了見の狭い女 つゆりサイドストーリー
おまけみたいな感覚でお読みください。
「うわあ、まずっ」
「何してるのよ、つゆり」
叫んだ私に母親があきれたように言った。
大学受験の真っ最中。いよいよ追い込みと言うこの時期に、彼氏に手作りバレンタインチョコレートをプレゼントしたいと一念発起した私である。
手作りチョコレートを作ると宣言した私に対しては、母は「勝手にしなさい。ただし手伝わないから」と念押ししたのだが、そのおかげで私の手作りチョコレートはなかなか難航していた。
「だって、上梨君が、ビターなチョコレートが好きらしいから」
「何入れたのよ?」
「生姜」
「生姜?あんたまさかおろし生姜入れたの?」
「うー」
母の私を見る目が何か異星人でも見るような感じだ。
最初にチョコレートをフライパンで溶かそうとした時に浴びた視線と同じだ。
湯煎という技法は知っていたが、それをチョコレートでやるとは知らなかったのだ。何しろ上梨に出会うまで、人にチョコレートをあげたいと思ったことすらなかった私だ。
「ジンジャーチョコレートもあるけれど、それはただ単におろし生姜を入れるだけのはずがないじゃない」
「うー」
「少しは検索して調べなさいよ」
なんだか調べたら負けかな、なんて思っているのだけれど。
「ビターチョコレート買ってくればいいじゃないの?湯煎は出来るようになったんだから。どうして変な物入れるのよ」
「お、オリジナリティ?」
「はあ?」
「世界で一つだけのチョコレートにしたいから」
「つゆり、あんたが手作りなんて無謀な挑戦をしている時点で、それが世界で唯一無二のチョコレートになるってことを自覚なさいな」
「うー」
母にしたって辛辣が過ぎませんか?
それにしても、このまずいおろし生姜入りチョコレートを全部食べると思うと気が重い。
試作品だからと言って食材を無駄にしたら、きっとおばあちゃんに叱られてしまう。
「おばあちゃんにアドバイスでももらったら?」
「おばあちゃんに?」
「私なんかよりも、よっぽどお菓子作りが上手だったんだから。昔はつゆりも作ってもらって食べていたけど、覚えてない?」
「覚えてないなあ」
記憶の中を探ってもそんなシーンは出て来ない。おばあちゃんのところにはしょっちゅう行っていたけれど、手作りお菓子なんて食べたかなあ。何かしら食べ物が出されていたことは何となく覚えているけれど。
ちっとも美味しくない失敗作を無理に口に放り込んで、私はおばあちゃんに連絡を取ることに決めた。
◇
「手作りチョコレート?」
「うん、バレンタインデーでさあ」
「上梨君かい?」
「もちろんそうだよ」
おばあちゃんの家に学校帰りに寄って、私はアドバイスをもらおうとしていた。おばあちゃんはお茶を継ぎ足して、それを一口飲んで私をしげしげと見た。
「まあ、つゆりが手作りなんてことに挑戦するのはいいことだけどね」
「そうでしょ?」
「チョコレートなんて湯煎して型に流し込むだけどねえ」
「手作りだから、何か一手間掛けたいんだよなあ」
「ミントでも入れておけばいいじゃないか」
「えっと、上梨はビターが好きなんだって」
「だったらビターチョコレートを使えばいいのさ」
「うー」
おばあちゃんはどうも乙女心を理解していないようだ。
「まあ、気持ちは分かるよ。手作りを喜んでもらえれば、それは作ったこっちにも喜びだからね」
「そうでしょ、ね」
「落ち着きな」
おばあちゃんが私の目の前に置かれた湯呑を指差す。私はそのお茶を一口飲んだ。
「あ、何これ?」
「今も言ったろ。ミントだよ」
「何というオシャレ」
感心してしまった。緑茶にもミントって合うんだ。目から鱗だ。
「ビターチョコレートにミントを少し入れればそれでいいだろう?」
「うーん」
私は改めて緑茶ミントティーとも言うべきお茶を一口飲んだ。かすかな清涼感が素敵ではある。チョコレートにも合うに違いない。
「おまじないとかしちゃおうかなあ」
「おまじない?」
私のつぶやきにおばあちゃんの声のトーンが変わった。
「うん、流行ってるんだって。好きな人がいる方向を見ながら作るとか、ハートのチョコレートを溶かして作るといいとか、ペンでハートを描いて絆創膏で隠しておくとか。私が手作りチョコレートに挑戦してるって知った友達が教えてくれた」
「ばかばかしい」
おばあちゃんが呆れたように言った。
「そんなものやるだけ無駄さ。自己満足以外の何物でもないよ」
「爪とか髪とか入れるのもあるよ。あとは、血とか」
「やめな。そんなこと絶対にしちゃダメだよ」
おばあちゃんの声が真剣だ。私は思わず座りなおしてしまった。
「危険、なの?」
「おまじない。漢字で書けるかい?」
「書けない」
「お呪い。呪いという字を使うのさ」
「うえ?」
そうなんだ。知らなかった。
え?と言うことは?
