23歳の頃 再び
静岡からの帰り、羽田で沙羅に電話を入れた。
俺が沙羅のことが大好きだと言うと、沙羅は知ってたと言い、そして自分も大好きだと言った。胸が苦しくなった、どうしようもなく沙羅に会いたい。だけど会えば言わなければならない。この3連休、前の日に休みまで取って静岡に行った理由。沙羅は俺にどこに行くのかとは聞かなかった。ちょっと用事があるんだと俺が言うと、目を伏せて寂しそうな笑顔を見せた。
羽田空港で帰りの便の変更を申し出た。今日は土曜日だ。もしかすると今日は帰れないのかもしれない。また泊る場所を探さなければ………。熱海での奈緒のことが思い出された。アイツと俺はいったいどういう関係なんだろう。数時間前に別れたばかりの優里のことより奈緒のことを、航空会社のカウンター前で思い出していた時だ。ポケットに入れていたスマホが震え、取り出して見るとメールだ。誰だ? ラインじゃなくメール?? 開いてみて思わず、「げっ……」と声が出てしまい、目の前にいた航空会社の人が、「お客様、どうかなさいましたか?」と声を掛けてきたから、けこうな声が出ていたのだろう。
差出人の名前は表示されてないが、奈緒だ。アイツ、いつのまにか俺のアドレス知ってやがって、熱海の温泉ホテルで撮った写真をわざわざ送ってきた。
奈緒がイタズラ小僧、いや小悪魔のような顔で笑ってるのが目に浮かんだ。ひっひっひ、という声まで聞こえる気がして、俺も笑った。
「え………お客様………あの……」
「あっ、すいません………それで今日の帰りの便は取れましたか?」
意外なくらいスムーズに取れた。最終便ではなく中途半端な時間だったせいらしい。俺は新たに取り直したチケットを持ってトイレに行き、個室でもう一度見た。それは、素っ裸で腕を組んでいる男と女で、女はツルッツル、そして男は元気いっぱいという、目を疑うような写真だ。
あの時、いまだにVIO処理の完璧な奈緒が言い出したのだ、「一緒に撮ろうよ」と。酒が入ってるせいもあって並んで写した。スマホに自動シャッター機能なんてあるのを知らなかったが、奈緒はサクサクと準備をして、そして二人ともがピースなんかをして撮ったのだ。
送られて来たメールにはコメントもあって
ーーーオナニーのオカズにするね。来栖君も使って。
「使えるか!」
と声が出た。奈緒だけならまだしも、俺の姿は見たくない。それにこんなのを誰かが間違って見ちまったら……いや、これから手荷物検査場でこのスマホをトレイに入れる。ダメだ、絶対にダメだ! こんな画像が入ったスマホ、いっときも手離せねぇ。画像ごと消去した。それでも俺は笑っていた。どうにもアイツは憎めない。……え? そう言えば……今日、優里が俺のスマホを調べてた。あの時にこのメールが受信されたら……グーパンチ食らったかも。そう思うと声を上げて笑ってしまい、暫く個室から出て行けなかった。
北海道に戻って来た俺は直ぐに沙羅に電話を入れてた。一緒に晩飯を食おうと誘うと、嬉しそうな声で、うん、行こう、と返してきた。
迎えに行き、二人でスープカレーを食べ、そして俺は言った。
「実は俺………遠距離でつき合ってた彼女がいて………なんだか沙羅を騙してたみたいで………ごめん。沙羅と花火大会行って、毎週………いや週に何度も逢って……そんなことしてんのに、その人のこと思い出すこともあって……沙羅とは先に進めなかった。昨日会いに行って……実際に会ったのは今日なんだけど、俺、わかったんだ。俺がなにか言う前に一方的にフラれたんだけど、ちょっとキツイこと言われてる間、ずっと沙羅のこと考えてた………それって向こうの人に対してすげぇ失礼なの分かってんだけど……俺……沙羅のことどうしようもなく好きだ……そんな自分の気持ちがハッキリ分かって………」
黙って俺の話を聞いていた沙羅。目から涙がこぼれた。ああ、ダメか……そうだよな。今更とってつけたみたいに、お前のことが誰よりもずっと好きだと言ったところで、彼女がいるのを隠してつき合ってた訳だし、酷く傷つけた。
テーブルの向こう側に座っている沙羅が腰を浮かせた。きっと帰ってしまうのだろう。俺は背を向けて出て行く沙羅を見るのが辛くて下を向いてしまった。
ーーーキツイな。またフラれる。
それも今度は大好きな人だ。俺、耐られるかな……
下を向く俺の隣に沙羅が座った。
「顔上げて、こっち見て……」
顔を上げるとーーーー店は土曜日というこもあって凄く混んでいたが、そんな店内の様子など構わないというように沙羅が顔を寄せ、そっと囁いた。
「私……待ってた………」
そして沙羅の方からの長い長い口づけ。
