『蜘蛛の糸』芥川龍之介著を読んで 2 竹久優真
午前中にして家に到着し着慣れないブレザーを脱ぎ、結びなれないネクタイをほどいてリラックスするとベットの上に横になって読みかけの文庫本を開いて読書を開始する。
僕の趣味は読書だ。ある理由があって一年くらい前から本を読むようになった。初めのうちは読み始めるとすぐに眠くなっていたが、いつの間にか平気で何時間も読み続けられるようになっていた。
一時間ほどで読みかけだったスタンダールの『赤と黒』を読み終わると本棚に並べ直す。本棚はすでにパンパンで本を差すためには一度邪魔になっている端のノートを引き抜かねばならなかった。すぐに別の場所にそのノートを移動させようと思ったが思い直して引っ張り出し、ノートを開いてみた。そのノートは僕が一年ほど前に読書の趣味を持ち始めていた時からの読書感想文が書かれている。決して課題として学校に提出するとかそういったために書いているものではない。その当時知り合った友人の勧めで思ったことを何でもいいから書くようにしたのだ。もちろんページ数や文法も特に気にする必要はないし誰かに見せる為にウケを狙う必要もない。おかげで書いている内容は実にいい加減なものである。
最初のページを開いてそこに書かれている一年前の感想文を読んでみる。
『蜘蛛の糸』芥川龍之介著 を読んで
お釈迦様は残酷である。そもそも蜘蛛を助けたからと言ってそれで人を殺したり家に火をつけたりする大泥棒の罪がチャラになるわけがない。そもそも蜘蛛を助けただけではなくただ殺さずに見逃してやっただけに過ぎない。別に善い行いをしたわけでもなく、悪い行いをしなかっただけに過ぎない。そんなことで極楽浄土へ行けるというのなら地獄なんてはじめから誰も行く必要が無い。
だったらなぜお釈迦様は蜘蛛の糸を垂らしたのか? その答えは簡単だ。
カンダタごとき悪人はどうせ蜘蛛の糸を独り占めするような行動をとるという事が初めから予測されていたのだ。その上でお釈迦様はカンダタに糸を登らせてわずかな期待を持たせ、そのうえでまっさかさまに落としてやろうという魂胆だったに違いない。
芥川は悪人などというものはそうしてお釈迦様の暇つぶしにもてあそばれるようなただの見世物としての生活を受け入れなければならない因果応報を語りたかったのだ。
それにあの話、一体正解はなんだったというのだろう?
細い糸にしがみついているカンダタを追って登ってくる罪人の群れ。どうすればうまく昇りきることができただろうか。細い糸は今にも切れそうであったに違いない。「さあ、みんなで一緒に登ろう!」なんてのはばかげている。「糸は細いからみんな順番に一人ずつ登ろうよ!」なんて優等生なセリフも無意味だ。何せここは地獄で周りは罪人である。そう簡単に秩序を守るわけがない。つまり初めから出口なんて用意されてなどいなかったのだろう。本来地獄とはそういったものだ。しかしまあ、僕だってそれほど悪人というわけでもない。まあ死ぬまでに10匹は蜘蛛を殺さず見逃してやろうと思う。
まったく。中学生時代に書いたものとはいえ、ひどい内容だ。このひねくれた性格は何も最近に起きた不幸な出来事の連続で生まれたものではないという証拠だ。
一年前から僕はすでにひねくれた性格だったことを思いだした。
だが、一年前にこんなひねくれまくった僕の読書感想文を肯定してくれた人があった。
その人はこう言った。
