23歳の頃
優里とは、来月9月の三連休に俺が会いに行くと約束していた。そんな8月のお盆前に、俺は立花さんが勤める会社に行った。
大した用事でもなく、電話でも十分に用が足りる案件ではあったが、何故か出向いたのだ。暇だったのも理由なのだが、その企業とはこちらが客という立場のせいもあって、気が楽だった。
「ちょっとこっちに来る用事があったもので……」
俺がそういうと向こうの担当者は、「ああ、そうですか、まぁ休んでいってください」と応接室に案内してくれた。
コーヒーを持って来てくれた女性社員。背が高くて、目が二重でパッチリしていて、やせ過ぎではないが腰の位置が高くて脚の長いスタイルの良い女性。うわ……女性社員のレベル高けぇ……
その女性がテーブルにコーヒーを置いて再び顔を上げ、そして目が合った。
「あの~~………来栖さん……ですよね?」
「ええ、来栖了ですが………もしかしたら立花さん……ですか?」
「はい! 私、立花沙羅です!!」
応接室でそれ以上の会話は出来なかったが、その応接を後にしようとした立花さんが、「後で、また……」と含みのある言葉を残して出て行った。
担当者との打ち合わせなど5分で終わった。そんな用件しかなかったのだが、さすがにちょっと決まりが悪く、どうでもいい雑談を暫くして、もうこれ以上喋ることが無い頃合いで俺は、「じゃぁ、そろそろ行きますが、これからも宜しくお願いします」と、もっともらしい言葉を吐いて応接室を出た。そしてその会社を出ると直ぐに呼び止められた、
「来栖さーーん!!」
振り返ると背の高い女性が走って来る。え?! 立花さん……
立ち止まって待っていると、走って来た立花さんが俺にメモ紙を渡すと、また走って戻って行く。なんだ?
ーーー今年の花火大会、一緒に行ってほしいのですが、迷惑でしょうか。返事待ってます。
携帯電話の番号も書いてあった。俺はその場で直ぐに電話を掛けた。
「うん、行こう」
すると一旦は会社に戻った彼女が、また走って出て来た。俺と電話で、息を切らせながら喋りながら。
花火大会で沙羅とは直ぐに打ち解けた。それはちょっと人見知りな俺にしては珍しいことだが、やはり社用とは言え、何度も何度も電話で喋っている相手でもあり、そして実際に初めて会った時の印象が、それまでの声を頼りとしたイメージと不思議なくらい違和感がなかったせいだろう。それは沙羅も同じだったらししく、彼女いわく、後から考えると自分でもビックリするくらいに積極的ーーー俺を追いかけメモを渡し、その行動だけではなく、メモに書いた内容も初対面の男性に対してのものとは思えないと、沙羅自身が驚いていた。
花火大会が終わり、浴衣姿の沙羅と並んで歩いている内に腕を組んでいた。そしていつしか人通りの少ない公園の傍に着いていて、立ち止まった俺達2人は自然と唇を合わせた。
「私………これ以上の経験ってないの………キスも今みたいなの……初めてで………24にもなって恥ずかしい」
確かに沙羅の口づけは身体をひどく固くしたぎこちないもので、積極的に俺を誘った女性とは思えないものだった。
それからの俺と沙羅は不思議な関係が続いた。食事をしたり映画を観たりドライブに行ったりと、彼と彼女に見える間柄ではあるが、キス以上には発展せず、そして沙羅は、俺につき合ってる女性がいるのか、と聞きもしなければ、あなたが好きです付き合って、とも言わない。それは俺も同じだった。
静岡にいる菊池優里のことが頭に浮かぶことは、あった。
優里という女は、ちょっと控えめで自分を前面に出す事をしない女で、いつも俺の傍で微笑んでいて、喧嘩らしい喧嘩もしたことがない。そして互いの身体を隅々まで知っていた。
優里と遠距離恋愛となって数カ月は毎日連絡を取り合った。2人ともが同じ会社の新入社員で同期だ。話題に事欠くことはなかった。そして近況報告が終わると、互いの声を聞きながら二人で自慰をした。その度に俺は、優里が誰かとセックスをしているんじゃないかと虚しいジェラシーに襲われ、優里も俺と同じ気持ちでなければおかしいと、言葉に出せない己の心に苦しめられた。
それがいつからだろう、互いの声を聞きながらの行為をしなくなったのは……悶々としたジェラシーに苦しめられなくなったのは……
それでも会えばーーー数カ月に一度会う度、朝まで互いの身体を求め合っていたはずが、いつのまにかそうではなくなった。
ーーーこれが普通なんだろうか? それとも倦怠期?
