『Ⅾ坂の殺人事件』江戸川乱歩著 を読んで 4 竹久優真
翌日、学習能力の乏しい僕はまたしても寝坊をしてしまった。
入学式の日と同じ時間の電車に飛び乗ると、窓の外に雨が降り始めた。朝の天気予報を見る暇など無かった僕はなにを考えるでもなく手元の傘を持って家を出た。たぶん、少しだけ寝ぼけていたのかもしれない。ともあれとんだ僥倖で傘をさしてトボトボと歩きはじめた。どうせ今から走ってもきっと間に合わない。
少し歩いたところで、ドーンと後ろから何者かが突進してきた。
「ああ、ユウ。ちょうどいいところにいた。ちょっと困っていたとこなんだよ」
宗像さんが、僕の差している傘に無理やりに割り込んできた。
仕方なく僕は彼女と少し距離をとりつつも彼女が濡れないようにそっと彼女の方へ傘を傾ける。そのしぐさに気付いた彼女は「いいよ、そんな気にしなくても」と言いながら、傘を掴む僕の手を上から握り、彼女に傾けた傘を真上に向けた。距離をぴたりとくっつけ、僕に寄り添う。
彼女の髪の香りと、雨の匂いの混ざった空気が小さな傘の下に漂う。僕の手の上から握られた彼女の手は少し濡れていて、とても冷たかった。
「……うん! あれだね! 英語で言うとこのラブラブパラソルだね!」
また、相変わらずきつねのように目を細めて笑う宗像さん。
とても近い距離で僕の方へ笑顔を向ける。
照れくさくて、反対側を向いた僕は照れ隠しのように彼女に解説をする。
「違うよ。アイアイガサは愛が二つの〝愛愛傘〟じゃなくて相手と合わせての傘で〝相合い傘〟。英語ではアンダー・ワン・アンブレラだよ」
「あー、ちがうちがう直訳するのはナンセンスなんだって夏目漱石が言っていたんでしょ」
僕は、いつもよりもわざとにゆっくりと歩き、おかげで二人そろって遅刻をした。
朝のにわか雨はすぐに上がり、放課後の空は曇ってこそいるが空気は澄んでいる。しかも最近の幽霊騒動で競技かるた部は活動を停止中。まるで物音一つしない。
珍しく栞さんが部活を休んだ。はじめのうちは一人きりで読書をしていたがやがて宗像さんがやってきた。栞さんがいないことを特に気にするでもなく書架の前に立ち、並んでいる漫画を物色し始めた。本棚には様々な図書が並ぶがその半分くらいは漫画だ。少年漫画から少女漫画、さらには劇画タッチのものからBLものまで。それらは葵先輩や、去年で卒業したという漫画研究部の部員達が持ち寄って置きっぱなしにしているものらしい。宗像さんは時々こうしてその漫画を読みに来る。その日彼女が手に取ったのはBLものだった。
しばらく宗像さんは黙って漫画を読んでいた。彼女にしてはとても珍しいことだ。しばらくして彼女はまるでわざとらしい口調で呟いた。
「アレ? これなんだろう?」
読んでいたBL漫画のページの間から古めかしい紙切れが出てきたらしい。
『カギは、独伊辞書に挟んである』
その紙の隅には桜の花の押し花が張り付けられてあった。
「独伊辞書?」僕は思わずつぶやいた。
「独伊辞書って、あれじゃない? ドイツ語をイタリア語で説明してある辞書!」
「いやあ、それはそうなんだろうけど、何で独伊辞書なんだよ。戦時中じゃあるまいし、それにカギっていったい何のことだろう」
「ねえ、それは捜してみればわかるんじゃない?」
「そ、そうだな――」
この時点でおおよその見当がついていた。昨日の会話のこともあったしいろいろとタイミングが良すぎるのだ。しかしまあ、僕だってそれに乗ってやらないでもない。読んでいた推理小説のトリックに早い時点で気づいてしまい少し退屈していたところだ。
ここ、漫画研究部の部室は表札を見ればわかるとおり、元文芸部部室だ。部屋の奥の方には古い書架があり、そこにはよくわからないような古い本も並んでいる。独伊辞書なんて言葉を聞かされて、まずそこに目が行くのは当たり前だ。考えるまでもなくその前に立ち、指先で背表紙を撫でる。