『面白いわ。こいう考え方もあるのね。読書の感想や解釈はこれが正解なんてものはないの。その人が読んで感じたことがすべて正解なの。そして読むたび、また違った感想や解釈ができるようになっていくわ。それは読書をする時の心的状況もあるでしょうし、年齢に伴う考え方の変化もあると思うわ。だから読んだことのある本でも何年か置きには読み返してみて。そうすればまた違った感想が持てるかもしれない。その時のためになるべく今の感想を書き留めておいて未来の自分がどう変化したのかを考えてみるのもいいかもしれないわ』
そのひとはただひねくれただけの少年を肯定してくれた。そのことに気をよくしてしまったかもしれない。それからというもの僕はひねくれることを恐れなくなってしまったような気がする。
ひねくれてばかりだった入学式の日から三か月の月日が経ち、すっかりと姿を青々しく変化させた桜の並木道を丘の上の旧校舎から眺めながら、あの桜の木ほどではないにしろ自分もずいぶん変わったなと思い返す。それというのもきっと……。
本格的な暑さが日本列島を横断し始めた今日この頃。山の斜面に建てられた芸文館高校の敷地内でも最も高い場所にある旧校舎はささやかな避暑地だと思っていたのだが、いかんせんこの古い建物にエアコンが設置されていない現実は、インドアな部活動の生徒さえも室外へと送り出す力を秘めていた。
小高い丘に建つこの旧校舎では、蒸し風呂状態の室内よりも、旧校舎前の縁側の方が風がそよぎ、いくぶん涼しさを感じられる。
「そうやっていつも部屋の中にいるよりも、たまには外に出た方がいいよ。天気良いんだし」
そんなことをつぶやく我が部の居候宗像さんの言葉を受けて、部室の椅子を屋外へと持ち出した僕は丘の上に立つ旧校舎の縁側に居を構え、そこで読書に耽っていた。
そんな僕の隣では、同じように椅子を持ち出した宗像さんが椅子の上に体育座りをするというはしたない、あるいは見る角度によると少しばかりエロい体勢で少女漫画を読んでいる。
終始二人は無言で、それぞれの物語に浸っていたのだが、不意に宗像さんは僕の目の前に手のひらを上に向けて差し出し、
「あめ……」
とつぶやいた。
僕はすかさず、足元に置いていた数冊の文庫本を入れて持ち歩いているポーチのサイドのポケットからロリポップキャンディーをひとつ取り出し、彼女の手のひらに乗せた。
「なにこれ?」
とつぶやく瀬奈。
「だから、あめ……」
躊躇なくそう答える僕は決してつまらないダジャレを言っていたつもりではなかった。
「いや、そういうことじゃなくってさ、クモの糸の方……」
「クモの糸の方?」
彼女が言うには、空から降ってくる雨は、〝雲から垂れ下がる糸〟らしかったのだ。すでに高校生である彼女は、その時まで芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のことを雲から垂れ下がる糸、すなわち雨を掴んで登っていく話だと思い込んでいたらしいのだ。
まったく。僕の〝雨と飴〟の勘違いも大概だけれど、宗像さんの〝雲と蜘蛛〟の勘違いも大概バカバカしいと大笑いをした。
大笑いをして、本格的に降り出した夕立に慌てて椅子を担いで旧校舎内に駆け込む僕たちふたりは笑っていた。
薄暗い教室に移動して、読んでいた漫画を置いた宗像さんはしばらく窓の外を眺め、ぽつりとつぶやいた。
「雨、やみそうにないね。ねえ、せっかくだからどこか出かけようよ」
なにが、せっかくなのかわからない。
「あ、そうだ。ユウの通ってた中学校に行こうよ」
「なんで?」
「ほら、この間のおっさん先生? あの先生に会いに!」