自分の気持ちが解らない。そんな時に沙羅と出会った。そして惹かれた。
優里とは別れたほうがいいのか?
だけど俺は女を傷つけることに躊躇うとこがある。それは決して優しいからではないことを知っていた。自分の嫌いなとこだ。優柔不断だ。
だが俺は優里と本当に別れたいのか? 今でも胸が苦しくなることがあるのはどういうことなんだろう。解らない……
9月の三連休の前の日、金曜日に有休を使った俺は、4連休と繋げて静岡へ行った。
飛行機で羽田に飛び、京急で品川、そこから新幹線で静岡県の三島市に向かった。何度も来ているので乗り換えにマゴつくこともないが、来るたびに思った。どして三島市にウチの会社の支店があるのだろう、と。人口も僅かに10万人を超える程度だ。でも新幹線が停まる。その理由は三島支店に配属となった優里が教えてくれたことがある。
東海道新幹線が開業となった当初から、東京から熱海に行く人が想像を遥かに超えて多かったという。だから熱海に着いた新幹線を直ぐにでも東京に折り返させて次の客を乗せたかった。だが熱海駅には折り返し用の設備がなかった。それで熱海にほど近い三島市に、折り返し用の設備と複数の電車を待機させる場所を装備した駅を作ったらしい。それでも三島市の人口が増えた訳でもない。やっぱり支店がある理由はわからない。
そんなことを考えながら、「今新幹線に乗った」と優里にラインをすると、
ーーー今日は会えなくなった。明日の朝10時ごろに部屋に来て
それを読んだ途端「はぁぁああああ??」と思わず声が出た。こっちは飛行機と新幹線を乗り継いで来たんだぞ。それも突然来たわけじゃない。前もって今日来るって言ってあった。なのに理由も言わずに会えないって、ふざけるな!
俺は電話を掛けようとした。
もともと優里は、仕事が立て込んで休みは取れない、と言っていたから、俺は優里の部屋で帰って来るのを待つつもりでいたのだ。俺と優里はお互いの部屋の合鍵をそれぞれが持っていたから。
電話で問いただそうと思ったが、仕事中だろうし、支店は違うが同じ会社の同期だ。仕事中に煩わしい話をするのが躊躇われた俺は、了解、と書いて目を瞑った。泊まる場所を探さなければならないが、この街にビジネスホテルがあるのかどうかさえ知らない。
三島駅で降りて、新幹線用の待合室でウロウロしていた。観光案内所でもないかと思い。すると或る女性に目がいった。その女性が俺に視線を向けたのとほぼ同時だったと思う。20メートルくらい離れたところで新幹線の時刻表を見ていたらしい黒のツーピーを着た女性。しばらく見つめ合っていた。そして互いに近づいていき、
「どうして………」
「ウソ……」
それは高校の同級生、奈緒だった。
奈緒は本家筋がこっちらしく、明日が何回忌だかも知らない法事だそうで、両親の代わりに来たという。奈緒がどこに勤めているのか知らないが、家族から暇だと思われているのだろう。
「アタシ?? うん、確かに暇。だって働いてないもん」
奈緒の父親は従業員が20人程度ではあるが、会社を経営する社長だ。その社長の一人娘である奈緒は関東の大学を卒業後は実家に戻り、退屈に飽きれば短期のアルバイトをしているらしいが、母親に言わせると花嫁修業という時代錯誤な生活をしているという。
「花嫁修業??」
「悪かったね! どーーせ似合わないって言いたいんでしょ!! …………ところで来栖君はなんでここにいる?」
「ああ、ちょっとな………こっちに用事あったんだけど……泊るとこ探さんきゃならんことになって……」
「ふ~~ん……ならアタシと一緒に熱海に泊まればいいじゃん」
奈緒は俺の用事については聞かなかったが、勘のいい奈緒なら女絡みだと気づいたのかもしれない。
