物憑き 【上梨君の道具】
少々手探りですが、見込み発進。
「もう、だるいの治った?」
「ああ、もう平気」
上梨は戻って来てから倦怠感に見舞われた。元気が取り柄の上梨だから珍しいし、心配したけれど、おばあちゃんが反動だと教えてくれた。
「やっぱりちょっと無理してたってことなんだろうなあ。俺、自覚症状はなかったけど」
上梨がフライパンを鮮やかに操って、炒め物をしている。
「慣れるっておばあちゃんは言ってたよ。次は同じようなことがあっても楽になるって」
「そうじゃなきゃ困るよ。はい、出来上がり」
上梨が慣れた手つきで大皿に炒め物を流し込んだ。
「運びまーす」
私はその大皿を持ってテーブルに運んだ。上梨が味噌汁を入れて持って来てくれる。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
いわゆる豚キムチ炒めだ。とっても美味しい。ご飯が進んじゃう。
「何?どうしたの?」
上梨の箸が止まっていた。
「あ、いや。ほら、井出羽の人達が木の棒を使ってたろ」
「それで上梨君は箸を凝視しているわけですか?」
「凝視はしてないだろ」
笑いながら上梨が豚キムチに箸を伸ばした。
「最後に上梨、あの棒使ってたじゃない」
「ああ、おばあさんに渡されたやつな」
「あれ、どんな感じだったの?」
上梨が倦怠感に見舞われてしまったので、帰りのタクシーで話して以来の、この話だった。
「ああ、そうだなあ。つゆりに流し込む時って、すっと入っていくんだけど、あれに近いかな」
「ん?」
「指だけで九字を切る時より、力がちゃんと出て行く感じ」
「なるほど」
私は味噌汁に浮かんだお豆腐を口に運びながら言った。
「でも、あれはたぶんブーストが掛かっていたからだよ。今、この箸でやろうとしても全然ダメだもん」
「箸でやらないでよ、もう」
「あ、それにあれはただの棒みたいに見えたけど、特別な棒かもしれないし」
「そうだね。あの人たちの使う道具はだいたい特別製だから」
「あの鍋とか」
確かにあんな鍋で祓うなんて、思いも寄らなかった。
「特別製と言えば、加茂さんはすごいよなあ。特別製の見本市みたいだったじゃん」
「そうだねえ。えーっと、お札でしょ。お守りでしょ。香炉でしょ。人形にこけしでしょ」
箸を持っていない手の指を折り終わってしまった。上梨が笑顔を浮かべて続きの指を折ってくれた。
「紐みたいなのも使ってた。鹿嶋さんの神水も借りて墨として使ったって言ってたし」
「まだまだありそうだよねえ」
「でも、加茂さんには誘われなかったしなあ」
「あ、やっぱり上梨も何か使いたいわけ?」
上梨がなぜか頬を薄っすらと赤く染めた。
「何?」
「っこいいじゃん」
「え?」
「かっこいいじゃん。掛け声とか」
「そこー?」
爆笑してしまった。
「つゆりは分かってんの?「破魔」って言葉に力があるってこと」
「あ、うん。一応ね」
「なんだ、分かってたのか?」
「あー、ひょっとして上梨君は彼女が意味も考えずに「破魔」とか言ってると思ってたわけ?」
「…うん」
「ひっど」
「ごめん」
照れたままの上梨がいつもと違ってとても可愛く見える。
「いいってば。じゃあ、おばあちゃんに相談してみる?修行の話も結局聞けてないし」
「そうだなあ。でも今度の土日は試合だろ?」
「うん。でも上梨だけでも出来るし」
「それもそうか」
ああ、上梨が落ち着いちゃった。でもいいもの見られた。上梨が「斬魔一刀」とか叫んで剣を振る姿もきっとかっこいいに違いない。あ、でも合気道でも剣を使う練習しているって言ってたような?
