数年後の初夏
私が雪霞様と出会ってから数年後
私は十六歳に、雪霞様は二十三歳になっていました
年齢は推定なので、十六歳かはわかりません。が、十六歳です
礼儀作法や所作諸々、彼や三陽さんに教えてもらい、仕事は錣山さんに手助けしてもらいながら覚えていきました
祝・・・丑光さんとは年が近かったこともあり、仕事仲間として、そして貴重な友人として友好な関係を結ぶことができている
これも何もかも、あの日雪霞様と出会えたからある毎日だ
これからも、彼に仕え続けたい
けれど・・・・
「雪霞様、おはようございます」
「ああ・・・おはよう。鈴。今日は、寒いな・・・」
部屋の外にある風鈴が、風に揺れてチリンとなる
布団の中から青ざめた顔をこちらに向け、雪霞様は辛さを押し殺して微笑んでくれた
彼の体調が本格的に悪化したのは、彼が二十歳を迎えた頃だった
元々病気がちで寝込んでいた彼は、もう自力で歩くことすら叶わない
神宮のお役目がある日以外はずっと布団の中で寝たきりだ
「鈴。今日は、神宮へ向かう日・・・だったな。準備を手伝ってくれ」
「はい。しかし、体調は・・・」
「気にするな。いつもの事なのだから」
「・・・わかりました。お召し物をお持ちします。時間はありますし、しばらく横になって待っていてください」
「ああ、わかった。いつもありがとう、鈴」
彼のか細い声は私の耳にしっかり届く
彼の為に何もできない無力さを噛みしめながら、私は朝の準備に取り掛かった
・・・・・
私と鈴が出会ってから、かなりの年月が流れていた
十六歳になった鈴は、周囲の目を引くような美人さんに育ったようだった
それでいて、礼儀作法も完璧で、知識も持ち合わせた非の打ちどころのない素晴らしいお嬢さんのようだ
私には、彼女の成長を目で見ることは叶わないけれど、錣山と巳芳が嬉しそうに語るものだから、彼らが少し羨ましく感じることも多々ある
私は、鈴の成長を見守ることはできなかったから
どんな風に育ったのだろう。ここ最近は頭を撫ででほしいとせがむこともなくなったから、彼女に触れる機会もないし・・・身長がどれぐらいなのかすらわからない
私は、本当に情報以外の鈴を何も知らないのだなあと思いながら、彼女が戻ってくるのを布団の中で待っていた
「雪霞」
襖があけられる。私を雪霞と呼び捨てにするものは、この家ではたった一人
「ああ、智か。おはよう」
「おはよう。今日はお役目に同行するからな」
「そうか。よろしく頼む」
数年の間に、巳芳家の親子関係も随分改善された
かつては遊んでいた智も、今は立派に私の御付を鈴と錣山と共にこなしてくれている
周囲の目がある時は彼も敬語を使うが、智と私は同い年ということもありこうして二人の時は敬語なしで話している
貴重な、心を許せる友人だ
「雪霞、また鈴宛の縁談がいくつか」
「すべて彼女に。こういうのは、彼女自身が決めることだ」
「・・・お前が嫌だって言えば、鈴も断りやすいのに」
「まあ、確かに私の命令という体裁があれば、鈴も断りやすいだろうな」
「いやそういう話じゃなくてなあ・・・?」
「?」
「全く、神様は雪霞に教えること他にあるだろうに・・・」
智がなぜ呆れているのか私は全く理解できず、首をかしげる
「雪霞様、お召し物を・・・あ」
「鈴。ここは私が」
鈴が着物を持って戻ってくると、智もすぐさま仕事モードに切り替える
智が友人として接してくれるのはあくまで二人きりの時だ
それは私と四六時中共にいる鈴の前でも見せない。もちろん、母親である三陽の前でも
こういう割り切りができる男だからこそ、うまく付き合えているのかもしれない
「後は任せますね、智」
「はい。鈴は錣山さんを呼びに行ってください。きっと、四谷さんの手伝いをしているでしょうから庭でしょう」
「わかりました」