「おまじないって呪いの一種なの?」
「一種も何も、もとは呪いから来ているものだよ。つゆりが言った、身体の一部を入れるなんてのはまさに呪いさ」
「え?じゃあやばくない?」
「ま、滅多に呪いなんてものにはならないがね。その出来損ないみたいなことにはなるかもしれないね」
「怖っ」
でも、そうやって作ったって言ってた子の箱入りチョコレートを見たことがあったけど、何もなっていなかった気がする。
「それって見た目で分かる?」
「しっかり見れば違いが分かると思うがね。その湯呑、じっと見てごらん」
私はおばあちゃんに言われた通り、湯呑をじっと見つめた。特に何も見えないけどなあ。
顔を上げておばあちゃんを見る。おばあちゃんがにっと笑った。
「何も見えないだろう?」
「見えないよ」
「じゃあ、こっちだ」
おばあちゃんが急須にお湯を入れて、しばらく手で揺らす。そしてそれを改めて私の湯呑に注いだ。
視線で促されるままに、湯呑をじっと見る。湯気がほわっと昇り、ミントの微かな匂いがする。
そしてじっと見つめているとうっすらと湯呑が光っているのが分かった。
「うっすら光ってるよ。何これ?」
「今、私が改めてお茶を入れるときに、つゆりのことを思って入れたのさ」
「私のことを?」
「そう。その思念みたいなものがそのお茶に微かに宿ったのさ」
「これは、いい意味でのおまじない?」
「そんな大したもんじゃない。思いを込めただけさ」
「ふーん」
意識を外すと湯呑は普通の湯呑に戻った。
一口飲むと、なんだかさっきよりも少し美味しい気がする。
「一味違う気がするよ」
「だろう?よくおふくろの味とか言うじゃないか」
「うん」
「あれは母親が自然に自分の子供たちのことを思って料理を作るからさ」
「本当に味が変わるってことなんだ」
「母親が子を思う気持ちは強いからね。自然とそうなるのさ。ま、微々たるもんだがね」
「ふーん」
気持ちを込めるだけでちょっぴり美味しくなるのか。よく料理に愛情を込めるなんて例えをするけれど、実際に効果があるんだ。わずかにしても。
「だからね、つゆり。下手なおまじないなんて絶対にダメだよ。上梨君のことを思って作ること。それが一番だからね」
「分かった。おばあちゃん、ありがとう」
「礼なんかいらないよ。しっかりやりな」
私は美味しいお茶を飲み干して、おばあちゃんに向かって深く頷いた。
◇
「うわあ、最悪」
「え?なんで?」
苦心の末作り上げた自信作。ハート形に思いも込めて作った一大傑作を、上梨はいきなり真っ二つに割ったのだ。
「あのさ、今、上梨が真っ二つに折ったチョコの形分かってる?」
さっきまで、手作りチョコレートを食べた上梨はどんな顔をするだろうか、ハート形に込めた思いも感じ取ってくれるだろうかと、ドキドキしていたのに。
一気に奈落の底に突き落とされた気分だ。
「え、と。ハート形?」
「うわあ、それ分かってて真っ二つにしたわけ?引くわあ」
元々そういうことに気付かない朴念仁だとは思っていたけれど、まさかハート形のチョコレートを、本人を目の前にしてへし折るとは。
「あ、そうか。ごめん」
「ごめんて。ハート形のチョコレート真っ二つに折っておいて、ごめんて」
いけない。なんだか頭が痛くなってきた。
「ごめんよ、つゆり。でもシェアして食べたくてさ」
「あのね、上梨」
私はびしっと言い訳をする上梨を指差した。
「はい」
上梨が畏まる。
「私のそれは手作りなの。オーケー?」
「オーケー」
「私は何度も試作品を作って、そしてやっと出来上がったのがそれ、アンダスタン?」
「アンダスタン」
すまなそうに返事をする上梨がなんだか可愛いが、私の怒りはまだ収まらない。
「もうぶっちゃけチョコレートなんて見たくないほど、試食しまくっているのよっ」
「あー」
失敗作を食べ続け、気づけばおでこにニキビが出来てしまったことを上梨は知らないのだ。私が前髪を工夫してニキビが見えないようにしている苦労とか。
「ありがとう」
「む」
頭を下げた上梨の本当に感謝している気持ちが伝わって来てしまった。そして上梨は割ったチョコレートを口に放り込んだ。
味はどうかな?
