21日目⑤:コップ一杯で出来上がる「例のあれ」
「どうしてこうなったんだろう・・・」
「マジごめんな・・・?」
「・・・貴重だけど、貴重だけど!これは名誉の為にも黙っておくべきことだよね。いやはや、こんなことになるとは。もうすぐ日付変わるけど、いつ終わるんだろう、これ」
「先輩、飲み会とかで全く飲まないなって思ったら・・・こんな風になるからなんだ」
私たちは頭を抱えながら、その光景から目を背ける
しかし、彼は許さない
「ふんふんふーん!」
呑気に鼻歌を歌い、私を抱きしめて笑う彼の表情は真っ赤
風邪を引いたときよりは薄い。けれど大きく違うのは、いつもは無表情で滅多に表情が変わらない彼の表情が、溶けきっているのだ
「離してください夏彦さん」
「やら!」
「幼稚園児みたいな事言わないでください。ほら覚、定期的に、ちゃんと、水を、飲ませてくださいね?」
「ほ、ほいさっさ!」
覚に指示を出して、私は彼の腕の中で無抵抗の状態になる
もうどうにでもなれ・・・と思いながら、どうしてこうなったのか改めて振り返った
・・・・・
夕飯を食べ終わった後、夏彦さんに三人の相手をしてくるように頼んだ私は一人で洗い物をしていた
意外と夏彦さんはからかわれる側の人間らしい
覚が調子乗ったことを言い、夏彦さんがそれを受け止め、東里がおかしい部分にツッコミを入れる
長い付き合いと言っていた。三人の中には割り込めないような雰囲気も少なからずある
それでも丑光さんは三人の話に、少しずつ入り込んでいた
明るい人、なのだろうか。祝とは正反対だ
「夏彦、ほれほれ、お前せんべい好きだろ。鞄の中に入ってたからやるわ」
「嫌いじゃない」
「手は正直すぎますよ。全く、どこの誰に似たんですか・・・」
覚からせんべいを手渡される
彼も智と同じで雪霞様・・・夏彦さんとはいい友人関係を築けているようだった
その光景は、彼らと重なる
「ほうら、夏彦。せんべい食べさせてあげますよ」
「そんなサービスはいらない」
「されるのなら東里みたいな野郎じゃなく、恵ちゃんみたいな可愛い女の子だよね!代わりにやってやれば?」
「ええ!?」
「丑光さんに迷惑だろ。あ、りんどう」
夏彦さんはソファーの中心から抜け出して、せんべいを大事そうに両手で持ちながら
私の元に歩いてくる
「洗い物ありがとうね。これ、半分にしようか」
「いいんですか?」
「うん」
夏彦さんはせんべいの袋を開けて、それを二つに割る
そして、大きい方を私に差し出した
「ありがとうございます。いただきます」
「いただきます」
二人同時にせんべいにかぶりつく
醤油の程よい風味が口の中に広がっていく。硬さも申し分ない
「・・・養子が飼い主で、夏彦が犬みたいに見えてきた」
「あー・・・同感です」
「しかし、喉が渇くね・・・」
その発言を、覚が見逃さなかった
私が見ていないと思い、懐からひょうたんらしきものを取り出し、その中身を夏彦さんが使っているグラスの中に注ぎ込む
「夏彦、ほい、水」
「ありがとう、覚。ん・・・」
私が引き留める前に、夏彦さんはその中身を一気に飲み干してしまう
表情からして覚は面白がっているようだ。何事も起きなければいいのだが・・・・
不安を抱いた私の希望を裏切るように、床にグラスが落ちる
丁度カーペットのところだったので割れなかったが・・・夏彦さんの様子は見るからにおかしかった
「な、夏彦さん?」
「・・・りんどー」
「え」
風邪の時よりは呂律が回っているけれど、それでも顔は真っ赤で目の焦点は合っていない
まさか、まさか・・・酔ったのだろうか
たったの、コップ一杯で
「りんどー。なでなでー」
私の身体を抱きしめて、頭を撫で始める
彼の表情は見たこともないぐらいににっこにこ。もうこれ以上ないぐらいの満天の笑みだ
しかし、力の加減が全くできていない!