――なんで? そんな言葉を口から出しかけたが、やはり口に出すことは憚られた。つい先ほどまで宗像さんが読んでいた漫画も女子高生と学校の先生が恋をするという物語だったからだ。少女漫画にはやたらとこの設定が多い。よもや美少女女子高生の宗像さんが、冴えないおっさんのことを、なんて考えたくもないがならばなおさら理由を聞くことも出来ず、僕は素直に宗像さんを出身中学校まで連れて行くことにした。
降り出した雨は通り雨で数分もすれば何事もなかったように晴れ渡る。
二駅ほどを電車で移動して到着した放課後の中学校。僕たちは職員室ではなくまっすぐ理科準備室へと向かう。職員室嫌いのおっさんはいつも理科準備室に閉じこもり、趣味の写真現像のための暗室に勝手に改造していた。
相変わらず汚い部屋だ。わずか四畳ほどの狭い準備室は散らかり放題で机の上もわずかなスペースを除いて、あとはどこに何があるかわからないほどにものが散乱している。
「やあ、ひさしぶり」
「なんだ竹久か……何の用だ?」
「自分の出身校に来るのに、理由なんて必要かな?」
「なんだ、いい年してわびしいオレに恋人でも見せつけに来たのか?」
「恋人? ああ、宗像さんはそんなじゃないよ」
言いながら、本来ここに来たいと言い出したとなりの宗像さんに視線を送る。いつも堂々とした彼女らしからず、きょろきょろと視線を泳がせ、うろたえているようすだった。
僕は部屋の隅のパイプ椅子をふたつ取り出して宗像さんと並んで腰かけた。
気を利かせた僕はその場の空気を自然なものにするため、思い付きで話を振った。
「いやね、この間おっさんが太宰の死の真相を究明したのを聞いてね、ちょっと相談したいことがあってきたんだ」
「なんだよ」
「今日は、芥川龍之介について……」
宗像さんが急におっさんに会いに行きたいだなんて言い出してから、ここに来るまでの間に必死で探しておいた話のネタだ。
「ああ……あれな。ありゃあ……脳腫瘍だ」
「脳腫瘍?」
話の本題に入る前に唐突に放たれたその回答に、思わずうわずった声で復唱した。
「芥川龍之介の死因だよ。ドッペルゲンガーって知ってるか?」
――ドッペルゲンガー。もちろんそのくらいのことは知っている。
自分とそっくりの人間がある日突然現れて、その数日後に死んでしまうという西洋の都市伝説。芥川龍之介も晩年に書いた『歯車』という話の中でドッペルゲンガーの陰に追われるというものがある。これは芥川自身ドッペルゲンガーを見たのではないかという噂もある。
「まさかその都市伝説に襲われて死んだとでも? 科学の教師のセリフじゃあないな」
「いや、だから死因は脳腫瘍だと言ってるだろうが。いいか、ドッペルゲンガーというやつは医学的に言うならば自己像幻視というやつで、こいつは側頭葉と頭頂葉の境界に脳腫瘍ができることで発症することがある。つまり、ドッペルゲンガーを見るということ自体、いつ死んでもおかしくないような危険な状態にあると言ってもいいわけで、これがドッペルゲンガーと呼ばれる都市伝説の正体だ」
得意げに自説を語る教師を前に、こんなことを言うのもなんなのだけど、それでも僕はちゃんと真実を話しておかなくてはならないなと思った。
「悪いけど……。芥川の死因は服毒自殺ですからね」
「……」
「知らなかった? たぶん、ドッペルゲンガーどうとかという話よりもずっと有名な話……」
「ま、まあでもあれだ。たとえば脳腫瘍が原因で小説が書けなくなったりだとか、いろいろ精神が錯乱状態になったのだとも考えられるだろう? それで服毒自殺に至ったということだって十分に……」