愛情はたくさん込めたんだよ。
やっぱり期待して見てしまう。
「うん、美味い」
「ほんと?」
上梨の言葉に、心がふわっと浮き上がった。ああ、これがおばあちゃんの言っていた、作った方の嬉しさだ。
「甘すぎなくてピッタリだよ」
「えへへ、よかった」
さっきまでの怒りは取り敢えず横に置いておける心境になった。
上梨はもう片方のチョコレートもぽいっと口に放り込んでしまった。
苦労して作り上げたチョコレートが、もうおしまいだ。
「あ、もう食べちゃった。苦労したのに、食べるのはあっと言う間だなあ」
「美味しいよ、本当に」
「そう。まあ、いいか。喜んでくれたから。二つに折ったのは許せないけど」
「ごめんな」
内心はとっくに許しているのだけれど、この件については今後も口にした方がよさそうだ。上梨には少々デリカシーに欠けるところがあるから。
「あとさ」
上梨が心苦しいみたいな表情で言った。やっぱり味に難があった?
「何?」
上梨が机の中から小さな箱を取り出した。
「これ、もらっちゃってさ」
「え?上梨に私がいるって知ってて?」
あー、誰かからチョコレートをもらったのか。心の中で焼きもちがぷくーっと膨れるが、こうしてきちんと報告してくれたのだ。怒るのは筋違いだ。
「そうなんだよねえ」
一体どこの誰が人の彼氏に。そう思ってじっと箱を見つめた。
そして私は気づいた。
その箱からじんわりと瘴気が滲み出ているのだ。
「あのさ」
「結構強引に押し付けられちゃってさ」
「あの、上梨」
「体育祭の実行委員で一緒になった下級生なんだけど、ぶっちゃけ名前も知らなくてさあ」
「ストップ、上梨」
私は上梨の言葉を止めた。
「これ、やばいよ」
「やばい?ああ、受け取っちゃやばかったか」
「違う、これはやばいチョコレートだってこと」
「ん?」
やっと上梨が私の真剣な表情からただ事ではないことに気付いてくれた。
「たぶんだけど」
「うん」
「なんかおまじないみたいなことしてるんだと思う」
「おまじない?」
「うん、恋のおまじないみたいなのが流行ってるんだよ」
もちろん自分がやろうとしていたなんてことは言わない。もし自分の作ったものがこんな状態になっていたらと思うと恐ろしい。
「そうなんだ。でもおまじないくらいなら」
私は上梨の言葉を遮って指をちっちっちと振った。
「あのね、おばあちゃんによれば、下手なおまじないは下手な呪いとおんなじなんだって」
「うわあ」
おばあちゃんの言葉と聞けば、上梨も聞く耳レベルがぐんと上がる。なんだかおばあちゃんの言っていたことと微妙にニュアンスが違う気もするけれど、大意は同じだ。
「ってことはこれ、呪いみたいになってるわけ?」
「見た方が早い」
私は珠を取り出した。上梨と手を繋ぐ。ふわっとした感覚を嬉しいと思いながら力を込める。
「開眼」
これで上梨にもこの瘴気みたいなものが見えるはずだ。
「うへ。こりゃ怖いな」
「なんか、昔の呪術では、自分の身体の一部を呪いたい相手の飲食物に混ぜるって方法があるんだってさ」
「それ、今のおまじないであるわけ?」
「それがあるのよ。唾液を入れるとか、髪の毛を刻んで入れるとか」
「きも」
上梨が思い切り嫌悪感を顔に出した。よかった、血迷っておまじないとかしないで。
「中には、えーっと月の…、やめとこう」
おばあちゃんが言っていた、実際に本格的な呪いになりそうな例を口にしかけて、止めた。さすがに何だか下品というか、何というか。
「これ、捨てていいのかな?呪われない?」
「拍手してからにした方がいいかな。本格的な呪いにはなってない出来損ないだから、拍手でいいと思う」
「分かった」
上梨は気持ちを集中して、チョコレートの箱の上で手を叩いた。
ぱあんと小気味いい音が教室に響き、箱から漏れ出ていた瘴気が消し飛んだ。相変わらずすごいなあ、上梨。
「お見事」
「どうも」
「ちなみに、つゆりはさっきのチョコに何も入れてないの?」
やっぱり気になるよね。今みたいなの見ると。でも安心して、上梨。
「愛情だけ、かな」
私の言葉を聞いて、上梨の表情が少し真剣になり、そして彼は私の手を握った。
「つゆり」
その眼差しに察してしまう。まさか、キスですか?
