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KOKUCHI  作者: ぼく
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- 前編 -

先日、ドクターから癌の告知を受けた。

不思議と、まるで風邪と診断されたかのように冷静に受けとめていた。

何より心が穏やかだった。「やり残したことは?」と聞かれたとしても、「何も無い」と胸を張って返答できるほどに。


ぼくは、子供の頃から勉強が得意じゃなかった。宿題はいつもギリギリまでやらないし、体も小さくて運動神経は普通、モブのような存在だった。でも、心の中には負けん気があって、実らなくても努力だけはしていた。


両親は平均的なサラリーマンで祖父母は少し余裕がある家庭だったが、質素倹約がモットーみたいな家系だったので、家にはあまりお金がないと思って育った。高校は偏差値40くらいで、大学もいわゆるFラン大に進んだ。


そんなぼくに、人生を揺るがすような衝撃波がやってきた。

当時は就職氷河期初期で、ぼくはどこの会社も受からず、「半年間無給でもいいから一度雇ってみて欲しい」と願ったとしても、ハラスメント的な対応で断られ続けた。

バブル崩壊の第一波を受けたばかりの当時の日本、本当は誰も雇う気はないけど買い手市場なので「もしどこかの御曹司が商談つきで面接に来たり、零細企業だけどもし東大卒が受けに来るなら考えてもいい」と、採用側は本気で考えているような状況だった。


結局無職として社会人デビューすることになった。

その後、従業員2人でまわされていた零細IT会社になんとかコネで入ることができた。3つのコネが重なってやっと得ることができた奇跡の職だった。

給料はアルバイトよりも低かったけれど、ぼくは嬉しかったし楽しかった。1日14時間働いて、週休1日。もちろん有給休暇なんてないし、残業手当もゼロだし、40度くらいの熱なら出社して当然という世界線だった。

それでも初めて得た仕事は有り難かったし、やる気に満ちていたぼくは帰宅後、更に米国大学院進学のために毎朝4時まで勉強した。


その勉強の方はというと、3年間の努力も実らず、大学院の合格通知は来なかった。精神的に限界状態だったぼくは、人前で急に泣き出すことすらあった。とにかくやりきったことだけは確かだった。

途方に暮れてはいたが、良いこともあった。

外国の大学院進学を目指していたこともあり、まだ当時は珍しかったインターネットを普通に使っていたぼくは、おそらく日本初だったであろうネット求人システムを偶然に見つけた。

興味本位でエントリーした結果、珍しすぎて供給が少なかったおかげなのか、東京の外資系IT企業にあっさりと採用された。

アメリカの大学院へ進学する代わりに、米国系外資企業への転職をすることになった。


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