三島から熱海は僅か15分程度だ。新幹線で行くのは流石にバカバカしいから在来線で行く事に。待っている間、面白半分で花嫁修行についてを訊ねた。
「ええ? ………花嫁修業っていったら、お茶にお華でしょ、それに料理教室にも通ってる」
ちょっと驚いた。お茶やお華は流派があってそれに基づいた教室があるのは知っていたが、料理教室っていまだにあるのか? どんな料理だってネットで検索すればいくらでもレシピが出てくる時代だ。
「ちゃんとあるから。ただね、通ってるのは単身赴任のオジサンばっか。アタシみたいな若い女の子なんて一人もいないから、超モテモテ」
奈緒は高校の時から墨を塗ったような真っ黒で真っすぐな髪で、眉が隠れるくらいに前髪を切り揃え、後ろと横は肩ぐらいの長さの、いわばオカッパのようなボブだが、それが凄く似合っている東洋的な美人だった。それがなんだか妖しい雰囲気を漂わすようにもなっていて、これはオジサン連中は放っておかないだろうと思わずにはいられなかった。
「でもさ~、オジサンなんかに興味無いし、辞めちゃおうかな~って思ってんだ。いろんなオジサンが美味しいもの食べに連れてってあげるって誘って来るけど、アタシお金に不自由してないから、ホイホイつてく気にもなんないし………あっ、そうだ! 一部上場企業の支店長が連れてってくれた完全会員制のバーは面白かったな。ボックスがなくて全部がカウンターで楕円形なの。その真ん中にお姉さんがポツンと椅子に座ってんだけどね………30代か20代後半だと思うな。全然水商売っぽくなくて、まるでどっかの事務員さんって感じ。接客なんかしないの。そもそも喋んないし、ずっと本読んでた。……あれは単行本……小説だと思う。店内も凄く明るくて、本読めるようにじゃないかな。客だって……会員制だから大していないんだけど、大声でしゃべるヤツもいないし、酔ってクダまいてるのもいなくて、みんな小っちゃい声でコソコソ喋ってて………面白いバーだと思わない? あんなバーなら働いてもいいな。雇ってくれないかな、給料なんかいらないからさ~」
コイツはどんな生活をしたいんだ? とも思ったが、奈緒らしいといえば奈緒らしい。
「ところで、北海道からわざわざ法事に来たんだから、本家じゃ泊ってくと思ったんじゃないのか?」
奈緒もそうするつもりではいたらしいが、その本家の家を見た途端、こんな家に泊まったんじゃ息苦しくて冗談じゃない、と思ったらしく、速攻で熱海の温泉ホテルに予約を入れ、贅沢な奈緒はツインの部屋を取ったという。
「女一人でツインに泊まるつもりだったの?」
「どうせ泊るんなら広い部屋で悠々としたいじゃん。一人で和室はちょっとって感じだし」
ホテルに着くと内風呂と言っていいのか露天風呂が部屋に付いている豪勢な部屋でさすがに驚いた。
大浴場で風呂に入り、部屋に戻ると既に風呂上がりの奈緒がいた。
「しよ。………ふふふ……久しぶりだね。3年ぶり? いや2年ぶりかな」
奈緒とのセックスはこれで3度目だ。
奈緒は、俺に彼女がいるのかと聞かないし、自分に彼氏がいるのかどうかについても言わない。だから俺も聞かないし言わなかった。だが俺の左手にチラっと視線を走らせてはいたから、結婚はしていないようだと思ってはいるみたいだ。
次の日、疲れていたのか目が覚めなかった。気付くと奈緒が乗っかってた。
「朝って臨戦態勢なんだね……初めて見ちゃった」
ゆっくりと朝飯を二人で食べた後にもうひと風呂浴びて、三島に向かった。
三島駅前で奈緒が言った。
「4度目っていつ頃になるんだろうね」
そして奈緒の方からの濃厚な口づけ。
タクシーに乗り込んだ奈緒を見送った俺は歩いて優里のアパートへ向かった。
