8日目:巽家のお料理会
昨日、掃除を終えた俺たちはその後、食材の買い出しに出かけてその日を終えた
そして今日の午後三時
俺たちは台所に立っていた
なぜか、エプロンを着用してだ
「・・・しかしなぜ俺は腰エプロンなのかな、りんどう」
「近所の奥様方が言っていました!巽君は絶対こっちだって!」
そういう彼女も、青緑色の髪を一つに結わえ、雪の結晶の模様が入った胸掛けエプロンを着用している
俺も、深緑色の生地に深い黄色のラインが入った腰エプロンを着用している
彼女から手渡されたのでとりあえず着用してみたのだが、いったいこれはどこから?
「で、これはどこから?うちにはこんなものなかったはずだけど」
「ふふん。私だって、夏彦さんがいない間、この集合住宅の奥様コミュニティに入り込んだり、近所付き合いを楽しんでいたりしますので」
「なるほど。まあ、いいことかな」
「はい。色々と情報を貰えるんですよ。今度、お料理を教えあう約束もしましたし、このエプロンも、裁縫が得意な奥様から頂きました」
女の情報網は凄いというが、小さなコミュニティでも凄いようだ
いつの間にそんなことを、と聞きたくもなるが・・・彼女の関係が広がることはいいことだ
それに、エプロンを貰ったということは、彼女はその中でもいい感じに動いていることがなんとなくうかがえる
そういうのはよくわからないから、断言はできないけれど・・・彼女が楽しんでいるのなら止めずに、見守っておこうと思う
「そうなんだ。今度、菓子折り買ってくるからお礼も兼ねて持って行ってもらえるかな?」
「ありがとうございます。彼女も、彼女のお子さんも喜ぶと思います」
「彼女のお名前と家族構成とかわかる?」
「酉島さんです。若い奥様で、娘さんが一人。母子家庭だと言われていました。もしかして夏彦さん、ご興味が?」
「い、いや・・・多すぎても少なくても悪いからどれぐらいの量がいいかと思ってさ」
母子家庭。懐かしい言葉だと思う
俺も爺ちゃんたちに引き取られる前は、母さんと・・・暮らしていて
いつから、母さんと暮らしていたんだっけ
父さんとはいつ、別れたのだろうか
思い出そうとすると、頭の中に靄がかかったというか、何かが引っかかった感じがする
まるで、そこから先は進むべきではないと何かが訴えてくるのだ
「・・・・」
「夏彦さん?どうされました?」
「い、いや・・・何でもない。お母さんと娘さんの家庭だから、困らないぐらいの量を買ってくるよ」
「はい。ありがとうございます」
話を元に戻して終わらせた後、俺は密かに考える
なぜ忘れているのだろう。母さんと暮らしていたこと、父さんと暮らしていたこと
忘れてはいけなかったはずなのに、忘れてしまって・・・今に至る
幼かったから?それだけでは、ないような・・・
「夏彦さん、調子が悪いのですか?」
「・・・・」
「夏彦さん!」
「あ、ああ・・・ごめん。少し、考え事を」
「・・・体調が優れないのならまた今度があります。今日は私が作りますから、休んでいてはどうでしょうか」
「いや。今日やろう。そっちの方が、気が紛れるからさ・・・」
「無理はなされないでくださいね。具合が悪くなったらすぐに言ってくださいね」
「うん。ごめんね、りんどう。早速取り掛かろうか」
考えを切り替えて、すぐに料理モードに切り替える
自分の記憶が曖昧なことに気が付いたけれど、今はそれを考えている場合ではない
不安そうな表情を浮かべる彼女を安心させるように明るく振る舞いながら、俺たちはハンバーグ作りへと取り掛かっていった
・・・・・
数時間後
完成したものを皿に並べられたこたつテーブルの横
俺は席につかず、床に正座していた
俺を見下ろすりんどうの表情は先程の心配そうな表情から、眉間に皺が寄ったお怒りの表情に変わってる
理由は全部、俺にある
「夏彦さん。大雑把なのはダメです」
「・・・おっしゃるとおりで」
「塩コショウ、それからドレッシングは目分量だといっても、あんなにドバドバ入れようとする人がいますか!?健康問題も見えましたし、何よりも夏彦さんの匙加減すら怪しく思えてきましたよ!よくそんなんでこれまでやってこれましたね!?」
「大変申し訳ございませんでした」
「夏彦さん。料理は思いやり。そして調合なのです。きちんと分量通りに作れば、美味しく作れます。夏彦さんの料理には思いやりが欠けています!食べる人の事を想像してください!あんなに大量の塩を付け込まれた肉・・・美味しいわけがないですよね。しょっぱすぎて悲しいことになりますよね?」
「うぐ・・・」
「・・・もう二度と、私の目の前で大雑把な真似はするなよ?」
「はい・・・」
涙が出てくるほどの破壊力がある彼女のお怒りの姿はご想像にお任せしよう
それほどまでに、今の彼女は言葉に言い表してはいけない表情をしているのだ
料理にこだわりがある彼女の前で、とんでもないことをしでかしたことを改めて実感した
「反省しましたか?」
「・・・・・!」
首を無言でぶんぶん縦に振る
食い殺しそうな勢いから、一瞬でいつものりんどうに戻っていた
この切り替えの早さはむしろ感服してしまうほど
・・・もう二度と、彼女を怒らせないようにしければ
今回はこれで許してもらえたが、次は・・・ないだろうな
ああ、本当に俺は「出来損ない」だ
・・・あれ?
