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聖なる夜

間が開いて申し訳ない。




「お決まりになりましたら、ボタンでお呼びください」


 そう言ってウェイトレスがテーブルに水の入ったコップを二つ置いた。


「はあ」


 思わず嘆息した。


「あの、一人です」

「え?」


 私の言葉にウェイトレスがきょとんとする。


「あ、あら。失礼しました」


 ウェイトレスが慌ててコップを一つ持って戻って行った。テーブルにはコップについていた水滴が、輪となって残っていた。


「ったくもう」


 私は少し苛立ってメニューを手に取った。


 OL生活を始めてから、年末になるとなぜかこんなことが起こるのだ。


 最初は同期の女子三名で行った女子会だった。今日と同じように4つのグラスを並べられたのだ。その時は冗談で、霊でもついて来てたりして、なんて言って笑っていたのだが。


 その後一人でパスタを食べに行った時に、入り口て「二名様ですね?」と聞かれて、驚いて後ろを振り返って誰もいないことを確認して、「いえ、一人ですけど」と答えた。今日の店員と同じように「あ、ごめんなさい。そうですね」と謝られて、席に案内された。


 OL生活を続けて3年目の今年も、また同じことが起きてしまった。これが起きるのは決まって年末だ。それ以外の時には起きないので、つい忘れてしまうのだ。久しぶりに起きた現象に、すっかり暗い気持になってしまった。


 ネットで評判がいいパンケーキを頼んで待つ間、スマホでメッセージを見直した。そこには会社の先輩男性からの誘いの文がある。恐らく私に好意をもっている先輩は、よく言えば面倒見がいいし、悪く言えば鬱陶しい相手だった。


 断るべきかと思いつつ、断った時に気まずい感じになっても嫌だなあと思う。好きでもない相手と食事に二人きりで、このシーズンに行く意味は、分かり過ぎるくらいに分かっている。


 せっかくの甘いパンケーキだが、あまり美味しく感じられなかった。







「いやあ、ありがとう。断られるかもって心配してたんだ」

「いえ、そんな」


 笑顔満面の先輩がおしゃれな服を着ている。私もそれなりにきちんとした格好をしているのは、入る店がフレンチの高級店であると聞いていたからだ。


 先輩はマイカーを持っていたが、今日はアルコールが入ると言うことで、駅前に待ち合わせになっていた。周囲は相手を待つカップルの片方がどっさりいる。それがまた私の気持ちを重くさせた。


 今日の食事の申し出は受けることにしたが、正式にお付き合いを申し込まれたら断るつもりだった。それでいて、もし先輩がクリスマスプレゼントを持ってきた時に備えて、自分もこっそりとバッグにプレゼントを忍ばせていた。無難なハンカチを選んだが、これでまた勘違いされても困ると、自分の行動を早くも少し後悔していた。


 イルミネーションに飾られた道を歩くと、おしゃれな入り口のフレンチの店に着いた。


「ああ、ここだよ。さあ」


 私は一瞬足が止まった。理由はこの時期のあれだ。


「どうしたの?」

「いえ、すいません」


 仕方なく私は足を踏み出した。自動ではない重厚なドアを先輩が引いて開き、お先にどうぞと私を促した。私は頭を下げながらその横をすり抜けて店に入った。


 ドアを閉めた先輩が、近づいて来た店員に手を挙げた。


「予約していた、唐沢です」

「はい、唐沢様ですね。少々お待ちください」


 店員が予約票を確認している。


「はい、唐沢様。えっと、三名様でしたっけ?」

「いや、二名だよ。何言ってんだ」

「え?あれ?今、もう一方?あ、申し訳ありません、唐沢様、二名様で賜っております」


 店員が慌てて頭を下げて、コートを預かり、テーブルに案内した。


「何、言ってんだろうね」


 歩きながら先輩が囁いて来る。


「ええ」


 私はそう言って視線を床に向けた。ため息が出そうになるのを、我慢した。また例の現象が起きたこともそうだが、先輩がいきなり距離を詰めて来たことにも気持ちが落ち込んでいた。


「ここは先日テレビでも紹介されたんだ。その前に予約していたからよかったよ」

「ありがとうございます。わざわざ」

「いやいや、どってことないさ。せっかくのクリスマスだしね」


 スパークリングワインで乾杯して、コースが始まった。おしゃれな店だし、お料理も美味しい。それなのに全然楽しめないのは、すっかり上機嫌な先輩が交際を申し込んで来た時に、どう断るかを一生懸命考えていたからだ。