「私、今つきあってる人がいる。もう3ヵ月になる。昨日もその人のとこに泊まってさっき帰ってきたとこ。リョウが来るからあえてセックスしてきたの。だから昨日は会いたくなかった………好きな人が出来たから別れようって何度も言おうと思ったけど……やっぱり直接会っていわなきゃって思って……でも私のほうからソッチには行けなかった。もう何度もセックスしちゃってたから………でも謝ったりはしないから。前にそっちに行ってリョウとした時に分かった。もう心が離れてるって……リョウだって私とつきあってんのに他の女としたことあるはずだよね。ないなんて言わせない。最初の頃はどんなに疲れてたって毎日電話きて、一緒に……アレしてたのに、そんなことも全然しなくなって………私……リョウがナニ考えてんのか全然わかんなくなった………今更そんなこと言ってもしょうがないけど。………今付き合ってる彼って3つ年上で凄く優しくて………もうリョウのこと思い出したくないの。だからスマホに入ってたリョウの写真全部消した。………リョウも私の消して! …………アレ………まだ持ってるんでしょ」
優里がアレといったのが何のことだか直ぐに分かった。優里の裸の写真だ。だけどそれは既に消去してあった。今年の花火大会の日に。
「ウソ………ほんとうに? ………ちょっとスマホ貸して、調べるから。リョウのこと信用しない訳じゃないけど………リベンジポルノとか聞くし………」
もともと俺は付き合っている彼女を自分の携帯やスマホで写すってことをしてなかったらしい。らしい、というのは、あえてそうしてた訳ではないので、自分でも気づいていなかったからだ。
「え?!………私の写真……1枚もない………どういうこと!!」
「いや、どういうって………いっつも優里が写してたろ」
「私………バカみたいだ……もういい!! 出てって! 二度と会いたくない! 鍵! この部屋の鍵おいてって!! そっちの鍵はそこにあるから持ってって!!」
そう怒鳴った優里は唇をかみしめながら、テーブルの上にキーホルダーから既に外された鍵がポツンと置いてあって、それを顎で示していた。
俺はこんなことになるとは思ってなかったから、そこに鍵があるのは知っていたが、まさか自分の部屋の鍵だとは気づいてなかった。そして俺が持っていた優里の部屋の鍵は、キーホルダーからなかなか外れずモタついた。
「私、こっちにきてからセックスした人、今の彼だけじゃないから。それにリョウが初めてじゃない。5人目だった」
思わず優里を見ると、凄い顔で睨んでいた。
羽田に向かう間、ずっと考えていた。優里の顔つきと喋り方を。俺の知ってる菊池優里ではなかった。それくらい俺に愛想をつかせていたってことか。きっと新しい彼には優しい顔を見せるのだろう。それにしてもあんなキツイ喋り方が出来るんだ。
優里と毎日のように会っていたのは学生の頃だ。社会人となってからは数えるくらいしか会っていなかった。今の優里がどんな女性になったのかなど知らなかったのかもしれない。いや、俺が変えてしまった。傍にいることもできないのに未練たらしく繋がって……
「未練たらしく?」
声に出していた。
昨日までは確かにそういうところがあった。ラインで今日は会えないと言われ、頭にきて電話を掛けようとさえした。なのに優里から、昨日も男とセックスをしてきたと言われても、俺は別の事を考えてた。奈緒のことでもない別のことだ。
ーーー立花沙羅
どうしようもなく会いたかった。
俺は沙羅のことを本気で好きらしい。
「もしもし、立花さん?」
「うん、リョウ君、なにかあった?」
「俺………立花さんが凄く好きだ………付き合って欲しい」
「えっ………もう付き合ってるよね。キスだっていっぱいしてるし……違ったの?」
「そっ……そっか……そうだよね。でもまだ言ってなかったから………大好きだって」
「ふふふ……知ってた。リョウ君が私のこと大好きだって………私もだーーーーいスキーーー!」




