救急隊員は二度姿を現す
「振り」の回収です。
「なんか盛り上がってんのね」
「ああ、そうみたいだな」
以前合コンキャンプを企画した連中が廃病院の肝試しが盛り上がったとか言って、今度は大学キャンパス内で変なイベントを企画していた。
それがいよいよ明日だということで、わざわざ前夜祭までやるらしい。暇なこった。
「キャンパスホラーナイトねえ」
「なんか肝試しと謎解きを組み合わせたイベントらしいよ」
「あー、だから人気になってるのか」
流行している謎解きを組み合わせたことで付加価値を付けたわけか。いや、謎解きに肝試しの付加価値を付けた方が正しいか。
「肝試しとか怪談とかしていると集まってくることがあるんだろ?」
「うん、あるよ。えーっとね」
つゆりが日陰のベンチを選んで座った。俺は両手に持っていたドリンクを一つつゆりに渡して横に座る。期間限定で学食が販売しているタピオカ入りドリンクだ。
「例えばバスで後ろに座っている人が、うちの大学の話をし始めたらどう?」
「気になるね。何の話だろうって聞き耳を立てると思うな」
「それと同じ。霊の話をすれば霊が寄ってくる。これ自明の理」
ずずっとつゆりがドリンクを啜って、変な顔をする。美味しくないのかな。
「昔は怪談映画を撮影する時に、わざわざお祓いをしてたって言うのもそれを防ぐため?」
「うん、そうだね、たぶん」
「心霊番組とかでスタジオに奇妙なことが起きるのも?」
「それは分かんないなあ。仕込みかもしれないし」
「ああ、なるほど」
なかなかつゆりも鋭いことを言う。と思ったら、ドリンクを突き付けて取り換えろと仕草で示した。まったく。
うん、確かに美味いもんでもないな、これは。
「変なの呼び寄せなければいいけどね、このイベントも」
「大学はそもそも結構いるもんなあ」
俺はきょろきょろと周りを見回した。
もちろん俺には「見えない」のだが、なぜか誰かに見られているような気がしたのだ。
「どうしたの?」
「いや、別に、気のせいだよ」
つゆりもぐるっと周囲を見回してくれた。
「変なのはいないけど」
「変じゃないのはいるのか?」
「えっとね、あっちのベンチで座ってなんかレポート書いているのがいる。あれはだいたいこの時間にはいるかな。金曜日になると書き終えたみたいで、すっきりした顔してるけど」
「週のルーチンしてるのもいるのか」
「ほら、コンビニの」
言われて俺は思い出した。コンビニで水曜日に漫画週刊誌を立ち読みするのが「見える」と言っていた。あれも週のルーチンの一種か。
「あれも週のルーチンか。でも消えたんだろ?」
「うん、なんか、最後泣いてた。おそらく読み続けていた連載が終わっちゃったんじゃないかな」
「そんな消え方もあんのか」
以前、レアケースを語ってたらキリがないとつゆりが言っていたことがあった気がするが、正にその通りだな。
「じゃ、行こうか」
そう言ってつゆりは立ち上がった。つゆりの手には空になったコップがあるが、俺の手のコップにはまだ中身が残っていた。
◇
「なあ、上梨。頼むよ。今度おごるからさあ」
「嫌だよ」
今日は俺は部活で、つゆりはバイトだった。
「予想以上の参加者でさ、人手が足りないんだって」
「嫌だよ」
俺をしつこく勧誘するのは前回のキャンプにも参加した同期。そして自分には霊感が少しあるとか言ってたけど、目の前のおっさんも見えていなかった男だ。
「そう言わないでさあ。人助けだと思ってさあ」
「嫌だってば」
俺の所属する合気道部は勧誘の時には女子にも手軽に出来るみたいな甘い言葉で誘っておいて、実情はバリバリの体育会系で練習のしんどさも半端なかった。
何度辞めようかと思ったか分からないが、それでも続けたのは確かに気の込め方なんかに多少学べるところがあったのが大きい。
ま、つらくて辞めるなんてという意地もあったとは思うが。
同期の頼みならばと前回はキャンプに参加したが、あれはつゆりもキャンプ行きたいと乗って来たから参加を決めたのだ。今回のイベントにはつゆりも冷たい視線を送っているし、そもそも運営側としての参加なのだ。やりたくもないイベントの裏方をなんでしなければならないのか。
「イベント本番は明日だからさあ、気が変わったら連絡してくれよ。頼むよ」
すがるような同期を置いて、俺は自転車に乗った。キャンパスを走ると、ぬるい風でも汗ばんだ体には気持ちがよかった。
俺はブレーキを掛けた。誰かにまた見られているような気がしたのだ。
校舎と校舎の間の中庭のようなスペースで前夜祭の準備が進められていた。そのセットの奥。
そこに柱の陰に隠れているように立っている人物に俺の視線は向けられた。吸い寄せられたと言ってもいい。
救急隊員?