「痛いです夏彦さん!摩擦で髪がもげそうです!」
「あーやっべー、間違えて俺の酒渡したわー」
「一生聞くことがなさそうな棒読みで自分の罪を告白してくれありがとう覚。で、夏彦。大丈夫?前々から酒の席ではコップ一杯以上飲まなかったし、弱いんじゃ・・・」
「とーりー。もっふもふー」
心配そうに彼に駆け寄る東里の耳を、乱暴に掴んでこちらも撫で始める
「夏彦!流石にそれは、痛いから!乱暴にしないで!やめて!痛い!」
耳を引っ張られていると同義なのだから、本当に痛いのだろう
いつもなら喜んでその状況に甘んじそうな東里は青ざめた顔で、夏彦さんの手から逃れようと藻掻いていた
「先輩、社長痛がってますから、離してあげてください!りんどうちゃんも苦しそうにしてるじゃないですか!?」
「んあー?」
そんな夏彦さんを止めようと、今度は丑光さんが、東里の耳を掴む夏彦さんの手を少しでも緩めようと駆け寄る
「・・・とーり、いたい?」
「痛い!」
「ごめんね?」
それを確認した後、夏彦さんの手は東里の耳を放す
彼は痛そうによろめき、丑光さんに支えられながら距離を取った
「大丈夫ですか、社長」
「だいじょうぶ、とーり?」
「・・・気にしないで、二人とも。痛かったけど、何もかも悪いのは、君にお酒を飲ませた馬鹿一人だけなんだから」
「・・・・」
私と東里、丑光さんは離れたところでその光景を面白そうに見つめている彼を睨む
「なに呑気に眺めているんですか、先輩」
「なに面白そうに動画取ってるの、覚」
「いやはや、俺に矛先がなかなか向かないから、しばらくは眺めていようかなって」
「・・・・」
こいつは何を言っているんだろう
私たちの思考が一致した気がする。いや、間違いなく一致した
「夏彦さん」
「なんら、りんどー」
「巳芳さんが撫でられたさそうに、こっちを見ています!」
「なっ!?」
「ほー」
夏彦さんの眼光が、肉食動物によくある狩りの目に変わる
「りんどー」
「はい。夏彦さん」
「あとでね?」
「・・・はい」
また後で、なんて言葉がここまで嫌だなと思うのは今日が初めてだ
彼は私を放し・・・
「・・・あーあ、これだから嫌なんだよなあ。夏彦のその目」
無風の空間に、突如風が出来たとおもったら、夏彦さんは瞬時に、覚の後ろに移動していた
何が起こったかなんて、この場にいる全員がわからない
私の目の前に起きた風を考えるに、普通に移動しただけなのだろう
ただ、それが普通の人間に出せるような速さではないことだということは、東里はもちろん、私や丑光さんでも理解できた
「間違いなく、狩られるじゃん?」
「さとる!」
「あはははははは・・・・こういうのは、恵ちゃんとか、りんどうちゃんとかが相場じゃね!?男にされても全く、全然、これっぽっちも嬉しくないからな!?撫で好き夏彦め!」
夏彦さんは、私が言った事を信じて覚を笑顔で撫で始める
「なで、いってくれればいつでもー」
「やめやめ・・・・ん、ああ・・・意外と悪くない?これが、撫で彦の力・・・?」
「撫で彦ってなんだ・・・しかし、なんで俺は覚を撫でているんだ?」
酔いが醒めたのか、夏彦さんは自分の今の状況を飲み込めずにいた
やっと終わったと、安堵したのもつかの間
悪い笑みを浮かべた覚が、再び机のコップを手に取り、ひょうたんの中の酒を注ぐ
「あ!」
「夏彦、喉乾いたろ?水飲むか?」
「あ、ああ・・・さっき飲んだような気がするんだがな・・・ありがとう」
夏彦さんは不思議そうに首を傾げた後、再びコップの中の酒を飲む
なんでこう繰り返すんだ・・・!
