+)31日目:私がそばにいますから
食事を終えた後、今日の洗い物当番であるりんどうの姿を見つつ、食後の時間を過ごす
なんだかしっくりくる光景・・・これからもこうであった欲しいなんて考える思考を、頭を振って追い出していく
答えは出ている。けれど、その答えを認めたくはない
それは、俺が望んでいいものじゃない
「夏彦さん、洗い物終わりましたよー」
「・・・」
「夏彦さん、ぼぉーっとしてどうしたんですか?何かあったんですか?」
声をかけられたことに気がつかないまま、俺はただ正面を見続け続けていた
だからこそ、それで気がついた
気がつけば、彼女は目の前にいたから
「・・・具合、悪いですか?」
「え、あ・・・いや。なんでもないんだ!少し、考え事をしていただけだから」
「それなら、いいのですが・・・」
「・・・少し、部屋に戻るよ」
「わかりました」
苦しい言い訳だったかもしれないが、そう言いつつ部屋を出て自室へ向かう
今日は、ワイシャツにアイロンを当てて・・・
当てて、あれ?後は何をしようとしていなんだっけ
部屋の扉を開ける
なんだろう。なんなんだろう。この、変なむず痒さは
わからない。何がどうして、こうなっているのか見当がつかない
わからない
わからない
・・・こわい
・・・・・
「君はこんなことすらできないのかい?」
皿が割れる音がする
少ない食事が、床に落ちた
上を見上げる。大人が二人。男の方は皿を落とした本人だ
女の方は、ただそれを無言で傍観している
「全く、どこの誰に似たんだが」
頭を掴まれる
髪が抜けそう。痛い、痛い、痛い
揺らさないで。痛い、痛い
「痛い、です・・・お父さん」
「誰が、お父さんだって!?」
小さな体が宙を舞う
壁にぶつかる。全身が痛い。声も出せないし、息もうまくできない
ひゅう、ひゅうと音だけが聞こえる
頭がぐわんぐわんして、上手く考えられない
でも、考えても僕は何もできない
出来損ない、なのだから
「全く・・・君は一体何を教育しているのかい!」
男の標的は、今度は女の方に移っていく
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい
僕が出来損ないだから、痛い思いをさせちゃう
いい子になるから
いい子にするから
「ごめ・・・なさ・・。お母さ、ん・・・」
今出せる精一杯の声で謝罪を振り絞る
女が、お母さんがいる方向に、手を伸ばす
しかしその手は届かない
その代わり、聞こえるのだ
鈴の音のような、優しい呼び声が
一番大事な彼女が、俺を呼んでくれているのだ
どこにいる。どこにいるんだ。りんどう
「起き・・・い!」
「・・・誰の、声、だっけ」
「起きてください!夏彦さん!」
その声が鮮明に聞こえる。遠い昔にもその声を聞いた覚えがあるとふと思う
どこで、だっけ
意識が表層へ向かっていく
彼女が待つ場所に
・・・・・
目が覚める
いつの間にか気絶していたらしい
見知った天井が目の前に広がり、その視界の端に、青緑色の髪が映る
その表情は、今にでも泣きそうな感じ
凄く、見たくなかった顔だ
「りん、ど・・・う?」
「お風呂が沸いたので伝えにきたら、床で眠っていて・・・!心配したんですよ!」
「あー・・・うん。ごめん」
「本当は具合、悪かったりしますか?嘘は、いりませんよ?」
「本当に大丈夫。ただ・・・」
「ただ?どうされました?」
「・・・何を見たか忘れたんだけど、凄く、思い出してはいけないと心から思う夢を、見ていたんだ。凄く、痛い夢」
正直に思ったことを伝えると、りんどうの表情はますます曇る
何か、不味いことを言っただろうか
「・・・大丈夫ですよ。所詮夢ではないですか。何も怖いことはありません」
「そう、だろうか」
「思い出す必要はないですよ。ほら、お風呂に入って一汗流せば忘れられますよ、そんなこと・・・何も考える必要はないんです」
彼女の言葉が心の中で反響する
いつもなら、これ以上深くは考えない
でも、心の中で「何が」か訴えかけるのだ。目を逸らすなと、ずっと
「・・・なんで、そう言い切れるんだ?」
「それは簡単な話です。血の気の引いた顔で無理して思い出そうなんて言い続けるあなたを止めない理由はありません」
「そう、なのか」
自分の表情は見えない。けれど目の前のいる彼女には見えている