遠くてはっきり見えない。目を擦ってもう一度見ると、その姿は跡形もなかった。
気のせいだろうか?
それとも前夜祭で出て来る役目の人物だったのだろうか。
そもそも俺には「見えない」のだ。俺は再びペダルに体重を掛けて自転車を進めた。
気持ちよかった空気が急にまとわりついてきたように思えた。
◇
「興味ないなあ」
「だよね、やっぱり不参加を貫くよ」
バイトから帰ったつゆりと晩御飯を食べながら、イベントの話をした。つゆりはシャワーをざっと浴びて、Tシャツに短パンというラフな格好だ。太ももが瑞々しいんだよなあ。じろじろ見ないでいることに結構意志の力を必要とする。
棒棒鶏のきゅうりが美味しいな。
「何?どうしたの?」
「え?」
いつの間にかつゆりが顔を覗き込んでいた。
「なんか、ぼーっとしてる。気になること、あるの?」
「あ、ああ、まあ、そうだなあ」
「そういうの無し」
「うん、実はさ、今日の帰り道でさ」
俺はキャンパスで見た救急隊員のことを話した。途中からつゆりが難しい顔になった。
「それってさあ、この前の廃病院の前で祓ったのと同じかも」
「え?」
「あれがもしかしたら祓い切れてなかった可能性、あるなあ」
「マジか」
確か中途半端に祓い損ねるとやばいって話を聞いた気がするぞ。
俺は黙っていたことを言うべきだと思った。
「ごめん、つゆり。俺、見間違いかもしれないと思って黙ってたんだけどさ」
「何?」
「廃病院で祓う直前にさ、その救急隊員が俺にも「見えた」んだ」
「えー、なんで言わないのって、見間違いと思ったのか」
「うん、一瞬だったしさ」
つゆりが目の前の棒棒鶏をすごい勢いで食べ終えた。麦茶をくいっと飲んでさらにおかわりを注いだ。その食べっぷり、飲みっぷりがつゆり自身を落ち着かせようとしている行動に見える。
「上梨、落ち着いて聞いてね」
「ああ、めっちゃ落ち着いてる」
「そうみたいね。えっとね、普段「見えない」人にも「見える」ことがある。これは前に話したよね」
「うん、聞いた」
「で、その中のケースに、そいつがあなたという個人を意識したってケースがある」
「意識した?」
「意識の仕方にもいろいろあるけど。好き、嫌い、憎い、恨む、殺す」
「ちょっと、後半えぐいな」
思わずつゆりの言葉を遮ってしまった。
「で、私が見た救急隊員は女子に食いつこうとしていた。すごく攻撃的。そいつが祓われると思った瞬間に上梨を見たってことは」
「好き、じゃねえよなあ」
「その通り」
空になったコップにまたつゆりが麦茶を入れる。飲み過ぎるなよ。
「その廃病院にいたのが、こっちに来ることなんてあるのか?」
「普通は無い。だいたい場所にこだわりがあるから」
「普通は?」
「場所じゃなくて人にこだわりがある場合は別」
「ああ、俺?」
「上梨もだけど」
つゆりが俺を見つめる。ああ、そうか。
「食われそうになった女子か」
つゆりが頷いた。
◇
「助かるよお。上梨なら引き受けてくれると思ってたぜ」
「ああ、そうだな」
俺は生返事をしながら例の女子を探した。実は名前も知らない。
運営側にいるのか、客としているのか。
「この前のキャンプの参加者って、だいたい運営に入ってる?」
「ん?ああ、そうだな」
「女子も?」
「なんだよ、上梨。お前は酒々井一筋だろ?乗り換えるのか?」
「ば、か、を、い、えっ」
思わず手刀を頭頂部に打ち下ろした。
「女子も運営に参加してるよ。特に肝試しに参加してくれた女子は全員だよ」
それが聞きたかったのだ。
イベントはメイン会場の講堂から、校舎内の各所に隠された謎を解いていくというものだった。廊下や教室の照明を落として、脅かし役も数名置いて、肝試し感を出すんだと。
「もう、配置についてんの?」
「あ、それぞれの場所でリハーサルしてると思うけど」
「いったんぐるっと回って来ていい?」
