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『リア王』シェイクスピア著を読んで2 竹久優真

 さて、もののはずみで気安く引き受けたものの果たしてどんな脚本を書けばいいというのだろうか。

 とべっち先輩は全て僕の好きにやってくれたらいいとは言ってくれているものの、自由にしていいというのが一番むつかしいのだ。

 

そもそもどうしても演劇をやりたいと主張したのはもう一人の三年生の脇屋先輩なのだから、彼の意向を聞くべきではないかということに至り、僕ととべっち先輩は脇屋先輩のいる演劇部の部室へ移動することになった。すべてを僕に丸投げした栞さんは一人部室でお留守番だ。


 演劇部の部室というものがどのような場所なのかということにも興味があった。僕の所属する漫画研究部なるマイナーな部室は学園敷地の隅の忘れられたようにある旧校舎の一室だ。それに対し部員が20人以上在籍し、今年は演劇の全国大会にも出場したという彼らの部室とでどれ程の差があるのかが気になるところでもあった。


「……ここ、ですか?」


「ああ、ここだ。脇屋は中にいる。入ろう」


 率先してその入口の戸を開けるとべっち先輩。その場所は僕らがいつも使っている体育館のステージ脇にある舞台袖の奥についた扉。確かに『演劇部』と書かれた表札があるもののその上には『体育倉庫』という表札もついている。


 この場所なら僕だって何度も入ったことがある。中はそれなりに広くはあるが、そこにはバスケットボールやバレーボール。さらにはバドミントンやバレーボールに使うネットやら体操に使うマットまで、さまざまなものが所狭しと並んでいる。隅には二階に上がる折れ曲がった階段があり、そこから二階に上がると体育館の縁に沿った通路や舞台天井裏の仕掛けに行くこともできる。中央部分は半階上がったステージになっている。中央には大きく緞帳が下ろされており、その裏側が体育館から見たステージになっている。元々はこのステーはかなり大きいのだが、普段はこうして中央に緞帳を下ろし、表半分だけで使っているのだ。


 部室とはいってもそこは彼ら演劇部だけで独占するスペースなんかではなく体育館を使う人にとっての共有のスペースだ。これならば静かで邪魔の入らない漫画研究部の部室がいかに素晴らしい場所なのかということを実感できなくもない。何しろたった部員二名のために古いとはいえ教室ひとつがあてがわれているのだ。


とべっち先輩は僕を連れて奥へ奥へと進む。ちょうど折れ曲がった階段の真下にあたる部分。陰にひっそりと隠れた様な場所に置かれた机のところに脇屋先輩は座っていた。


 階段下の机の脇には六個の小さなモニターが並んでいて壁には様々なスイッチが並んでいる。おそらくそれらはステージ上の照明や緞帳を操作するための設備であり、その上には小さな換気扇が回っている。周りには演劇で使うであろう小物や衣装が乱雑に置かれており床板は全体的にずいぶんとくすんでいる。特に足元の一部は黒く焼け焦げた跡がそのままになっているが、学校の部外者が見ることのないそんなところまでは修復するつもりはないのだろう。夏休みの間に体育館を改修したという話を聞いているがそれはあくまで来客者の目の届く範囲のことだ。効率を重んじるわが校らしい処置である。


「君が竹久くん? 話は聞いているよ。随分と優秀なんだって?」


 どこか冷たさの感じる言い方で脇屋先輩は答えた。あまり表情に変化がなく少しうつろで決して僕と目を合わせようとはしない。あまり演劇向きでないような印象を受けたがおそらくそれこそがカメレオン役者たるポーカーフェイスなのではと勘繰った僕は完全な間違いだった。


 演劇をどうしてもやりたいと言ったのは脇屋先輩なので、どんな脚本にするか、どんな役を演じたいのかは彼の意向に沿うべきだと思って相談に来たのだけど、


「いや、そこに関しては任せるよ。俺の専門はこっちなんで」と壁に並んだスイッチとモニターを指さす。「演出とか照明なんかの裏方を主にやってるんだ。そのほうが舞台の上で演技をしている役者よりも舞台を操っている感じがして面白いからね」


