36日目①:智の置き土産と龍のお気に入りのお話
朝食を食べて、洗い物をして、洗濯物を干して、風呂を洗って・・・
いつも通りの休日を彼女と共に過ごしていた
・・・そう、何もかもがいつも通り
唯一違う点は、やることが無くなれば何をしたらいいかわからないことだけだった
「夏彦さん、お疲れですか?」
「ああ。少し・・・鈴も疲れているんじゃないのか。その、治癒で・・・」
「私も少しだけ。でも、治癒じゃないですよ。力を使うのは慣れていますし。どちらかといえば・・・夏彦さんが首を噛まれて・・・」
彼女は昨日の事を言おうとして、申し訳なさそうに口を噤む
「お礼を言うのを忘れていたな。ありがとう、鈴。俺の首を、命を助けてくれて。君がいなきゃ死んでいただろうから」
「そんな・・・私は、戌の事に気が付いていたのに、守れなくて、ごめ・・・」
その言葉だけは聞きたくなくて、彼女の口を手で塞ぐ
過程はどうであれ、実際に俺は鈴がいなければ死んでいた
彼女は守れなかったことを気にしているが、十分、俺を守ってくれていることは知っている
正確には、その事実に、その不自然さにやっと気が付いた
「謝らないでほしい。俺が鈴に助けられた事実は変わらない。鈴が謝る理由はない」
「でも・・・!」
「鈴は、戌が来ていたことは気が付いていたんだろう。ベランダに落ちていた花が証拠みたいなものだったんじゃないのか?。今は、片付けてくれたみたいだけど」
「・・・・!」
図星だったのか、鈴は目を白黒させてあからさまに動揺していた
「昨日の晩、俺が掃除の為にベランダに出ようとしたの、止めようとしていたよな」
「はい。その通りです・・・」
「その時点で、戌に狙われていたことに気が付いていたんだよな」
鈴は無言で頷く
「しかし、なぜ彼女たちは俺を狙っていたんだ?」
「それは・・・夏彦さんが雪霞様の生まれ変わりだからです」
「雪霞の生まれ変わりなのはいいのだが、彼と俺が狙われる理由。それは一体・・・?」
「まず、雪霞様が殺された理由を思い出してください」
俺が彼の記憶の中で見てきた出来事を思い出す
彼の死は神堕としが間接的な原因はあるが・・・それ以上に、語られていたはずだ
あの、宮司が・・・鈴と、死に際の彼に向かって
「・・・鈴を、神へ至らせるため、だっけか?」
「はい。私の治癒を蘇生に昇華させるために、雪霞様は犠牲に選ばれた・・・という認識で大丈夫です」
「けれど、それだと戌が俺を狙う理由にはならないよな」
「雪霞様の遺体を埋葬した後の話になるのですが・・・」
「構わない。知っている事を、教えてほしい。俺には、狙われる理由を知る権利があるだろうから」
少々強引かもしれないが、そうでもしないと聞けないような気がしたから
鈴は、仕方ないというように肩をすくめてその小さな口で語り始めてくれる
花籠雪霞が死んだ、その後のお話を
「かつて、憑者神として選ばれていた家は、憑者神として残ってしまった私と智に目を付けました。神として祀るためにです」
・・・確かに、あの記憶が正しければ、雪霞が死んだ時点で鈴と智の神堕としは完了していなかった
神語りの雪霞を失った後、次の対象を探したのだろう
村で、崇める存在を。祀る存在を・・・探した神宮は、神様として残ってしまった二人へと、その白羽を立てた
「しかし、私は雪霞様の遺体を埋葬した後・・・村を出たのです。雪霞様がいないあの村に、雪霞様を殺したあの村に残りたくなかったから。だから、私はあの後の話を・・・人伝手で聞くことになりました
鈴は胸に手を当てて、苦しそうに眉間に皺を寄せながら・・・その後を語る
「あの後・・・あの村の神様として智が祀られました。そして、適当な女に男児を生ませた後・・・憑者神の家を集めて、私を追うか追わないかの答えを確認しました」
鈴を神様に至らせるために、彼女を追うか
それとも、彼女を自由にさせるか・・・ということだろうか
「結果、穏健派だったのは「巳芳」「卯月」「馬場」「寅江」の四家。中立は「丑光」「酉間」の二家。そして私を神へと至らせようと考えた派閥が「祢子」「乾」「羊毛」「猿実」「猪狩」の五家です」
・・・ほぼ、どこかで聞いたことのある苗字ばかりなのは気のせいだろうか
「穏健派は夏彦さんもご存じ、東里と覚の家ですね。馬場と寅江も聞いたことがあるでしょう?」
