兵士は静かに敬礼する
夏のホラー参加条件に完結済み作品とあったので、完結としていましたが、どうも作品群には連載中も多いので、当作品もとりあえず連載中と変更しました。完結しているのに、話を後から追加するのって、本来いけないんじゃないかな?と思いまして。
作品を読み返したら、「振り」だけして語っていない部分も多いので、それを少し回収しようと書きました。病院と関係ない話も出てきてしまう可能性があるので、ルール違反だったら誰か指摘してください。
と言うわけで、今回は二人の高校生時代のお話です。
「気になるのが「見える」?」
「うん」
帰り道の途中の公園で俺とつゆりはいつものように雑談していた。例のブランコ少年はまだ「見える」のかと聞いたら、もういなくなったと返って来た。それに続いたのが、気になるのが「見える」という言葉だった。
つゆりはバレーボールの練習後なので、少し髪が濡れている。この少し濡れた感じが俺は好きだった。
「どこで?」
「んとね。お墓」
ん?お墓って?
「あれ?お墓ってあまりいないんじゃなかったっけ?」
「うん、普通はほとんどいない」
「それなのにいたの?」
「うん、最初はただ通り道にしてるのかなあって思ったんだけど」
つゆりに寄れば病院や学校などの方がたくさんいて、お墓みたいな場所は逆にほとんどいないらしい。
「それってどこのお墓?」
つゆりがお墓参りに行ったと言う話は聞いていない。
「あそこの病院の敷地の」
「あ、通り抜けに使ったのか?」
「うん」
つゆりが言っているのは通学路の途中にある大きな病院のことだ。結構な敷地で、古い建物もまだ取り壊されずに残っている。そして、その敷地内に小さな墓地があるのだ。
病院内に墓地なんて縁起でも無いと思うんだが、お墓自体はすごく古いものなので、昔はOKだったのかもしれない。
そしてその敷地内を通ると、通学路をショートカットできるのだ。一応学校からは通ってはいけないと言うお達しが出ているのだが、寝坊して遅刻しそうな者はついつい使っているのが現状だ。
「寝坊したのか?」
「てへ、面目ない」
思わず嘆息した。
「気になると言ってもつゆりが通らなければ問題ないだろ。寝坊しないことだよ」
「えー、そういう話になるー?」
甘えるような仕草についつい頬が緩んでしまう。
「ところでさ、そこのブランコ少年が消えたのって、誰かが祓ったの?」
「うーん、分かんない」
そんな塩あるかい。
「だいたいそういうのって自分が死んだことに気付いていないんだよね?」
「だいたいね」
「じゃあ誰かが祓ったんじゃないの?」
つゆりがベンチから立って、ブランコの方へ向かう。仕方なく俺もベンチから立ってつゆりについて行く。
つゆりがブランコに乗って漕ぎ出す。もうサイズオーバーで足をすごく折りたたまないと乗れない。
「こうやって祓う力のある誰かがブランコのところに来た場合は、自然と祓われちゃうことがある」
「つゆりとか俺とか?」
「うん。でも影響を受けずに、そのままのものも多いよ」
「他の可能性は?」
「えーっと、自分が死んだんだって気づいちゃう場合」
そんなケースもあるのか。
「突然に?」
「うん、突然に。何かきっかけがある場合もあるけど」
「例えば?」
「うーんと、例えばブランコ少年のお母さんが健在で、そのお母さんが弟を連れて来たとか」
「ふーん。じゃあブランコ少年は後者の可能性大?」
俺は足を畳んでもブランコを漕げないので座ったまま聞いた。ブランコでふわっとつゆりのスカートがまくれて、生太ももが見えてしまって、思わず目をそらした。
「んとね、私とか上梨みたいに、祓う力がある人って、すごく少ないんだ。だから可能性が高いのはやっぱり後者かな」
「へえ、「見える」人とどっちが多い?」
