10日目:大事に思える同居人
「分量通りに、分量通りに」
ネットで検索したレシピを元に、今の彼女でも食べられそうなものを作る
手際はもちろん悪い。何度焦がしそうになったか
それでも、彼女に何か食べさせないと・・・体調は良くならないだろうから
「卵は入れた。塩は、どうしようか」
味が濃くない方がいいだろう。しかし、卵の味だけというのもきついかもしれない
少しだけ塩を入れる。半つまみ程度にしておこう
「あったか過ぎるのも、食べられないだろうな。これぐらいでいいかな?」
とりあえずこれで完成だ
それを鍋から器に移し、スプーンを片手に彼女の元に持って行く
「りんどう、りんどう」
「んぅ・・・」
「御粥を作ったんだ。食べれそう?」
「たべ、る・・・」
「わかった。じゃあ、身体起こすよ・・・っと」
彼女は力なくソファーの背もたれに顔を乗せる
起き上がれるけど、まだ力が入らないのだろう
「少し、失礼」
御粥の器を目の前のテーブルに置いて、彼女の座り方を調整させてもらう
俺に寄りかかって、なおかつ俺が彼女に食べさせやすいように
「これで大丈夫かな。ほら、りんどう。口を」
「あー・・・」
「ん。だ。どうだろうか?」
彼女の小さな口に、御粥を一口運ぶ
小さく口を動かした後、それを飲み込んだようで・・・再び口が開かれる
「もう一口?わかった、わかった」
「んぅ・・・んん」
「まだ食べれそう?」
「うん」
少しだけ顔色が良くなった彼女の口に御粥を運んでいる間に、器の御粥は半分になる
その頃になると、彼女のお腹も満腹になったのか、拒絶するように口を噤んだ
「お腹いっぱい?」
「はい、ありがとう、ございます。夏彦さん」
荒い息でお礼を告げてくれる
まだきつそうだが、少しは喋られるぐらいに回復したようだった
よかった、本当に
「じゃあ、お薬取ってくるね」
「あ・・・」
彼女をソファーに寄りかかせて、俺は半分の器を持って台所へ戻る
それから、コップに水をついで薬を持って彼女の元へ戻る
「これ、付喪神に効くかわからないけど」
「ありがとう、ございます。大丈夫ですよ、人と、同じように・・・で」
彼女はそれを口に入れて、水を飲む
コップを持つ力が入っていなかったように見えたので、コップを掴む手に自分の手を添えて支えておく
「あの、夏彦さん」
「ほら、まだきついんだろう?早く寝よう。今日はどっちで寝る?君の部屋?俺の部屋?」
「・・・夏彦さんと一緒が、いいです」
「まだ俺もやることあるから、一緒に寝てはあげられないけれど・・・寝るまで側にいようか?」
「ん・・・」
「わかった。じゃあ、俺の部屋に運ぶから」
彼女の身体を再び持ち上げて、和室ではなく俺の部屋へ
先日も一緒に寝たから別に抵抗はない。それに、一人が寂しいというのなら一緒にいてあげるべきだと思った
彼女をベッドに寝かせると、彼女が手を伸ばしてくる
手を握っていてほしいのだろうか。ベッドサイドに腰かけて、彼女の手を握ると、りんどうは嬉しそうにはにかんだ
しかし、その表情は一転して申し訳なさそうに歪められる
「夏彦さん、あの・・・昨日は」
「昨日の事は別に今じゃなくていいだろう?」
「ごめんなさい。夏彦さん、怖がらせて・・・」