鈴の言葉で思い浮かべるのは、妙に俺を気に掛ける取引先の社長と、爺ちゃんの家の家政婦さん
その言葉で、中立派の一つも・・・
「じゃあ、・・・丑光祝は、丑光さんの?」
鈴は無言でうなずく。そう考えると、皆、憑者神を先祖に持っている存在、なのか
なんだか世間は狭いような、広いような・・・
「覚は憑者神を受け継ぐ存在ですが、東里と恵さんは夏彦さんの力で先祖返りを果たし、憑者神の力を一部使用できるようになっていますよ」
「そう・・・なんだ。二人とも苦労していない?」
「大丈夫だと思います」
「そっか・・・」
二人が無事なら、安堵した
それ以上に、覚の事は驚いたけど、神様の家系であっても・・・何も変わらないと信じたい
「話を戻しましょうか」
「ああ。大分それていたな。お願いするよ」
「はい。それから、私を神に至らせたいと考える家系を智は一気に掃討するために、智は、ある事件を起こしたのですよ」
「ある事件というのは・・・」
「・・・柳永村の住民すべて、正しくは「彼が選んだ人間」以外を一匹の狼に惨殺させるために、柳永村から少し離れた場所にある山の中で集落を作っていた狼の一族を、一人の猟師を使って、全滅させました。自分も、含めて」
「なっ・・・・!」
一昨日までの俺なら、適当に聞き流す昔話
しかし、俺が覗いた過去や・・・関わった人の事を思うとそれはもう無視できない
覚のご先祖様・・・巳芳智が起こした、魔狼を・・・きっと、長というのだから小影さんの事だろう
彼の怒りを買うために、魔狼を全滅させ、小影さんに村人を惨殺させる事件
そんなものを、引き起こしたのか・・・彼は
「・・・それが、今の時代「魔狼伝説」として語られる物語の、真実であり・・・新橋小影が夜ノ森小影であった時代に起こした事件。そして彼が業を背負った事件の真実なのです」
「・・・小影さん」
「ええ。だから彼に会いたくなかった。かつての同僚が、人生を狂わせた狼に・・・」
鈴は小さく溜息を吐いて、無理をして笑う
「これで柳永村は崩壊。智はこの事件で、雪霞様を殺した神宮に報復し、さらに対抗派閥の「羊毛」「猿実」「猪狩」を潰しました」
結果は大きなものだろう
しかし、それ以上に、様々なところで大きな問題を残し続けてしまった
「祢子と乾はその派閥の生き残りとなり、先祖の意志を継いで私を神に至らせようと行動を起こし続けました」
「だから、俺を・・・」
「はい。私が側にいたから・・・というのが大きいと思います。「龍のお気に入り」というのは、私が側にいた人間の事を指します。老若男女問わず、共にいましたが・・・皆、あの二人の家系に連なる者に、または事故や時代に殺されました」
時代を見る限り、あれはおそらく江戸時代の末期・・・だと思う
明治、大正、昭和、平成・・・そして今へ至る過程で、色々な人と巡り合い、色々な人の死を看取ってきたのだろう
「全員の共通点は雪霞様の生まれ変わりだということです」
「・・・マジか」
「偶然にも、皆、雪霞様の生まれ変わりだっただけなのです!ただ一人を除いては・・・」
彼女自身がなんとなく側にいた人間が、一番落ち着いた人間なのか・・・
それとも、雪霞の魂が彼女を側に導いたのかわからないけれど、凄い偶然だ
そして、彼女のいう「例外」
その存在は、俺にも誰かわかる
憑者神ということは、鈴は最初に俺に嘘をついた
付喪神だというのは、俺の元に来るためについた嘘
けれど、彼女はあの場所にいた。それを踏まえるのなら・・・
「例外は・・・爺ちゃんか?」
「はい。龍之介です。夏彦さんが就職したぐらいの頃になるんですかね、私は柳永村に戻り・・・龍之介に出会ったんです」
午前の昔話はこれで終わり
鈴が、話を詰め込みすぎるのも大変だから・・・といって話を締めた
それから、俺たちは散歩に出かけたり、夕飯の買い出しに出かけたり色々してみた
けれど、俺の心の中には・・・
「じい、ちゃん・・・」
鈴の前では爺ちゃんはどんな感じだったのだろうか
それに、爺ちゃんは・・・鈴に、どう俺の事を伝えていたのだろうか
気になるが、聞きたくなくて・・・
最低な孫だったというのは自覚している。けれど、実際に言われるのか、言われないのかでは、大きく違う
わかっているけれど、わかっているのに、聞くのが怖かった




