+)穏やかな休日
「智、智」
「なんだよ鈴。お前の髪ならもう結っただろう。またはしゃいで解いたのか?」
雪霞様に拾われて半年の時が経過した
「お役目」に向かった雪霞様がいない間は、錣山さんもいない
女給である母親の方と丑光さんも・・・今は忙しい時間帯
その間、御付としてやることがない私と、私の後に御付になった智は休日の一時を楽しんでいた
「違う。ここ、読めない」
「お前は休みなのに勉強熱心だなぁ・・・それ、霞って読むんだぞ」
「かすみ?食える?」
「食えねえよ馬鹿。なんでもかんでも食事に結びつけるなよ。いつも食い意地張りやがって・・・お前の食欲はどうなってるんだ・・・」
智から拳骨をもらいながら、私は雪霞様が買ってくれた本で漢字の勉強をしていた
勉強は、楽しい。覚えることは楽しい
いつか、これも雪霞様の役に立つのだろうから・・・頑張らなければ
貰ってばかりじゃなくて、ちゃんとあげられるようになりたいから
「でも、でも、雪霞様の霞は、この霞と一緒!」
「よく覚えてたな。そうだぞ。雪霞様の霞はこの霞」
「雪霞様、食えるのに・・・霞は食えない?」
「・・・待て鈴。お前、主人に対して何をしたんだ?」
「初めて会った時、手を食った。あんまり美味しくなかったけど、お肉だからその気になれば食えないこともなさそうだった」
智は大きくため息を吐いた後、もう一度私の頭に拳骨を落とす
「痛い」
「食えるかそんなもの!?もう二度と食べるなよ!?」
「わかった」
智は一通り告げた後、私と一緒に本を読んでくれる
わりと博識な男だ。一般家庭の出とは思えない
巳芳さんの子供だからと言うのもあるかもしれないが、どうやら彼の父親は神宮に仕えている人間らしい
その父から色々と教育を施して貰ったと、智は言っていた
「しかし気になることはあるんだよな」
「気になる?」
「親父、狩猟一家の出じゃないのにさ、妙に狩りのことに詳しいんだよ。獣避けとか、血抜き作業とか。肉の捌き方とか」
「それ・・・食えるか?」
「処理後は食える。俺が教えるから鈴も覚えたらどうだ?害獣指定の猪とか狩れば、雪霞様も喜ぶだろうし、尚且つ猪が食い放題になるかもだぞ」
「む!む!やる!やる!」
想像しただけでもお腹が空くような話
それに、雪霞様の為になるのなら、一石二鳥の話ではないか
私はお腹いっぱいになれるし、雪霞様は喜ぶ
そして私はお腹いっぱいで幸せ。完璧だ
「こら、智。鈴は女の子なのだから、そんな危ないことさせられるわけがないだろう」
「雪霞様・・・お帰りなさいませ」
「おかえり雪霞様」
後ろを振り向くと、雪霞様がお役目から戻って来ていた
その表情は少し疲れている。お役目というのは、そこまで大変なのだろうか
「ただいま。鈴。智。家は何事もなかったか?」
「奥様と弟君も外出されていましたので、今日は何事もなく」
「そうか」
雪霞様は嬉しそうに返事を返してくれる
正直なところ、奥様と弟君という存在は良い人間ではない
雪霞様とは真逆の人間。使用人を人間として見ていないような、酷い人たち
錣山さんの話だと、今の奥様は先代当主様の・・・雪霞様の父上の後妻であるらしい
先代当主様は病気で亡くなっている
雪霞様は前菜・・・じゃなくて、前妻である奥様との間の子らしい
そんな複雑な事情を、花籠の家は抱えている
前妻と後妻の子供で、花籠の家の跡取りを取り合っている状態らしいのだが・・・
勿論、雪霞様の方が優勢である。使用人からも、周囲からも彼が花籠の当主であるべきと声が上がっているので、彼が当主の座に着くのは時間の問題だろう
懸念材料といえば、彼の体が弱いこと
そして、後妻の方が雪霞様を消して花籠の家を乗っ取ろうとしていることぐらいだろうか
「・・・鈴、本を読んでいたのだな」
「そうなのか?」
「ん。智に読めないところ聞きながら読んでた。雪霞様、雪霞様」
そんな面倒な話を切り替えるように錣山さんが私の状況を伝えてくれる
そうだ。智が解決してくれなかった疑問を、雪霞様に聞こう
彼ならきっと教えてくれる
「なんだい、鈴」
「雪霞様は食えるのに、なんで霞は食えないんだ?」
「・・・鈴。私も食べられないぞ?」
「でも、手は食べられた」