「いやあ、お互い、彼女無し、彼氏無しじゃないか。ぼっちのクリスマスはむなしいなあって思っててさ」


 余計なお世話だ。そもそもクリスマスにはいい思い出が無いのだ。ちっともテンションが上がらない私に対して、お酒の入った先輩のテンションはだだ上がりだ。


 食事が進んでメインディッシュが終わったところで、急に先輩がそわそわし始めた。理由は丸わかりだ。時々自分のカバンに手を伸ばしては引っ込めている。要するにプレゼントを出すタイミングを図っているのだ。


「あ、ところでさ」

「すいません、ちょっと」

「あ、ああ。ど、どうぞどうぞ」


 私は席を立ってトイレに逃げた。大きなお店なので、トイレも三つあった。用を済ませて鏡の前に立つ。鏡の中の私はそれなりの化粧をしているから、クリスマスを楽しんでいるカップルの一人に見えるのだろうか。


挿絵(By みてみん)


「あの」

「はい?」


 突然隣に立って同じように鏡に向かっていた女性に話しかけられた。髪の毛を後ろに束ねている女性は大学生だろうか。


「何か、変なこと起きてます?」


 変なこと?突然見知らぬ女性にそんなことを聞かれることが、変なことだ。何を聞きたいのだろうか。


「あ、すいません。何も起きてないならいいです」


 私の表情を見て、その女性は慌てて手を振った。


「何を?」

「いえ、ほんとすいません。余計なお世話でした」


 女性が鏡の前から離れて出て行こうとする。


 私は「待って」という言葉をぎりぎりで飲み込んだ。


 何なんだ。別に悪い女性には見えないし、心配そうな表情であったことは気になった。


 変なことは、確かに起きていたから。


 お化粧は直さずに済みそうだ。私はリップだけ塗り直してテーブルに戻った。その途中で、私達の席の近くに、あの女性が座っていることに気付いた。同じくらいの年齢の男性と一緒だった。


 私にちらっと視線を送って、すぐに逸らした。男性は一瞬振り返って私のことを確認したのが分かった。何なのもう。


 そしてテーブルでは先輩が、もうプレゼントを出して待っていた。


 思わず出てしまったため息は、先輩に全く気付かれなくてよかった。







 フレンチの店で渡されたプレゼントはジュエリーの付いたネックレスだった。全然私の趣味ではないそのネックレスを手にして、「わあ、すごい、可愛いです」と心にもないことを言う自分が嫌だった。


 仕方なく渡した私のプレゼントをことさら喜ぶ先輩が、その勢いで交際を申し込んで来た。


「まだ、先輩のこと、よく知らないですし」


 私が何とか選んだ断りの言葉を先輩は一蹴した。


「これから知って行けばいいじゃないか」


 そう言うことじゃないのだ。私が不機嫌な顔をしないから、先輩は脈ありと踏んでいるのだろう。いっそ、嫌悪感を顔に出してしまえば楽になれるのだが、やはり私はそれを思いきれないのであった。


「ごめんなさい、先輩。まだ、私先輩のことをそういう目で見られないので」

「そっかあ。でもまあ、これからだよな。こうして二人で会う時間が増えれば、そういう感じになっていくだろうし」


 リセットボタンが欲しかった。やっぱりこの誘いは断るべきだったのだ。


「いえ」


 思わず口にした言葉が、とんでもなく冷徹だったことに、自分で驚いた。失敗だ。


 先輩の顔からどさっと笑顔が消える音がしたように思えた。


「ふーん。ま、いいよ。じゃあこの後、もう一軒だけ。素敵なバーがあるんだ」


 笑顔の消えた先輩が怖くて、思わず頷いてしまい、また後悔した。







「いらっしゃい」


 ドアをくぐると確かにおしゃれなバーだった。豊富なお酒の種類はもちろん、チーズケーキとビーフシチューも売りだそうで、表の看板でアピールしていた。


「三名様、テーブル席も空いていますが」

「二名だよっ」


 先輩が怒鳴って思わず身をすくめた。


「え?あ、ああ。そうですか、ではカウンターでよろしいですか」


 先輩が小さく「当たり前だろ、馬鹿」と呟くのが聞こえた。お酒が入ると本性が出ると言うが、私はすっかり先輩に幻滅していた。こんな男と絶対に付き合ってはいけないと思った。


 カウンターに座ってお酒を選んでいると、また別の客が入って来た。


「いらっしゃい、二名様。カウンターどうぞ」


 何となく入り口を見てぎょっとした。あのトイレで話しかけて来た女性が、男性と一緒に入って来ていたのだ。まさか尾行して来たのだろうか。なんだか不気味になってくる。


 私達の席から間を二つ開けて、そのカップルは座った。


「上梨、トイレ行ってくる」

「ああ」


 女性が席を立ってトイレに向かった。私の後ろを通りながら、つんっと指で背中を突かれた。


 何?


