5日目①:季節の変わり目と付喪神の必殺技
夜十一時半
かなり遅い時間だけれども、今までの事を考えると早い方である
以前の俺ならば会社に泊まるという選択をしていただろうけど、今は彼女がいるからちゃんと帰宅するように心がけている
祖父が引き取っていた養子を引き取った・・・嘘だらけだが、それでも生活はかなり改善された
ノー残業、ノー職場宿泊、ノー休日出勤
休日出勤に関しては、例外はつい先日あったばかりだが・・・それでも、東里から改善を直々に言い渡されたので、俺の就業内容もかなり変わるらしい
もちろんだが、家の生活も彼女が来てくれたおかげで大分・・・いや、大きく変わった
誰かが作ってくれたご飯が毎日用意されて、お弁当だって、彼女は残り物の処分だというが立派なものを用意してもらっている
掃除、洗濯も・・・得意な彼女は、プロの技で毎日家を綺麗にしてくれている
かつては帰るだけの家で快適に過ごせるようになったのも、何もかも、彼女のお陰だ
キーホルダーから自宅の鍵を手に取り、慣れた手つきで鍵を開ける
「ただいま」
声をかけながら家の中に入る
しかしもう夜も遅い。流石に起きていないかと思いきや、扉の先の部屋に灯りが付いて、扉の隙間から小さな角がひょこんと出てくる
彼女は廊下の電気をつけて、パタパタと小さく音を立てながら玄関前まで来てくれた
「おかえりなさい。夏彦さん!」
ただいまといって、おかえりが帰ってくる生活は彼女がここに来てから始まった
何もかも初めてだらけで、戸惑いもするが、とても楽しくやれている
「ただいま、りんどう」
「今日は遅かったですね。確か、今日が本当の休み明けなんですよね」
「ああ。昨日大分片付けた気でいたんだけどね、今朝行ったら机の上に山盛りだよ・・・」
「あら・・・大変でしたね」
今朝、デスクの上に置かれていた仕事の山に頭を抱えたのは言うまでもない
思い出しただけでもうんざりしてしまうほどの俺を見たりんどうは労いの言葉をかけてくれる
「他にも色々やってたらこの時間に・・・明日、家を出る時間は今日と同じだけど、りんどうは無理して俺に付き合わなくていいからね?」
「いいえ。ちゃんと朝ご飯とお弁当を用意させてください」
「いいの?」
「ええ。甘えてください」
「ありがとう。それと、昨日も言わないとって思って言うタイミング逃して言えなかったんだけど、お弁当、美味しかったよ。ありがとう」
「いえ。ありがとうございます。そう言っていただけると、作った甲斐があります」
嬉しそうに微笑んだ後、彼女は俺が持っていた鞄を自分の手でつかむ
「荷物預かりますよ。お弁当を出してから、いつもの場所に置いておきますね」
「ありがとう」
仕事で使っている鞄をりんどうに預けて、俺はネクタイを少しだけ緩めた
そして、玄関先に飾ってあるドラゴンの置物を撫でる
健康長寿の石らしい緑色の珠を握る、ガラスでできた小さなドラゴンの置物だ
「も、もう!撫でにくい方を撫でないでください!こっちに撫でやすい頭がありますよ!おすすめなんですよ!」
「ああ・・・。すまないね、りんどう」
置物を撫でる手をそのままりんどうに運んで、頭を優しく撫でで上げると彼女は嬉しそうに頬を朱に染めて目を細めた
「全く、自分自身に嫉妬とは・・・」
「い、いいではないですか・・・!私は早く夏彦さんに頭を、撫でられたかったので。昨日の分も、まだ撫でで貰えていませんし」
「可愛いなあ、りんどうは」
「そう言われるのは素直に嬉しい、です!」
人間ではありえない小さな角。背中に生えた小さな羽
そして何よりも特徴的なのは、スカートから覗く鱗が並んだ尻尾だろう
今日はどうやら付喪神の姿で過ごしていたようだ
家の中だからいいけれど・・・それに、隠すよりは出していた方が彼女にとっても楽なのかもしれない
まあ、なんというか、改めて振り返ろう
お分かりいただけたと思うが、彼女は、普通の人間ではないのだ
