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『Ⅾ坂の殺人事件』江戸川乱歩著 を読んで 3      竹久優真

 ――漫画研究部。表向きには文芸部だと言っている。現に部室の入り口には『文芸部』の表札がかかっているし、そのいきさつを説明するのはとても面倒なことだ。それに僕自身その部活動は文芸部として活動しているわけでやましいことなど何もない。


 学園のはずれの丘の上にぽつんと立つ小さな旧校舎は老朽化が進み、いつ壊れてもおかしくない。しかもこんな今にも雨に降りそうな天気の日、相変わらず人気がない建物というのは薄気味が悪い。幽霊が出るなんて噂もいたしかたないくらいだろう。


 木造二階建ての上に据え付けられたような時計台はずっと前から動いていない。その上にある窓はいつもカーテンが閉めたきりで……。と、その時ふと気が付いた。いつもはベージュとレースのカーテンが閉めたきりになっているはずの窓から誰かがカーテンを少しずらし、こちらを覗いている。一瞬僕と目が合うか合わないかくらいでカーテンは閉じられた……ように思える。あまりに一瞬の出来事だったので定かではないが、おそらくこちらを覗いていたのは髪の長い女性だったように思える。見てはいけないものを見てしまったのか……、とは思わなかった。元来僕はそういったスピリチュアルなことは信じていない。……が、そのカーテンの向こう側に緑がかった光球がゆらゆらと揺れている様を見てしまった時はそれが決して狐火なんかではないと自分に言い聞かせるのに必死だった。


 キイキイと軋む古い旧校舎の廊下を歩き、一階の奥にある教室、『文芸部』の札が一年以上も前からずっとかけられっぱなしになっているのがが漫画研究部の部室。静かにドアを開けると眼鏡をかけた黒髪の少女が机に向かい必死でペンを滑らせている。僕はその姿に初恋の女性の姿を重ね、少しだけ憧れていた。そして彼女と二人で過ごす放課後というのも悪くないと思っていた……。まさかあの栞さんがそんな人だとは思っていなかったのだ。


「ああ、たけぴー(栞さんは僕のことをこう呼ぶ)、ちょうど良いところに来た。ちょっとここ、君の意見を聞かせてもらいたいんだけどな。


 彼女、葵栞は当然漫画が好きで、彼女自身も漫画を描いている。言われた通りに彼女の描く原稿を覗きこむ。相変わらずヒドイ漫画を描いている。王子様風のイケメンが全裸で、『ち○こ――!』叫んでいる。