「では、次のお料理の時は、夏彦さんの成長を見守るために調味料のバランスが大事な料理を選びますね」
「・・・はい」
「返事が甘いですね・・・?」
「はい!」
「よろしいです。では、早速いただきましょうか」
な、何だろう。震えが全く止まらない
箸を掴もうとするが、震えた手では上手く握れない
「あら」
「ひっ・・・!?」
それに気が付いた彼女が、俺の方に手を伸ばす
しかし、なぜか俺はそれに対し、反射的に頭を覆うように伏せてしまった
「・・・あ」
りんどうの手が、ゆっくりと戻っていく
それになぜか安堵を覚え、俺は体勢を元に戻そうとするが、手が頭から離れてくれない
それを見た彼女は、申し訳なさそうに手を隠しながら悲しそうな表情を浮かべる
こんな表情を、させたかったわけじゃないのに
「夏彦さん、ごめんなさい。私こそ匙加減が上手くできていなかったようで・・・怖がらせちゃいましたね」
「いや、いいんだ・・・」
自分の行動に、違和感を覚えながら震えが止まった手で箸を握る
「ほら、冷める前に食べよう。折角、作ったんだから」
「はい・・・」
彼女も自分の席について、いただきますを同時に言った後にご飯を口に入れる
今日のご飯は、味がよくわからなかった
・・・・・
龍之介から聞いていたのに、私は何という失態をしてしまったのだろうか
表情は変わらないけれど、泳ぐ視線は私を恐れていることは明白だ
彼にしては焦りさえ感じさせる食事の仕方
味わって食べる彼を見てきた私にしたら、その光景は異常そのものだった
「あの、夏彦さ―――――――――」
話し合わなければと、彼の名前を呼ぶがそれと同時に彼が机に食器を置く
「・・・ごちそうさま。食器は後で片付けるから、水につけておいて」
「あ、あの」
「少し、気分が悪いんだ。また後にしてくれるかな」
「・・・でも」
私の引き留めを聞かず、彼は台所へ向かい、食器を水につけた後、リビングを出ていってしまう
彼の忘れてしまった過去
そこで何があったかを私は龍之介から聞いて知っている
「・・・自分の感情を優先させたツケですかね」
料理にこだわりがある部分は、前々から三陽さんから危なっかしいと言われていたが、こういうことになるからかもしれない
しかも今回は、相手が悪すぎた
昔の事はもう、取り戻すことができない
あの時、私があの方を助けられなかったように
彼が、自分の中で蓋をした記憶の出来事を覆すことはできないのだ
私はどんな怪我だって治す自信がある
腕が取れようとも、皮膚呼吸すらできないような大やけどを負ってしまった人間でも、心臓が止まっていなければ全治させることができる
けれど、私にはできないことがある
どんなに外身を治しても、治せないものが一つだけ
「どうして私には、人の心を癒すことができないのでしょうか・・・」
その人の心だけは、治せなかった
もう誰の気配のない、廊下に繋がる扉を見つめる
・・・私には彼が負っている心の傷は、治せない
無力さを思い知りながら、その日は静かに暮れていった