「え?ここで?」
「誰も見ていないから」
「んもう」
私は人がいないのを確認して、素早く上梨の唇に私の唇を重ねた。ちゅっとお互いの唇が鳴った。
チョコレートに込めた愛情の効果なのかな?
◇
今年はどうしよう。
バレンタインのチョコレートについて考えていたら、高校三年の2月のことを思い出してしまった。
昨年は可愛いチョコレートだと思ったら、中にウイスキーみたいなのが入ってるものでがっかりした。はっきり言って失敗だと思った。そういうタイプのチョコレートが私は好きではないのだ。
やはり買うよりも作った方が、間違いがないなんてその時には思ったのだが。
今年は上梨がバイト先のバーから時折美味しいチョコレートを持ち帰ってくれる。それを食べているので、なんだか今更手作りチョコレートに挑戦する気分にならないのだ。
ちなみに上梨のバイトしているバーではイベントとしてチョコレートモヒートと言うカクテルを出していると聞いた。飲んでみたいなと言ったら前向きにとらえてくれた。
女性からバレンタインにご馳走してと頼むなんて、ちょっと違うかなとも思ったけれど、上梨が言うとそのカクテルも美味しそうに思えたから、試してみたい気持ちに嘘はなかった。
でもバーにお酒を飲みに来る男女なんて、その後の展開を期待してのことがほとんどのはずだし。なんだかそう言うのは嫌だった。
その上梨が何だか部活の後輩にアプローチされているらしい。
「嫉妬してる?」
話を聞かせてくれた上梨が悪戯っぽく聞いてきた。
「えー、別に嫉妬なんてしませんけど」
そう言ったものの、少しむくれてしまうのを止められない。
「つゆりが嫌だと思うなら断るけど」
「何で、私を理由に断るのよ。行ってくればいいじゃない」
「ちゃんと俺にはつゆりがいるって確認したんだからね」
それも言い寄ってくるんだから確信犯だ。寝取るつもりじゃないでしょうね。あ、ちょっと下品かな。
「私がバイトしている間に、上梨は可愛い後輩と楽しくお茶するわけね。はー、うらやましいこと」
心の中がもやもやして、ついつい言葉が尖る。こんな言い方したくないのに。
「やっぱり断るよ」
「ダメっ。そんなのもう私が了見の狭い女みたいになっちゃうからダメっ」
こうなったら意地だ。心の広い彼女とやらになるしかない。
「本当にお茶するだけで、すぐに終わりにするよ」
「ふーんだ」
ダメだ。全然心の広い彼女になれない。自分の態度に自分でがっかりする。
その後、上梨はその後輩が不気味だとか言っていた。腰が引けるとか。
上梨の腰が引けるってどういうことだろう?
合気道部で毎日上梨は拍手しているから、悪い霊が憑いているなんてことは無いはずだけど。
一度、顔を見てやりたいわ。
ああ、私って了見の狭い女。
◇
本当に何なんだろう、私。
どうかしている。
私はバイトの時間を少し遅らせて、上梨とその後輩が大学の前の店でお茶をするのを観察していた。
二人は窓際の席に座ってくれたので、道路を挟んだところからその様子が見て取れた。
じっとその後輩女性を見つめたが、何も「見えない」。やはり何かが憑いているわけではないのだ。では、一体上梨の腰が引けた理由って何だろう?
