二つ目の欠片
「・・・一馬。そいつは?」
「夏彦君は夏彦君だよ。拓実」
「・・・ネクタイの色、緑だから一年だろ。なんで二年に連れて来ている」
「僕が連れてきた。他に理由はいるかな?それに、この学校に学年の境はほとんどないよ。卒業する順番ぐらいだ」
灰色の長い髪を揺らす男は、一馬さんに問う
夏彦さんは、面倒くさそうに彼の拘束下であやとりをしていた
「しかし・・・なぜあやとりなんだ。もっと他にやることあるだろ」
「夏彦君、あやとり知らないらしくて。教えたんだ。暇つぶしにどうぞって」
「小学生か」
「九重先輩、カニできた。もう帰っていいか」
「ほら。上手でしょ?」
「ほらじゃねえよ。ばかずま」
拓実さんから軽い拳骨を入れられて、一馬さんは痛そうにしているが、その横で無言であやとりを続ける夏彦さんの頭の上をひたすらに撫で続けていた
「いいこだね、夏彦君」
「だからカニできただろ。帰っていいか?」
「ダメ。次は梯子」
「・・・ん」
夏彦さんは一馬さんの隣で大人しくあやとりを続ける
その顔は若干青ざめていた
それもそうだろう。逃げようとしたら、一馬さんから既に懐柔された不良から睨まれ、袋叩きに遭うのだから・・・
一度それを経験した夏彦さんは、逃げられないことを覚えて、大人しく一馬さんの言うことを聞いていた
ここ、沼田高校は、筋金入りの不良だらけの素敵な高校だ
名前さえちゃんと書けば試験に合格できるともいわれるような、共学校
もちろんだが、そこに女子の姿はない
見渡す限り、不良に不良、モヒカン頭に世紀末だ
教師陣も、そんな彼らを恐れ、とりあえず適当に単位やって卒業させようがモットーで生徒には関わらない主義だった
だから基本的に無法地帯。とんでもない学校である
もちろん、まともに授業など行っていない
この教室以外は・・・・
ひび割れた音のチャイムが鳴る
一応、これで一時間目が始まりなのだが、廊下は騒がしいし、無法地帯なのは変わらない
しかし、この教室だけは違うのだ
「一馬、授業・・・お願いします」
拓実さんの合図で、この教室にいる全員が彼の前に頭を下げる
あやとり中の夏彦さんも例外ではない
まるで、目の前にいる同級生が、この学校唯一の教師のように振る舞う
「一馬さん、今日ちゃんと課題やってきたんすよ。どうっすか、掛け算全部覚えたっすよ」
「うんうん。じゃあ・・・他に掛け算が課題だったのは、三人。哲也君、大輔君、健夫君、三人で掛け算暗唱やってみようか」
「「「はい!」」」
この学校は掛け算もできないような人がいる
けれど、それでも彼はそれを馬鹿にせず、熱心に教えていた
三人の掛け算暗唱を聞きながら、他の生徒の課題を確認している
「・・・うん。拓実、ちゃんと因数分解できるようになったね。次は関数行こうか」
「難しいから嫌なんだけどな・・・それ」
「大丈夫。僕がちゃんと教えるからね。三人も、ちゃんと掛け算覚えてるみたいだね。次は割り算に入ろうか」
「割り算!」
「これまた難関なのが・・・」
「できるんすかね・・・」
「大丈夫。掛け算ができたら割り算も簡単だよ。拓実の後で説明するから、三人ともプリント読んで予習ね」
三人に次の割り算のプリントを渡しながら、次の生徒の課題を確認していく
「玲、ここの英文の課題、問題ない。ばっちりだよ。次の課題は長文の訳に挑戦してみようか。辞書持ってきた?」
次にやってきたのは大男。玲と呼ばれた生徒は、拓実さん同様、中学生並みの学習を行っていた
「指定通り、紙の辞書だ」
「うん。万引きはしてないよね」
「していない」