「どう思う?」


「どう?って、ヒドイと思いますね」


「そう言うことを聞いているんじゃない。ここ、伏字にしてみたんだが、やっぱり伏字だといまいち読

んでいて感情が伝わりにくいのではないかとも思うのだが……」


 まったく。呆れてしまうところだがあえて過剰な反応を示すと彼女の思うつぼなのでここはあえて冷静にアドバイスする。


「感情を伝えるシーンならあえて伏字にしなくてもいいんじゃないですかね。商業用作品じゃないんだったらその単語くらいで問題視することはないと思いますよ」


「うんうん、やはりそうか。じゃあ、やっぱりここは伏字はやめてちゃんと『ちえこ―――』と叫ぶことにしよう」


「はあ?」そのまま無視すればよかったものを、僕はついついツッコミを入れてしまった。それが彼女にとって思うつぼであるにもかかわらず……。


「千恵子って人名なら初めから伏字にする必要ないでしょ!」


「そんなことあるものか、この話のストーリーはあーしのクラスメイトにおける実話をもとにしているんだ。伏字にしておかないとプライバシーの問題があるだろ」


「だったら仮名にすればいいじゃないですか」


「おお、さすがはたけぴー、なかなかいいことを言うではないか、やはり相談してみるものだねー」

 まったく。見え透いた茶番もほどほどにしてほしい。


「まあ、伏字のせいでよからぬ勘違いってしてしまうことがあるよね」栞さんはそう言いながらノートの隅にすらすらと一文を書き上げた。


 ――どうかしら? わたしのおまんピー ●んこ、舐めてもいいのよ。


「いうまでもなくこれは調理実習でお饅頭を作った女子があんこの試食をさせてくれるシーンのセリフなんだけど、童貞のたけぴーはついつい勘違いしてしまうだろ」


「勘違いなんかしません。そもそも調理実習でまんじゅうなんて作らないでしょ」


「おや? 否定するところはそこ? 童貞の部分ではなく? そーか、君はまだ童貞か」はあ、と深いため息をつく。「いけませんか? 童貞は?」


「おやおやまさか、あーしはむしろ尊敬しているのだよ。男子諸君だってむやみやたらに処女を神聖視しているだろう、それと同じさ。あーしは童貞を神聖視しているのだよ」


「ところで栞さん。もしかして僕のことをたけぴーと呼ぶのって、まさか伏字にしているってわけではないですよね」


 彼女はそれについては何も答えない。


 まったく。まさか栞さんがこれほどまでに下世話な人間だとし知っていたなら入部なんかしなかっただろうに……。


 僕との会話のせいで手を休めたことで描く気をそいでしまったか、栞さんは眼鏡を外してケースにしまった。彼女は読み書き以外の時は眼鏡をしない。少しだけ残念に思う。


「そうかあ、たけぴーはど・う・て・い……」楽しそうな鼻歌交じり栞さんは呟きながらおもむろにカバンから弁当と取り出した。さすがは女の子の華やかなお弁当……とは言い難い、茶色の多い弁当を食べ始めた。


「って、なにやってんですか?」


「見てわからないのかい? お弁当を食べているんだけど」


「見たらわかりますよ。弁当を食べているんでしょ。そういうことを言っているんじゃなくてなんで今、こんな時間に、こんなところで弁当を食べているのかを聞いているんですけど……。もしかして毎日ここで食べてるんですか?」


「そうだけどそれがなにか?」


「それがなにかじゃなくて、何で昼休みに友達と食べてないのかを聞いてるんですけど」


「まず、友達ならいないよ。それから昼休みに教室でひとりで弁当を食べていると偽善者どもが気を遣って一緒に食べようなどと言い出すからね」


「……えーっと。なにを言ってるんですか?」


「たけぴーの質問に答えただけだけれど?」


「まったく。友達がいないのはわかりました。でも、だったらその偽善者さんたちと友達になればいいじゃないですか」


「あのねえ、たけぴー。なんであーしが友達なんか作らなきゃいけないのさ。友達なんてわずらわしいだけだろう?」


「まあ、そういうのなら仕方ないですけどね……」


 僕はそれだけ言って無言のまま鞄から弁当を取り出し、栞さんと向い合せで食べ始めた。

「おや、ひょっとしてたけぴーも友達がいない口かい?」


「違いますよ。僕はちゃんと昼休みにいっしょに学食に行ってお昼を食べる友達がちゃんといるんです。知ってるでしょう? この弁当はね、そんな僕の友達づきあいも知らない母親が毎日作ってくれている弁当なんです。かといって食べないというのも母親に対して悪いし、この弁当はいつも帰る道でこっそり食べていたんですけど、これも何かの縁ですよね。これからはここで一緒に食べることにします」


「ほらね、言った通りだ。君は友達なんかがいるせいで随分と面倒な生活をしているんじゃないか」


「そうでもないですよ。食べ盛り育ちざかりの男子ってのはね、いくらでも食べられるもんなんですから」


 二人してほとんど無言で弁当を食べ終わると僕は鞄にからの弁当箱をしまい、引き換えに読みかけの推理小説をとりだした。


「おや、珍しいね、たけぴーが推理小説を読んでいるなんて」


「うーん、普段はあんまり読まないですからね。どうも苦手なんですよね。人が殺される話って。ほら、よく名探偵の周りで次々と、しかもまるでありえないような殺人事件が起きるじゃないですか。それを見事に解決していくわけだけど、普通に考えてそんな身の回りで殺人事件なんて起こらないですよ。なのに名探偵あるところに殺人事件が次々と起こる……」


「……名探偵のジンクスだね」


「まったく。あれじゃあまるで名探偵が真犯人で自作自演しながら自分の名声を上げているようにしか思えないですよ。まあ、僕は名探偵のようなスーパースターよりもその横にいるワトソンやヘースティングスの方に興味があるんです。……彼らは凡人の立場で天才の姿を観察し、時には嫉妬しながらも事件の詳細を綴り続ける。その姿というのが興味深いなと思うんです」