幸いと言うかなんと言うか、会話する二人はちっとも楽しそうに見えなかった。
「何してんだろ、私」
なんだかみじめになってきた。
私は踵を返して自転車を押した。
なんだか無性におばあちゃんに会いたくなった。
◇
「で、ここに来たって?」
「うん」
私はバイトを謝り倒してキャンセルして、おばあちゃんのところに来ていた。
「別に上梨の気持ちが揺れているわけでもないんだから、ほったらかしておけばいいじゃないか」
「うん、それはまあ、そうなんだけどさあ」
私はこたつの上のみかんの皮を剥いて、ひと房口に放り込んだ。意外にすっぱいなあ。
「上梨が、腰が引けるって言ってたんだけど、それはどう思う?」
「腰が引ける?」
「うん。直接見たけど、別に何も憑いていないし、どうしてかなあって」
「ふむ」
おばあちゃんが私の剥いたみかんをひと房とって口に入れた。
「そりゃあね。きっと悪意の無い奴なのさ」
「悪意が無い?」
「そうさ。相手によかれと思って悪さをする奴がいるのさ。悪意を持って近付く奴は分かりやすい。でも悪意の無いのは分かりにくいものさ」
「あの後輩は悪意が無いのかあ」
おばあちゃんがふと顔を上げた。部屋の隅を害の無い霊が通り過ぎて行く。あれは本当に悪意が無くて害もないわけだ。
「上梨は、それを感じ取っているのかもしれないね。その後輩が自分にとって害を成す相手であると。悪意は無いが、有害だと」
「上梨なら、ありうるかあ」
もぐもぐとみかんを口の中に追加しながら言った。
「変なまじないでもしなければいいんだがね」
おばあちゃんの言葉にびくっとなった。そんなもの絶対に上梨に食べさせたくない。
「呪いになっちゃう奴?」
「そうだね。適当にやってる分には呪いもどきで済むが、中には手順と材料をきっちり揃える輩もいるやもしれんからね」
私はふとみかんを口に運ぶ手を止めた。
「普通さ、呪いって相手の身体の一部とか身に付けていた物を使うと効果が高まるって教えてくれたじゃない?」
「そうだね」
「それなのに、バレンタインのチョコレートには自分の身体の一部を入れるなんて変じゃない?」
「ああ、それは対価であることもあるのさ」
「対価?贄として捧げるってこと?」
「そうだね。だから中途半端なまじないは、それを作った者の方が危険なことがあるのさ」
「ネットとかに載ってるのもあるよね?」
「あれは危険だよ。本当の呪いの方法なんてものは、大概門外不出だ。聞きかじった知識だけで書かれている不完全な物ばかりさ」
吐き捨てるようにおばあちゃんが言う。スマホも使いこなすおばあちゃんのことだ。きっと実際にネットの記事を見たのだろう。
「もしそんなものを上梨に渡そうとしていたら、しっかり祓いな」
「うん。中途半端だと反転するかもしれないもんね」
「その通りさ」
おばあちゃんがみかんを取って、剥き始めた。
そろそろ帰らないと。
バイト終わりって言う体で戻る後ろめたさがある。上梨に嘘をつくことはとても嫌だが、了見の狭い女だと思われるのはもっと嫌だ。こんなわがままな面が自分にあると思い知らされるのも、つらいなあ。
「しっかりおし」
立ち上がった私のお尻をおばあちゃんが叩いた。
それだけで背筋がしゃきっとした。
◇
バレーボール部の練習が終わって、ふうっと一息ついたところで悪寒がした。
思わず周囲を見回したが、何も「見える」ことはなかった。
じゃあ、今のは?