鈴の音と共に、彼女が部屋から離れていく足音がする
その音に寂しさを覚えながら、私は智に神宮へ出向く時の為に仕立てていた着物を着せてもらい始めた
「雪霞。お前は、どこまで持ちそうなんだ?」
「さあ・・・どこまでだろうな。けれど、私は・・・」
姿は見たことはない
それでも、私はあの子がとても大好きなのだ
私のことを慕ってくれる、小さな少女
今はもう甘えてくることはないけれど・・・きっともう私が心配せずとも一人で歩いていけるだろう
私がいなくなった後も、頑張れるだろう
「鈴が、嫁に行くまでは頑張って生きなければならないなと思っているよ」
「お前本当に最低だな・・・」
「なぜだ」
「自分の胸に手を当てて考えろバカ。お前はすごく残酷だよ、本当に」
智から怒られる理由がわからない
というか、もう疲労で上手く頭が回らない
彼が怒る理由も、何もわからないまま、されるがままに着替えさせられ、お役目の準備を終える
「雪霞様。錣山さんを呼びましたよ。お役目へ向かう準備はよろしいですか?」
「ああ。大丈夫だ」
「雪霞様。私が抱えますから、こちらに」
「助かるよ、錣山」
もうまともに歩くことが叶わない私は錣山に抱えられて、お役目へと向かう
その後ろから鈴の音が聞こえるから、鈴と智はその後をついてきてくれているようだった
「・・・いてっ」
「・・・余計なお世話ですよ、智」
鈴が文句を言う声が聞こえる
智と鈴は御付として一緒にいる時間が長い分、とても仲がいい
本来ならいいことなのだが、私としては面白くない
私だって、鈴と昔のように、智のように話したいのに
「・・・・」
「雪霞様。具合、本当に・・・」
「気にしなくていい。いつものことなのだから」
錣山にしがみついて、自分の思いを隠していく
身分も、この虚弱な体もなければ・・・私だって
心の中に泥を溜め込みながら、お役目にむけて心を整えていく
今日は少し時間がかかりそうだなと思いつつ、私は目を閉じる
これはとある初夏のこと
夏なのに寒さを感じている時点で、私は既に自分の身体の限界を悟り始めた
それでも、鈴をはじめとした私寄りの使用人の為に私は長生きしなければならない
彼らが、きちんとした暮らしを送れると確約されるその日まで
いつ倒れても構わないように、私は終わりの前に終わらせることをこなしていく
神宮のお役目だってその一つ
無理してでも、私はこのお役目を果たし終えなければならない
全ては、私を守り続けてくれた使用人たちの為に
「・・・鈴、お前お見合い受けるの?」
「受けますよ。全く、なんでこう皆さんあんな風に気を利かせてくれるんです?」
「雪霞が鈍感だから」
「・・・そうですね。でも、そこがいいんですよ」
鈴が握り締めているのはお見合いを進める手紙
その中に、智が錣山と母親である三陽、そして祝と画策して忍び込ませたものがある
「・・・雪霞が元気になったら、機会を設けるから待ってなよ」
「しかし、いいのですかね。御付が、主人に」
「大丈夫だよ。神宮としても、雪霞に血を残してもらわないと困るだろうしな。雪霞が望むことを断ることはないだろうさ」
「・・・本当に、貴方たちは」
「いいだろう。俺たちとしても、雪霞が変な女をあてがわれるのは嫌だし、お前が嫁入りして雪霞がしょんぼりするのも見てられないから」
「・・・意外と智は雪霞様のこと、大好きですよね」
「大事な友達だからな。これぐらいはさせろよ」
鈴と智の楽しそうな会話に苛立ちを覚える
なぜ、こんな感情になるのか・・・私は生きている間に答えを出すことは叶わなかった
先に言っておこう
私は、二十四歳を迎えることなく、この世を去った
数多の未練を残して、鈴を悲しませて、そして彼女に酷い業を背負わせた
これから始まるのは・・・あの「秋の祭典」までの、私の記憶だ