「この前、損害額の返済が終わって給料もらい始めたんだよね」
「ああ。やっともらい始めた給料で買ったからな。店長さん泣いていた」
「よかったね、玲。じゃあ、早速、辞書で訳を初めて。わからないことがあったら教えるから持ってくるように」
「わかった」
玲さんは遠くの席に座って、大人しく課題を始める
他にも、一馬さんはそれぞれの生徒にあったプランで勉強を見てあげていた
その中には、覚もいる。彼もこちら側か・・・
それに、一馬さんの補佐で東里もいる。彼は離れたところで少数相手に授業を行っていた
東里と今後を相談し、生徒たちに一通りの説明を終えて、一馬さんは自分の席に座る
そして、床に座っていた夏彦さんに声をかけて、彼の授業を開始した
「夏彦君、あやとりの時間は終わり」
「ん?梯子やっとできたのに」
「それは凄いね。いい子いい子。じゃあ君もレベルアップして・・・次は・・・ひらがなの書き取り始めようか!」
「・・・ひらがな?」
笑顔で告げる一馬さんの発言に、この教室にいる彼らは疑問を抱かない
「・・・そいつ、ひらがなの書き取りすらできないのかよ」
「まあ、拓実。それはきっと、彼の境遇がかなり特殊だったこともあるだろうから・・・何があったのかわからないけれど・・・」
彼の頭を撫で続ける。その行為に夏彦さんは嫌悪感を示していない
大人は嫌だけども、同じ子供ならいいのだろうか・・・
「とりあえず、夏彦君。自分の名前・・・は書けたんだよね。他のひらがな書いてみようか」
「・・・ん」
逆らってもいいことがないとわかっている夏彦さんは立ち上がり、椅子にきちんと座る
「鉛筆の持ち方はこう。夏彦君は右利きだね。じゃあ、こう」
「・・・痛い」
「これが基本だから、なるべくこの持ち方で書き取りしていってね。じゃあ、まずはあ行から・・・」
熱心に彼が教え続けてくれたおかげで、彼は人並みに生活できるところまで知識を得たのだろう
もちろん、同じ教室で学ぶ彼らとの関係も・・・少しずつ出来上がっていた
・・・・・
お昼の時間
一馬さんがいなくなる唯一の時間は、覚と東里と行動を共にしていたようだった
「夏彦、お前今どこ」
「ひらがな」
「・・・ひらがな書けなかったんですか、夏彦。僕が教えましょうか?」
兎は当時から発情兎だったらしい
けれど、夏彦さんはそれを気にせず、パンを一口かじる
「九重先輩に、教えてもらうから」
「・・・なんだかんだで先輩に懐いてるな。お前」
「・・・あの人「は」、怖いことしないし」
「?・・・まあいいや」
夏彦さんの言葉に、覚は疑問を持ったようだが、深くは聞かず、昼食をとる
そう言えば、その件の彼はどこで何をしているのだろうか
教室を抜け出して、記憶の中の学校を探索していく
しばらく歩き回っていると、職員室の近くに彼はいた
「先生、頼んでいたもの・・・用意していただけましたか?」
「ああ。九重君か。ちゃんとできているよ。一人で持てるかい?」
「準備室にあるのですよね。後で取りに来ますから」
「・・・君、大丈夫かい?体の事も、その、不良たちに囲まれているのも・・・親御さん、心配されていたよ」
「滑り止めを忘れていた僕が、唯一入学できる高校でしたので・・・気にしていませんよ。そりゃあ、両親は心配でしょうし、残念に思っているだろうけれど・・・僕は今、この学校生活が楽しいので大丈夫です」
「そうだね。本当に、なんで君みたいな子が・・・とは思ったよ。まさか、あの名門進学校の栖鳳西に満点合格で話題になっていた子が、何の偶然でうちのような底辺高校に来たんだろう・・・って」