「そりゃ「見える」人だよ。なんとなく「見える」人も多いんだから」
「それなら、何となく「祓える」人がいてもいいじゃんか」
「あー、中途半端なのはよくないんだよねえ」
つゆりが、俺が目をそらしていることに気付いたようで、ブランコを止めて覗き込んできた。
「何?」
「い、いや」
「何か私、変なことした?言った?」
「何でもないって」
俺はブランコから立った。
「そういうのよくないぞー」
「うわ、やめろって」
つゆりがくすぐって来た。思わず抱きとめてしまった。
「あ」
「あ、ごめん」
慌てて抱きとめた手を放すが、二人の距離は近いままだった。
「ブランコ少年消えちゃったから、ここでも出来るよ」
つゆりが頬を赤く染めて言った。つゆりは「見える」ものがいる場所でのキスを嫌がっていた。
俺は周囲を見回して人がいないのを確認した。
そしてつゆりの肩を持って、そっとキスをした。
◇
「俺、今朝、病院の中通って来た」
「うそっ。やめてよお」
「別に異常なかったぞ。一応お墓の前で叩いてきたけど」
「あー、もう。そういうのよくないんだぞ」
俺とつゆりは今日も公園で話をしていた。昨日の話を聞いて、俺は遅刻しそうな身ではないのに、病院ルートを使ったのだ。
「よくないって?」
「昨日、話が途中になっちゃったけどさ」
「えーっと、中途半端に祓う力があるとどうとか?」
「それ」
なんだかつゆりが怒っているのは分かった。俺はどうもよくないことをしてきた可能性があるらしい。
「私の祓う力より、上梨の祓う力が強い。オッケー?」
「うん、自覚は無いけど、オッケー」
「分かりやすくするために上梨をA、私をBとしましょう」
「祓う力のABCってことだな」
「そ。これに当てはめると、私が祓えるのはBランクまでの相手。上梨は私が祓えないAも祓える」
「ふむふむ」
「祓う力Cの人がいたとしましょう。この人が祓えるのはCの相手まで」
「うん」
結構感覚的なところがあるつゆりにしてはとても分かりやすい。公園の自販機に珍しい炭酸飲料が入ったので、つゆりが先に飲んだ時の感想は「うーん、じゅばーって感じ?」だったくらいだ。
「ところがこの人がBの相手を祓おうとしたとすると、どうなるでしょう?」
「そりゃ失敗するだろう」
「半分正解」
「半分?」
「祓おうとして失敗すると、それまで何でもなかった相手が攻撃的になったり狂暴になったりすることがあるんだ」
「マジか?」
俺が素直に驚いたので、つゆりはしたり顔だ。
「普通にしてたけど、突然殴られたら、殴り返すことあるでしょ」
「ああ、まあね」
それほど分かりやすくは無いが、分かる。
「あとね、Aの力のある人はBの相手を祓えるけど、それも、しっかり祓おうとしているかどうかが大事な時があるんだ」
「どういうことだ?」
「手をぱんって叩くでしょ」
「ああ、蚊を叩くやつな」
「あれも祓うつもりじゃないと効果がほとんどないんだ」
「そうなのか?」
「うん、ただの手拍子とか拍手なんかだと無意味なことがほとんど」
「そうなのか。あ」
俺は今朝の自分の行動を思い出した。
「そう、上梨の今朝の行動はもしかしたら私が今話したケースに当てはまるかもしれない」
「はあ、ごめん」
「別に謝らないでよ。私の話を聞いて心配してくれたんでしょ」
「うん」
「嬉しいよ」
さっきまでの怒っていたつゆりはどこかへ消えていた。
俺は素早く周囲を見回して人がいないことを確認した。
◇
俺とつゆりはその日の帰り道、例の病院ルートを通ってお墓を確認することにした。
「あ、いない」
「へえ、じゃあ、俺、祓えてたのかな?」
「うーん、たぶんね。でも今日だけじゃ分からないかも」
その後自転車をこぎながら会話を続けた。
「復活する?一度祓ったのに?」
