第482話 狂人の思考
「それではさっそく調理いたしますわ」
猫姫さんは周囲のプレイヤーから少しだけ距離を取り、満を持して宣言する。ついに伝説を目撃できそうだ。ボクは期待の感情表現を浮かべながらその瞬間を待ち望む。
「わくわく、なのです」
メグさんも期待のまなざしで猫姫さんを見つめている。猫姫さんはしばらくその場で静止し、深く息を吸ってから、ついに動き始める。
「まず種を植えますの」
猫姫さんは手で軽く畑を掘り返し、そこに種を植える。この部屋の大地は最初から耕されているので、そのまま植えても大丈夫らしい。
「そして、お水をあげますわ」
【ストレージ】から金色のじょうろを取り出し、水をかけ始める。見た目からして相当グレードの高いアイテムのようだ。水をかけたそばから、土の中から小さな芽が顔を出す。
「本来なら菜園はもっと時間をかけて行う作業なのですけど……今回は栄養剤を投入しますわ」
猫姫さんはじょうろをしまい、緑色の液体が入った瓶を取り出して、小さな芽に注ぐ。すると、芽はみるみる伸び、やがて立派な大木になる。
ここまでの様子におかしなところはないと考えていいだろう。確かに現実の菜園と比べれば異常なまでの急成長だが、あくまでゲームとしての簡略化であり、不自然な要素というわけではない。
注意すべきは、菜園と料理を結びつける特異なアクション。ボクはそれを見極めなければならない。
「さて、りんごをもいで……料理が完了したので、【『ディオニューソス』】で効果を設定。これでおしまいですわ」
「……?」
「卍さん、終わりましたわよ?」
「なんで【『ディオニューソス』】の効果を発動できたんですか?」
「ここまでの過程が料理だったからですわ」
「……??????????????????????」
一瞬、思考が停止する。なにか見落としをした?そんなはずはない。《『心眼』》をもってしても、おかしなところは見受けられない。反射的に〈ロールプレイング〉を起動して猫姫さんの思考を読み取るが、嘘は言っていない。
彼女は本気でここまでのなんの変哲もない菜園工程を料理だと思っていて、しかも現時点でその工程が完了したと確信している。
思考は間違いなく再現できている。つまり、彼女の思考回路はボクにも理解可能な範疇だと証明されている。
しかし、実際には『理解』という言葉の解釈に大きな隔たりがある。これは賛同でも同調でもない。狂人の思考ならそういうこともあり得る——という諦観だ。理解不能な思考回路を、そのまま『理解できない異常』として定義し、取り込んでいるにすぎない。
シミュレートすることはできる。だが、ブラックボックスの中で何が動いているのかまでは関知できない。セキュリティ上も非常にまずいと感じ、ボクはすぐさま再現を中断する。
——似た感覚に心当たりがある。帝王龍さんの思考だ。あまりにもボクとはまったく違う前提のもとで思考する存在には、本能的に危機感を覚えてしまう。
しかしAIだろうと『異形』だろうと上位次元の存在だろうと、これまで、ボクがまったく理解できない前提を持つ存在はいなかった。別の種族であってもなんの問題もなく演じられるのに、同じ種族でここまで違うなんてこと、あります?
とはいえ、ここまで整理できれば答えは自明だ。
猫姫さんはここまでの工程を料理であると確信している。あまりに自然なその思考に、【フォッダー】というゲームが「これは料理である」と認めてしまったのだ。その気になれば世界の時間すら止められるのだから、ゲームを騙すくらいはできて当たり前である。
ボクには到底真似できない。〈ロールプレイング〉をすれば真似できるだろうが、戻ってこられなくなるかもしれない。彼女の【黄金の才】である【『ディオニューソス』】ありきだから、真似する必要もないのが幸いか。
「えっと、なんとなくはわかりました。ちなみになんで【パインサラダ】と同等の効果になるんですか?特別なりんごなんでしょうか?」
「品種改良ですわ。【『ディオニューソス』】で強化したりんごの種を植えることで、性能の上限値が上昇しますのよ」
「なるほど」
「え、今のでなにがわかったのです!?教えてほしいのです!」
「わからないということがわかったんですよ。この事象にまともな理屈はありません。【黄金の才】を抜きにしても真似なんてできません」
「えー?そんなことありませんわよ。卍さんもやってみてくださいな」
そう言いながらりんごの種を【ストレージ】から取り出して手渡してくる。むむむ……確かにやってもいないのに仕様を断言するべきではありませんでしたね。
「うーん、一応やってみますか。【フォッダー】の正当な仕様である可能性も否定できませんしね」
さっそく種を地面に植えて、続けて猫姫さんからじょうろを受け取り、ゆっくりと水を掛けていく。
「よしよし、美味しく育つんですよー」
「私も水を掛けてみたいのです!愛情をたっぷり込めるのです!」