「まあ、しかたないよね。何せ作家というやつは自分より頭のいい奴の心理描写はできないからね。第三者の視点から物事を観察して、この名探偵は想像できないほどすごく色々なことを考えた結果、この推理にたどり着くんだよ。という形にしないといろんなところに粗が出るからね」


「まあ、なにせミステリというやつは読後の爽快感がありますからね。用意された謎は解かれることを前提に描かれているというのがいい。現実の世界じゃあ謎は謎のままで終ることがほとんどですからね」


 と、二人向かい合ってのたのしい(?)ランチタイムの会話を中断させたのはどこからともなく響くピアノの音。流れる曲は午後の授業中に聞こえた曲と同じだ。


「ああ、そうそうこれこれ。確かムーン・リバーという曲だ。『ティファニーで朝食を』という映画の中でオードリー・ヘップバーンが歌っている曲」


「……あきれた」


「あれ、なんか僕、変な事言いました?」


「……そりゃ、変でしょ。普通怖がるところだと思うよ。これってたぶん今、うちの学校で話題になっている怪奇現象」


「これが?」


「そう、これが。旧校舎のどこかからピアノの音が聞こえてくる……というやつ」


「って、どう考えても誰かが弾いているだけでしょう? それに幽霊ならこんなきれいな曲弾かないでしょ? しかも白昼堂々と」


「たけぴー。それはまったくの偏見じゃないか。なにも幽霊がそんな常識守るとは限らないだろう?」


「いやいやいや、そもそも幽霊がいるなんて言うこと自体が常識を外れているんです。僕は幽霊なんて信じるほどロマンチストじゃないですよ」


「そうはいうけどね、この旧校舎にはピアノなんてないんだよ。でもまあ、もしかしたらこの三階にはピアノがあるのかもしれないけれどね」


「かもしれない?」


「この旧校舎の三階には鍵がかかっていて誰も入ることができない。何年も前から鍵がなくなってしまっているらしんだが、なにせ使ってない場所だ。鍵のシリンダーを交換することもなくほったらかしにされている。三階にある小部屋は旧校舎の時計台の機械室も兼ねているからあそこに入れないといつまでたっても壊れた時計を直すことができないしね」


「鍵がかかっているならどこか窓から侵入しているのかも、ほら、たしか表から見た時あの部屋に窓がついてますよね」


「それは無理だな。あの窓は嵌め殺しになっている。いいかい? ハメゴロシだよ? なんだかエロい言葉だよね?」


「無視していいですか?」


「むう、仕方ないな。それにまさかそんなイタズラのためにあんなところから侵入する奴なんていないだろ。足場だってないし危険すぎる」


「つまり、この建物の三階は密室というわけですか……」


「どうだい? 興味をそそられないかい? もし、幽霊でないとしたら誰が、どこからあの部屋に侵入してピアノを弾いているのか……。君のその灰色の脳細胞を使って学園怪現象を解き明かしてみてはどうかな?」


「いや、興味ないです……」


「なんだあ、つれないなあ。まるで君は灰色の脳細胞というより灰色の青春だね」

 何と言われようとも興味はない。少ししてピアノの音もすぐにやみ、また平穏でおだやかな放課後が訪れた。僕はそのまま弁当を食べ、推理小説の続きでも読もうかと思っていたころ、この静かで平穏な文芸部部室に来訪者があった。


 ガラッ! とドアを勢いよく開けるよりも先に軋む廊下を駆け足で駆けてくるその音でもう気付いていた。


「ねえユウ! しおりん! さっきの聞いた?」


 相変わらずのテンションで入ってきたのは宗像瀬奈。自称学園一の美少女で、僕の思う学園一の美少女の笹葉更紗の親友だ。入部こそはしていないものの暇なときはこの部室に出入りするようになった。きっと彼女自身、交際を始めた大我と笹葉さんに気を遣っているのだろう。


「ちょ、ちょっとー、何で二人そろってそんなに無反応なわけ? さっきのピアノの音って例の怪奇現象ってやつでしょ? となりのかるた部なんてすっかりビビってしまって部活動休止中なんだよ!」