「うん、一回で昇華して二度と出てこないことが多いけど、中には祓うと姿を消すんだけど、しばらくすると復活する類もいる」
「それって強い、ってことでいいのかな?」
「まあ、概ねオッケー。レアなケースは話しているときりがないから」
つゆりが自転車をこぐとまたスカートがまくれる時があるんだよなあ。俺はなるべくまっすぐ前を見るように心がけた。
「そう言えば、つゆりがお墓で見たのってどんなの?」
そもそも聞いていなかったことに今更気付いた。
つゆりが自転車を急に止めた。俺も慌ててブレーキを掛けた。振り返ってみたつゆりの顔は少し青ざめているようにも思えた。
「んとね。兵隊さん」
◇
「兵隊だって?」
「うん、旧日本軍って言うの?映画見たあんな感じ」
「ふむ、そりゃ危険かもね」
「だよねえ」
私は病院のお墓で「見えた」ものについておばあちゃんに報告していた。
「もし本当に兵隊なら、そうとうの年季ものだ」
「うん、そう思ってさあ。ちょっと怖くなっちゃった」
おばあちゃんによれば「見える」ものが、その状態になって長ければ長いほど強いのが普通らしい。逆の言い方をすれば強くなければ長い期間その状態でいられないってこと。
「呪いかなあ」
「うーんどうだろうね。今の話だけじゃ判断できないねえ」
「だよねえ」
呪いの類はそもそもが強力なのである。
「まあ、こんな時のためにつゆりに石を渡したんだ。いざとなれば使うがいいさ」
「私に出来るかなあ」
「例の彼氏を連れて行きなさいよ」
「え?上梨?でも石、使えないでしょ」
私の言葉におばあちゃんは、ちっちっちと指を揺らした。年相応の動作をしてほしい。
「彼氏の力を借りることができる」
「上梨の力を借りて私が祓うってこと?」
「そういうことだよ。こう、流し込んでもらう感じだね」
「流し込んでもらう?」
「イメージできんかなあ。お前さんも石を使うときに無意識に石に力を流し込んでいるだろ」
「あー、あんな感じか。分かる。流し込む感じ分かった」
問題は私には分かるこの感覚が、上梨にも分かるかどうかだ。
◇
「流し込む?」
「うん、試してもいい?」
つゆりに言われた通り後ろから抱えるような体勢を取る。つゆりの少し濡れた髪からいい匂いがした。
「そうそう、それで私の腕の接触部分に、気持ちを流し込む感じでって、もう来たあ」
「ああ、こういう感じな。分かる分かる」
「分かりすぎだよ。んんっ」
「へ?なんでよがるの?」
「誰がよがってるって」
腕をほどかれてきっと睨まれた。さらに肘が俺の腹にとすっと軽く食い込んだ。ああ、言い方が悪かった。
「へ、変顔?」
「うー、デリカシーが無い」
「ごめん」
「流し込まれると、あんな風になっちゃうの。二度と言わないで。そんでもって見ないで」
「はい」
その後も数回練習したところでつゆりが石を取り出した。
「へえ、これが例の石か」
「うん、内緒だからね」
「ああ、分かってる」
つゆりは平穏な学生生活を望んでいる。もちろん俺も。おおっぴらに「霊、祓えます」なんて喧伝するつもりは毛頭なかった。
「これはね、「開眼」っていう石。「見えない」人を「見える」ようにするし、「見える」人はもっと見えるようにする」
「へえ、じゃ、俺も「見える」ようになるってこと?」
「うん、なる」
「すごいじゃん」
俺は少し興奮していた。つゆりばかり「見える」ことに少し劣等感をもっていたのかもしれない。実を言えばつゆりは自分以上に祓える俺に対して劣等感をもっていたようだが。
「でも、気を付けて。「見える」と分かると寄ってくるものも多いから」
「そうなのか。分かった。見つめなければ大丈夫?」
「うんうん、上梨は理解が早いね」
で、結局「開眼」はつゆりだけで簡単に出来るので、やってもらった。
何も変わった気がしない。