その口づけは沙羅の涙でしょっぱい味に混じってカレーの味がした。
ーーーリョウ君、出よう………
ーーー私を連れてって………どこでもいい………二人だけになれるとこなら………
沙羅との初めての夜は俺の部屋だった。
ラブホにしようかとも思ったが、沙羅は初めてなのにそんな場所では可哀そうだ。部屋に戻るなり速攻でシーツを取り換え、そして抱いた。
2度目は次の日だった。俺はとにかくずっと沙羅を抱きしめていたくてラブホに行った。そこで沙羅が恥ずかしそうに言った。
「騙してたのって……私の方だと思う。リョウ君が初めてウチの会社に来た時のこと覚えてる? 私………あの時すでにリョウ君のこと知ってたのに、初めて会ったフリしちゃった。あのね……リョウ君から何度もウチの会社に電話掛かってきて、私が何度か取ってるうちに、カッコいい声の人だな~って。来栖って苗字も珍しいから直ぐに憶えちゃって………それにね………クルスってなんだかカッコいい名前だから、私……リョウ君のことマンガに出てくる主人公みたいな人を勝手に想像してたんだけど……偶然、リョウ君の会社に高校の先輩がいるの知って…………えへへへ……総務の後藤安奈さんってバレー部の1っこ先輩なの。それでね………安奈先輩にリョウ君の写真送ってもらっちゃった。どうしても見たかったの。隠し撮りなんだけどね、めっちゃかっこ良くって、もう一目惚れ!! でね、その写真毎日見てたし、電話だってしょっちゅう掛かってきてたし、いろんなこと喋って………私にとっては実際に会ったこいとのない人じゃなかった………好きだったの……片思い………だからチューしたりオナニーしちゃったり……えっ……ぎゃあああああああああ!! 言っちゃった…………ちっ、違う! 違うの!! 今の忘れて!! ぅぅぅぅぅぅぅぅ……」
「いっ、いや………みんなすると思うよ……」
「そっ、そうよね! うん………リョウ君もするんだよね!! 私だけじゃないもんね!! ………でも忘れて……………うん、絶対だよ絶対………………でもなんだか……ストーカーみたいだ………私」
「ちっ、違うって、沙羅はそんなんじゃないって。だってさ、俺も好きだから、沙羅のこと」
「だよねーーー!! …………でも………それって花火大会からだよね。私は合う前からで一方的…………いい! ストーカーでもなんでもいい! 大好きなんだからそれでいい! オナニーだってバンバンしてんだからからいいの!! 続けるね……え? どこまで喋ったっけ?」
「ええええ? …………確か…………俺の写真を送ってもらったって………」
「ああ、そうそう、それでね、私リョウ君の会社の電話番号覚えちゃってたから、掛かってくるたびに、あ! リョウ君だ! って私が取りまくったの」
だから沙羅が出る確率が異常に高かったんだ。
「それからね、安奈先輩に聞いたの。リョウ君につき合ってる彼女っているのかな〜って。そしたらさすが総務だよね、もし社外の人とつき合ってても女性社員はそれ見抜いて噂するから、ちょっと調べてみるって、っで何日か後に連絡きて、静岡の三島支店に同期の彼女がいるけど………これは安奈先輩が言ったんだからね………遠距離恋愛なんて絶対に長続きしない。来栖君が好きなんでしょ、だったら獲っちゃいなさい。彼イケメンだし性格もいいから狙ってる子いるよ。モタモタしてたら獲られちゃうから誘惑しちゃいなって。そんなこと言われたら私……焦っちゃって、あわてて花火大会に誘ったの。リョウ君がウチの会社に来なくても電話で誘うつもりだった。でも私………経験ないから……誘惑なんて出来なくて………電話でリョウ君から大好きって言われて………私うれしくて……泣いちゃった」
そうか、そうなんだ。俺はなんだが嬉しくて笑いが止まらなくなった。そんな俺に沙羅が飛び掛かってきて、
「笑うな!! もう………笑ったらダメなんだからね………真剣なんだから……」
その日は、ラブホから出た後に映画を観に行き、そして沙羅のアパートに泊まった。もう離したくない。
10月1日付の人事異動が掲示板に貼り出され、結構な人だかりが出来ていた。
転勤は勿論だが支店内の移動であっても本人には事前に内示が言い渡される。何も言われてない俺は、今貼り出されてる人事異動には関係ないはずだ。それに本人でなくても、同じ支店の誰かに言い渡された内示は、何故かアッという間に支店全体に広まる。人事異動というのはサラリーマンにとっては格好のウササのネタだ。
今日が10月1日だ。今日付の人事が今日までに噂になっていなかったのだから、ウチの支店は関係しない人事なのだと思うが、どうしてこんなに大勢が集まってるんだ?
