+)昔のような関係には、もう戻れない
「あ、智ではないか。久方ぶりだな」
「そういう雪霞こそ。久々だな」
最近、ずっと憑者のお役目を果たすために花籠の家を開けていた智が久方ぶりに顔を出してくれる
以前見た時よりも少しやつれている気がする
縁側で風に当たっていた私の隣に腰掛けた智に、空いていた湯飲みを使ってお茶を入れてあげる
たまにこうして空いた湯飲みを置いておくと、誰かが喉を乾かせているときにすぐにお茶を飲ませてあげられるから夏場はいつも常備している
・・・今年は、水分補給を怠ってはいけないから特にな
「智のお役目は大変なのか?」
「大変だよ。悪いものを吸い取るお役目だからさ」
「悪いもの?はて、それは一体・・・」
「神語りのお方であろうとも、話してはいけないという決まりなんだ。これ以上は言わせないでくれ」
「そういうことか。わかったよ」
智と祝のお役目の話は、かなり情報規制が引かれている
二人とも疲れていることが多いし、体にもかなり負担を強いているのではないだろうか?
智にも箝口令が敷かれているようで、本人からも聞き出すことはできなかった
・・・これから、何事もなければいいのだが
「それより、私は一つ智に聞きたいことがあるのだ?」
「なんだ?」
「この前、西の山のほうに祝と共に入って行っただろう?お役目は終わる時間帯だし、何をしに行ったのか気になってな」
「・・・二人で晩ご飯用の山菜採りだって言ったら?」
「組み合わせがおかしいだろう?丑光なら、その手伝いならともかく・・・巳芳の夕食用の山菜採りであるならば、弟妹も連れて行った方が効率はいいし。二人きりというのは、おかしいと思うのだよ」
巳芳の家は、九人家族だ。両親に子供が七人・・・この柳永村でもかなりの大家族だ
しかも、三陽以外は全員男ときた。食費もそれなりにかかるとぼやいていたのを覚えている
だからこそ、たかが山菜採りであろうとも食費を浮かせるためなら総動員して山に入り込むだろう
しかしそれをしなかった
智には別の目的があるということだ
「・・・なんでよりによって雪霞に見られたんだよ」
「そういう勘が働くものでな。で、二人は西の山に何をしに行っていたのだ?」
「・・・せだ」
「その反応、まさか逢瀬を重ねていたのか!?」
「なんでそう他人の色恋には食いついてくるんだよ!?そうだよ!あってるよ!」
吐き捨てるようにそう告げた智は、湯飲みの中のお茶を一気に飲み干して、むせ始める
「そうか。では、智は祝とそういう間柄なのだな?いつから?」
「・・・お役目を賜った数日後から」
「ほうほう。めでたいな」
「お前、親戚のおっさんみたいな反応やめろよ・・・」
智から小突かれつつ、年相応の話をしていく
かつての私は色恋とは無縁だと思っていたのだが・・・こう、聞くのも悪い話ではない
むしろ興味がある
適齢期だからだろうか。それとも・・・私自身、恋をしてみたいと思う気持ちからだろうか
よくわからないな。感情というものは
「いやはや、一目惚れがついに成就するとはな。お祝いの品を用意しようか」
「なんで知ってんだよ。お祝いの品なんていらねえよ。祝言をあげるときにくれ」
「その予定がもうあるのか?予定が決まったら教えてほしい。神宮に儀式の準備を依頼するから」
「そこまで盛大にやらんでいいわ!」
頬を真っ赤にした智が抗議するように床を叩く
照れているのだろう。しかし、私は引き下がるわけにはいかない
盛大にやる理由は、存在しているのだから
「そうか?しかし神を宿し、お役目を賜る二人の婚礼なのだから、盛大にやらねば憑いてくれている神に失礼だろう?」
「・・・そうか。こっちにも関係あるもんな。忘れてたよ」
「私がこういうのもなんだが、憑者としての自覚を持つべきだと思うぞ、智」
「・・・そうだよな。すまねえ」
「かまわんよ。私と智の間で起きた話なのだから・・・」
空になった湯飲みにお茶を注ぎ、今度はゆっくりお茶を飲む
山向こうの夕陽を眺めながら、しみじみと空気を感じる
日が暮れるのが、少しだけ早くなった感覚を覚える
風だって、涼しくなっている
昼間の日差しだって、昨日までに比べたらずいぶん柔らかくなっていた
周囲から聞こえる鈴虫の音色もまた、秋の訪れを感じさせている
「もうすぐ秋だな。智」
「そうだな。秋の祭典も近いな・・・雪霞、おかわり」