『独伊辞書』たしかにあった。バカみたいに分厚い箱の背表紙に金の文字でそう書いてある。今までずっとここにあったのだろうが誰が好んでこんな辞書を手に取ることなんてあるだろうか。まあ、そこが犯人の狙いなのだろうけど……
その箱をグイッとひっぱりだし……。その箱の中には独伊辞書ではなく、比較的新しそうな日記帳のようなものが入っていた。全体は紺のスエードで装飾され、口をしっかりとしたベルトで閉じられている。ベルトには金メッキで装飾された三桁のダイヤルの鍵が付いている。
「ええ! な、なんだろうこれ! ね、ねえユウ。はやくあけてみて!」
あきれるほどにテンションを上げまくっている宗像さんを尻目に僕はその三桁の数字にあたりをつけてみたが、やはり何のインスピレーションだって湧きはしない。とりあえずその下にある金の丸ボタンを押してみた。
カパッ。まるで人を馬鹿にするかのように鍵は開いた。初めから鍵などかかっていない。三桁のダイヤルは開いた状態で固定されていた。『8・1・3』覚える必要はないのだろうが一応数字だけは確認しておいた。ベルトをはずし、その日記帳を開いた時、僕は思わず笑ってしまいそうになった。犯人はこんなものを一生懸命につくったんだなと考えると親愛なる気持ちがわいてくる。発想がほとんど小学生だ。まるで少年探偵団にでもなった気分。
――日記帳のページはすっかり真ん中を四角く、鋭利な刃物で切り抜かれている。そのおかけで中央に空洞ができるのだ。その空洞には古びた鍵が入っている。その鍵についているキーホルダーには三毛猫に鼻髭を生やした不細工なマスコットキャラクターがついている。〝吾輩は夏目せんせい〟という少しマニアックなキャラクターだが、一部の文学乙女の間ではそれなりの人気を博している。
「ね、ねえユウ! それ、なんの鍵かな!」
よくゲームなんかをして思うことがある。勇者が洞窟で拾った古ぼけた鍵を大切に拾って持っておくということに違和感を感じる。それはゲームの中では必ずと言っていいほどのちに重要な何かを開けるためのカギであるのだが、現実世界で考えればおそらく誰かが落としただけのただのゴミに過ぎず大切に持っておくようなものではない。だが、ゲームの中ではそれは初めから仕込まれたパーツなのである。ミステリのトリックとアリバイと同じで、初めから解かれるために存在する相互関係にある。つまり、鍵があるということは鍵がなければ開かないものが用意されていて、開かない扉があるのならばそれを開くためのカギもまたちゃんと存在しているのだ。これは、初めからすべて仕込まれていたことなのだ。だからこの鍵が何を開けるための鍵かだなんて考える必要もない。
しかしまあ、せっかく用意してくれたこのレクリエーションだ。しっかりと時間をかけて乗ってみてもいい。その場所をあえて最後にするようにこの旧校舎の一階の部屋から順に見て回る。一階、競技かるた部の部室に鍵はかかっていない。誰もいない部室に入るとすぐ隣の部屋だというのに妙な新鮮味を感じる。いや、新鮮味というよりは罪悪感だ。わざとらしく部屋中を見て回る瀬奈に「ここには何もなさそうだ。次に行こう」と声をかける。
二階に部室は二つ。油画部ともう一つは空き部屋だ。
まず空き部屋を瀬奈と二人で思いのままに散策し(当然何も見つからない)、気分は乗らないが隣の油画部の教室へ入る。
ずっと静かだったので誰もいないと勝手に決め込んでいた。が、それは間違いだった。
「はん? なんか用か?」
燃えるようなっ真っ赤な髪の毛、鋭い眼光、座っている状態で裕に一八〇は超えるであろうことが推測できるようながっちりとした体躯。もはや悪魔の化身としか思えないような男がそこに座って立てかけたキャンバスを眺めていた。
ヤバい。これは僕の最も苦手とするタイプの人種に違いないと一目で直感した。
「はじめまして! だよね。アタシの名前は宗像瀬奈! あなたは?」
まったくもって臆することなく挨拶がてらにスタスタと歩み寄っていく宗像さん。