「なあ、宗像さんはなんでそんなに興奮しているんだ? 幽霊なんているわけないだろ。いるのはピアノを弾いている犯人がいるだけだ」


「じゃ、じゃあ、その犯人っていうのを捕まえに行こうよ! そしたらアタシ達、ちょっとしたヒーローになれるかもっ!」


「いやあ、ヒーローなんて興味ないよ。興味があるのはこの小説の続きであって……」


「まあそういうなよたけぴー。せっかく瀬奈ちーがああまで言ってるんだ。手伝ってあげたらもしかし

たらお礼になにかエッチなことをしてくれるかもだろ」


「はっ! ちょっとしおりん。そんなこと勝手に言わな……」


「いいじゃないか瀬奈ちー、別に減るもんじゃないし、たけぴーだっていつもあーしとばっかりじゃ飽きちゃうだろうし……」


 ――ちょ、ちょっと待て、なんだその言い方は? それではまるで僕が……


「え! な、なに? ユウとしおりんはいったいどういう関係なの!」


「どういう関係って、単なるセックスフレンドだけど?」


「せ、せ、せっくすふれ……」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。ゴカイだ。ゴカイしている……」


「そう、やること五回もすればもう十分セックスフレンドと呼べなくないだろう?」


「ち、ちがう宗像さん。は、話を聞いてくれ!」


「きゃ! さ、触るなこのケダモノ! うつる、子供ができる! あっちいけ!」


「ち、違うんだ。そもそも僕はどうて……」――危ない。あやうく地雷を踏むところだった。


「むしろ僕はもっとゆっくりと聞いていたかったよ。『ムーン・リバー』は僕の最も好きな曲の一つなんだから」


「え、そ、そう、なの?」


「うん。一年位前だったかな。カポーティの『ティファニーで朝食を』を読んで、それでオードリーヘップバーン主演で映画になっているやつも見た。その映画のテーマ曲だ」


「へえ、それはそれは……ああ、そういえばさ」


「どうした宗像さん、なんか気づいたのか?」


「あ、ううん、あんまり関係ないことなんだけどね。前にサラサがユウは月みたいって言ってたのを思い出したんだけど、見る人によって違ったものに見えるって……。ユウはサラサたちの前だと《おれ》って言うけど、しおりんの前では《僕》っていうんだね。そういうの疲れないのかなって」


「うんうん、なるほど。さすがは瀬奈ちーのともだちだ。月とはなかなかいい形容だね。さしずめ〝紙の月〟といったところかな。It’s a Only Paper Moonだな」


「ペーパームーン?」


「ああ、昔はアメリカなんかで写真を撮るときに背景に紙で作った月をぶら下げて撮影したりしたんだ。表面だけの月、薄っぺらい月、ただのまやかし…… まあ、そんな意味だ」


「あ、そういえばそんなタイトルの映画、見たことあるな。なんにしてもあんまいいイメージじゃないね」


「そうだな。薄っぺらいどころか月なんてものは常に地球に対して〝表〟しか見せていないんだ。地球からは決して月の裏側は見えない」


「あ、でも、それって地球からはってことだよね! 太陽からはきっと全部見えてるよ。きっと太陽は地球に向かっていつもいつもいい格好をしながらくるくると回りまわっている姿を見ながら〝カワイイやつ〟くらいに思ってるかもね」


「カ、カワイイ、のか?」


「うん、それにね。月みたいに決まった自分を持たないってことはいいことだと思うよ。相手に合わせて自分を変えながらうまく相手に寄り添ってあげる。それは特技なんじゃないかな。サラサなんてホント、それが苦手なやつだから!」


 ――褒められている? のだろうか。まあ、あまり悪い気はしないのだが……


「ま、ともかく僕はその怪奇現象なんてものには興味がないから好きにやっといてよ」


「なあんだ。つまんないの……」ふてくされながら椅子に座り、「あ、そうだ!」といって鞄から何かを取り出した。


「今日、調理実習でお饅頭作ったの。アタシのあんこすごくおいしいんだからユウにも食べさせてあげる!」


 まあ、瀬奈は調理科なのでそりゃあ調理実習でもいろんなものを作るのだろう。僕はそれを少し照れながらに試食した。

 


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