「まったく。負けず嫌いにもほどがある。でもまあ、そもそもが僕が話そうとしていたことはそんなことじゃないんだけどね」
「……ん? そうなのか? さっき芥川がどうとか……」
「芥川の名前を出しただけで暴走を始めたのはおっさんのせいだ。
さて、ここからが本題なんだけど……。ずばりおっさんは『藪の中』の真犯人は誰だと思う?」
『藪の中』は芥川龍之介の傑作小説の一つだ。
藪の中に見つかった侍の死体、その容疑者は三人現れる。その三人すべてが自分が犯人だと主張し、その状況を語るが、当然三人の言い分は食い違っていて真相は迷宮入りする。
「真相は藪の中」といった表現はこの小説のタイトルに由来する。
僕はその物語についての簡単な状況を、その小説を全く知らない宗像さんに解説するため、状況を復習するため簡単にあらましをまとめた。
死体の第一発見者、木こりの証言と状況
朝、いつもの通り杉の木を切りに裏山に入り、山影の藪の中で死体を発見した。烏帽子をかぶった侍の死体があおむけになって倒れており、胸元には刀を一突きされた跡があり、傷口は既に乾いていた。周りの竹の落葉は血で赤紫に染まっており、凶器らしき刀などは当たりには落ちていなかったが、一筋の縄と櫛とが落ちていた。あたりは一面踏み荒らされた跡がある。馬が入ってこられるよな場所ではない。
侍は妻と二人で馬に乗り峠を越えていったという証言がある。妻はとても勝ち気な性格で、事件後その姿を消している。
容疑者1。盗賊の多襄丸について。
札付きの盗賊で事件発生後まもなく別件にて逮捕された際、侍の持ち物である弓矢や馬などを所持していたが、肝心の凶器と思われる太刀は所有していなかった。
多襄丸の供述では自分が侍を殺したという。妻の行方については知らないという。
多襄丸は侍夫婦と出会い、山の中に宝を埋めてあるから安く売ってやると話を持ち出し、ふたりを山へと連れ込んだ。妻は馬の入れない場所の入り口で待機し、藪の中で二人になった時侍の不意を衝いて組み伏せ、木の根元に縄でくくりつけた。
妻を侍が急病だと言って呼び出し、侍が縄でくくられていることを知ると小太刀を抜いて盗賊に切りかかったが、名うての盗賊にかなうわけもなく、侍の目の前で多襄丸は女を手に入れた。
ふたりを置いて立ち去ろうとした多襄丸に妻がすがりつき、二人の男に恥を見せられたとあっては生きてはいられないと、どちらか一人の男に死んでほしいと懇願される。生き残った男と連れ添いたいとも。
多襄丸は侍の縄を解き、侍と一対一の決闘をして激戦の末侍を討ち果たしたが、すでに妻の姿はなく太刀や弓矢を奪って去った。都に入る前に太刀は処分した。
容疑者2 妻の供述について。
後に見つかった妻の証言は一部食い違いがある。盗賊は侍の前で妻をてごめにし、どちらかに死ねとまでは言ったが、呆れた盗賊は太刀と弓矢を奪ってその場を立ち去る。妻は小刀で侍の胸を突いて殺して縄をほどき、自分も後を追おうとしたが死ぬに死にきれなかった。
容疑者3 死霊となった侍の供述について。
なんと、降霊術を使って死んだ侍から直接事情を聴く。なんだ、それ出来るんなら今までの話はなんだったんだということは言ってはいけない。
妻をてごめにした盗賊、夫を捨てて自分と一緒になれと妻に迫るが妻はそれならば夫を殺してくれという。そうしないと安心してあなたとは一緒になれない。その言葉にあきれた盗賊は妻を蹴り倒し、侍に問う。そんなことを言う妻を盗賊が殺してやってもいいがどうするか?