「忘れているかと思うので、改めて。私は、貴方の健康を、いいえ・・・貴方自身を守る存在としてここにいます。貴方が無理をしようとするのなら、私はそれを止める役目がある。それが、貴方の為と信じて」
両頬にりんどうの小さな手が添えられる
そして俺の額に、彼女の額が触れた
暖かくて心地いい。熱くもない。それでいて冷たくもない
心の底から安心できる暖かさだ
「夏彦さん。貴方が見た夢は、いつか思い出さないといけないことかもしれません。けれど、今でなくていいではありませんか」
「今でなくても・・・か」
「はい。万全な状態で、振り返った方がいいですよ。今じゃ、きっと・・・夏彦さん自身が持ちません」
「・・・ありがとう。君がいてくれて本当によかった。いなかったらきっと、無理をしただろうから」
「これぐらい当然です。気分は落ち着きましたか?」
「ああ。少しだけだけど。まだ、頭は少しだけ痛いけど」
まだ少しだけ頭が揺れる感覚がする
「倒れた時に打ち付けたのかもしれません。もう少し横になっていてください。今度はちゃんとベッドの上で。数歩の距離ですが、そこに着くまできちんと支えますから」
額と手が離される。少し、名残惜しい
その時に、彼女の輝く翡翠色の瞳と目が合った。なんだろう。この懐かしさは
「ひゃっ!どうしましたか?」
「え・・・」
いつの間にか、俺が彼女の頬に手を添えていた
ずっと見ていたいと思ったのだ。翡翠色の優しい目を。何よりも慈愛に、そして献身に満ちたその瞳を
どこかで同じものを見た気がする。けれど、今まで関わってきた人で、りんどうと同じ色の瞳を持つ人物はいなかった
強いていうのなら、覚も似た色の目を持っている
最も、深緑色の瞳だからりんどうとは異なるけれど
「・・・同じ色を、同じ空気をどこかで」
頭の中で何かが過ぎる
鈴のような声。目の前にいる彼女と同じ鈴のような声
でも、どこか幼さを感じさせる声
『雪霞様、こちらです』
『ああ。ありがとう。今日は、どこへいくんだ?』
暗闇の中で声だけが響く
雪霞とはなんだ。この記憶は一体・・・
「夏彦、さん?」
「何よりも、大事な、記憶。いつの、どの・・・何も、見えない」
意識が少しずつ朦朧としていき、やがて俺の意識は泥のような沼の底へ落ちていく
・・・・・
私の肩にもたれかかる彼は、苦しそうに浅い息を吐いていた
「・・・記憶の蓋が外れかかっている」
前々からその兆候は見えていた。巳芳の家に行った後、彼は無意識に神語りを発動させていたから予感はあった
気絶してくれてよかったのか。それとも、それが悪いことなのか今の私にはわからない
しかし・・・もう一つ兆候が見えた
「なんで、私のことも追求してきたの?」
雪霞様が彼の中にいるのはわかっていた。なんせ前世であり生まれ変わりだから
けれど、こうして夏彦さん自身が雪霞様の記憶に触れることはなかった
今までの生まれ変わりである三人にも見られなかった兆候
そもそも雪霞様と同じ・・・それ以上の神語りを発現させたのは夏彦さんだけだ
「・・・何が、起ころうとしているのかわからないけれど」
眠る彼の体を抱きしめて、憑者神の姿を取る
普通の姿では、彼を持ち上げることはできないから
「明日、少し早く起こせば問題ないかな」
ベッドの上に寝かせ、私もその横に転がった
うなされた寝顔を安心させるように、手を握りしめる
「大丈夫ですよ。私は、ここにいますからね」
何を見ているのかわからない
私は、夢に干渉することはできない。羊の憑者神であれば、話は別だっただろうけど
今の私にできることはただ一つ
「打ち付けたかもしれない方には術が効きますから、術をかけておきます」
頭に手を添えて、術をかけていく
少しだけ寝顔が安らかになった気がした。苦しそうにしていたのは、頭の痛みもあったからかもしれない
けれど私が治せるのは外傷など怪我に対する痛みだけだ
心の傷は癒せないけれど、願うぐらい、いいではないか
「・・・この術が、貴方の心まで届きますように」
「・・・」
「おやすみなさい。夏彦さん。今度こそ、いい夢を。今度は、幸福な夢を見てください。小さい頃の記憶ではなく、楽しかった日々の思い出を」
術をかけながら、彼の頭を撫で続ける
いつもしてくれるように、優しく、ゆっくりと
彼の寝息が、穏やかになるまで・・・ずっと、私は彼を見守り続けた