 演劇と言っても役割はいくつもある。舞台の上で演技をするのもそうだが、脇屋先輩のように演出や照明などの裏方の仕事をやりたいと思って演劇部に身を置くものだっている。中には脚本が書きたいからという理由のものだっているだろう。たぶん僕が演劇部に身を置くとしたらきっとそうだ。


「もちろん、人が足りないからちょっとした役をしてくれというならやらないことはないよ。だけど俺の演技にはあんまり期待しないでほしい。その点さえ考慮してくれるのならばどんな脚本でも……」


 あまり期待されていなさそうなのは喜ぶべきなのかそれとも憤ってしまうべきなのか。


「あ、でもそういうことなら――」とべっち先輩が注文を付ける。「十月の文化祭までは一か月もない。練習時間もそうだが、とにかく人数が足りなくて衣装や道具を作る時間があまりない。なのでなるべく手の込んだ大がかりの装置が必要なのはちょっと……」


 で、あるのならば現代劇や制服をそのまま使うもののほうがいいだろうかとも考える。しかし、素人的な意見を言わせてもらえばあまりにも現代衣装な演劇というのは見ている側からしても華がない。

 僕だって自分が脚本を書くのならばできるだけ多くの人に褒めてもらいたい。そのためには演劇自体がそれなりに目を引くような演目をしたいとは思うのだ。あたりを見渡し目についた箱から覗くキラキラとスパンコールのついたドレスを持ち上げる。


「これは?」


「ああ、それはだいぶ前にハムレットの劇をした時の衣装だよ。随分古くなっているしところどころ焦げてしまっていたりするけれど、少し手を加えれば使えなくもないだろう」


「演目も追加の役者も僕が決めちゃっていいんですよね?」


「ああ、もちろんだ。何しろボクたちだって藁にもすがる思いなんだからこの際役者が未経験のド素人だろうが仕方ない。とにかく、最後の思い出になるようなものができたらいいなと……」


 思い出作りだなんて言わせない。やるからには、きっとみんなをあっと言わせるものを作りたいと思うのが人間というものだ。人手は少しでもほしいので友人に連絡を取ってみたら瞬で返事が返ってきた。最近放課後に暇を持て余している彼はすぐにここまで来てくれるそうだ。


 僕の懐刀。麗しのリア王。

 

 さて、リア王到着までにはまだ時間があるだろう。僕のこの間に聞いてみたいことを思い切ってぶつけてみる。


「あの……こんなことを聞くのも何なのですが、その……城井さんという部員のトラブルっていったい何だったんですか? いや、あまり踏み込んで聞くのもアレですし、気まずい話なら特に……」


 僕の言葉に脇屋先輩ととべっち先輩が互いに目を合わせる。無言で何かを了承しあうこのようにして口を開きかけたその瞬間――。


 体育倉庫の入り口のドアが開き人が入ってくる。リア王ではない。女子生徒二人組でその姿は――なんでいつもこう間が悪いのだろうか。


「アレー、ユウじゃん。何でここにいんのよ」


「いや、瀬奈こそ何でここに?」


 そしてその後ろには笹葉さんの姿も――。


「うん、ちょっとね。学園祭の運営でウチら体育館のステージ担当になっちゃったのよ。それで設備の点検をね」


「瀬奈も実行委員だったのか?」


「ああ……まあ、本当はアタシ全然関係ないんだけどね、なんていうか成り行きでさ……。で、ユウこそ何でとべっちさんと?」


「その、なんだ……演劇部の脚本を担当することになって……」


「へー、そーなんだー。なんかおもしろそー」


 いいながら瀬奈は後ろに重ねてあるマットに背中を預けて腕を組む。設備の点検をするつもりだったはずだがまるでその様子もなく僕らの話に参加しようとしている。笹葉さんが一人せわしなさそうに設備の点検をしながら階段から二階に上がっていった。