 慌てて視線で追うと、女性がこくりと頷いた。


 だから、何?


「あ、あの私、トイレに」

「え?また?」

「ええ、ごめんなさい。少し飲みすぎちゃったかも」


 先輩の不機嫌な顔から逃げるように、席を立った。


「あ、すいません、女性用ひとつしかありません」


 カウンターの店員が気を利かせて言ってくる。


「大丈夫です。待ちますから」


 私は足を止めずにトイレへ向かった。女性はトイレに入らずに入り口に立っていた。


「何ですか?」

「ごめんなさい、突然」


 女性がぺこりと頭を下げた。ポニーテールがくるんと踊る。


「何かご用ですか?まさか尾行して来たんですか?」

「はい、すいません。尾行して来ました」

「一体どういう」


 声が大きくなっていた私に向かって、女性がしーっと指を口元に当てた。


「信じられないと思いますけど、私「見える」んです」

「見える?」


 何が見えると言うのだろう。


「えっと、いわゆる霊です」


 冗談でしょと言いかけて、女性の真剣な表情に気圧されてその言葉を飲み込んだ。







 カウンターに戻るとすでにお酒が来ていて、先輩はその半分以上を飲んでいた。


「すいません」

「あ、いいよ。さ、飲んで」


 私は目の前のお酒を見つめた。そして女性の言葉を思い出した。


 女性はサンタの格好をした男性が私について来ていると言うのだ。白髪交じりの眼鏡の男性だと言われて、私は震えた。


 それは、きっと、私のお父さんだ。


 会社をリストラされて、いろいろなバイトを掛け持ちして家族を支えようとしてくれたお父さん。


 サンタの格好をしてケーキに売るバイトを寒空の下でやっていたお父さんは最後のケーキを売り終わって倒れた。

 そして私達が病院に駆けつけた時には、もうお父さんは旅立ってっしまっていたのだった。


 そして女性が言うには、私の傍に立つサンタの男性は、とても心配そうな顔をしているのだそうだ。


 そして、さらに。


 私は隣でお酒を勧める先輩に目を移した。


「先輩」

「何?」

「このお酒あげます」

「え?」


 先輩が動揺する。


 分かっているのだ。女性から、先輩が何か悪だくみをしている可能性があると聞かされていた。そして席に着くときに、彼女の連れの男性が私に頷いてくれたのだ。


「何を言って」

「飲んでください」

「君が頼んだカクテルじゃないか。君が飲めよ」

「飲めませんか?」

「だからっ」


 大きな声を張り上げた先輩に、カウンターの店員が近づいて来る。


「お客様、何か?」

「うるさいっ、呼んでねえっ」

「他のお客様のご迷惑になりますので」


 注意された先輩の顔が怒りで赤くなる。


「あの、このお酒、捨てちゃってください。何か入れられちゃったかもしれないんで」

「は?はい」


 店員が一瞬戸惑って、それから先輩に一瞥をくれて、私の前のお酒を引き取った。


「何だよ、それっ」

「先輩、私、ここで失礼します」


 私が席を立つと先輩が呆然とした。


「な、なんだとっ」


 私に伸ばした手に思わず身がすくんだ。しかしその手は空中で掴まれた。掴んだのは女性の連れの男性だった。


「おじさん、そのくらいにしなって」

「な、何だ、お前、離せよっ」

「いけない薬入れたろ?俺、見てたから」

「な」


 先輩の顔が赤から白に変わっていく。


「んぎいっ」


 変な声を発して先輩が強引に手を振りほどいて、出口へ逃げた。先輩は掛けてあったコートも置き去りに、ドアを勢いよく開けて出て行ってしまった。


「あの、ありがとう」

「いえ、無事でよかったです」


 男性が笑顔を向けてくれた。


「どう、お礼を言っていいか」

「サンタさんほっとした顔をして、消えて行きました」


 消えてしまったのか。


「そうですか」

「お礼はサンタさんに言ってくださいね」

「え?でも」

「きっとあなたのことを、まだ見守ってくれています」


 そうなのか。私はなぜか女性の言葉に納得して頷いて笑顔を返した。