ーーーウチの支店にも2人来るんだ………
そう言ってる誰かの声が聞こえた。ええ? 受け入れだけの人事異動? ウチの支店から移動する人はないの?
ーーー三島支店が統廃合か………知ってる人いないけど気の毒だな………
「ちょっとすみません………通してください。俺、同期に三島支店に配属になったのいるもんで………」
掲示板の目の前まで来た。人事異動が印字された紙はA4サイズで5枚あり、その全部が三島支店からの移動者ばかりだ。
人事異動一覧に書かれる順番には規則性があるが、それがどうにも良くわからない。受け入れ支店の店格が高いところから順番になっていて、だから本社に移動になれば最初に名前があり、その中でも役職が高い人の方が上に書かれているのだが、札幌支店の店格が他の支店の店格と比較するとどうなのかが分からない。まぁそんなに低くはないはずだが、東京、大阪、名古屋、京都、横浜なんてところが絶対に上だ。移動者の名字であいうえお順にしたらマズイのかね? コレ作る人だってその方が絶対楽だと思う。………あっ、あった。3枚目に菊地優里の名前があった。札幌支店だ………
元々が北海道出身で親は札幌ではないが、ある意味Uターン人事で、会社としては配慮したのだろう。
優里と別れてからまだ1ヶ月しか経っていない。だが冷たいようだが優里のことを思い出すことなど1度も無かった。それくらい沙羅に夢中だった。1つ年上の沙羅が可愛くて可愛くて、随分とエッチな事もいっぱいした。その度に沙羅は真っ赤になって口を尖らせている。そして、
「凄くエッチだ、年下のくせに…………私の方が1っコお姉さんなんだからね!」
と必ず言う。
三島支店からの2人の転勤者が赴任してきたのは10月も終わろうとしている頃だった。今までの人事異動でこれほど赴任が遅れることなどない。一つの支店を無くすってことはそれほど大変な一大事業なのだろう。
優里が札幌支店で配属となったのは3階にある経理課で、三島支店の時も経理だった。俺は2階の一部営業もこなす業務というポジションだから、経理との接点は殆どない。そんなこともあって優里が赴任して来てから一週間経ったが一度しか顔を合わせていない。その一度というのは、赴任してきた時にウチの課にも挨拶に来たもので、ウチの課長の隣に立って課員一同に対しての挨拶だから、個人的にはなにもない。だけどその時の優里は、俺なんかにはまるで気がついていない風を装っていた。
つき合っている相手とズーーとそのままの関係でいるのはムリだ。結婚するか、それとも別れるかをいつか選択することになるのだろう。友人という関係には戻れないのだろうな。それってセックスをしていた相手だからなんだろうか? それともフッたりフラれたりと険悪な別れ方をするからか? 優里とはその両方のような気がする。
11月の頭に、若手と呼ばれる年代の社員での歓迎会が開催されるらしく、その案内が社内メールで配信された。三島支店から転勤してきた2名の内、1人は課長職で40代ということもあり、その歓迎会の主賓は優里一人だ。なんとなく気が進まない俺は早々に欠席と返信した。優里だって元カレがいる飲み会なんてヤり難いだろうし。
その歓迎会が終わった数日後のことだ。優里から社内メールが届いた。
ーーー10時に第二応接室で待ってます。都合つきますか?
なに? どういうつもりだ? 都合が悪いと言って断ろうかとも思ったが、同じ支店にいるのだから、いつなら都合がいいの、と言われそうだ。いったいなんの用だろう?
配属された課が違うから顔を合わせることなどないが、それでも同じビルにいる。いつバッタリ出会っても不思議じゃない。きっと、同僚として、同期として、大人の対応をしましょう、とでも言ってくるのだろう。だとしたらなんの異存もない。
「ねぇ、私達やり直さない?」
なに…………?
