9日目②:それはいたって唐突に
午後七時
普段はこの時間に帰ってきている夏彦さん
だけど、今日は全然帰ってくる気配がなかった
「・・・はぁ」
今日の夕飯は和食。煮魚がメインだ
夕飯はいつでも温められるようにしている。だから、問題ないのだが・・・
私の方も、少しだけ気分が優れない
「会いたいけれど・・もうお風呂に入って寝ましょう」
今の私は風邪の初期症状に似ている状態だ
ここ二百年、私は風邪らしきものを引いたことがないので、感覚がわからないのだが・・・風邪をひいて迷惑をかけるわけにはいかない
今のうちに、うつさないように対策をしなければ・・・最悪なタイミングだけれど
私はおぼつかない足取りで、風呂場の方に足取りを進めた
・・・・・
午後十一時
今日も終わりになる頃に、俺は家に帰った
昨日話したお礼の品と、彼女と話すきっかけとしてケーキを買いに行くために、市内中央まで足をのばしていたのだ
・・・こういうものがないと、話せないというのも問題かもしれないが
それほど、彼女と話すのはまだ気まずさが残るのだ
鍵を開ける
小さな声でただいまを言った後、音を立てないように扉を開けて、家の中に入った
「やっぱり寝ているよな」
玄関に来てくれる、付喪神の少女はいない
しかし、リビングはまだ電気がついている
リビングに足を進めると、そこには夕飯の準備がされている誰もいない空間だけが広がっていた
正直、寒かったので暖房を入れる
それから俺はケーキを冷蔵庫に入れながら考えた
・・・短い間だけれど、彼女が寝る前に電気を消し忘れるなんてことはあっただろうか
どこか不安に思って、俺は彼女が寝る時に使っている和室を恐る恐る覗く
しかし、彼女の姿はどこにもない
やはり、彼女も俺のせいで気まずさを覚えて、出ていってしまったのでは?
そんな考えがよぎる
「・・・ん?」
和室の目の前にある洗面所の方から、水の音がする
お風呂に入っているのだろうか
・・・流石に着替えている途中で出くわすのは嫌だな
一度、洗面所の扉をノックする
「りんどう、いるの?」
返事はない。聞こえていないのだろうか
仕方ない。ここは意を決してあけてみるしかないだろう
洗面所の扉をゆっくり開けながら、周囲を確認する
「・・・あれ?」
彼女の姿はどこにもないけれど、お風呂の電気はついている
まだお風呂だろうか。洗面所にはシャワーの音だけが響く
けれど、それはおかしいと思った
「・・・なんで、扉にかかっているんだ」
シャワーの水が流れる先は、彼女ではなく風呂場の扉
飛び跳ねたにしてはおかしな水量が扉に直撃していた
音と共に水滴は扉だけを濡らしているように思える
では、彼女は何をしている?扉の掃除?いや、それなら影で彼女の姿が扉に映らないとおかしい
「すまない・・・・!」
洗面所の扉を開けると、元々扉にかかっていたシャワーの水が俺に当たるがそれに気にしている場合ではない光景が目の前に広がる
荒い息を吐いているりんどうが、床に寝そべっていたからだ
「りんどう!」
シャワーの水を止め、洗面所の棚からバスタオルを取り出し、彼女にかける
「りんどう、聞こえるか?」
「・・・ん、あ?」
「熱、酷いじゃないか。なんでこんな状態で・・・!」
「なつひこ、さん?」
「ああ。俺だ。意識はあるな?服は?」
「ふく、いまは、あんてい、しない・・・かも、です」
普段の彼女は付喪神パワーで服を形成していた
もしも、それが使えない時の為に服を欲しがっていた。今は、その時なのだろう
「付喪神パワーが使えないと解釈していいんだな?」
「・・・は、い」
「きついか?」
彼女は無言で首を縦に振る。声を出すのもきついのだろう。
「わかった。服は俺のを貸すから、せめて、その肌着だけでも出せないだろうか」
「・・・・」
首を横に振る。無理らしい
「少し揺れる。頭は痛いか?」
首を横に振る。まあ、振っている時点で頭痛とかはないようだ
「リビングの暖房をつけている。そこで着替えよう。少しでも暖かい方がいいだろうから」
「・・・ん」
とても軽くて小さな彼女の身体を抱きかかえ、俺は風呂場からリビングへ移動した
ソファーにタオルを引いて、彼女を寝かせる
まだ濡れたままなので、仕方ないと言い聞かせながら急いで身体を拭いていく
すべて拭き終わった後、フェイスタオルを使って、彼女の髪をターバン状にしたタオルでまとめた
まだ髪は濡れている。けれど、濡れたままの髪が肌に触れるのは冷たいだろうから
それから、いつもはひざ掛けにしている毛布を彼女にかけた後、自分の部屋に向かい、着替え一式を取ってリビングへ戻る
「りんどう、着替えられる?」
「んー・・・」
彼女は真っ赤な顔で腕だけを差し出してくる
「わかった。じゃあ、腕だけ自分で通してもらえる?」
「ん」
順番に服を着せながら、ぼぉっとした彼女の表情を伺う
とてもきつそうなのは目に見えてわかる
病院・・・といっても、彼女の病気が付喪神特有のものかもしれないわけだし、何よりも人の薬が効くのだろうか・・・元、人だとは言っていたけれど
しかし、何も飲ませないよりはマシかもしれない。とりあえず、買い置きしていた人間用の風邪薬を飲ませて寝かせてみよう
明日、良くなっていなければ・・・病院に連れて・・・はいけないか。着替えがないわけだし、この服装で連れていくのも気が引ける
その時は、誰かに事情を話して手伝ってもらうしかないだろう・・・
「着替え、終わったよ」
「・・・・ん」
一応、全部の服を着せてみたがやはりダボダボ。しかしないよりはマシだ
「今度、ちゃんとした服を買いに行こう」
「・・・はい」
「ご飯は?」
「・・・ま、だ」
「今あるご飯は食べれそう?」
彼女はまたも首を振る。煮魚は流石にきついか
「わかった。じゃあ、俺が何か作るから、和室で寝ておいて。後で、持って・・・」
「・・・やだ」
「一人は寂しい?」
「ん」
正直、ここで寝るよりは和室で寝てもらった方がいいのだが・・・
彼女が「ここがいい」というのなら、それに応えたいと思う
それに、風邪を引いたときは人恋しくなると聞く
きっと今の彼女も・・・
「わかった。じゃあ、毛布にくるまっているんだよ。寒かったり、これ以上きつくなったら呼んで」
「ん・・・」
彼女の頭を撫でた後、俺は濡れたネクタイに手が触れたことで今の状況を思い出す
自分自身も濡れた状態なのを思い出し、すぐに部屋着に着替えに行く
それから、彼女が頂いたエプロンを付けて台所へ立つ
昨日のリベンジを、果たすために




