私ができること
「・・・」
お役目から一週間
雪霞様の体調不良は悪化し、食事も喉を通らない毎日が続いていた
最近は目を開けているのも辛そうで、雪霞様はずっと目を閉じて荒い息を吐いている
「今日も、食事は一回も摂ってくださらなかった・・・」
彼の汗を拭きつつ、今日の出来事を思い返す
食べやすいように三葉さんと共に食事を工夫してみたが、効果は何一つなかった
汗もかなり酷い。顔はずっと青ざめたまま
寒い、寒いと力なく呟く彼の声が耳から離れることはない
何も、効果がでない毎日
雪霞様が弱るだけの、毎日だ
「薬も全然効き目がありませんし・・・」
今使っている薬以上の物を求めるとなれば、流通の多い町の市場に行かなければならないだろう
しかし、どんなに頑張っても町とこの村を行き来するのは往復一ヶ月かかってしまう
今の彼は衰弱しきっている
一週間前よりもひどく、その身は一月持つか怪しい状態だった
それでも、錣山さんは薬を買いに町まで行ってくださった
一縷の望みを、抱いて
彼がもう一度元気になってほしいと、祈りながら町へと向かってくれた
唯一残された私は、頑張って彼の看病を続けていた
「・・・鈴」
襖がそっと開けられる
その先にいたのは、三陽さんだった
「三陽さん、どうされました?」
「ごめんね。智が神宮に呼ばれてお手伝いできなくて。なんか、蛇の憑者神の適性が・・・とか」
「神宮の命なのですから、これぐらいは。しかし、憑者神とは?」
憑者神への適性という名目で神宮に呼び出されたのは智だけではない
祝も・・・丑の憑者神の適性があるとか言われて神宮に呼び出され、ここ数日不在だ
そのせいで今、花籠家は若干人手不足
こんなにも大事な時期に、聞いたこともないおかしな儀式のために後輩と親友を連れていかれて若干怒りを覚えるけれど、八つ当たりしても無駄だと理解している
相手は神宮だ。この村の最高機関に逆らえるほど・・・強くはない
「さあ、私もよく・・・けど、憑者神は人智を超えた力を以てこの村を救う存在だと神宮のお使いの方に聞いたわ」
「そう、なのですか・・・あの。三陽さん。憑物神の中には治癒の力を持つ存在はいるのでしょうか?」
「ああ・・・辰の憑者神がそうだと言われているわ。けれど、まだその適性があるものがいなくて、儀式の開始が遅れているそうよ」
「そのせいで智も全然帰ってこないし、祝も同じく・・・ですものね。お家は大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。ありがとうね。これ。少ないけど晩御飯。まだ食べていないわよね?」
三陽さんは竹の葉に包んだおにぎり三つとお漬物を少し私に手渡してくれる
手渡されたと同時に、お腹が小さくなる
「相変わらず、ペコペコなのね。たくさん食べて元気になりなさい、鈴」
「すみません・・・取りに行く機会が掴めなかったので・・・ありがとうございます」
「いえいえ。鈴、無理してはいけないわよ。貴方が倒れて一番悲しむのは、雪霞様だからね」
「お心遣いありがとうございます」
「気にしないで。むしろ貴方に全部任せてしまって申し訳ないわ」
「それこそ気にしないでください。私が好きでやっていますので」
「明日はお手伝いするからね。それじゃあ、鈴。また明日」
「ええ、また明日」
三陽さんは慌てた足取りで廊下を歩く
智がいないのだから、家の事は一人でしないといけない
巳芳家は大家族だと聞いている。まだ乳飲み子もいるそうだ
・・・三陽さんには家の事を優先してもらわないと。待っている家族がいるのだから
私は襖を閉めて、再び彼の側に戻る
「・・・すず?」
「ああ、雪霞様。目が覚めましたか?お身体は・・・」
「・・・こちら、へ」
何も映してない暗い藍色の瞳が暗闇の中で私を捉える
彼の指示通りに私は先ほどまでいた彼の隣に座る
すると、彼の手が布団の中から力弱く差し出される