雪霞様が私の身長に合わせるようにしゃがみ込む
具合が悪いかと思ったらそうではない
手探りで伸ばした手を私の肩に置くと、いつものように優しく語りかけてくれる
「鈴。食べたものは消えてしまうだろう?私は消えていないではないか。あれは食べようとしただけ。食べてはいない」
「そうだな?食べたら消える・・・でも、雪霞様消えてない」
「そう。私は食べられないのだ。鈴がもし私をあの時のおにぎりのように丸呑みして食べてしまえば、私は消えてしまうのだぞ?」
「なんと!」
まさかあの時の行動の後に待つものがこんなものだったとは・・・
もう二度と食わないようにしよう。雪霞様に消えて欲しくない
「いいか、鈴。霞は食べられないものなのだ。もう二度と食べようと思わないこと」
「ん!覚えた!」
「良い子だな。鈴」
勉強を終えた後は、雪霞様はご褒美というように頭を撫でてくれる
側頭部を中心に。頭の上を撫でられるよりは、そこを撫でられる方が私も好きだ
「むむー・・・」
「これからも私が教えられることは教えるからな」
「むー!」
この時間は私にとって一番好きな時間
御付として頑張らないといけないことが多い日々だが、唯一年相応に甘えられる時間だ
「・・・雪霞様。お言葉ですが、まずは敬語を」
「良いじゃないか。まだ幼子なのだし、半年なのだぞ。敬語を使いこなせなんていうより、ありのままに大きくなれという方がいいではないか」
「しかしそれでは・・・」
「じゃあ命令で行こう。鈴はのびのびと育てよう。御付以前に、まずは普通の生活をさせることから」
「・・・そうですね。鈴は、浮浪児で普通の生活からは縁遠い生活を。わかりました。私も協力します」
「助かるよ、錣山。智も、それで頼む」
「雪霞様の仰せのままに」
智も錣山さんも、雪霞様の言葉を受け入れてくれたようだった
私はそんなことを気にせずに、ひたすら彼の撫でに甘え続ける
「しかし、錣山・・・私は疑問に思っていることがあるのだが」
「なんでしょう」
「鈴は一体いくつなんだろうな・・・?」
「さあ・・・」
「あらあら、雪霞様。お戻りになられていたのですか?」
「お帰りなさいませ、雪霞様。錣山さんも」
悩む雪霞様と錣山さんに声をかけたのは女給の二人
二人は花籠の家に雇われており、雪霞様だけの女給ではない。この家全体の女給なのである
ただ、こちら側に位置する女給というだけ
けれど、雪霞様の専属のように働いてくれており・・・私としても二人はいい人だと思っている。飯くれるし
「巳芳と丑光か。戻った。いつもご苦労様だ」
「ああ。三陽さん。祝も。ただいま戻った」
「とんでもございません。ところで、お二人は何か悩み事でも?」
「ああ。実は・・・」
雪霞様は二人に抱いた疑問を打ち明ける
「確かに・・・いくつなのでしょうね」
「雪霞様と智よりは年下だと思うのですが・・・」
「祝と同じぐらい・・・それより少し下ぐらいでしょうか?」
「確かに、そうだな」
「む?」
雪霞様は記憶を辿るように考え込む
何やら、考えが浮かんだようだ
「確か・・・祝は十歳だったな」
「はい。雪霞様」
「私と智は・・・確か」
「十二でございますよ。雪霞様」
「では、鈴は五歳ということにしておこう。私は彼女の姿を見たことはないが、幼いことは確実だし、実際のところはわからないがこれで不便なことは消えるだろう」
「ご?」
「そう。年齢を聞かれたら、五歳だと答えるように。それが鈴の今年の年齢だ」
「ねんれー?」
「そう。年齢だ。生きた年月ともいう。鈴は多分、五年生きているということで」
「多分」
雪霞様と私は多分というたびに頷き合う
わけがわからないけれど、なんだか楽しい
「そう。多分」
「たぶーん、ご!」
「そうそう。それでいい」
「それで良くないでしょう雪霞様。自己紹介の時に多分五歳は色々とまずいですよ!」
後ろで錣山さんが雪霞様の奇行を止めようと慌てて進言する
花籠の家であった、穏やかな日々
もう二度と帰れない優しい日々の思い出はゆっくりと過ぎ去って、時間は動き出す
雪霞様は神語りとして才能を伸ばしていく
智と祝・・・そして私は大人に、そして神へと至る時代へと進んでいく