危険だ。それ以上近づいたらきっとつかまって食われてしまう。が、しかし動物的に弱いオスにすぎない僕は身動きすらできない。
「ねえ、これ全部あなたが描いたの? すごいねえ。絵、じょうずなんだねえ」
近づいた瀬奈はその桜並木の絵が枯れたキャンバスをのぞき込む。立ったままで、座った男よりも背が低い。きっと瞬殺で握りつぶされてしまうだろう。
「まあな」
男はそれだけ言って、そして少し照れた様子で頭を掻いた。もしかすると、悪い奴ではないのかもしれない。見た目だけで人を判断するのは確かによくない。
「オマエらあれだろ。葵のところの新入部員」
「あ、栞さんを知ってるんですか?」
少し警戒を解いた僕は恐る恐る聞いてみた。
「はん? 知ってるも何も一応同じクラスだからな」
確かによく見れば緑のネクタイは二年生の証。それの本当にこの繊細な桜並木の絵を描いたのが当人というのならば同じ美術家の生徒であってもおかしくはない。信じがたいけれど。
「に、してもオマエら、どうやって葵に取り入ったんだ?」
「取り入った?」
「だってそうだろ。あの葵がそうやすやすと新入部員を受け入れるとは思わなかったからな」
「いや、受け入れるも何も、結構強引に勧誘されたようなものなんですけどね」
「勧誘されただ? それこそけったいな話だな。春の文化祭の時だってあの部室に訪ねたやつもみな黙ったまま似顔絵を描かれてそのまま追い返されたっていう話じゃねえか」
「え、そ、そうなんですか……」
「ああ、それってやっぱアタシの魅力のせいなのかな」
「かもな。まあ、なんにせよあの葵が認めたってんだからまあ、なにがしかの魅力はあったんだろうがな」
「あ、あの……栞さんって、いったいどんな人なんですか?」
「さあ、知らねえよ。それこそほとんど話したことねえ」
「同じクラスなのに?」
「うちのクラスのやつ、ほとんど話したことないと思うぜ、葵とは。まあ、それでもただものではないってことはわかるし、なんだかんだで人望もあるみたいだしな。何かこまったことがあれば葵に相談すれば何とかしてくれるって噂くらいは聞いたことある。知ってるか? あいつ入学して以来今まですべてのテストでほとんど平均点しかとってないんだぜ」
「えー、すごーい! アタシ、平均点なんて今まで取ったことないな」
「いや、瀬奈。そういうことじゃない。平均点しかとらないってことは、おそらくわざと目立たないようにわざと間違えている可能性があるってことじゃないのか?」
「ええっ、なんで? もったいなくない?」
「まあ、人には言えない事情というのがあるのかもしれない。あるいは、変に勘ぐっているだけで単に平均的な学力なだけかもしれないけど」
「まあ、あれはあれでミステリアスでいいって考えもあるがな。人はそういうわからないものにこそ関心が行くっていうのもある。葵はあれで男子からの人気も高いんだ。それはわかるだろ?」
「ええ、まあ。それは……」
意外となんとまあ、話してみるとなかなか気さくで話せるではないか。考えてみればこのあからさまにヤバそうな真っ赤な髪色も美術科ではそれほどおかしいというわけではないのかもしれない。先入観で物事を決めるのはよくないことだ。
「で、ところでお前たち、いったい何の用でここに来た?」
「あ、そうでした。その……ここのところ起きている怪奇現象について少し調べてまして……」
「ああ、なるほどな。まあ、興味を持つのはいいが大概にしとけよ。世の中、わからないことがあったほうが面白いもんだ」
「なるほど。胸にしまっておきます……」
「ああ、そうだ。まだ名乗ってなかったな。オレは赤城龍之介だ」
「へえ、ナマエもかっこいいね。ドラゴンだ!」
瀬奈の言う『名前も』の〝も〟のところが少し気になるが、どうせいうなら芥川と同じだというところだろう。と、思いつつも口には出さない。
「た、竹久、優真です」
「ほう、ユーマか、なるほどお前もなかなかに正体のわからない名前をしてやがるな」
