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『ロミオとジュリエット』を読んで2         竹久優真

 舞台の上では終幕が始まっている。王とはいえ国家を混乱に陥れた罪は免れることはできない。せめてもの計らいで身分を剥奪され地方へと追放されるリア王。旅立ちの際に妻ゴネリルとの別れのシーン。


『お願いです、リア様! わたしもつれていってくださいまし!』


『ならん! お前まで王都を離れてこの国はどうなる? もう、モンタギュー家の一族はお前しかいないのだ。ゴネリル、お前が女王となってこの国を守って行かなければならない。いいな!』


 すがるゴネリル――笹葉さんを振りほどいて立ち去る大我。


『ああ、リア様……』


 泣き崩れる笹葉さん。われながら、よくもこんな残酷な脚本を書いたものだ。これでは笹葉さんを捨てて栞先輩を求める事実そのものじゃあないか。そしてこの後そのすべてを知りながらも大我の手助けをしようとする僕もケント伯そのものと言える。


 実際脚本を書くときにそのことを意識しなかったというわけでは無いが、その時はまさかゴネリル役を笹葉さんが演じるとは思ってもいなかった。こうして、まるで事実の再現のような舞台になったことをどうか許してほしいところだ……と、その時舞台上のゴネリルが予想外の行動を取り出した。


 本来の予定ではリア王が舞台袖に行ったところで暗転し次のシーンになるところだが、暗転する直前、泣き崩れるゴネリルは胸元から薬の瓶を取り出す。


『ああ、リア様のいなくなったこの世界で、どうして生きている価値などありましょう。それならばいっそ……』


 ――どういうことだ?


 僕はそんなセリフなんて脚本に書いた覚えはない。


 舞台の裏で照明を操作しようとしていた脇屋先輩が袖にいる僕の方を見る。

 いや、そんなことをされても僕にだってどうすればいいかわからない。しかし、笹葉さんが舞台の上でセリフをしゃべっている以上、途中で照明を落とすわけにもいくまい。

 演者の皆が不安そうに見守る中、舞台上のゴネリルは薬の中身を飲み干し、苦しみながらにその場に倒れ込んだ。


 ――これは……もしかすると彼女なりのささやかな抵抗だったのだろうか?


 自分を捨てた大我に対し、自らの死を持ち出すことで彼を糾弾しようとしたのかもしれない。

 その真相を、僕は笹葉さんに後で聞いてみたいとも思ったが、果たして僕にそんなことを聞く勇気があるだろうか。脇屋先輩は倒れたゴネリルがもうそれ以上の演技を必要としていないであろうことを確認し、照明を暗転させた。


 つい、予想外のことが起きて舞台に見とれてしまっていたが、次のシーンは僕の登場だ。慌てて舞台脇に構える。手のひらに、〝人〟という文字を三回書いてから口をつけて吸い込む。その場所は、さっき瀬奈の唇が触れた場所だ。わかっていて、わざとやっている。


 クローディアスの死後、領地を返されたキャピュレット家。しかし家督を継ぐティボルトは既になく、家の復興を期待されるコーデリアは婚姻の話を持ちかけられる。


 しかし、その胸のうちは未だリアとともにある。

 望まぬ結婚をするよりも、あえて死を選ぼうとするコーデリアの前にケント伯が登場する。


『コーデリアよ。そなたには死を持ってしてでもリア王と添い遂げたいと願う覚悟がおありか』


『もちろんですわ。ケント殿。愛するものの失った世界で、どうして生きていく意味などあるでしょう』


『うむ、よくぞ言った。ならば、この毒薬を飲むがよい』


 僕、ケント伯はポケットから薬の入った瓶を取り出す。こうして改めてその瓶を見ると、つい先ほどのシーンでゴネリルが飲んで死んだ毒薬とまったく同じ瓶だ。どうせ使いまわしなのだろうから仕方ないのだが、その瓶に一抹の不安がよぎったのもまた事実だ。


『この薬はな、飲めばたちまち呼吸が止まり、心臓も動きを止める。そしてそなた、コーデリアの遺体は町はずれの霊廟へと収められるだろう』


 コーデリア、黙って肯く。


『しかしな、これは偽りの死の薬。一度心臓の動きを止めてもまた、一日もすれば止まった心臓は動き出す。そこでな、コーデリア殿はそのまま都心を離れ、遠く離れた郊外でリア王様とおち合い、共に暮らすが良い……』


 手に持った薬瓶をコーデリアに手渡し、『ああ、ケント様!』といいながら栞先輩が僕に抱きつく。豊満な胸が僕の胸に当たり、何度も練習を繰り返してきたにもかかわらず相変わらず緊張してしまう。

 薬を受け取ったコーデリアは一気に薬を飲み干し、その場で倒れゆくところを僕が支える。そのまま、俗にいうお姫様抱っこという形で舞台の袖にはける僕。これにて、僕の登場シーンはすべて終わりとなる。