「これで見えるようになってるの?」
「うん、そんなに力を込めてないから、たぶん1時間くらいかな」
「それだけあれば十分だろ。じゃあ行くか」
「うん」
こうして「見える」つゆりと「見えるようになった」俺は、例の病院のお墓へと向かった。
自転車をお墓が見えたところで降りて、徒歩で近づいて行く。
「あ、いる」
「ほんとだ」
確かにお墓の中に日本兵みたいなのが立っている。
「確かに日本兵だなあ」
「でしょ」
こちらを見るでもなくぼーっと立っている。表情は無い。離れた位置で観察する。
向こうから自転車でおばちゃんが走って来た。買い物帰りのようで、前かごには膨らんだエコバッグが入っている。
「あ」
「あ」
日本兵が敬礼したのだ。当然おばちゃんはスルー。
日本兵は敬礼を終えると、くるっと向きを変えて歩き始め、墓の端を抜けると薄くなって消えた。
「消えたぞ」
「消えたね」
ってことは俺が祓ったことで一時的に消えたんじゃない可能性もあるのか。
「無害なのかなあ」
つゆりも自信がもてないみたいだ。
引き返そうとした時だった。
「あ、出た」
反対側の墓の縁からうっすらと日本兵が現れて、また定位置に立ったのだ。
「ルーチンなのかな」
「かもしれない」
つゆりによれば横断歩道をみんなと同じように待っていて、信号が変わると渡り、反対側でまた待つみたいにずっと同じことをするものもいると言う。
「もう少し見ててもいい?」
「ああ、いいぜ。効き目が切れるまででも」
「そんなにやだよ」
その後近道をする学生が一人、さっきと同じようなおばちゃんが一人通ったが、日本兵は同じように敬礼しては消えて行った。
「無害、っぽいね」
「敬礼兵とでも呼ぶ?」
「だっさ」
次で最後にしようと約束して待つ。
「お墓で普通見かけないってのは、ちゃんと埋葬してあるから?」
「うん、それが大きい」
「つまり自分が死んだことに気付かないってことが無いと」
「お経まであげられちゃうとね。だいたいは、ああ、自分は死んだんだなって気づくわけ」
「お葬式とかもやられればなあ。確かに気付くよな」
最後に通ったのはこの病院に勤務しているらしいナースだった。
ちょっとした買い出しにでも行くのだろうか。ナース服の上に薄手のカーディガンを羽織った格好で歩いてきた。
日本兵は敬礼した。
そして次の瞬間、日本兵は突然涙を流しながらナースに駆け寄った。
「うわ」
「ひゃ」
しかし日本兵は墓場の縁までしか来られないらしく、そこで泣きながらもがいていた。
「どうしたんだ、突然」
「分からない。病院関係者だから?」
泣きながら手を伸ばす日本兵は、届かないと分かるとその形相を変えた。
怒り。
怒りの形相でナースを掴もうと手を伸ばすのだ。
「やばそう」
「うん」
やがてナースが見えなくなると、がっくりとその場に崩れ落ちた。しばらくすると日本兵は立ち上がった。
「うえー」
その目が燐光を放っていた。そしていつものように墓の縁へ歩いて消えて行った。
「今、目が光ってたぞ」
「うん、やばい」
やばそうなのは俺にも分かった。あんな風に目が光るなんてオカルト映画だ。
「おばあちゃんに相談する」
「それがいいよ」
つゆりにも初めての体験だったようだ。少し怯えた感じのつゆりを見送って、俺も家路についた。
普段「見えない」ものが「見える」もんだから、道中びっくりして危うく転ぶところだった。
壁からおばさんが出て来るなんて、普通思ってないじゃんか。
◇
「目が光った」
「うん、ぎらぎらーって」
「つゆり、それはもう呪いに近いね」
「だよね。でもお墓から出られないみたいだよ」
「お墓に誰か近づいたら?」
「あ、そうか」
おばあちゃんはお茶を入れなおしに行った。話が長くなると言うことだ。