「一応、主人なのだが」
「それ以前に貴重な友達だろう?お茶くれよ」
「はいはい」
二つの湯飲みにお茶を注ぎ足して、また、それを飲んでいく
こんな風に、主人を顎で使う御付は後にも先にも智だけだろう
鈴は絶対にこんなことをしない
・・・してあげたいとは、思うのだが。彼女が断るのでしてあげられないというのが現状だ
「祭典の時、お前もお役目あるんだろう?」
「そういう智もか?」
「ああ。俺と祝は祭典の時も仕事だと聞いている。しかし鈴はまだ何も聞いていない」
「そうか」
「せっかく目が見えるようになったんだし、鈴を連れて祭典に行ったらどうだ?食気で占める鈴が案内するんだ。出店の保証はあるだろうよ」
「・・・そうか。鈴と一緒に祭典を回る。楽しいだろうな」
想像しただけでも、頬が緩む感覚を覚える
鈴が手を引いて、村で行われている祭典を回っていく
出店もたくさん出ているだろう
食べることが大好きな鈴はきっと、両頬にご飯を詰め込んで美味しそうに食べていく
それはとても可愛らしい姿だろう
「こいつ、自分のことには鈍感だから背中を押してやらねえと、鈴も動かねえからなぁ・・・」
「何か言ったか、智」
「いいや。それじゃあ俺はそろそろ帰るわ。鈴にあったら誘ってみろよ、祭典」
「ああ。智も、お役目が早く終わって、祝と回れるといいな!」
「余計なお世話だ!でもありがとな!期待しとけ!」
智が手を振りながら、花籠の家を後にしていく
その後ろ姿を見送りながら、私は一息吐いた
「相変わらず失礼な男ですね。お役目で御付としての自覚が緩んだのでしょうか・・・教育し直さないと・・・」
「ああ。鈴か。仕事は終わったのか?」
「はい。雪霞様。お隣、よろしいでしょうか?」
「構わないよ」
智がいた場所に今度は仕事を終えた鈴が腰掛ける
そして、私の隣に置いてあった湯飲みと急須の存在に気がついた
「・・・お茶ですか」
「すまないが、私と智で飲んでしまっていてね・・・もう急須の中は空だ」
「そうですか・・・」
「私の湯飲みの中だったら、一杯分お茶が残っている。水分補給に関わるお告げもあるし、飲んでおきなさい」
「え、ちょ・・・!」
水分補給を怠ると・・・のお告げは、私の中にしっかり刻まれている
もしも鈴がそのお告げの対象になってしまうと想像しただけで心が痛む
避けられる事は、避けておきたい
湯飲みを押し付け、お茶を飲ませようとするが鈴の顔は真っ赤になっていくばかり
熱に浮かされているのだろうか。これは非常にまずい
「熱射にやられているのか?そうだ。井戸水を汲んでこよう!井戸水なら冷たいだろうから!鈴はここで待っているといい!」
「雪霞様井戸水汲めないじゃないですか・・・」
「そこは錣山に手伝ってもらう!待っていろ!すぐに熱を冷まして見せるから!」
私は慌てた足取りで廊下をかけていく
みっともないと言われてもおかしくない行動だが、鈴の命がかかっているのだ
どんな風に言われようとも、先を急がなければ
「・・・行っちゃった」
残された鈴は、私の湯飲みを両手で持ちながら、茫然と後ろ姿を眺める
「・・・同じ湯飲みを使うのに照れただけなのに。こんな大事になるなんて」
おそるおそる湯飲みに口をつける
「・・・熱いです、雪霞様」
それは真夏と私の体調に合わせて温いお茶だったはずなのだが・・・なぜか鈴には熱く感じたらしい
「鈴!巳芳から井戸水を分けてもらった!ほら、飲め!」
「ありがとうございます、雪霞様。冷たくて、美味しいですね」
「ああ。よかった・・・もし鈴が倒れたらと気が気でなくて」
「ご心配、ありがとうございます。雪霞様もほら」
「ああ。もういいのか?では私も少し」
同じ湯飲みを使い回して飲んでいく
小さい頃から当たり前だった事なのに・・・
「・・・・」
「鈴?どうした?まだ顔が赤いな。今日はもう休んだほうがいいぞ」
「なんでも、ございません。体調も大丈夫ですから!お水、ありがとうございます。私、もう戻りますね!明日もお役目がありますし、休息をとって参りまひゅ!」
舌を噛んだことでさらに顔を真っ赤にさせた鈴は、急ぎ足で部屋の方に向かっていってしまった
残されたのは、私と急須、三つの湯飲み
「・・・体調不良でなければいいのだが」
なんて、的外れな考えをしながら私はお盆に湯飲みと急須を乗せて、巳芳がいる台所まで再び向かっていった




