2
勇里にとって、12歳までの思い出は主にサバイバルであった。
断崖絶壁、南海の孤島、砂漠、6000メートル級の冬山。
世津と出かけては、命からがら生き延びる。
恨んだことは無い。
生き延びるのに精いっぱいだった。
そして、13歳の春。
ランボルギーニ・ヴェネーノで乗りつけた桜散る校門。
「おぼちゃま。いってらっしゃいませ」
羽の様に開いたガルウィングを背景に深々と頭を垂れる世津。
6年の月日は摂津の髪を真白に染め上げていた。
「ああ。行ってくる」
過酷な修練とサバイバルは少年を精悍な面持ちに変えたのだ。
幼いながら凛とした静謐を携え、知性と生きることの信念を瞳に宿し、颯爽と校門を潜る勇里の背を見て世津は思う。
『大きくなられましたな』
「はい! 次は兜森君!」
担任の女教師が勇里の名を呼んだ。
「は、初めまして。と、兜森 勇里です。こ、これより1年ご学友の皆様と学び舎を共にし、蛍雪の功を積む事を喜びとしたく思っております」
クラスメートが騒めく。
「と、兜森君凄いね。先生もイマイチどういう意味か良く解らなかったかなぁ。もう一回お願いできるかなぁ??」
兜森家に伝わる異世界風に云えばこうなのだろう。
『兜森 勇里は『きょどる』のスキルを覚えた』
初日のきょどり具合意外、勇里は無難に中学生活を過ごす事ができた。
過去の経験は勇里に突出した精神的成熟をもたらし、徹底した英才教育は中学のテスト程度なら勉強する必要すらなかった。
休日はサバイバル修行に励み、放課後は各種鍛錬を積む。
「お坊ちゃま。学校は如何でございましょうか?」
相も変わらずスーツ姿の世津を前に、制服に隙の無い猫足で真剣を正眼に構える勇里。
兜森家練武場。
平屋切妻屋根白壁。
床の間に兜森家に戦国より伝わる『稲荷赤糸大威二枚胴具足』が鎮座している。
兜の飾りに白稲荷。
獅子鼻、漆黒の面頬は嘴の如く。
赤い大袖。
赤い草摺。
赤い佩楯。
真っ赤な侍甲冑の偉容を背に、勇里は語尾に裂帛を乗せ一気に間を詰めた。
「委細問題ない!」
慣れしたしんだ床板を踵で踏み抜かん勢いを込めた必殺。
世津はそれを寸で躱す。
空を切った刃を力で翻そうと試みるのが勇里の若さと愚かしさ。
力が入った籠手を掴まれ、捻り上げられた。
咄嗟とっさに返した手の甲をそのまま押され勇里の軸が消える。
刹那、脇に世津が入り込み、浮いた勇里の体が逆さに落ちた。
「如何なされましたかな?」
勇里の手から離れた刀を拾い、すっと差し出し世津が問う。
「い、今の技はなんだ? 世津」
刀を受け取り、悔しそうに勇里が尋ねる。
「兜森家に古来より伝わる戦場組手、それに合気道、柔術、レスリングにムエタイを合わせましたMMAと言ったところでしょうか? 異世界はモンスターが存在すると聞き及んでおります。私のような老いぼれに後れをとっているようでは、ゴブリンにすら殺されますな」
世津が影に面おもてを沈め、不敵にニィと笑うのだ。
雷鳴轟く曇天、必殺の気合を瞳に込めて、兜森 勇里は再び世津の前に立つ。
構えるは一敗地にまみれた正眼の構え。
若武者は老兵に負ける事よりも、己の心が折れるのを忌み嫌ったのである。
後退のネジは既に外れていた。
轟!! と、雷光が稲光かった其の瞬間!!
中学3年間が瞬く間に過ぎ去った。
当たり前だが、彼女など出来るはずも無い。
かといって、別段モテない訳でもなかった。
修練により鍛えられた運動神経。
父親譲りの大きな瞳に、通った鼻筋。何時もあちこちに跳ねている強い髪すら、同級生の女子達にはカワイイと評されていた。
遠巻きに勇里の下校姿を一目見ようと集まり頬を赤らめる女子中学生。
しかし、友人付き合いは学校の中だけで完結してしまう勇里相手では、告白しても張り合いなど生まれるはずもない。
手を繋いで下校する事すら無く、何時の間にか自然消滅する。
「え? 兜森君? ああ、カレシにするにはちょっと……。何か、電波届かない所にいるとき多いらしいよ」
女子の噂は千里を駆ける。
結果、中学生らしい平凡な恋愛と友人関係を築くに至ったのである。
「うぃーす、兜森」
「うぃっす」
クラスメートと交わす何時もの挨拶、ホームルームが始まるにはまだ少し間がある。
「おはよう兜森君」
「うぃ、お、おはようございます!」
軽く返事をしようとして隣の席の女生徒に気づいた途端声が上ずる。
彼女が勇里の好みど真ん中だからである。
絹の様に滑らかな黒髪、憂いを秘めた大きな瞳。長い睫毛が影を落としている。
そして何より、巨乳であった。
名を『しずか』といった。
勇里の死ぬまでに何とかしなくてはならないフォルダーには『しずか』との恥ずかしい恋愛シミュレーション漫画(アナログ手書き)がスキャンされて残っている。
勿論、他の少年たちがそうであったように、初恋の相手となんら発展する事無く、卒業間近、冬のある日、深夜。
誰も居ない月夜を漫に歩き、ポツリと灯る自動販売機、普段なら絶対飲まないブラックの缶コーヒーを自販機から吐き出させ
「Good Bye しずか」
と、独りごちた。
当然この思い出も『死ぬまでに何とかしなくてはならないフォルダー』に日記として入れてあるのは言うまでもない。
更に、勇里の身の回りを世話するメイド達からみっちり1か月間。
グループチャットで「Good Bye しずか」と囁かれ続けたのも追記しておく必要がある。
志望校に当たり前のように入り、桜舞う高校生活にも慣れた頃、世津が死んだ。
あっさりとしたものだと勇里は思った。
トラックに轢かれたとだけ、勇里は聞いた。
メイド長の真田が低頭、片膝を廊下につけ告げる。
「若。世津様の通夜の準備、恙なく整いました」
2020/09/03
改行修正。
ルビ修正。
一部加筆。