油画部の部室を出た僕たちは、いよいよ話の本題へと差し掛かる。寄り道はいったん終わりだ。二階の探索を終えて三階へと向かう。
三階の時計台機械室になっている扉に例の鍵を差しこむと鈍い音を立ててシリンダーが回転する。
ドアを開け、中に入ると、天気のせいもあるが中は薄暗くてよく見えない。
「あ、そうだ!」
宗像さんはポケットからスマホを取り出して画面をタッチした。グリーンがかったバックライトがその狭い室内を照らした。部屋の中にはむき出しになった時計台の機械、それに教室にあるのと同じ机と椅子が一組とピアノとがあった。宗像さんはスマホの明かりを頼りにずんずんと歩いていき、壁にあるスイッチを発見。電気は生きていて、機械室には明かりがともった。
「そっか、幽霊はここでピアノを弾いていたんだね」
彼女のそんな言葉を無視してあたりを見渡す。時計台の裏側はいくつかのギアが絡まりある種の不気味な姿をかもしだしている。動きは止まったまま動く気配はない。それはまるでこの小さな部屋に何年も置き去られてしまった、時間を止めたままだというメタファーを示しているようでもあった。机の上には革張りの分厚い本がある。これは……おそらく独伊辞書なのだろう。元文芸部部室の棚から抜き取られた中身はこんなところにずっと置き去られていたようだ。よく見ると辞書のページとページの間になにか紙が挟んである。僕はその紙が挟まれているページを開いて見た。そのページの一角に付箋が張られてある。
Ich liebe dich ――― Ti amo
ドイツ語をイタリア語で説明されたところでなんて書いてあるかなんて到底わかりっこない。
「さっぱりわからん」
「ああ、これね。これはそうね。日本語に訳すのならば『月がきれいですね』っていうところかしら」
「宗像さん、読めるのか?」
「まあね。アタシは料理でヨーロッパの方に留学を考えているから少しぐらいなら…… それより、そっちの紙……」
そっちの紙とはその辞書に挟んでいた紙。二つ折りにされていたものを開いて見るとそこには
『空を越えて死との狭間の世界で君を待つ』
「何これ。気味が悪い言葉ね。あれかしら、この部屋でピアノを弾いている幽霊の呪いの言葉?」
「宗像さんがそういうんならそうじゃないのか?」
「え?」
――つい我慢しきれなくてついに言ってしまった。
「だからさ、ピアノを弾いていた幽霊の正体は宗像さんなんだろ?」
「え、えっとー……」
「いいんだ。もうとっくに気づいていたから」
「い、いつから?」
「うん。まあ最初にそう思ったのは昨日かな。昨日僕たちが部室にいたときにピアノの曲が流れていただろう? あの時旧校舎にはたぶん僕たち以外だれもいなかっただろうし、葵先輩は僕の目の前にいて完全なアリバイがある。にもかかわらずピアノの音楽が終わってそのあとでさもありなんと登場したのが宗像さんだ。そんなの考えるまでもないよ」
「いや、ふつうは幽霊だって考えるでしょ」
「いや、ふつうは考えないよ。幽霊なんていないんだからね。それに、さっきにしてもそうだ。僕たちがあの日記帳を見つけたとき、宗像さんはすぐに『ねえ、開けてみようよ』と言ったんだ」
「それが、どうかした?」
「あの日記帳にはダイヤル式のカギがかけられていた。にもかかわらすぐに開けてみようというのはおかしいよ。まるで初めからダイヤルの鍵が開いた状態になっていることを知っているみたいじゃないか。普通なら『ダイヤルの鍵は何かしら』とでも言うべきだろう」
「あ、ああ……」
「さらに言えばあの時僕が見た機械室の狐火はスマホのバックライト。宗像さんは自分でこの部屋の鍵を開けては中に侵入してピアノを弾いていただけだ。残念だけど世の中は推理小説のようにはうまくはいかない。大体の策謀なんてそううまくはいかないものさ。それに、もし策謀がうまくかなってしまったのなら、名探偵なんているわけのないこの日常では完全犯罪として成立してしまい、それはだれの目にも止まることなく、解き明かされることなく闇に消えていくだけだよ」