「上梨、合気道で木刀振ってるって言ってなかったっけ?」
「ああ、うちの流派だと木剣と小太刀、それから棒みたいな杖の練習もするよ。型もあるし」
「そうなんだ。じゃあ素質はすでに磨かれているかもね」
「そんな実感はないけどなあ」
豚キムチの最後の一切れを上梨が口に放り込んだ。
◇
結局おばあさんに相談したところ、親戚なんだから加茂家に行ってみろと言われた。俺の親戚じゃないんだけどなあ。加茂さんは千葉県在住だったので日曜日に日帰りで伺うことになった。ちなみにつゆりは部活のバレーボールだ。
「やあ、いらっしゃい。お久しぶりって感じでもないね」
出迎えてくれたのは元オカルトハンター豪君だった。
「お邪魔します。よろしくお願いします」
豪君はまさか住み込みなのだろうか。すっかり自分の家のような振る舞いだ。
「こっちへ。師匠がお待ちです」
「どうも」
大きな庭もある一戸建ての長い廊下を通されると、そこは小さな道場のような場所だった。
「やあ、上梨君。ようこそ」
「すいません。お世話になります」
加茂さんは意外にもジャージ姿だった。
「はは、これ?井出羽の連中のジャージ姿に触発されてね。いやあ、ジャージなんて何年ぶりかなあ」
「触発ですか」
いろいろと取り敢えず気になったことに手を出すのは加茂さんの強みなのかもしれない。だからこそ、たくさんの道具を使いこなすと考えれば納得できる部分もある。
「で、道具だよね。何があってるのかアドバイスをと?」
「ええ、酒々井のおばあさんに、近いんだから聞いて来いと言われました。お忙しいのに、本当にすいません」
「いやいや、ちょうど一段落しているところで、忙しくはないよ。次のアポは明日だし」
豪君が箱やら袋やらを抱えて来た。
「これは今回使ったものだね」
ずらっと並ぶ品々にはやはり驚かされる。そのどれもが効果的に使われていたことがすごい。
「一番使うのは何なんですか?」
「便利なのはやはりお札だね。言霊があるのと同じように、書いた文字にも力があるからね。そこに気を込めてあればなお効果的だし」
「これって書いた人が使わないと力が半減しますか?」
一枚を手に渡されて聞く。
「誰が使っても一応の効果はあるよ。お札って本来そういうものだから。でも、作った者が使えば効果は増すね」
「なるほど」
確かに便利そうだが、どうもぴんと来ない。
「そう言えば上梨君は合気道部なんだろ?」
「ええ」
「木刀も使う流儀?」
「はい、使います」
「杖は?」
「使います。木刀よりもどちらかと言えば好きですね」
「ふむ」
加茂さんが道場の壁にある引き戸を開けた。どうも物置のようだ。
「豪君、何か拭くものを」
「はい、師匠」
加茂さんが持ち出してきたのは少し黒ずんだ杖だった。ずいぶん年季が入っているようだ。
すぐに豪君が濡らした布を持って来て、それを受け取った加茂さんが杖を拭いた。
「これは先々代から受け継いだ杖だけど。先代も私も使いこなせなかったんだ。上梨君ならどうかな?」
「拝借します」
受け取ると丁度いい重量感だ。太さも申し分ない。
両手に持って半身に構える。えーっと?
「つゆりちゃんに流し込む意識を少し」
加茂さんに言われて頷く。杖に気を流し込む。
うーん。
「ああ、ストップ。そうかあ」
残念そうな加茂さんの口調に、つい頭を下げた。
「いやいや、気を練れてないんだよ。反動あった?」
「あ、はい。かなりの倦怠感が」
「そりゃそうだよなあ。いや、なんだか安心したよ。あれだけのことをして、平気な顔していられたら本当にやっていられないから」
「はあ、そうですか」
何しろ絶好調だったとはいえ、気を練るという感覚はあまり分かっていないのだ。
「船漕ぎ運動してる?」
「はい、一通りは」
船漕ぎ運動というのは合気道の鍛錬の一種で。腰を落とした状態で船の櫓を漕ぐような動きをする動作のことを指す。
「ちょっと軽く100回くらいやってみせてよ」
「100回ですか」
「ああ」
加茂さんは笑顔でなかなかのことを言う。手を抜けばどうってことない船漕ぎ運動だが、真剣にやればなかなかの体力消耗なのだ。
「じゃ、やります」
俺は言われた通り、船漕ぎ運動を始めた。最初はいまいちだったのが、20回を越えた辺りからいい感じになってきて、50回を越えるとしっかり出来ている感覚になった。
意識はふわっと別の段階へ飛ぶ。足裏が道場の床に吸い付くような感覚になる。
「はい、そこまで。杖持ってみて」
結局80回を過ぎたところで加茂さんに止められた。言われた通り杖を持つ。
あ、全然違う。
手にものすごく馴染む。
心地いいほど。
つゆりに流し込む感じで、腰を落として気を流し込む。
「ありゃまあ」
加茂さんがあきれたように言う。
「その杖は君に預けるよ」
「はあ、ありがとうございます」
どうやらうまくできたみたいだ。俺には「見えない」けれども。
「じゃあ、いい道具が見つかったところで、休憩にしよう」