彼女の正体は、俺が先ほどまで撫でていたドラゴンの置物
目の前にいる「りんどう」という少女は、この置物に憑いた「付喪神」なのだ
「・・・ありがとうございます。今はここまでにしておきます」
「今は、なんだ」
自分から名残惜しそうに頭を離してくれる
「はい!寝る前に足りない分を撫でてもらいます!昨日の貯め撫でもありますからね!」
「わかった。じゃあ時間を確保するためにも早くお風呂に入ってご飯を食べないとだね」
「ありがとうございます!で、どちらから先に?」
「そうだね。お風呂に入ってくるよ。先にさっぱりしたいし」
「わかりました。その間ご飯を温めておくので、ごゆっくり!」
りんどうは再び扉の奥に戻っていく
俺はそれを見送った後風呂に向かって、のんびり浸かってくる
風呂から上がり、リビングに戻ると・・・
丁度、りんどうがテーブルの上に夕飯を並べてくれていた
「あ、夏彦さん。ゆっくりできましたか?」
「うん。ゆっくりできたよ」
「それはよかったです。でも・・・」
「でも?」
りんどうはじっと、俺の頭を見ていた
「・・・髪が乾いていませんね」
「もう少しで乾くと思うけど・・・」
「けど。季節の変わり目ですので・・・濡れたままでは風邪を引いてしまいます」
「そうかな?」
「そうです。すぐに終わるので、座ってくれませんか?」
「わかったよ」
りんどうの目線ほどの高さになるように俺はしゃがむ
それでいいらしく、りんどうは俺の肩を掴んで大きく息を吸い込んだ
「夏彦さん。私は今日、世間一般のドラゴンがどういうものかテレビで知りました」
「そ、そう・・・よかったね」
「それはそうと、夏彦さんは「ドラゴンブレス」というものをどういうものだと思っていますか?」
「・・・ひ、必殺技かな?」
「その通りです。実は、私の必殺技はドラゴンブレスなんですよ・・・!」
肩をしっかり掴まれ、身動きが取れなくされる
こんな至近距離でドラゴンブレスなんてされたら、頭どころか家も吹っ飛んでしまう!
「や、やめろ!りんどう!やめてくれ!」
「いきます!すぅー・・・・!」
りんどうは大きく息を吸い込んで、頬を膨らませる
そして、その息を一気に俺に吹きかけた
「ぷくー・・・!」
「・・・・え」
俺が想像していたドラゴンブレスは何もかもを吹き飛ばす威力のものだった
しかし、予想は大きく外れ・・・りんどうのドラゴンブレスはただの熱風だった
それは俺の髪を乾かすように優しく吹いている
付喪神なドラゴンは・・・こんなことも、できるのか・・・
その温かさに気持ちよさを覚えながら、彼女にされるがまま、ブレス?を受け続ける
「すぅ・・・ぷくー・・・!」
もう一度大きく息を吸い込んで、頬を膨らませて息を吹きかける
それを何度か繰り返してくれたことで、俺の髪は水気もなく乾ききった
「これで大丈夫ですね!」
「ありがとう、りんどう・・・」
まさか、彼女にこんな技があったなんて・・・付き合いは短いし、仕方ないとはいえ・・・まだまだ知らないことばかりだ
「いえ。健康長寿の置物に憑いた付喪神ですのでこれぐらいは当然かと!夏彦さんの健康は私が守りますからね!」
そして彼女はご褒美と言わんばかりに頭を俺の方に向ける
「お願いするよ、りんどう」
「はい!お任せください!」
掌が、彼女の頭に生えている角に当たらないようにするのは一苦労
それでいて彼女は頭を撫でられるのが好きなのだ
同時に俺も、彼女の頭を撫でることが好きになってきている
りんどうと出会ってまだ一週間も経っていない
これから、長い時間をかけてお互いの事を知っていけたらと思う
きっとそれを、置物の持ち主であったじいちゃんも望んでいるだろうから
これが俺・・・巽夏彦と付喪神である「りんどう」の始まったばかりの日常
前途は多難。不思議なことは多いが・・・楽しくやっていけたらいいと思う
りんどうの頭を撫でながら、俺は密かにそう思った