私は急に不安になった。こういうのはよくない兆候だ。そして今、一番の心配は上梨に付きまとっている後輩だ。
明日がバレンタインデーと言うことで、今日が心配だったこともあって、私と上梨は彼がバイトしているバーに行くことになっている。コンタクトがあるとすれば、部活終わりのこのタイミングだ。
私は自転車を押しながら、少しずつ足が速まるのを感じていた。
焦っているのかもしれない。
上梨。
大丈夫だよね。
自転車置き場に立つ上梨の後姿が見えた。
ほっとするのと同時に彼の背中の向こうに、例の後輩が立っているのが見えた。
「上梨」
思わず声を掛けた。
「ああ、つゆり」
振り返った上梨がほっとした表情を見せる。
よかった。
まだ受け取っていなかった。
後輩の持つ包みから赤黒い触手のようなものがうねりながらいくつも出ている。
これは間違いなく、呪いだ。おまじないなんて可愛い物じゃない。
「開眼」で見せつけて、「破魔」で祓うしかないだろう。
私は気合を入れて上梨の横に立った。
「こちらは?」
分かっているけど、聞くのだ。
そう。
私は了見の狭い女なのだ。
◇
「綾目さんさ。部活辞めちゃったよ」
「え?そうなの?」
私がバレンタインデーを数日過ぎて作った手作りチョコレートを上梨に渡すと、彼はぽつりと言った。
「せっかく反転もさせないで、祓ったのに」
「さすがに何か思うところがあったんだろう?」
上梨がそう言って、私のチョコレートの箱をまじまじと見つめた。
「つゆり、ありがとな」
「何?食べてから言ってよ」
「違う。綾目さんの件」
「今更?」
お礼にしてはちょっと間が開いているよ、上梨。
「自転車置き場で、つゆりが声を掛けてくれた時さ、救世主に見えたんだ」
「そんなオーバーな」
「なんか、つゆりは了見の狭い女と思われたくないみたいなこと、言ってたじゃないか」
「うん」
実は自分が了見の狭い女だと思い知らされちゃったけどね。
「俺のことについては、了見狭くていいから」
「え?」
「嫉妬してくれていいから。って言うか嫉妬してくれるってことは好きだからだし」
「何それ」
上梨の言葉に笑ってしまい、その私を見て上梨も笑った。
「今回は結果的にそれに助けられたじゃないか」
「まあ、そう言う言い方をすればそうなるけど」
「だから、つゆりは了見狭くてオーケー」
「オーケー?」
「嫉妬してくれていいから。アンダスタン?」
「アンダスタン」
二人で懐かしいやり取りに思わず吹き出した。
上梨が箱を開けて中のチョコレートを取り出した。
「ハート形」
「うん」
上梨が微笑んで、ハート形のままかりっとチョコレートを齧った。
「美味い」
「よかった」
そろそろハート形のチョコレートを真っ二つに割った話も時効かなと思う。
「愛情入り?」
「もちろんだよ」
もう手作りチョコレートを作るのに手間取ったりはしなかった。高校時代にあれだけ苦労したことが、今に生きていた。
「あと、ちょびっとだけ」
「ミント、だろ?」
「あ、分かった?」
「少しだけ爽やか」
上梨がそう言って微笑み、またチョコレートを齧った。
「高級チョコレート溶かしたから、味もいいでしょ?」
「うん。でもやっぱりつゆりの愛情が一番かな」
朴訥としているのかと思えば、こういうことをさらりと言うのだ。
「食べてもらう喜び感じちゃうなあ」
「前にも言ってたね、それ」
「覚えてるの?」
「ああ、俺もつゆりがうまそうに料理を食ってくれると嬉しいし」
食べる喜びと、食べてもらう喜び。
そこに余計な物なんていらないんだ。
おまじないなんかに頼らないで、相手のことを思って、ただ作ればいい。
それが一番、相手に伝わると思う。
「ご馳走様。美味しかった」
「どういたしまして」
ほら、上梨の表情を見れば、ね。
その上梨がずりずりと私の横に移動して来た。
「何?」
「いやあ、食べる喜びをね、味わおうかと」
「今、食べたじゃない」
上梨は、何を言っているのだ?もう無いよ。
「本命を食べたいな」
そう言って上梨は私の耳を甘く噛んだ。
「ひゃ」
思わず変な声が出てしまった。
このー。
「いつも食べられるばかりだと思うなー」
私は上梨の肩に抱きつきながら、上梨の耳を甘く噛んだ。
私だって食べる喜び感じてやるんだから。
前回の話が完全に上梨君視点だったので、こんな感じの話を追加で書いてみました。