「ああ、いいぞ、でも頼みたい仕事はここだかんな」
「分かってる」
俺はぐるっと校舎内のコースを回った。すぐに目当ての女生徒は見つかった。ゴール目前の2階の教室だった。特に変な様子もなく、謎解きの出題リハーサルをしていた。
講堂に戻るとつゆりが来ていた。
「ごめん、遅くなった」
「いや、大丈夫」
「いた?」
「うん、2階の教室で出題する役だった」
「変な様子は?」
「ない」
「そう、よかった」
そう会話をしてふと気になって外を見た。
「いたっ」
「え?あれかっ」
俺とつゆりは講堂を飛び出した。校舎の横で上を見上げるように立っている救急隊員が見えたのだ。
「いないっ」
外に飛び出した時には救急隊員の姿は忽然と消えていた。
「教室見て来よう」
「おう」
二人で教室を見てきたが、異常はなかった。
「ちょっと二人とも、手伝いに来てくれたんよなあ?」
さすがに苦情を言われたので、しばらく大人しく手伝いに徹した。
要するに参加者をさばいて、ゴールしたものとこれから出発するものとを混ぜないのが大事な仕事っだった。ネタバレ厳禁だよな。
◇
俺にも救急隊員は「見える」ので、つゆりと時折交代で2階の教室を覗きに行ったが、異常はないままだった。
「今日は、何も起きないってこともあるよね」
「それはあるね」
もうすでにスタートしていないグループはいなくなって、後はゴールして来る連中を待つだけとなり、両者を隔てていたコーンを取り払いながら会話していた。
「でも危ないやつだから、見つけたら祓いたいなあ」
「動物かもしれないって言ってたよね」
「うん、あんな風に人の形が変わるのってほとんどないから」
「そうなんだ」
「うん、おばあちゃんに前に聞いたんだけど、動物の霊は時に人の振りをするんだって」
「人に取りつくんじゃなくて?」
コーンを講堂の脇に重ね終えた。ゴールして来る連中が口々に感想を言いあっている。概ね好評みたいだな。
「人に取りつくのもいるみたい。なんとか憑きとか」
「ああ、あれは実際にある事例なのか」
その時、涙目の女子生徒が講堂に駆け込んできた。これだけ怖がるのも珍しい。
「ちょっと、そんなに怖がらないでよー」
「だってえ、怖かったじゃん最後のー。油断してたわー」
「最後のって何よ、急に走り出してー」
「え?だっていたじゃん。救急車に乗ってる人みたいなのが」
俺はつゆりとダッシュした。
暗くしてる怪談を駆け上がる。
2階の教室から悲鳴が聞こえて来る。
しまった。間に合わなかったか。
ドアを開ける。
床に倒れている女子と、その周りで悲鳴を上げている者たち。
床に倒れている女子の頭は、救急隊員が丸ごと口に飲み込んでいた。
歪に変形した救急隊員の顔。二人分の頭のサイズ。
そしてびくびくと痙攣する女子の身体。
「上梨っ」
「おうよ」
俺はつゆりの背後に回って抱くように腕を持った。力を流し込む。
「んあっ」
見ない見ない。
つゆりの手が前に差し出される。その手の中で光る石。手が開かれる。
「破魔」
「きゃあっ」
「うわあ」
突然の光に教室にいた連中が叫ぶ。
消えた。
救急隊員の姿が消えて、ぐったりと倒れている女生徒だけが残った。
「こんなのあったのかよ。おっかねー」
「あーびっくりしたー」
俺とつゆりが女生徒を起こすと、女生徒があっさりと目を覚ました。
「はい、この後はゴールですから、階段を下りてくださいね」
釈然としない表情の者もいるが、参加者が教室を出て行く。
「大丈夫?」
「え?え?何?」
「気分は?」
「えーっと、ちょっと悪いけど。何?私、倒れたの?」
「うん、そう。頭を打ったかもしれない」
つゆりが仕草で首を見ろと示してきた。会話をしながら首をさりげなく見ると、彼女の首には歯型のような物が残っていた。
部屋にいた運営メンバーに講堂へ知らせに行ってもらう。しかし肝心な連中は今一つ、危機管理に欠けていた。