「サンタの格好をしてたお父さんって、どういう状況んなんだろうな」

「うーん、詳しく聞かなかったけど、ま、見守ってくれてる霊だったし」


 つゆりがそう言うのなら、そうなのだろう。俺には見えていないから何とも言えない。


「フレンチ美味しかったね」


 そう言いながらつゆりが身を預けて来る。その重さを肩に感じながら紅茶の残りを飲み干した。


「ああ、お手柄だよ」

「えへへー。私もまさか当たると思っていなかったから」

「ああいうテレビ番組の抽選って、絶対当たらないと思ってたよ」

「上梨がそんなこと言うと、今年の運を使い果たしたみたいな気がして嫌だなあ」

「まあ、今年もあとわずかじゃないか」

「そっか」


 そう言ってつゆりは俺の肩に頭を乗せたまま、チーズケーキの最期の欠片にフォークを刺して口に運んだ。


「ついて行ったバーにこんな美味しいチーズケーキがあったのも、幸運だよ」

「そうか、あのサンタのお父さんからの恩返しかな」


 まあ、さすがにそれは違うと思うが、つゆりの言葉に思わず笑みがこぼれた。


「何?今、馬鹿にした?」

「してないよ。可愛いなあと思って」

「な」


 つゆりが照れる。


「あの女性、平気かなあ。あの男の人怖かったし」

「ん?先輩って言ってたから、会社の先輩か。そうだなあ、確かに少し心配だけど」

「だけど?」

「サンタのお父さんがいれば平気じゃないか?」

「でもあのサンタのお父さんには、人をどうこうできるような力は無いみたいだったけど」


 俺は思案する。そしてつゆりの腰に手を回して言った。


「サンタのお父さんは、俺達に巡り合わせたんじゃないかな」

「え?」

「娘を助けてくれる人に、出合わせた」

「じゃあ、抽選に私が当たったのも?」

「いや、あくまで予想だけどね」


 つゆりが肩から俺を見上げて来る。


「あながち間違ってない気がします」

「だろ?」


 もしそうならば、きっとサンタのお父さんは、また娘が危なければ彼女を救ってくれる人に巡り合わせてくれるのではないだろうか。


「ん」


 つゆりが目を閉じる。


 ゆっくりと顔を近づけて唇を重ねた。もちろんチーズケーキの味がほんのりした。


 メリークリスマス。







「ご注文、お決まりになりましたら、あれ?」


 ウェイトレスがテーブルに二個目の水を置こうとして固まった。



「えっと、お一人様でしたっけ?」

「ええ、ですけど、それ置いといてください」

「はあ」


 ウェイトレスが怪訝な顔をしつつ、二個目の水をテーブルに置いて行った。


 クリスマスイブのファミレスは人も多くなかった。こんな日にアルバイトなんて大変だよね。私はウェイトレスの背中にご苦労様と言った。


 先輩は翌日から会社に出勤して来なかった。無断欠勤のために上司が連絡をするが何も応答がなく、代わりに退職願を代行するサービスから電話がかかって来たらしい。


 何にせよ、顔を合わせずに済んだことは嬉しかった。


 今日は独身女子での臨時の女子会の帰りである。女子会と言っても焼き鳥専門の居酒屋だった。気心の知れた友達は、急に退社した先輩をこき下ろしていた。仕事の引継ぎもしないで退社したので、すごく迷惑だったみたい。


 最後にケーキを食べに行こうと言う誘いを断って、私は帰宅する途中のこのファミレスに立ち寄っていた。


 ここはお父さんが生きている時に、最後に来たファミレスだ。私の誕生日を祝うためにファミレスに来ていた、その席に今日は座ることが出来た。


 私はメニューを確認して、呼び出しボタンを押した。


 注文するのは、あの時に食べた小さなケーキだ。


「お待たせしました」

「このこだわりクリームのショートケーキを二つ」

「お二つ?」

「ええ、二つ」


 やがて運ばれて来たケーキは私の前に二つ置かれた。私はそのうちの一つを対面に置かれた水の横に置き直した。


「メリークリスマス、お父さん」




ちょっと早いですが、メリークリスマス。

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