34日目:雨の日の寄り道
十二月を迎える。それでもいつも通りの日々は変わらない
・・・昼食も味がしなかった
覚が不思議そうに俺の方を見ていたが、上手く騙し通すことができただろうか
「いつも通り」仕事を終えて片づけを終えた後、俺は帰ろうと鞄を手に取る
そんな中、窓の方から同じく帰ろうとしている覚と丑光さんの声が聞こえてきた
「うわぁ・・・道理で暖かいと思ったら雨ですね」
「雨、降ってきたの、恵ちゃん?」
「あ、巳芳先輩、ほら」
「うわ、結構降ってきてるね。傘持ってきてる?」
「持ってきてますよ。折り畳み」
「雨が降っているのか?」
覚と丑光さんがいる窓の近くに歩いて天気を確認する
窓の外は暗く、そして土砂降りだ。梅雨でもないのにこんなに降るのは珍しい
「んあ、夏彦。お前も帰り?」
「ああ・・・しかし酷いな。明日晴れるといいんだけど」
「そうですね。明日、でしたよね」
「うん。丑光さん。よろしくね」
「はい!精一杯頑張らせていただきます!」
明日はりんどうとかねてから約束していた買い物の日
丑光さんにも協力してもらって、色々買い揃える日だ
やっと、この日が来たと言ってもいい
丑光さんとあの日から連絡を取り合いつつ、予定を合わせてもらって明日を無事迎えることができた
「へえ、二人でお出かけ?デート?」
「違うよ。りんどうの為の買い出し」
覚の茶々を否定しながら、俺は窓の光景を見てどうしようか考える
出かける前に彼女から何度も言われていたのだが、やはり忘れてしまっているようだからだ
「どうしたんだ、夏彦。浮かない顔をして。昼飯の時もだったよな」
「え、あ・・・いや。傘忘れてきたんだよ。どうしよう、りんどうから夕方から雨が降るって言われたんだけど。やってしまったなって思って」
「そ、それじゃあ・・・」
丑光さんが何か言いたそうにしていたが、俺の元に女性がやってくる
「夏彦、少しいい?」
「良子。どうした?」
「お客様。ロビーにね、夏彦に傘を持ってきたって子が。りんどう・・・って言ってたけど・・・誰かわかる?」
「りんどうが・・・ああ。今行く。ありがとうな」
「いえいえー。気を付けなよ。転ぶよ」
「大丈夫だ」
俺は二人に挨拶をした後、鞄を持って彼女が待つロビーに向かって行った
「・・・いいなあ」
丑光さんの少しだけ寂しそうな声は、雨の降る音に紛れてよく聞こえなかった
・・・・・
「ねえ、覚」
「な、なんですかね、沖島様・・・」
事務課に所属している沖島良子は、東里と夏彦とは長い付き合いになる
なんせ、創業メンバーの一人なのだから
一応言っておくが、あんなに距離は近いが、そういう関係ではない
夏彦は就職してから仕事一筋で色恋沙汰すら聞かなくなり、沖島様は十八歳時点で既に人妻だ。学生結婚だと聞いた
・・・そしてこの女は、俺にとって天敵みたいな存在だ
「あんた、知ってたの?」
「知ってたって・・・」
俺的に女の子にされたら嬉しいけど、沖島様にされるのは嬉しくないことナンバーワンな壁ドンをされつつ、言い寄られる
・・・正直、「あれ」を抜きにしても、この女は超怖くて苦手なんだよな
泣く子も黙るというか、上手く付き合えてる夏彦がおかしいぐらい性格がきついのだ
あの東里ですら恐縮するときがあるというのに・・・
「だから、夏彦の彼女の事よ」
「ああ・・・りんどうの事?」
彼女じゃないんだけどな・・・同居人と言った方が正しいんだけどな
けど、その勘違いを否定したら何言われるかわからないし・・・そのままにしておくか
「知ってたんじゃない。でもまあ、あいつももう安心ね」
「なんでだよ」
「夏彦、笑ってたでしょ?」
「まあ、そうだな」
「表情筋が凝り固まったあの男を笑わせた子なんて十年ぐらいの付き合いがあるけど、初めて見たわ。それに」
「それに?」
「傘を忘れたら届けてくれる奴に悪い子はいないわ。私の旦那みたいにね」
「・・・惚気かよ」
「惚気よ。私も下で旦那待たせてるから、またね」
そう言って、沖島様は去っていかれる
俺は嵐が去ったことに、心の底から安心して、息を吐いた
「・・・巳芳先輩、この前も思ったんですけどかなり沖島次長から当たりがきついですね。本当に何をしたんです?」
「したこと前提かい。まあ、やらかしたのは俺だけど・・・奴の妹に手を出した。それからずっとこの扱い」
「・・・」
無言で恵ちゃんは距離をとる
「ちょちょい!その扱い酷くね!」
「・・・それは引きます。こっち来ないでくれます?」
「恵ちゃん!?」
嫌悪感を隠してない表情で、彼女は俺と距離をとる
俺は必死に弁明しながら、彼女が距離をとった分、近づいていく
最も、あいつの妹である稲穂ちゃんは・・・智にとってもわりと重要な人物の生まれ変わりだ
前世の意思に従って進んでいたら、稲の生まれ変わりに引っかかるとは・・・
本当に、前世も今世も結ばれた縁からは逃げられないらしい
鈴や雪霞・・・夏彦、俊至・・・東里
そして祝・・・恵ちゃんのように、結ばれた縁は今世でもしっかり結ばれたままだ
それがいいのか悪いのか今の俺にはわからない
けれど、夏彦と鈴にとってはいいものかもしれないなと思いつつ、恵ちゃんに弁明を続けていく
「・・・何やってんの、覚」
それを東里に見つかって止められるのは、後の話
・・・・・
街灯だけが照らす、雨の道
彼女と一つの傘を使って、買い出しを終え、家まで帰っていった
「もう、何度も言ったのに傘を忘れるなんて・・・!」
「すまないな、りんどう」
「今回だけですからね」
「今回だけなのか・・・?」
「今日のように雨が酷いときは、考えます」
「それはありがたい」
一つの傘という時点で気が付いた
・・・俺の傘しか、あの家にはないのだ。これは由々しき事態では?