「よくわからないんだよね。俺、幼少期の記憶がないから。小さい頃に、怒られることとか、その、手を挙げられることが苦手になるような出来事があったんじゃないかと思うけど、今の俺にはわからない」
「あ・・・」
「だから、そのせいで君にもたくさん迷惑をかけると思う。昔は、暴力を振るわれようとしたら反射的に殴り返す癖があったから。昨日は、それが出なくてよかった」
「あの」
「起きたらダメだよ。ちゃんと、寝て・・・」
それでも彼女は止まらない
ふらついた身体を起き上がらせながら、俺の目を黙って見つめる
「私は、龍之介様から、貴方の事を少し聞いています。だから、貴方の過去に何があったか・・・私は知っています」
「そう、なんだ」
申し訳なさそうに告げられた事実を、俺はすんなりと受け入れることができた
だからこそ、あの落ち込みようだったのかもしれない
「ごめんなさい、夏彦さん。わかっていたのに、あんなことを・・・」
「謝らないでよ。俺も、記憶がないこと話してなかったんだから」
「私、料理の事になったら、こだわりが強すぎて・・・適当を認めなくなって・・・」
「うん。それは一昨日、よく理解したよ。だから今日、リベンジしてみた」
「はい。とても美味しかったです、卵粥」
「うん。ありがとう。あ、ごめんね、話し込んで・・・きついでしょう?」
「はい。実は・・・寝るまで、手を握っていてくれますか?」
「正直に伝えてくれてありがとう。君が寝るまで側にいるから、ゆっくり休んで」
彼女の小さな手を握り締めて、彼女が眠るのを静かに待った
やがて、少し荒い息が寝息に変わる頃
俺は彼女の頭をそっと撫でて、自室を出ていく
それから、俺も一通りやるべきことを終わらせに行った
台所で洗い物をしながら、一人で考える
やはり、彼女に任せてばかりで無理をさせているのではないだろうか
もう少し、俺にもできることを増やさないと・・・また、彼女が倒れてしまうかもしれない
少しだけ、正直になってくれた彼女の顔にはやはり疲労がたまっていた
何か、彼女の為にできることを増やせないかと思いながら、俺は夕飯の後片づけを黙々とこなしていった
・・・・・
次の日の朝
目覚めはとても良く、昨日の気だるさも全くなかった
しかし、隣に夏彦さんの姿はない
やはり、気まずい?
そう思いながら、いつも通り朝食を作る為に台所へ向かうと、そこには・・・
「ん、おはよう、りんどう」
「・・・おはようございます、夏彦さん」
そこには、姿が見えなかった彼の姿があった
気まずさも何も感じさせない、明るい口調で私に挨拶をしてくれた
なぜ、エプロンを付けてここにいるのだろうか・・・?
「体調は平気?」
「はい。もう大丈夫です。ご心配とご迷惑をおかけして申し訳ないです」
「気にしないで。それと、これ」
「これは・・・お味噌汁、ですか?」
「うん。見様見真似で作ってみたんだけどさ、どうかな」
差し出された小皿には、味見用の味噌汁が注がれている
私は小皿を受け取り、それを口に含む
素直に言えば、美味しい
とても見様見真似で作ったとは思えないほどに、それは美味しかった
でも、彼はなぜ唐突に朝食を作ろうと?
もしかして、私に負担をかけないように?朝食だけでも、作ろうと?