 舞台の袖で息をついた僕は隣に座る瀬奈とともに舞台のラストシーンを共に眺める。

 客席からは見えないだろうが、舞台を挟んで反対側の舞台の袖でそんな僕たちを見つめる笹葉さんの姿があった。


 先程、脚本になかった演出をした笹葉さんではあったが、舞台は問題なく進行しているし、僕から別段そのことを指摘する必要もない。遠くからではあるが、笹葉さんの労をねぎらいささやかにほほ笑んで見せた。


 しかし、笹葉さんの表情は遠くからでもまだ緊張した面持ちを携えているのがわかった。

 まるで、まだ自分の演技はすべて終わったわけでは無く、まだ続きがあるのだという緊張感だ。

 僕は、その時ちゃんと彼女のそんな動向に気付いておくべきだった。その後に起きる。予想外な展開など微塵も考えてなどいなかったのだ。



 ステージの中央ではまさにクライマックスシーン。ケント伯がリア王によみがえったコーデリアを迎えに行くよう伝令を走らせてはいたが、コーデリアの訃報を耳にしたリア王が射ても楯もいられなくなりコーデリアの眠る霊廟へと向かい、不幸にも伝令とすれ違ってしまう。


 霊廟で心臓の鼓動と止めたコーデリアに泣きつき、悲嘆の末取り出したナイフで胸を突こうとする。

 原作となる『ロミオとジュリエット』ではロミオの死後、ジュリエットが息を吹き返し、傍らで死んでいるロミオに気付き、自らも同じナイフで胸を突いて心中する……が、あまりにも悲劇的すぎる結末を僕は変更することにした。


 胸を突いて自害しようとするリア王を前に、寸でのところで息を吹き返したコーデリアがそれを止め、二人はハッピーエンドを迎えるというものだ……


――いや、わかっている。それがいかに茶番でご都合主義的な結末だということぐらいは。

しかし、この舞台は演劇であって演劇ではない。事実、僕の親友黒崎大我がその青春時代に胸を痛めた恋煩いの大願成就をモチーフにしたものだ。


リア王がナイフを高く掲げ、観衆が息をのむ。体育館全体が凍りついたように沈黙し、薄っぺらい体育館の天井を激しく雨粒がたたく音だけが響く。わずかな沈黙が、随分長いようにも感じる……


――いや、本当に長すぎる。

脚本通りに目を覚まさないコーデリアの演技にリア王役の大我は戸惑う。いつも冷静なはずの大我が少し取り乱しているようにも見える。ちらりと、舞台の袖にいる僕に視線を向ける。

そんなことをされても困る。僕にだってどうすることもできない。


あまりに長い沈黙に、観客からざわめきがこぼれはじめる。まさか、栞先輩は本当に眠ってしまってるのではないだろうか……


なんて、そんな甘い考えが単なる願望に過ぎないことくらい自分自身ちゃんとわかっている。

栞先輩は、そんなドジッコなんかじゃない。思慮深く、聡明で、何より狡猾だ。

おそらくこれは彼女のなんらかの企みに違いあるまい。またしても僕たちは、おそらくまんまと彼女の策略に嵌められてしまったに違いない。


舞台袖の僕の額に冷ややかな汗が大きな粒をつくり、それが流れ落ちようとすると同時にコーデリアはようやく起き上がる。


会場の誰もがようやくほっと一息を突いたところで栞さんは大我に向かって言う。


『まったく、しびれを切らしましたわ。あなた、いつになったらそのナイフを胸に突き立てるのかしら?』


 再び観客と、大我とが息をのむ。


『ナイフを振り上げるだけ振り上げておいて、その胸に突き立てる勇気もないなんて、なんて情けないことなのでしょう。きっとそのような一貫性の欠けた男に、ひとりの女を永遠に愛し続けるのなんてきっと無理ですわね』


 ――マズイ。この演劇は完全に栞さんに乗っ取られてしまった。


 大我が、この演劇を通して栞さんに伝えたかった言葉は当然彼女に伝わっている。しかし、彼女はそれをわかった上であえて大我に物申したかったのだろう。


 以前、自分と交際しておきながらそれを捨てて、笹葉さんという恋人を作ってはまた捨てる。そんな大我を、栞さんは許してはいない。


 もちろんこれは、そんな簡単な話などではない。栞さんには栞さんの言い分が、そして大我には大我の言い分がある。本当は何も知らない僕なんかが間に入ってこんな茶番に仕上げるべきではなかったのかもしれない。当人同士の問題なんて、互いにちゃんと向かい合って話し合ってこそその先に進めた物語なのかもしれない。ましてや男と女、黙っているままではそう簡単に想いなんて通じるものじゃない。

 それはなにも大我と栞さんだけのことじゃない。きっと彼女も、それに彼だって、もちろん彼女も、そして僕にだってそれは言える事だろう。

 