「死ぬときによほど怨みや心残りをもって死んだか、あるいは死んでからの期間が何かを溜め込んだのか。どちらにせよ、現時点でその日本兵は呪いに近い存在になっていることは間違いないね」
「うん」
「今はお墓に縛られているがね、出て来るかもしれない」
「え?本当に?」
「つゆりから見て、お墓の様子はどうだった?よく手入れされていたかい?」
「ううん、全然。草ぼーぼーだったし」
「そうした手入れされない墓は、やがてそこらの野原と同じようなものになってしまう」
雑草の生い茂ったお墓を思い浮かべた。墓石があるからお墓と分かるが、もし墓石が無ければ確かに野原だ。
「その、ナースにだけそういう反応をしたのは?」
「何かを病院関係者に訴えたいんだろうね。それが届かないことが続いて、いつしか怨みに転化した。そうも予想できるね」
「まさか、病院に行って、昔死んだ日本兵のこと知りませんかって聞けないよねえ」
「やめときな。あんたが入院させられちまうよ。それにそんな昔のこと、だれも覚えてないし、記録もないよ」
「それもそうか」
どうしたらいいんだろう。
「まあ、こんな時のために石を渡したんだ。上手に使ってごらんよ」
「えー。おばあちゃんも来てよー」
「何言ってるんだい。もう引退だよ、そういうのは。彼氏に手伝ってもらいな」
「だって危険そうじゃない?」
「だからこその石じゃないか。まだ墓地を飛び出してないんだ。今のうちだよ」
「あー、それもそうかあ」
おばあちゃんには敵わないなあ。
私は机の上に石を出してころころと転がした。
◇
「え?除霊するの?」
「うーん、除霊って言うのは好きじゃないんだよね。昇華って言ってる、うちらは」
「昇華、ね」
今日のつゆりは少しお疲れのようだ。練習の大変さよりも、この件が気になっていることが疲れに繋がっているように思える。
「でも、その前に話を聞こうと思う」
「話?聞けるのか?」
「うん、石で。昨日はあんな様子だったから、絶対何かしゃべってるでしょ?」
「あの様子なら間違いないね」
「うん、だから聞いてみる」
俺はつゆりの指を握った。
「その、つゆり。話を聞けば当然相手に認知されるよな。危険じゃないか?」
「うん、危険だよね。でも、そのための石だろって、おばあちゃんが」
「放置しておくってことは出来ないのか?」
「あの調子だと、いつ誰かに害を及ぼすか分からない。墓場から出る可能性もあるから」
「そうか、一般人も抜け道にしてるしなあ」
つゆりが指を絡めて来た。俺も絡めて恋人繋ぎになった。
「もしかすると手強いから、その時は上梨、お願い」
「流し込めばいいんだな」
「うん」
俺を見上げるつゆりの目が潤んでいて、俺は周囲を確認しないで
キスしてしまった。
「ちょ、そういうつもりじゃなく」
「あ、ごめん。可愛くて」
「な」
耳まで赤くなるつゆり。これがまた可愛い。もう一度キスを迫ってしまいそうな自分を抑えた。
◇
「じゃ、ます「開眼」から」
「おう」
石の力は基本的に一日一回しか使えないらしい。込めた力によってはそれが二日に一回になったり、三日に一回になったりすることもあると言う。
「開眼」
やはり自覚症状は無し。
今回は墓場までずんずん近づいて行く。
敬礼兵は今日もいた。
つゆりは別の石を出して力を込めた。手の中の石が光を放つ。
「御饒舌」
どんな字を書くのかと思ったら「おしゃべり」を漢字で書くバリエーションだって。
つゆりがぼーっと立つ兵隊に近づく。もちろん墓場の中には入らない。
「あのー、兵隊さん」
その言葉に反応してか、敬礼兵が敬礼した。
「あのー、聞こえますか?」
ゆらっと敬礼兵の視線が揺れて、つゆりを見る。
「ごくろうさまです」
おお、しゃべった。
「そこで何をしているんですか?」
「警備であります」
何かの任務中ってことなのだろうか?