侍が答えるまでもなく、妻はその場を逃げ出した。憐れんだ盗賊は侍の縄を解き、太刀を奪って立ち去る。ひとり残された侍は足元の小刀で胸を突いて自害する。
「さて、この事件。科学教師の視点でどう考えるだろう」
「ふうむ、そうだね」と腕組みをしてから眼鏡をかけ直すおっさん。数秒もたたないうちに一つの問題点から指摘する。
「まず、盗賊の供述だが、激しい激闘の末侍を倒した。これはおそらくウソの供述だと考えていいだろう。
木こりの証言からもあるように侍は胸を一太刀によって死んでいたはずだが、まあ、人間というものはそう簡単に死んだりはしない。しかも一太刀となればおそらく心臓を破壊、死因はこれしかないだろう。しかし、証言によると落ち葉は血にまみれていたとあるが、あたりの木々に血しぶきが散っていたというような記述はない。おそらくこれは心臓を突いた太刀がしばらく刺さったままだと考えていい。心臓を貫いた太刀をすぐに抜けば傷口から大量の血しぶきがあってしかるべきだ。
しかしどうだろう? 心臓を突いたからとはいえ、侍はその場にすぐに倒れて死ぬわけではない。尚も武器を持って立ち向かってくるはずだ。次の攻撃の備えなければならない盗賊はその体から太刀を抜き、とどめを刺す。あるいは防御の構えを取らなければならない。つまりこの事件、侍は無抵抗の状態で刺殺されたということになる」
「なるほど。確かに科学の教師らしい見解だ。僕もおおよそその意見には賛成だ。僕の考えでは真相はどうあれ、盗賊は別件で逮捕されていて余罪も多く、おそらく当時の裁判において極刑は免れないだろう。だとすれば、せめて男のプライドだとか、そんなものを誇示したくて侍と一対一で切りあって勝利した。なんてエピソードを言いたかったんじゃないだろうか」
「よし、じゃあ次だ。妻の刺殺説。これなんだが、まったく男からすればゾッとする話だ。まさか自分の妻が生き残った方と添い遂げるからどちらか片方は死んでくれという話なんだが、まあ、科学的に言えばメスはより強いオスと子孫を残そうとする本能があるわけで、この発言には無理がない」
「ちょっとまって! 別に全てのメスがそう思ってるわけじゃないからね」
「わかってるよ、宗像さん。力が無くても金があればそれは問題ない。理性を働かせればそういうのもアリだろうけれど、本能的には、という意味ではのはなしだよ」
「さて、話を戻そうか」
と、生物学的に決して強くはないオスふたりの会話に戻る。
「あと、妻は樹に括られた侍の胸を突いて、その後に縄を解いたとあるが、普通、縄で樹に括りつけるのならば心臓のある胸のあたりじゃないだろうか。もし、もっと下の方であるならば上半身の動きに余裕があるので胸を突かれるにしてもかなり抵抗する余地がある。かといって心臓よりも上を縛れば、これは間違いなく簡単に縄から抜けることができるだろう。それに落ち葉同様、縄も血に染まってしまうだろうが、どうやらそう言った記述もないようだ。つまり、妻が殺したというのにもやはり無理があるような気もする。一度はその場を逃げ出した妻であったが、自分のしたことで罪の意識にさいなまれ、自分が殺したと供述することで自分自身に罰を与えようとしたのではないだろうか。
そして、消去法に従って侍の自殺説。ためらい傷といったものがないというのは自殺であるという証拠にならない理由でもあるが、侍が意を決して自分の胸を突いたというのならばそれにはあまり無理はない。よって、科学的な見解では侍は自殺した。といったところかな」
「おいおい、ちょっとまってよ。なにが科学的にだよ。降霊術の証言に科学的理屈なんてなにもない」
「まあ、そうは言うけれどどのみち消去法で自殺ってことにはなるんだからさ。それとも何か? 竹久には別の推理があるとでも?」
「うーん、まあ、これはさっきおっさんの話を聞いていて思ったんだけど、侍が自害したのならばなんでそこに凶器の小刀はなかったんだろう? 後になって誰かが抜いて持ち去らなければならない。罪の意識にさいなまれた妻か、あるいは物取りの盗賊の仕業か、木こりがとったなんて言うのも考えられるかもしれないが、どうもすべて釈然としない答えだ。