 どうしていいのか困窮した大我は舞台の袖にいる僕の方に救いを求めて視線を送る。

 そんなことをされても困る。


 僕だって、どうすることもできない――いや、僕がどうにかする事じゃない。大我自身が、決めなければならないことだ。


 僕は黙って目を伏せた。大我は栞さんに向き直る。


『ああ、コーデリア……あなたは私の死を望んでいるのか?』


『愛は、望んではいない。あなたは既に王などではなく、王の器でもありえない……』


『……そうか……どうか、許してくれよ、コーデリア……』


 リア王は、黒崎大我はその掲げたナイフを胸に突き立てた。

 大我がその場に崩れ落ち、栞さんが立ち上がる。舞台の反対側、脇屋先輩の隣に立っていた、ティボルトの衣装を着た男がステージ上に現れ、コーデリアの隣に立つ。


『うまくいったな』


『はい。お兄様――』


 書き換えられた脚本が、すべて自分たちの思惑通りに言ったかのような口ぶりのセリフだ。


『リアに殺されたフリをした俺が亡き前王の格好で奴の前に現れた時、アイツは全く気付く気配もなく俺を父の幽霊だと信じ込むとは、実に愚かな奴だ』


当然僕はそんなセリフを書いてもいないし、そんなつもりでストーリーを組んでもいない。しかしその一言で物語は全く別の方向へと進み始めた。


しかし、そもそもこのティボルトの衣装を着た男、この男は一体誰なんだ? 戸部っち先輩でないのは確かだ。


 ずいぶんと顔立ちの整った男だ。前半のステージでティボルトの役を演じていた戸部っち先輩は僕の隣にいる。言っては悪いが、戸部っち先輩と比べて似ても似つかないほどのいい男だ。まあ、背恰好はそれほど違うわけでもないので、客席のうしろの方の人ならば一目見ただけではティボルト役の人物が入れ替わったことになど気が付かないかもしれない。しかし、あまりにも響きのよいその声はきっとそれほど広いとは言えない会場の体育館内に響き渡る。前の方の客席から黄色い声が飛び交う。


「……城井」


 戸部っち先輩がつぶやく。なるほどこの男が演劇部を窮地に追いやっておきながら自分は素知らぬ顔で逃げ出した男か。


 いまさらノコノコとステージに上がってきては僕の脚本を踏みにじった男。知らない間に栞さんと結託して僕の脚本を書き換えたのだ。


 ステージ上の予想外な展開にくぎ付けになっていた僕が、向かいの舞台袖に笹葉さんがいないことに気が付いたのはその頃だ。


 スポットライトが自害するリア王にあてられている隙に、霊廟の隅にもう一つの棺が置かれていた。

 城井先輩扮するティボルトと栞さん扮するコーデリアが棺の前に移動する。脇屋先輩がライトを操作して棺にスポットを当てる。


 二人が開けた棺に横たわっているのは毒を飲んでしでしまった笹葉さん扮するゴネリルの遺体だ。


『だいじょうぶだ。もうじき目を覚ます』


 ティボルトの言葉に、ゆっくりと目を覚ますゴネリル。ティボルトはしゃがみ、ゴネリルの手を取る。


『だいじょうぶ、あなたが飲んだ毒薬はコーデリアが飲んだものと同じ薬。一時的に、仮死状態をつくるだけにすぎません。その想いを貫く心こそが王たる器。あなたこそこの国の女王にふさわしい……さあ、これからはモンタギュー家とキャピュレット家、共に手を取り合いながらこの国を治めていきましょう』



 ――まったく、これはこれで一つのハッピーエンドではないか。


 自分勝手なモンタギュー家の王族は皆死に、純真だったゴネリルだけが生き残って女王となる。その傍らにいるのは滅んだはずのキャピュレット家の王子ティボルト。二人が結婚して国を継げば、両家の争いのない国が出来上がることだろう……


 だがしかし、これは僕の描いた物語なんかではない。それがちょっと腑に落ちない。

 僕だって僕なりにこの物語をつくってきたのだ。勝手に書き換えられたのでは納得がいかない。

 そんな僕の耳元で、瀬奈がぽつりとつぶやいた。


「ねえ、ユウ。サラサって、あの男と結婚しちゃうわけ?」


「え? たぶん、ストーリー的にはそういう結末……なんだと思う」


「ユウは、それでいいの?」


「えっ」


 瀬奈に言われ、なぜだか知らないがそれはとてもよくないことのような気がした。

もちろん、僕の創ったストーリーとは違うし、あの城井って男はなんだか気に入らない。いつもいつも栞さんのいいように操られるっていうのも気に入らないが、なんだかそもそも根源的にすごく嫌な気がする。


僕はこの物語を、こんな形で終わりにしてしまいたくはない。


どんっ! と、僕の背中が強く平手でたたかれた。戸部っち先輩だ。


「行けよ。真打登場だ!」


「真打? 僕が?」


 戸部っち先輩が強く頷く。この人、こんなに頼もしい人だったか?


「奪われたものは奪い返すのよ!」


 瀬奈まで僕に発破をかける。


 ――やってやろうじゃないか。真打登場だ!


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