何かを探すように、指は歩き
そして私の手に辿り着くと、その手はゆっくりと私の手を握り締めた
握り締めるといっても、力なく簡単に振り払えるほどの力
それを私は、両手で握り締めて彼の手が落ちないように代わりに握り締めた
「すず、あったかい、な」
「そうですか」
今は夏場。汗もたくさん掻いているのに、彼の身体は寒さを感じている
彼の目が見えていなくてよかった
きっと、今の私は酷い顔をしているだろうから
「・・・おおきくなったな」
「そうでしょうか」
「ああ。とて・・・げほ」
彼は一瞬だけ手に力を込めて咳き込んだ
そして、咳と同時に「それ」は出てくる
最初は何かと思い、空いた手で「それ」に触れた
月が雲から覗いて、部屋を照らしてくれる
そして私は、自分の手につけたものが何なのかを理解した
「・・・血、ですか?」
「・・・てつ、か。ああ、もうダメか」
「諦めないでください。今、錣山さんが・・・!」
「・・・・ごめんなぁ、すず」
また、意識がなくなってしまう
とっさに彼の呼吸を確認する。まだ呼吸は続けてくれていた
「よかった・・・」
いや、全然よくない。もう血を吐いてしまった
彼の身体は一月後、錣山さんが戻るまで持つことはないと直感で悟った
「・・・今、錣山さんはお薬を買いに行ってくれています。それまで、どうか・・・どうか」
返事は全く帰ってこない
呼吸も先程に比べてか細くなっている・・・
このまま私は何もできずに、彼が弱っていく姿を眺めることしかできないのだろうか
私は、拾われたという多大な恩を働きだけで返しきったとは思えない
まだ、何も返すことができていないと思っている
「まだ、いなくならないでください・・・私は、まだ貴方に何も返すことができていません。まだ、まだ恩返しをさせてください。私が私でいられるようにしてくれた恩を、返させてください」
想像しただけでも恐ろしい現実がすぐ目の前に迫っている
その事実が耐え切れなくて、目から何かが溢れる
「なんだろ、これ」
それは、私が覚えている範囲で流した初めての涙
しょっぱくて、悲しくて、それでいて苦しい
「・・・変わってあげることはできないのでしょうか」
もう一度、自分の足で歩く彼が見たくて
もう一度、彼の散歩の先導役としての役目を果たしたい
「・・・ダメ、ですね。私が苦しんでいたらきっと、貴方は今の私と同じように苦しんでしまうから」
彼の手を握り返す
どうか、どうかお願いします
薬が効くかはどうかわかりません。けれど、それが今、私たちが持てる希望なんです
どうか、少しでも長く生きてください
錣山さんが戻るまで、生きてください
「貴方が生きてくださるのなら、私ができることは何でも・・・しますから」
私は懐から手ぬぐいを取り出し、彼の口元についた血を拭きとる
残された時間は少ない
どうしたらいい。私は、何ができる
ふと、先ほど三陽さんとした会話が頭を回る
そして私の中である考えが糸を繋いでいく
『治癒の能力』『辰の憑者神』
そして・・・『まだその適性がある者は、見つかっていない』
まだ、望みはあるのではないか
「・・・待っていてください。雪霞様」
彼の手を握り締める
まだ、可能性はある
もう一度、彼が元気になる可能性が
「可能性があるのなら、私は・・・迷いません」
彼から手を離し、行くべき場所に向かう為に立ち上がる
憑者神に関しての知識は何もない
人智を超えた力がタダで手に入るわけはないだろう。どこかに代償があるはずだ
それでも、私は・・・救いたい
もう一度、元気な彼に会いたい
浅い呼吸を繰り返す雪霞様を背に、私は襖をそっと閉めた
それが、ただの人であった頃の私が彼と話した最後の時間
私が化物になる前の日のことだ
そして次の日
私は・・・否、私だけではない
丑光祝も、巳芳智も
神様と成り、花籠の家へと舞い戻ることになる