そこで、僕は想像してみた。この物語のもう少し続きを……
盗賊は侍にこんなことを言い出す妻を殺してやろうかと持ち出し妻は逃げる。妻に見捨てられた侍は打ちひしがれ、哀れに思った盗賊は縄を解く。みじめのあまり、盗賊に自分を殺してくれと頼む侍。
たとえほんのわずかではあるが同じ女性を愛した男同士、わかりあえるなにかがあったのかもしれない。盗賊は侍の太刀で胸を突き、その場で念仏を唱えてやった。時間が経ってから抜かれた太刀からは血しぶきが上がることもなく、盗賊は立ち去る。
後に逮捕された盗賊は検非違使の質問に対し、哀れな侍の事実を伏せ、男らしく戦って死んだという嘘をでっち上げた。
つまりさ、この物語の真相は邪知奸寧な物語なんかではなく、恋のライバルと、男同士の友情の物語。そんな気がするんだよ」
またしても、そんなくだらない僕の妄想でこの物語は締めくくる。さて、『藪の中』に隠された真相についてはいくら議論したところで尽きることはあるまい。まさにわからないことがあった方がこの世はおもしろいのだ。
会話に夢中になる弱いオスふたりの脇で誰もが愛してやまないほどの美少女は企みを遂行し終わったようだ。
「また来るよ」
それだけ言い残して僕たちは出身中学校を後にする。
帰り道。強がる僕はあえて気にしないようにしているつもりだったが、どうにも無理のようだった。
弱いオスふたりが会話に夢中になっている最中、僕は彼女が散らかった机の書類の合い間に、そっと一通の便箋を忍ばせたことに気付いた。とても可愛らしい、ピンク色で白いレースのついた便箋だ。
「なあ、宗像さん。さっきの手紙……」
「あ、ラブレター……。気づいてた?」
『ラブレター』という言葉を彼女は臆する様子もなく使った。
「まったく。あんなおっさんのどこがいいの?」
「どこっていうかさ……。あ、もしかして妬いちゃってる?」
「べ、別に妬いてなんかないよ」
「あ、それツンデレさんな定番セリフ!」
「まあ、ともかくこれで借りの一つは返したことになる」
「まあ、それは仕方ないかな。でもたぶんまだ結構残ってると思うし」
「生きているうちに返せる程度ならいいけど」
「あ、じゃあさ。もう一つだけ返してもらっていいかな」
「な、なに?」
「えっとねえ……」彼女は目を狐のように細めて笑顔をつくり(僕はししっ!っとアテレコする)、「今度からアタシのこと、下の名前の〝瀬奈〟って呼んで。アタシたちもう友達なんだし、そういつまでもさん付けで呼ばれるのてしっくりこないかなって」
「そ、そんなことでいいなら」
「じゃあ決まりね。これからはアタシのこと〝瀬奈〟って気軽に呼ぶこと!」
「あ、ああ。わかったよ……」
――瀬奈。と僕は彼女に聞こえないようにつぶやいてみる。やはり少しハードルが高いようだが、借りは少しでも返した方がいい。
思えばカンダタは地獄にいた時に一本の蜘蛛の糸をみて、これを伝っていけば極楽浄土にけると考えたわけだ。しかしながら地獄に蜘蛛の糸とは何ともあたりまえの存在ではないだろうか。蜘蛛の巣や蜘蛛の糸なんてどちらかといえば天国より地獄の方がイメージに合う。にもかかわらずその糸を自分が生前助けた(実際は助けたというより殺さなかっただけ)蜘蛛の糸で、それを伝っていけば極楽浄土にたどり着けると考えるのはあまりにもバカで楽観的な考え方だろう。
つまりはあの話。物事を常に前向きに考えてさえいれば、どんな些細な出来事さえもチャンスだと考え、目の前にぶら下がる好機をつかむことができるという事が言いたかったんではないだろうか。
カンダタはやはり欲深い男で好機をものにはできなかったが、カンダタに負けないくらいのバカで楽観的な男が屈託のない善意で過ごすことができたなら、やはり好機をつかむことができるんじゃないのか。
そしてその実例があのリア王だとは言えないだろうか……