「事の発端は夏休み――」とべっち先輩が話し始めたので僕は「え、ちょっと待って」と言った。「どうした?」と話が中断する。

瀬奈たちがやってきたのでこの話は中断するのではないかと思ったのだが、とべっち先輩は気にしている様子もない。


「何でもないです。続けてください」


「ああ。夏休みにボクたち演劇部は今年の演劇の全国大会の出場が決まって、夏休みに入ると同時に毎日のように猛練習をしていた。


 うちの学校の体育館のステージは全国大会で使用されるステージとほぼ同じ寸法でできているから七月末の大会本番までにぜひともステージで練習したいと思っていたのにあいにく体育館は夏休みに入ると同時に改修作業に入ってしまって別のところで練習していたんだ。


 そして大会の二日前、体育館の改修が終わったと聞いてボクたちは本番前の最終調整をするため体育館のステージでの練習をすることにした。


 本番さながらのぶっ通しの練習。ただ、あまりの暑さから皆はステージの衣装ではなく、体操服だとかTシャツ姿での練習だった。その日の練習の途中に事件は起きた。


 ステージも終盤で演者全員がステージ上に集まりクライマックスシーンを演じている最中、体育館裏の準備室。この場所の方から黒い煙が立ち込めていることに気が付いた。ほら」


 とべっち先輩は天井を指さす。演劇のステージの上には舞台を演出するための梁が通っていて緞帳を提げたり人が歩いて作業できるようになっているのでその上部はつながっている。場合によって中央の緞帳を上げてステージとして使うこともあるこの背面ステージにも表と同様の大きな照明がぶら下がっている。


「ステージの表側から黒い煙が見えたんだ。それに焦げ臭いにおいもね。ボクはあわてて裏にまわったんだけどもう手遅れだった。ここだよ」


 足元の床の焦げを指さす。


「大会で着るはずだった衣装に引火したんだ。原因はボクが置いていたペットボトルの水さ。急いで火は消したけれど衣装はほとんどが使い物にならなくなってしまった。もちろん、どう足掻いたって大会に間に合うはずもなく、ボクたちは衣装なしで大会本番に挑んだ。

 もちろん、それだけが原因というわけでもないだろうけれど、結果は散々なものだった。演者も大会本番でTシャツ姿じゃあテンションも上がらずいい芝居ができたとは言い難かった」


「ねえ、ちょっといいかな?」


 脇屋先輩の説明が終わると同時にいてもたてもいられず質問をしたのはずっと僕の隣でおとなしく話を聞いていた瀬奈だ。


「その、何で誰もいないはずの準備室から火が出たの? しかも原因が水?」


「瀬奈、それはたぶん収斂現象というやつだよ」それに関しては僕が説明を入れる。


「シュウレンゲンショウ?」


「そう、収斂現象。ほら、子供のころに虫眼鏡を使って太陽の光を一点に集めて紙を燃やしたのを覚えていないか? あれと同じ原理だよ。たとえば眼鏡だとか、水の入ったペットボトルだとか、そういったものがレンズの役割をはたして収斂を起してしまうということは意外とよく聞く話だよ。特に、水の入ったペットボトルなんかは無色透明なのに底がぼこぼこしていたりするので複数の収斂を起こしてしまうことがあるんだ。その近くに衣装のような燃えやすいものが集まっていたら引火してもおかしくないだろう」


「うーん、でも、肝心の太陽はどこから? 太陽の光を集めるにもここには窓がないじゃん。さすがにあれじゃあ無理だよね」


 瀬奈は階段下についている換気扇を指さす。止まっているファンの隙間からはわずかに太陽の光が差し込んでくる。


「さすがにあれじゃあ無理だろうけどね。太陽の代わりはこれさ」


僕は天井を指さす。大きな白熱球が天井からぶら下がっている。このステージ裏はもともとステージ前面と一つながりなのでおよそ準備室には似つかわしくない輝度の高い照明がぶら下がっている。