「先生。その話はやめにしましょう。それと、頼んでいたもの、わかりましたか?」
「ああ、巽夏彦君の件だね。今の保護者をしている祖父母さんの住所、わかったよ。連絡先もわかった。本当に会いに行くのかい?」
「はい。僕は、彼の先生ですから。知りたいんです。彼に何があったのか」
夏彦さんが今後も慕い続けている先輩は、陰ながら彼の事を調べていた
悪意はない。好奇心でもない。ただ、知りたいだけ
自分の後輩がどうして、あんな様子なのかを・・・知りたいだけなのだ
・・・・・
それから、少しずつ記憶を辿る
夏彦さんの過去を知った後、一馬さんは自分がなぜ夏彦さんに声をかけたのか教えていた
過去を勝手に知った負い目だろうか。自分の過去を語っていた
自分よりはるかに優秀な弟たちがいること、その一人が色々抱えてしまうタイプの事
そして、その弟と夏彦さんの姿を重ねていたことを
何も隠さず告げた後、彼は無断で夏彦さんの過去を追ったことを打ち明けた
それに夏彦さんは怒ることはなかった
そして、幻滅することもなく、彼は一馬さんに本格的に懐き始めた
信頼に値する人物だと認めたのだろう
熱心に授業を聞いて、知識を更に蓄えて、純粋に彼についていった
裏では夜遊びが激しかったり、拓実さんと殴り合いをしたりと・・・まあ、典型的なものだったが・・・
時間をかけて、ゆっくりと、今の夏彦さんを形成していった
そして月日は流れて、一馬さんが卒業をする日になった
・・・・・
「結局、拓実は一人で勝手に帰っちゃってさ・・・付き合ってくれてありがとうね、夏彦」
「これぐらい当然です。俺は、貴方の教え子兼友人なんですから」
学校を出て、夏彦さんと一馬さんは二人で帰り道をのんびり歩く
「拓実の連絡先、いる?本人はやるなって言ってたけど」
「いりませんよ。あんな枯葉野郎のなんて・・・でも、あの人何があったんです。急に教室来なくなって・・・」
「・・・双子のお兄さんが自分のせいで事件に巻き込まれたとだけ」
「確か、聖華高の陸上部に所属していたんでしたっけ。一葉拓真さん。全国大会常連だって聞いてます」
「・・・陸上部だったの?」
「知らなかったんですか?」
「・・・拓実から、その事件でお兄さん下半身不随になったって・・・聞いていたから」
複雑そうな顔をして、彼は足を止める
夏彦さんも、ああ、言わない方がよかったなと口を噤んだ
「・・・この話はやめようか。夏彦、これから、あの教室・・・」
「東里が引き継ぐって言ってました。と、言っても一年だけですけどね。後は先生にお願いして、勉強したい人間だけに教えを・・・とお願いしたいと思います」
「ありがとう。夏彦。東里にもお礼を言っておいてくれるかな」
「わかりました。あ、一馬先輩。あの人たちですか?」
夏彦さんが指さす先には、一馬さんとよく似た青年が二人
前髪の分け目が真ん中になって、眼鏡をかけた真面目そうな青年
前髪の分け目が右はねになって、ノートに何かを一心不乱に書き込む青年
そして、隣にいる彼は、前髪の分け目が左はね。三つ子で前髪の撥ね方が違うらしい
「うん。僕の三つ子の弟たち。おいで夏彦。二人に君の事を紹介するから」
「嫌だって言ってもどうせ連れていくんでしょう?わかっていますよ、先輩」
彼に手を引かれて、向かうのは―――――――――――
・・・・・
記憶の再生が途切れて、再び私は精神世界に戻される
欠片は再び色を失っていた
そして残るはもう一つ
これ以上、彼にとって大きな記録があるのだろうか
・・・わからないけど、見てみよう
私は、最後の欠片を手に取る
そして目をつぶった先に、彼は待っていた




