電車は進む。どこまでも。
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「・・・・・・っ」
電車の揺れに、目を覚ます。
下を向いていたせいで首が鞭打ったみたいに痛む。頭もじんじんと鈍く響く。我ながらよく寝たものだ。一体どこまで寝過ごしたのか。自分以外に乗客はいない。
ここはどこだと向かいの窓を眺める。闇の中に等間隔に光る電灯。地下を走っているのか。よれたスーツを着た、やつれ顔の男が、ガラス窓に映っている。
「はあ・・・・・・」
夢に溶けたままの頭をなんとか現実に引き戻し、スマホの画面を確認する。
「あれ?」
ジジジと、不規則に文字化けする時刻表示。壊れてしまったみたいだ。どこかで落としたのか。・・・・・・だんだんそんな気もしてきた。
まあいいかと視線を正面に戻す。見慣れたはずの、見飽きたはずの顔が、まるで別人のように見える。
お前は、誰だ。
一瞬、そんな疑問符が浮かんだ。おかしくなったのは、それから。
先ほどまで映っていたはずの男の姿が消えていた。目の前のガラス窓は真っ黒に塗りつぶされたままで、時折忘れたように光る電灯が高速で流れていくだけ。
車内を彩る広告が、電車の揺れに合わせてゆらゆら漂う。
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そう言えば、自分はどんな名前だったのだろう。
いつの間にか輪郭がぼやけて霧散していく。もう、最初から名前なんて無かったのではないかと思えるほどに。でも、それが馬鹿げているとは思わなかった。そういうものだと、思ってしまった。
そこから連鎖的に、思い出せなくなるものが増えていった。
一人称。俺、僕、私、どれもなんだかしっくりこない。
両親の顔は、油性マジックで塗りたくったみたいに、その断片すら見えない。兄妹なんていたのだろうか。知人友人の姿など、脳の底から這い上がってすら来ない。
頼りのスマホも、パスワードが分からないから使えない。肌身離さず持ち歩いていたもののはずなのに、既に自分の所有物であるかどうかも怪しいところだ。
自分は何のためにこの電車に乗ったのか。どこへ向かっているのか。今では、そうやって考えることも面倒になってきた。
身体がひどくだるい。徐々に弛緩し、力が入らなくなってくる。意識も肉体もどろどろに溶けて、座席に染み込んでいくみたいだ。視界が安定しない。世界が薄らいで、次第に微睡みが浸食する。
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――――電車が停まった。