさそうなので、一安心だろうか。
会話が途切れると同時に、ゲートの開錠も終了する。
奥へと足を踏み入れ、回転扉を潜り抜け、学園裏手の森を突き進む。湿り気の無い乾いた土を踏み付けて、職員玄関へ二人は到着した。
時刻は8時19分。集合時間の約10分前だ。
職員玄関を開くと、コーヒーの匂いが二人を迎え入れる。
「8時19分、ですね」
柔らかさを感じる、低い大人の声がする。
声の方に視線を向ければ、コーヒーを啜る男の姿があった。
時計へ向けていた視線をこちらに向ける。
「おはようございます、霜山さん。お早いですね」
「ええ、塩見君。教員は少々やる事が多いものですから。で、その子が新しい子ですか?」
椅子から立ち上がった霜山が、八郎の元へやってくる。
コーヒーの匂いに混じって、微かに香水の香りがした。恐らく塩見ではなく、霜山が付けているであろう香水の香りだ。
「......何か、匂ってますか?」
「あ、いえ! ちょっと香水の匂いがしただけなんで。初めまして、鋏切八郎です。今日からよろしくお願いします!」
「こちらこそ。私は霜山玄悠、ベータ班の班長で、学園では一年生の担任をしています。関わる事も多いでしょうから、以後お見知り置きを」
彼はそう言って、八郎のネクタイを整えた。どうやら少し曲がっていたらしい。そのついでに襟も直された。
「少し彼と話したいので、退席して下さい、塩見君。案内ありがとうございました」
礼を告げられた塩見は、頑張ってね、と言いい手を振りながら去っていった。見送る様に手を振りかえし、霜山に向き直る。
「あの、話って何ですか?」
「一つだけ、聞いておきたい事がありまして」
「はい?」
「_____君は、どうしてここに来たんです?
ただの高校生の君が、どうしてこの研究所に来たんですか。経歴も家柄も、何もかも関係のない君が、どうしてここに?」
低いトーンで、霜山は八郎に問う。
表情は変わっていなかったものの、その真意は決して好意的な思いではないだろう。けれど八郎にはこう聞こえた。
____なんか、心配されてる?
何も知らないただの高校生が、どうしてこんな所に居るんだ、何か脅されているのか、と。
まるで八郎を労っている様に、確かにそう聞こえたのだ。
「いや、上の植物園の清掃バイトに応募したんですけど、なんか所長に誘拐? されちゃって。出るにも出れないんで、大人しく働いてます」
「そうか......困った事があれば、いつでも私に言って下さいね。担任として、職員の仲間として、君の一助なれば幸いですから」
その霜山の言葉の後に、チャイムの音が鳴った。
霜山は時計を見ると、出席簿を手にして立ち上がる。
「出席を取ってきます。少し待っていて下さい、時間になったら呼びますので」
そう言って霜山は職員室から去った。
一人残された八郎は、持て余す退屈を消費する為に室内を見回る。壁の黒板には、予定表や今日行われる事が書かれていた。八郎も何度か見たことのある、学校の職員室の黒板と同じ様に。
佇むコーヒーサーバー、棚にぎっしり詰まったファイル、コピー機。
普通と何も違わない、ただの職員室。
ここに居る少女達に不審がられない為に、ここまで偽装を徹底している事に対して、八郎は少し恐怖を感じた。
「怖.....俺も、注意しないとな」
そうこうしている間に、二度目のチャイムが鳴った。その少し後に、職員室の扉がノックされる。
「ヤバッ、誰か来た!?」
急いで八郎はデスクの下に身を隠したが、既に遅かった。足音はこちらへ近付き、八郎が隠れているデスクの前で止まる。息を殺して、飛び跳ねる心臓を押さえ込む。
だが来訪者はゆっくりとしゃがみ、隠れる八郎と目が合った。
「あのねぇ、生徒は入室時に挨拶しますよ。君の学校は違ったんですか?」
来訪者の霜山は、デスクの下に隠れていた八郎を引っ張り出して、そのまま教室まで引き連れて行くのだった。
「では私がどうぞ、と言ったら中へ入って下さいね」
「はい......」
すっかり意気消沈しながらも、教室に聞き耳を立てる。霜山が、今日から転校生がやってくる事を旨とする話をしていた。
「では、どうぞ」
合図が聞こえる。
八郎は恐る恐る扉を開けて、教室の中へと入った。
出迎えるは40人以上のクラスメイト、なんて考えがよぎったものの、それは見当違いだった。
クラスは机の数からして10名で構成されており、かなり少ない。それに空いている席もあるせいで、かなり閑散としている。
「自己紹介をお願いします」
教壇に登り、黒板に名前を書く。
人生初めてのその行為に、体が少し震えた。読み難い名字に振り仮名を振り、チョークを置く。
「鋏切八郎です、えっと、高校は、あいや、違っ......違うけど、違くて、えーっと......」
「落ち着いて。彼は鋏切八郎君、今日からこのクラスの一員となります。皆、仲良くしてあげて下さいね」
今すぐ逃げ出したい程の失態だ。
けれども逃げ出す事は出来ない。歓迎を示す様な拍手に包まれているからだ。ここから逃げ出せば、それこそ変人扱いされて関係性を築けないだろう。
顔が熱くなるのを感じながら、小さくお辞儀をした。
「席は後ろが空いてますので、そこを。それと、誰かに案内を任せたいのですが......」
「はい、先生」
一人の少女が手を上げた。
三つ編みのおさげ髪二本が揺れる。眼鏡のレンズが差し込む日差しを反射して、キラリと光った。
典型的な委員長スタイルだ。
「私が学園を案内しますよ、お任せください」
「そう。では、任せましたよ蓮見君」
蓮見、それが少女の名字か。
八郎の方を向いた蓮見が、軽い会釈をして話し始めた。
「私の名前は蓮見詩織、このクラスで委員長をしています。初めましてですね、鋏切君」
「初めまして。ありがとう、蓮見さん」
彼女はいえいえ、と言って席に戻った。
八郎も最後列の案内された席に座る。窓際の列の一番後ろ、所謂主人公席だ。隣の席には誰も座っていない。誰が来るのかは分からないし、明日の楽しみにしておこう。
「それではホームルームを終わります」
チャイムの音と同時に、霜山は挨拶をして教室から出て行った。今は授業前後の準備時間、と言うやつだろうか。人と話すには絶好のチャンスである。
こう言う時は自分から話しかけるべきなのか、それとも転校生マジックで誰かが話しかけてくれるのを待つか。出方を伺う八郎は、何となく前の席を見た。
見覚えのある髪の色だ。と言うか全く同じだ。
同僚である不知火と全く同じ髪色と髪型をした生徒が、八郎の前に座っている。
「あの......」
「ねぇ、鋏切くん。今日隣休みだし、俺の教科書使って良いよ。俺はいらないから」
「いやいるでしょ、授業には___」
そう言いかけた時、生徒は小さな紙を八郎にだけ見える様に見せた。そこには、『一限終わりにトイレで』と書かれている。
「え、郁人さ」
「郁人で良いよ、俺も八郎って呼んでいい?」
遮る様に被せられたが、数拍おいて八郎はその意味を理解した。八郎は転校生、不知火はクラスメイト。今さっき初めて会った二人が、互いをいきなり名前で呼んでいたら不自然だ。
「うん、郁人。えっと......よろ、しく?」
「こちらこそ〜」
ぎこちないタメ口に対し、不知火は半笑いで言葉を返した。自己紹介も済み、残り数分で授業が始まる。今日この日から、不安と期待が入り混じる、八郎の学園生活が幕を開けたのだった。