「転倒して頭を打っている可能性があるから病院へ連れて言った方がいいぞ」
「そ、そうか?元気そうだから平気じゃないか?」
運営している連中に告げると、適当な返事が返ってきた。
「頭だから、今は元気そうでも突然吐き気に襲われたり、昏倒したりすることもあるぞ」
「はあ」
「何かあれば、責任問題になるかもよ」
「うえ」
つゆりの最後の一言が効いたみたいだ。それでも視線を交わすばかりで、誰も付きそうと申し出ることはなかった。
「最初に介抱をしたのは俺達だから、付きそうよ」
「本当か、ありがたい。ま、確かにそうだよな。第一発見者だもんな」
ツチノコ見つけた人みたいに言うな。現金な反応だなあ。
「つゆりもいいよな?」
「もちのろんです」
何だよ、それ。おばあさんの影響だな。
結局彼女に付き添って、近くの病院へと向かった。彼女は恐縮しつつも体調は大丈夫なようだった。ただ、ずっと首を擦っていたが。最初ははっきり見えた歯形も、タクシーに乗り込む頃にはすっかり見えなくなっていた。
「どうして倒れたか、覚えてる?」
「ううん、なんか急に暗くなった気がして、気がついたら、酒々井達に助け起こされてた」
「誰か見えた?」
「誰かって?お客さん?」
どうやら救急隊員の姿は見ていないようだ。
「苦しさとか痛みとか、そういう感覚もない?」
「うーん、助け起こされた時は、頭がいたいなっていうのと、ああ、そう言えばあの瞬間は、あー苦しかったって思ったなあ。何でだろう?」
そりゃあんた。頭を丸かじりされてたからだよ。
つゆりが少し乱れた彼女の髪を直してあげていた。
病院に到着し、彼女が診察を受けている間、ベンチに座って待つことになった。相変わらず病院は「見える」ようで、俺には見えない何かをつゆりはよけて座った。
「つゆりの石ってさ」
「うん?」
「人前であまり見せられないよな。結構派手だから」
「うん、今日はたまたまイベントの演出だと勘違いしてくれたからよかったけど」
手を叩いて「蚊」がいたと言い訳するのとは訳が違う。「開眼」などは大した光じゃないが、「破魔」等は結構な光量だ。なかなか言い訳に苦労しそうだ。
「おばあさんも石を使ってたんだろ。どうやってごまかしてたのかな?」
「あー、そういうの聞いたことなかったなあ」
「武勇伝みたいなの、聞かないの?」
「うん、この前の病院の話だって、上梨が言ったから聞いたんだし」
「あの話は、石使ってないじゃんか」
「あ、そうか」
つゆりがテヘペロする。自然にそういう可愛い仕草をするな。ぎゅってしたくなるから。
「石を使った時の話、聞いてみた方がいいぞ。どうごまかすのかってことを含めて」
「うん、そうだね。今度聞いてみる」
診察を終えた彼女が戻ってきた。軽い脳しんとうとたんこぶ。概ねそんな感じで、実家住まいで自宅に人がいるとのことで、経過観察してくださいと言われたらしい。
「付き添ってくれてありがと。今度、学食の期間限定タピオカドリンクおごるね」
「気にしないで」
「別にお礼なんていいから」
俺もつゆりも微妙な表情で辞退した。
「じゃあ私、バスで帰るから」
俺達は学校へ戻って自転車だ。病院の入り口で俺達とは反対方向へ向かう彼女を見送った。
「大丈夫そうだね」
「まあ、祓えた、ってことだよな」
そして学校へ戻ろうと後ろを向いた俺の前にそれはいた。
救急隊員。
「つゆりっ」
俺は叫びつつ、手を叩いた。
ぱああああんっ
祓えないっ!?全然?
救急隊員の身体は薄れもしない。
そんなに強力な相手だったのか。つゆりの「破魔」をくらって祓えずに、そしてこんなにすぐに復活する相手。
俺達の手に負える相手ではなかったのか。
「上梨」
狼狽える俺と対照的に、つゆりが冷静に俺の名前を呼んだ。
振り返るとつゆりが救急隊員を指さした。
「その人、本物」
へ?