けれどそれでは、彼の負担がさらに増えてしまうだろう
ただでさえ仕事が忙しい彼の負担になっては、本末転倒だ
だからここは、素直になってはいけない
「・・・まだまだです」
「だよね・・・」
「だから、一緒に作りましょう、夏彦さん」
「・・・!うん、ご享受の程、お願いします」
だから、これが最善なのだ
私の負担にも、彼の負担にもなりすぎない「半分」な、この形が
「夏彦さんのお味噌汁は美味しいですよ」
「本当?じゃあ、さっきは・・・」
「一緒に作るための口実ですよ」
思ったことを、そう伝えると彼の表情が少しだけ変わる
なかなか表情の変化をみられない彼にしては、大きく変わった方だと思う
それが少し面白くて、申し訳ないけど笑ってしまった
「素直じゃないね」
「素直じゃない子は嫌いですか?」
「嫌いじゃない」
よく見ると、口角が少しだけ上がっている
彼が子供のように無邪気さを込めて笑ったのは、初めてかもしれない
その変化に、嬉しさを覚えつつ、別の感情も沸き上がった気がした
もっとその表情を見てみたいと思うのは、欲ばりだろうか
そんな私の悩みは、心の中にそっと押し込まれる
そして私たちは、一緒に朝食の準備を昨日できずにいた会話をしながら進めていく
「昨日、このエプロンをくれた酉島さん?だったかな。お礼のお菓子を買ってきたから、会う機会があったら持って行って」
「そうなのですか?ありがとうございます」
「それと、改めて確認したいんだけど、酉島さんって母子家庭・・・なんだよね?」
「はい。やはり、ご興味が・・・?」
「前聞いたときより不機嫌そうだね・・・」
彼の指摘通り、私の心は今凄く変な感じだった
まるで、彼が酉島さんの話をするのが嫌なような・・・なんでだろう。酉島の奥さんは凄くいい方で、夏彦さんにも紹介したいのに・・・
紹介したいのに、夏彦さんとは二人きりで絶対に会ってほしくないと思ってしまって、変な感じだ
「すみません。で、それがどうされたのですか?」
「娘さんの名前、絵未ちゃんって言わない?」
「はい。その通りです!なぜご存じなのですか?」
まさか夏彦さんの口から絵未ちゃんの名前が出てくるとは思っていなった
なんで知っているのだろう。その答えをすんなり彼は教えてくれた
「・・・やっぱり、代理の元奥さんか」
「離婚された旦那さんは、夏彦さんのお知り合いで?」
「ああ。日辻彰則さん。うちの会社で事務課長代理を務めてくれている人なんだけど・・・まさか離婚していたとは。凄く仲のいい印象だったんだけどね・・・何かあったのかな」
「さあ。こればっかりは聞けない事情なのでわかりませんが、酉島さんも旦那さんが嫌で離婚したわけではなさそうなんですよね」
「そうなんだ・・・よくわからないけれど、なんでだろうね」
「なんででしょうね・・・?」
まさか、夏彦さんのお知り合いに酉島さんの元旦那さんがいたとは
世間の狭さを改めて痛感する。近代化が進んでも、田舎みたいな人の繋がり方で驚きすら覚える
「世間は狭いですね」
「うん。自分でも狭さを感じた」
「あ、夏彦さん。そろそろ火を止めてください」
「はい。これで完成だね」
「では、朝食にしましょう!」
「了解。あ、そういえばもう一つ」
「なんでしょうか」
夏彦さんは冷蔵庫を開いて、その存在を教えてくれる
小さな白い箱。見覚えのない箱だ・・・なんの箱だろうか
「昨日、君と話すきっかけを作りたいなと思ってケーキを買ってきたんだ。何が好きかわからないから、とりあえずショートケーキにしたけど」
「しょおとけぇき?小さいけぇきですかね?」
「食べたことなかったんだ。じゃあ、今日は早く帰ってくるから。ケーキの種類も色々買ってきて、一緒に食べようか。仲直りも兼ねて」
「仲直り・・・!はい!しかし、けぇきというのはどういうものなのですか?食べませんから、少しだけ見せてください!」
「はいはい。これだよ、りんどう」
そういって、夏彦さんは小さな箱を開いて見せてくれる
小麦で作ったスポンジというのだったか。それに真っ白な生クリームを塗り、イチゴを並べた美味しそうなけぇきがその中には納まっていた
「夜、食べるのを楽しみにしておきますね!」
「うん。他にも買ってくるよ。楽しみにしておいてね、りんどう」
ショートケーキ、の入った箱は閉じられ、再び冷蔵庫の中へ
少しだけ残念だが、夜の楽しみがあるので気にせずに
私たちは夜の予定を決めた後、朝食の準備を再開した
この一連の出来事は、私たちの間に少しだけ心の変化を生んでいた
そのことを、私たちはまだ気づかずに、いつもの日常を過ごしていった