「・・・さっきから、なんらかへんなきぶんら」
「よし、再び酔ったな!夏彦!りんどうが、私も撫でてほしいなって顔してるだろ!行け!」
「図りましたね!」
「やられたらやり返す。それが巳芳流よ。子供相手でも手加減しない!」
「うわ、超大人げないですね」
「一回死んだ方がいいんじゃない?それか記憶喪失。こんな馬鹿息子で、ご両親泣いちゃうよ?」
「外野は黙ってなよ!ほら、夏彦」
「むー・・・確かに」
夏彦さんは、ふらふらと歩きながら私たちの方へ歩いてくる
先程みたいな動きはできないらしい
「・・・酔いが醒めたけど、追い酒したからさっきより酔いが酷いんじゃないのかな?」
「私、水を用意します。勝手にコップ使うけど、大丈夫ですか!?」
「ええ。大丈夫です。お願いします。ほら、夏彦さん。こちらですよ」
「りんどー」
私たちの元に辿り着いてから、床に座り込んでしまう
「りんどーなで?」
「じゃあ、お願いしましょうかね。撫で彦さん」
「なでひこ、ちがう・・・・」
そう言いながらも、彼は黙々と私の頭を撫でようと手を伸ばす
私はそれがしやすいようにしゃがんで、気が付けば先ほどと同じように抱きしめられていた
・・・・・
そして話は冒頭に戻る
「なで、なで、なで・・・」
夏彦さんはあれからずっと、私を撫で続けていた
先程みたいに短時間で酔いが醒めることがなく、今も彼は酔っているようだった
「追い酒させるから・・・」
「しかも水だって騙して・・・」
東里と丑光さんは、動けない私に代わり水を運び続ける覚を冷めた目で見ながら、お茶を飲んでいた
ちなみに食べているお茶菓子は私が覚に出させた
しかし、東里は先ほどからずっと耳の手入れをしている
特に、掴まれた部分を念入りに。相当痛かったようだ
「悪ノリして悪かったと思うから、手伝ってよ二人とも!」
「お二人は何も悪くないのに、これ以上迷惑をかけるわけには。ほら、もっときびきび働いてくれませんか、覚。夏彦さん、また喉乾いたみたいで顔をしかめているじゃないですか」
「遂に呼び捨て!?」
「東里、耳が気になるならお風呂どうぞ。沸いてますよ」
「僕も呼び捨て・・・」
「お二人に、どこか尊敬に値する部分ありますか?覚、私にもお茶を。暖かいので」
「「ごもっともな意見で・・・」」
二人にそれぞれ指示を出すと、各自動き出す
「丑光さん。流石に夜も遅いですし、一人で帰すわけにはいきません。何かあってはい行けませんし・・・誰か動けるようになるまで今しばらくお待ちください」
「私は尊敬されていると思っていいんだろうけど、距離を感じてなんだか辛いよ・・・」
丑光さんはなぜか胸を抑えて悲しそうにこちらを見ていた
ううん、何を間違えたのかわかりません・・・
「お茶、お持ちしましたよ、お嬢様」
「お嬢様ではありません。どうせわかっているんでしょう。智の子孫」
丑光さんと東里から距離があることを確認してから私は彼に口を開く
夏彦さんは酔っている。明日になれば忘れているだろう
だから、これはある意味チャンスだ
「・・・その呼び方、やっぱ気づいてたんだ」
「気付きますよ。全員智、祝、俊至に瓜二つなんですから」
「じゃあ、俺らもこう読んだほうがいいわけ、二階堂鈴」
「夏彦さんの前では呼ばないでください。いつか然るべき時に話す予定なので」
「そ。まあいいけど。でも、お前の情報網でも夏彦を見つけ出したってことはさ・・・戌も間違いなく」
「そのあたりの話はまた後日。きちんと時間をとります」
話を長々としている場合ではない。夏彦さんの酔いが急に覚めてしまうかもしれないから
だから、話の続きはまた別の場所で
夏彦さんがいない場所で、しなければならない
「わかった。連絡先渡しておくから、夏彦にバレないように」
「ありがとうございます。私の都合は大体いいので、あなたの都合で日付を指定してください」
「了解。じゃあ、また水を注いでくるよ」
「ありがとうございます。キビキビ働いてくださいね、覚」
覚から熱々のお茶を受け取り、密会の約束を取り付ける
やるべきことを終えた、息抜きもかねて受け取ったお茶を口に含む
賑やかな休日はまだ終わらない