慌てて救急隊員を見ると、突然拍手をした俺に訝しげな視線を向けながら病院の入り口を入っていった。
「あわてんぼさんですねえ」
からかうようなつゆりの言葉に顔が熱くなった。
失態だ。
失敗したことよりも、これをネタにしばらくつゆりにからかわれることの方が、失態だ。覗き込むようなつゆりのにやけ顔がそれを証明していた。
◇
「あー、でもすごかったよ。入り口付近にいたおばあちゃんとか、子供とか、一気に祓っちゃったし」
「あ、そう。まあ、そうだろうね。俺も気合い入れて叩いたし。本物の救急隊員に向かって」
「いや、あそこばったり出くわすなんて思ってないもん。上梨が間違えるのも当然だよ、うん」
「普段は「見えない」俺なのにな」
「うー」
意外にも、『間違えた俺、落ち込み作戦』がとっても効果的だった。つゆりはからかうどころか必死にフォローしてくれている。
食事中にどんよりモードを醸し出したら、つゆりがすごい心配顔になってくれた。
「普段「見えない」上梨だから、間違えたのも仕方ないよ。それよりあれだけとっさに叩いてあの威力、それがすごいよ、うん」
「無駄うちだけどな」
「いや、でも、今後につながるって言うかさ。次に本物に出くわしても、あれだけの反応なら、ほら」
「でも、どうせ、俺普段は、見えぷふっ」
いかん。おかしくて吹く。
「ん?」
勘の鋭いつゆりが俺の顔を覗き込んでくる。
「んー?」
やばい、もう無理だ。
「上梨-」
「わー、ごめんごめん。つい」
「ついじゃなーい。騙したねー」
「いや、騙すつもりなんかなかったんだってー」
「このー、このー、馬鹿上梨-」
ばしばしと俺を叩いてくるつゆりを防御しているうちに、なぜか抱きしめる体勢になってしまった。
「よかった、落ち込んでなくて」
つゆりがぼそりと言った。
「うん、最後はやらかしたけど、彼女は助けられたし」
「そうだよね。それが一番の目的だったもんね」
つゆりが身体をもたれかけてくる。
「でもターゲットが上梨じゃなくてよかった」
「どういう認識だったんだろうな、俺のこと」
「邪魔した男、じゃないかな?」
「食べるのを邪魔したってこと?」
「んー」
指を一本口元に当てて思案するつゆりが可愛い。
「食べるつもりだったのか疑問だなあ」
「頭丸ごと齧ってたけど、あれでも食べるつもりじゃなかったかもしれないってこと?」
「うーん、食べるつもりだったら、とっくに食いちぎってたと思わない?」
ふむ。言われてみればそうか。悲鳴を聞いて教室に飛び込むまで、少し時間があったはずだ。そう、噛みちぎるだけの時間は。
「そうだな。それだけの時間はあったと思う」
「でしょ?だから食べるっていう表現は適切じゃないのかも」
「吸収する、とか?」
「そうそう、そんな感じ」
「何を吸収するんだ?魂?生命エネルギー?」
「水、かなあ?」
「水?」
いきなり普通のワードが出てきてしまった。
「動物の身体ってほとんと水分でしょ」
「ああ、確か6割7割が水分だったろ」
「うん、そんでそのうちの確か5%くらい失われると脱水症状」
「失われすぎると死ぬ」
しかしだからと言って水分を吸収しようとしてたって説は乱暴じゃないか?
「人も動物も死ぬと死体から水分が蒸発するでしょ」
「ああ、するだろうな」
「だとすると失った水分を渇望することもあるよね」
「水分失うのって死んだ後だろ?」
「ん?」
鋭いようで、そうでない。
「あ、そうか。それじゃ関係ないや」
「いや、例えばすごい喉が渇いた状態で死んだとか」
「あ、それならあるか。でも頭を齧る必要ない気がするなあ」
めまぐるしいな、つゆり。
「実は彼女の髪ね。ちょっとパサパサだったんだ」
「そうなのか。じゃあ水分もあながちハズレじゃないかもな」
「でもさっき上梨が言った生命エネルギーみたいな可能性もあるね。髪の毛の生命エネルギーが吸われたとか」
「生命エネルギーって概念がそもそもあるのかなあ」
つゆりが難しい顔してる。
「うー、もうこの話終わり」
投げた。
「もっと時間を有効に使おうよ、ねー」
投げた途端に切り替えた。
「じゃあ有意義なことして、二人で水分たくさん出しますか」
「な」
つゆりが真っ赤になる。
「汗で」
「なー、もうっ。そっちか」
ぽくぽく叩いて来ているが体重は俺に掛けているので、早く連れて行け感がすごいぞ。連れて行くけどさ。
「しょっと。このうち65%が水分か。すると・・・」
「こらっ、変な計算するなっ」
ベッドに倒れ込むなり唇は塞がれて、計算はお預けとなった。
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