「うーん。なんか、くやしいな」
「悔しがらなくてもいいよ。むしろ、ありがとう、楽しかったよ」
「そう、言ってもらえるなら……っていうかそうじゃないからね。アタシは初めからユウを楽しませようと思って計画したわけだから、むしろユウが楽しかったっていうんならアタシの勝ちだし……」
「それよりさ、あの曲引いてくれないかな。ムーンリバー。僕はあの曲が好きなんだ」
「うーんしょうがないなあ。ほんとはあんまり引きたくないんだよね。このピアノ、ラとシの調律がくるってるんだもん。長く使っていなかったから仕方ないんだろうけれど」
彼女は軽快にその小さな指を古びた鍵盤の上で踊らせた。
〝ムーンリバー〟それがジョージア州に実在する川の名前だということを当時の僕は知らなかった。僕は勝手にその旋律から川の水面に映し出される月の姿を想像した。
空のはるか彼方にある月よりは手の届きそうなところにはあるけれど、それは所詮実在しないもの。手が届いたとしてもやはり触れることなどできない虚像に過ぎないものだと感じた。
そんな川を、オードリーヘップバーンは渡るのだと映画の中で歌っていたのだ。
そして彼女のピアノを聞きながら、僕はふと考えてみた。まだ小学生のころに一度江戸川乱歩の少年探偵団シリーズを読んだことがあるのだが、最近になって読み返した時にふと違和感を感じたのだ。
子供のころの僕は少年探偵団を率いる明智は人望が厚く、正義感の強い聖人君主のような人物だと思い込んでいた。しかし、『D坂殺人事件』をはじめ『屋根裏の散歩者』や『心理試験』と言った作品に出てくる明智小五郎は少し違う。それはやはり傲慢でしたたかで口先だけで人を意のままに操る狡猾な印象を受ける。これでは美学の確立した怪人二十面相の方がよほど親近感が持てる……。というか、これってもしかして真犯人は明智小五郎?
そんな思いがするシーンがいくつかある。『D坂殺人事件』では明智はずっと犯人だと疑われているが最終的には思いもよらない、いや、むしろ納得しづらいような真犯人が出てくる。しかも自首だ。
明智は口先の上手い男だ。そう、それはアガサクリスティ最後の傑作『カーテン』の犯人のように周りの人間に殺意を抱かせるような巧みな話術を持っているようにも感じた。
D坂殺人事件の中で真犯人が自首する前に犯人が明智と会って話をしていると思われるシーンがある……。この時に明智が何かを言うことによってその犯人は殺人を犯したのが自分だと錯覚してしまった。というのは考えられないだろうか。あるいは明智が犯人と被害者両方をそそのかし、死者が出るような状況を作り出したとは考えられないだろうか。『屋根裏の散歩者』の郷田にしても明智が犯行をそそのかしたという見方だって十分できる。
『少年探偵団』シリーズにしたってそうだ。僕は今まで、そのシリーズのトリックは随分と陳腐で子供騙しなストーリーだとタカをくくっていたが、よくよく見れば明智小五郎と怪人二十面相は同一人物ではないかと思えてくる。つまり、一人の私立探偵が警視総監にまで上り詰めるために、怪人二十面相という架空の犯人をでっち上げた明智小五郎の自作自演の物語。
いや、むしろそうでない限り実現不可能なトリックだってあるように思える。
もちろんそんなことは作中に明記されているはずもなく、決定的な証拠の一つだってない。
だが、乱歩自体が完全犯罪について研究していたことから考えても、明智が完全犯罪を成し遂げた物語。というものをつくっていたとして何ら不思議がないような気もするのだ。
今回宗像さんが仕掛けた自作自演の悪戯では僕をだましきることはできなかったけれど、もし、本当に明智ほどにしたたかな人物がそれを仕掛けてきたならどうだろう。それは、きっと恐ろしいことなのかもしれないけれど、騙されたほうがそれに気づかなければ完全犯罪は成立するわけで、もしかすると僕はそのしたたかな誰かにまんまと騙されているのかもしれない。