「この手のライトは結構な熱量を持っていて収斂すればそれなりのものになるもんなんだよ。近年、家の一般家庭のクローゼットのダウンライトが布団に引火して火事を起すなんてことも少なくないらしい」


「ふーん、そうなんだ。でも、それって言ってしまえば事故じゃない? 別にとべっちさんが悪いっていう話でもないじゃん」


「そうだな。もちろん戸部が悪いわけじゃない」脇屋先輩が言う。「だけど城井はそれが気に入らなかったらしく大会が終わり次第部をやめると言い出したんだ。三年の俺たちはともかく一、二年の部員はみんな城井に憧れてここにやってきてるようなもんだ。実質アイツがリーダーで城井がやめると言えば皆辞めるんだよ」


「説得して帰ってきてもらうっていうのはナシなんですか」


「城井もあれでなかなか頑固だからなあ。まあ、アイツさえ帰ってくれば他の奴らも帰ってくるんだろうけど……なんていうかさ。こうなったらアイツらなしで舞台を成功させてやりたいっていうのもあるんだよな。だからこそ、竹久には期待している」


「恐縮です」


 とってつけたようなお世辞だが一応お礼らしきことを言っておく。まあ、僕は期待されるような人物ではない。本当はプロの作家でも何でもないし、今までちゃんと最後まで小説を書き終えたことだってない。


 そのタイミングで三たび訪問者が訪れる。真打というやつは最後にもったいぶって登場するものだと決まっている。


「演劇部って、ここでいいですか?」


 男らしく低く渋みのある声が準備室にこだまする。


「あ、大我っち。こっちこっち!」


 僕よりも先に瀬奈が大我を見つけて手招きをする。


「黒崎大我です」


 何の説明も受けず突然こんなところに呼び出された大我はひとまず名乗りを上げる。


「彼はわが漫画研究部の新部員です。演劇をやるというので彼の力を借りようと思って呼んだんです」


「そうか竹久君、わかってるじゃないか。彼に主演をやってもらおうということだね」


「オレが、ですか?」


 さすがに聞いていない話に戸惑う大我。


「いや、いくらなんでもそれは。主演はとべっち先輩がやってください。別に大我は演劇の経験があるという訳ではないので」


「いや、それに関しては問題ないよ。主演っていうのはね、経験だとか演技力以上に〝華〟というものが必要なんだ。確かに城井は両方持っているかもしれないが、ボクなんかじゃ華がなさすぎる。主演は黒崎君にやってもらうべきだ」


「うん、いーじゃん、いーじゃん。やりなよ大我っち」


「いや、しかし……」


「大丈夫だよ黒崎君、君ならできる。もちろんステージ上ではボクがサポートするし、竹久君や葵さんだってしてくれるはずだ」


「え、僕も、ですか?」


「そりゃあそうだろ。でないと人数が足りなさすぎる。葵さんも出演してくれるって言っていたし」


「栞さんがですか?」


「ああ、昨日そう言っていたよ」


「昨日? とべっち先輩はこの話、今日初めて持ってきたんじゃないんですか?」


「いや、昨日のうちに葵さんには承諾を取っていたさ。引き受けるかどうかは竹久君次第だから明日改めて部室に来てくれって」


「そうか、そういうこと……」詳しい事情を大我に説明し、「なあ、大我。そんなわけで主役。やってくれるかな?」


「わかりました。オレにどこまでできるかはわかりませんがやってみます」


 話はどうにかまとまった。瀬奈は笹葉さんの手伝いに二階に上がり、僕と大我は今日のところはいったん帰ることにした。早く帰って脚本のあらすじを組みたいと考えている。


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