そこへ若い医師らしい男性が自転車で通りかかった。
その途端、男性が泣き始めた。つゆりの目の前まで来て医師に手を伸ばした。
「違うんですっ。その子は違うんですっ。申し訳ありませんっ。家内はそうですがっ。娘はっ。娘は違うんですっ。信じてくださいっ」
鬼気迫る表情で泣きながら訴えるが、当然若い医師は通り過ぎるばかりだ。
敬礼兵の形相が変わる。
「違うと言っているだろおっ。なぜだあっ。娘は関係ないっ。なぜだ、なぜだ、なぜだ、なぜだあっ。娘を返せええっ」
怒りの形相がすさまじい。
「こんなっ。こんなことがあるかあっ」
泣き崩れる敬礼兵。
「奥さんと、娘さん?」
つゆりが恐怖に耐えて、声を掛ける。
「家内は仕方ない。確かにその通りだ。しかし、娘は関係ない。娘は関係ないんだ。感染していないんだっ」
絞り出すように敬礼兵が言った。
感染?
「それを、あいつら。決めつけやがって。決めつけやがって。決めつけやがって」
ゆっくりと敬礼兵が体を起こす。
おい、つゆり。敬礼兵の手が、墓地から出てないか?
「娘を。娘を。俺の娘を切り刻みやがった。切り刻みやがった。切り刻みやがったんだ」
出てるよね、うん。
「つゆり、手」
「あ、やば。上梨、祓って」
「お、おう」
俺は気持ちを込めて手を叩いた。
ぱあんんんんっ
「あ、消えない」
つゆりの言うとおりだった。一瞬消え去りそうに見えた敬礼兵は、再び濃さを増して、そして俺達を睨んできた。すでに身体が墓地からはみ出している。
「貴様らも奴らの仲間かっ。娘を返せ。娘を返せ。娘を返せえっ」
今にも俺達に飛び掛かってきそうだ。
「何があったか分からないけど、ごめんね。あなたの娘さんを返すことは出来ない。あなたはもう死んでいるの」
「家内は仕方ない。でも娘は感染していないっ。そう言っているだろうがあああっ。ぎっひいいいっ」
ダメだ。話を聞いてくれない。つゆりに手を伸ばしてくる敬礼兵の目は燐光を放っている。
つゆりが握った手に力を込める。光る石を乗せた手を敬礼兵の前で開いた。
「破魔」
一瞬視界が白くなる。
「上梨っ。もう一回っ」
「お、おう」
ぱあんんんんっ
敬礼兵の姿が消え、最後に目の燐光がふうっと線香花火の最後のように薄まって消えた。
「は、祓えたのか?」
「た、たぶん」
つゆりが汗をかいていた。気付けば俺もだった。
「動転して流し込んでもらうの忘れちゃった」
「あ、俺もだ」
二人して笑いあった。
◇
「ふうん。戦争中は無理が通って道理が引っ込む時代だったようだからねえ」
「感染ってことは病気だよね」
「うん、昔は病気に対する理解が無くてね。差別されることが多くて、病気を隠して蔵に閉じ込めることもあったくらいだからねえ」
「ふうん。かわいそうだね」
いつになくお茶が苦かった。
「母親が何かの病気に感染していて、それを隠していた。それが発覚して母子ともども隔離されたってところかねえ」
「子供は関係ないって、必死に訴えてたよ」
「道理が通る時代じゃなかったのさ」
「ひどい話」
私はお茶を止めて、麦茶を持ってきた。それなのに少し苦いってどういうことよ。
◇
「戦争中はそんな感じだったのか。なんだかかわいそうだな」
「うん、でも祓わないといけないものだったって、おばあちゃんが」
「そうか。原因はともかく、今の俺たちにとっては、迷惑な存在でしかないもんなあ」
なんだか缶コーヒーがいつになく苦く感じた。
「お礼を改めて言っておけって。ありがとね、上梨」
「え、いいよ、そんな」
「最後までしっかり祓えたのは上梨のおかげだって」
「あ、そう」
つゆりが覗き込んで来る。
「何?」
「いや、お礼はそれだけかなって」
「えー、何それ?」
「ブランコ少年いないんだろ」
「いない」
「じゃあお礼が欲しいな」
「ん」
つゆりがベンチの上をちょんと動いてさらに密着した。
俺は周囲を見回して人がいないのを確認して、目を閉じるつゆりにゆっくりキスをした。
コーヒーの苦みが消えた気がした。
一応病院の敷地内の話ってことで。汗
あといくつかの「振り」を回収したいと思っています。