いきなりだった。それも想像もしてなかったことーーーこれって提案なのだろうか、とも思ったが、言葉が出なかった。
「運命だよ。だってこんな偶然ある? 別れた途端だよ、三島支店がなくなったの。それにそれだけじゃない。リョウのいる札幌支店に移動なんて、どう考えても導かれてる。リョウもそう思わなかった?」
運命? 導かれてる?? なんだよそれ? 妙に宗教臭くて気味が悪く、「ちょっと待ってくれよ…………やり直すってナニ?」と、やっとそれだけを言った。
「………そっか………まだ怒ってんだ。だから歓迎会にも来なかったんだ。でもそれって引きずってるってことだよね。私がセックスしたのが気に入らないだけでしょ。それ、ヤキモチだよ。でも遠距離恋愛してた間なんてつき合ってたって言える? 別れてたと同じ状態だよ。これからは傍にいられるんだから、もうヤキモチ焼かせるようなことするはずないよ……」
コイツ、なにを言ってる? 本気でそう思ってるのか? ダメだ、イライラしてきた。これ以上聞いてられない。
優里がまだ喋っているのを遮って、「ムリだ、優里とつき合うつもり無いから」と、俺は言った。だが、優里は、
「…………それって………聞いたんでしょ、三島でのゴタゴタ。誰から聞いた? ………総務? あっ、分かった、総務の後藤安奈って女でしょ。どんなふうに聞いたのか知らないけど、あの女が言ったことなんて想像つく。どうせ私の悪口てんこ盛りでしょ。モテない女のヒガミだよ、笑っちゃう。でもそれって全部終わった話だから。それにリョウには関係ないーーーー」
三島でのゴタゴタなんて知らないし、総務の後藤さんから優里のことでナニかを聞かされたこともないし、そんなものはどうでもいい。それより俺は改めて知った。今、俺の目の前で、口を曲げて喋り続けている菊地優里という女は、俺が最も嫌いなタイプの女だ。
「ちょっと黙れ」
「え………?」
「お前がどう思おうと………俺がやきもちを焼いてると思おうが、どーでもいい。そんなもん面倒くせぇだけだ。もう一度だけ言うからな。お前とつき合うつもりはない!!」
そう言い残し、俺は第2応接室から出て行った。菊池優里を残して。
最悪だ。別れた元カノと大人の対応なんてものを期待した俺がバカだった。
数日はハラがたってしかたがなかったが、それでも次の週には少し冷静になれた。
考えてみると、俺は学生の頃の優里しか知らない。今の優里はまるで別人だ。9月に俺が三島に行った時よりも更に強烈な女になっていた。あれが優里の本当の姿なのか? 学生の頃はそれを押さえていたのだろうか………
優里が配属となった経理は総務と同じ3階にある。そんなこともあって、2階の課に所属する俺は今までだって総務や経理の人と顔を合わせるのは稀だ。2階の俺はエレベーターだって使わないから。
優里の訳の分からない提案を聞かされてから、今まで一度も優里と顔を合わせることはなかった。そんなある日のことだ、同期の中で入社時に唯一俺と同じ支店ーーー札幌支店勤務となっていた熊谷と昼飯を食っていると、
「同期の菊池さん………10月に三島から転勤してきた菊池さんだけどな、彼女のウワサ聞いたか?」
入社時に俺と優里は別々の支店に配属されたから、つき合っていたと知る人は同期の中にもいない。だから、総務の後藤安奈さんがどうやって知ったのかは今だに謎だ。そして総務は社員のさまざまな個人情報を知り得る立場にあるから口が固くなければ務まらない。だから、俺と優里が元カレと元カノという関係にあるのは今だに誰も知らないようだ。優里も喋っていないらしい。別に知られたって俺は構わないが、あえて喋るつりもない。
三島での優里のウワサなど今更聞きたくもないのだが、熊谷が続けた。
「三島支店に彼氏がいたみたいなんだけどな、年上の。そいつ菊池さんとは別につき合ってる女がいて、その女も三島支店よ。支店内の三角関係って、嫌でも顔合わせるから揉めるだろ。っで支店長の耳にも入るくらいそうとうに揉めたらしいわ。っでな、菊池さんがその男に二股掛けられたのかと思ったら、それが違うみたいでよ。もともと三島支店じゃ誰もが知ってるカップルに菊池さんが強引に割り込んだみたいだ。だから男を獲られた女も黙ってなくって、その女も菊池さんも経理課だったから最悪。もうメチャクチャ雰囲気悪い課になっちゃって大変だったらしいぞ。周りの人もみんな知ってるから腫物に触るみたいで…………っでちょうど三島支店の統廃合があったもんで、関係者3人、支店長の肝いりで別々の支店に飛ばしたらしいわ」
「お前……そのウワサ……誰から聞いた?」
「神戸課長だ。ほら、菊池さんと一緒に三島支店から転勤してきた………営業第2課に配属された神戸課長。あの人話し好きで、このウワサってウチの支店でもかなり広まってるぞ」
社会人になっても、そういうところは高校と変わらないのだと初めて知った。狭い世界でというのが同じか………大学での男女関係よりグチャグチャしてるもんなんだ……くだらない………