「そうだ。少し寄り道をしよう」
「寄り道ですか?」
「ああ。少しだけ。こっちだ」
寄り道先は、街中から少し離れた場所にある商店街
その、傘屋だ。この傘を買った店でもある
お値段設定が優しめで、それでいて傘はシンプルなものが多く、さらには丈夫なものが多い印象が強い
「傘が沢山ありますね」
「どれがいい?色々あるけど・・・」
「いいんですか?」
「必要だろ?」
「そ、それでは・・・この傘が、いいです」
りんどうが手に取ったのは、薄い緑色の傘。よく見ると、その傘には葉の模様が薄っすらとついている
「綺麗な傘だな。すみません、これをお願いします」
「毎度あり。タグ外します?」
「そうですね。お願いします」
店員さんに声をかけて、傘のタグを外してもらう
それからお金を払って、彼女に傘を手渡した
「はい、これ」
「ありがとうございます、夏彦さん」
「どういたしまして。早速使う?」
店を出た後、商店街を出る道を歩きながら彼女に問うと・・・彼女は顔を俯かせた
「・・・ダメでなければ、今日だけは、一緒の傘で」
「構わない。そうだ、ダメじゃなかったら・・・!」
「へ?」
俺はりんどうを連れてきた道を戻っていく
その道中にあったものが気になったからだ
今度の目的地は精肉店。そこに売っているものだ
「すみません。まだコロッケ売っていますか?」
「ああ。まだあるよ」
「二つお願いします」
「毎度あり。熱いから気を付けてね」
俺は店主さんからコロッケを二つ受け取る。確かに熱い・・・普通に手渡すのは気が引ける
「りんどう、俺の鞄からハンカチ取り出してくれるか?」
「ええ。任せてください」
店から少し離れて、人通りの少ない場所で鞄を開けてもらう
そして、その中からハンカチを取り出したりんどうは、これからどうしたらいいのかというように俺の方を見上げた
「コロッケ。熱いから、それ使って持って」
「ころっけ!番組で見たので知っていたのですが、食べるのは初めてです!でも、間食は・・・」
「これは特別!いいだろう、たまにはさ」
「そうですね、たまには、いいですね」
二人で小さくいただきますを言った後、コロッケをかじる
「ほくほくでふへ・・・」
「衣はしっかりサクサクしてる。あったかいな」
「んぐ!今度、作ってみましょうか?」
「それは楽しみだな」
「・・・やっぱり、味のことには言及しないのか」
「何か言ったか?」
「いいえ。何も。とても美味しいですね。コロッケ」
今度の約束をしながら、コロッケを食べていく
商店街の天井はガラスになっていて、そこから空の様子がうかがえる
しかし、空の模様は全く見えない。見えるのは天井に降った雨が流れる場所に流れていく様子だけ
「酷いですね、雨」
「ああ。そうだな・・・」
「明日は、晴れるといいですね」
「ああ。なんせ、やっと買い物に行ける日だからな」
「楽しみです」
「俺もだ」
他愛ない会話をしていると、コロッケもあっという間に食べ終わってしまう
それと同時に俺のお腹もなぜか鳴る。人通りが本当に少なくてよかった
りんどうはその音を聞いて、堪えるように口に手を当てて小さく笑う
「ふふっ」
「まだ俺のお腹は満足していないらしい」
「それじゃあ、早く帰りましょう。今日は、ええっと、すぱげち?」
「スパゲティか?」
「そうです。それに挑戦してみました!ナポリタンです!」
「じゃあ、早く帰らないとだな」
「はい!」
寄り道の時間はここでおしまい
俺たちは再び帰路へ着く。今度は家にちゃんと帰るために。そして、明日の買い出しに備えるために、歩き出した




