【閑話】井出羽の当主
「俺、月曜の単位ちょっとやばいんだよなあ」
「ああ、土日に仕事が入るからねえ」
私と修は彼の通う大学の近くのコーヒーショップでお茶をしていた。
今回もオヨバズを祓うことに成功して地元に戻れたのは月曜の昼過ぎだった。修にはあらかじめ月曜日には講義をあまり入れない方がいいと言っておいたのだが、やはりどうしても他の講義との都合で月曜日に入れざるを得なかったと言っていた。
「やばいなあ。一人出席重視の先生がいるんだよ」
「さすがに大目に見てくれって申し入れるのもねえ」
「それは職権乱用だろ、さすがに」
「分かってるなら、せめて出られた時にはまじめに聞きなさいよ。井出羽の看板背負ってるんだからね」
「そこまで背負えねえよ、ったく」
修が文句を言いつつコーヒーを飲み干した。私のウーロン茶は少し前から空だ。
「ここ、打ち合わせで落ちない?」
「落ちるわけないでしょ。ほら、行くわよ。おごってあげるから」
「いよっ。太っ腹」
「誰が、太っ腹よ」
「あ、いや、そういう意味でなく」
就職して以来デスクワークが多くなり、そこそこ自慢だったスタイルが緩んできているのだ。
修は地雷を踏んだ。
「いや、楓さんのスタイルはすごくいいってば」
「もう言うな」
びしっと鼻先に人差し指を突き付けた。
言えば言うほど泥沼だと分かってほしい。まあ、まだ大学生にそれを望むのは酷かもしれないが。
「はい、すいません。もう言いません」
私たちは原付バイクにそれぞれ乗ってヘルメットを手に取った。
「しかし、今日はせっかくの修行免除なのに、なんで呼び出すかねえ」
修がヘルメットのバンドをとめながら言った。
「どうせまた何かトラブルよ。こういう呼びつけの仕方の時に、いい話だったこと無いでしょ」
私もヘルメットを被り、嘆息しながらエンジンを掛けた。
「柚さん遅いねえ」
「残業でしょ。今日は遅刻になっちゃったし」
屋敷の座敷で私と修、山岳ガイドの満さん、役所勤めの要さんとはすでに1時間ほど暇を持て余していた。
「まあ、修行しろって言われないだけましだけど」
「セクハラかな」
「俺はパワハラに一票」
男達が勝手なことを言っていると、どかどかと足音が響いた。
入って来たのは当然、柚だ。
「あーもう、あのパワハラ係長、ぶっ殺してやりたい」
パワハラに一票入れていた要さんがやったぜと手を挙げた。
「何よ?」
柚がスーツの上着を放り出して座った。下着が見えそうだ。それが気にならないほど怒っているのだろう。
「もー、ねちねちねちねち、あったまくる」
「有給取りやすい会社のはずなのにねえ」
「ほんとよ、上司の文句付きなんて一言も言ってなかったくせに」
さすがにそれをわざわざ面接で言う会社は無いだろう。
襖が開いて当主が現れた。
全員が居住まいを正して正座する。
「揃ったね」
「はい」
和服をぴっちりと着こなした当主が私たちの前に座った。相変わらずの圧力に、つい握る手に力が入る。
「まずは、ご苦労だった。礼を言うよ。よくぞ井出羽の名を汚さずに戻った」
「はあ、まあ、そうですね」
満さんが曖昧な返事をする。
「五人で一人前のお前達にしては上出来だよ。褒めているんだがね」
「そりゃどうも。ありがとうございます」
満さんに合わせて残りの四人も一応頭を下げた。
「で、どうだった満。今回の楓は?」
「はい、立派にやり遂げましたよ。まあ、酒々井さんに助けられましたけど」
「なんだい、あいつは。現役を退いたって聞いてたのに」
「いや、引退しててお孫さんが引き継いでました。紆余曲折あって、酒々井さんが出張ることになったみたいです」
「なるほどね。じゃあ、お前達にはいい勉強になったね」
これには全員が頷くばかりだ。私としては今回で二度目のリーダー役を無事にやり遂げられたことを、満さんも評価してくれていたことが嬉しかった。直接褒めてくれてもいいのに。
「他には誰がいたんだい?」
「当主がおっしゃっていたように桐野家はやはり来ていました。しかし姉のまつりという方は結婚して引退して、代わりに妹のひかりという方が」
「知ってる。九州の女傑だよ」
「らしいですね。攻撃的に祓う力はすごかったです」
「まあ、桐野家のやり方は一長一短さ。井出羽には井出羽のやり方があるからね」
これにも頷くしかない。そもそも今の私達は井出羽家のやり方を何とかこなすだけで精一杯なのだ。
「後は須賀原家、鹿嶋家、加茂家」
「ほう、有力どころが勢ぞろいじゃないか」
「そうなんですか。私達はあまり他の流儀を知らないので」
「これからのことを考えたら、そういう横の繋がりももたないとね」
「はい、あと…」
満さんが言いよどむ。
「あと、何だい?」
「えっと、堂神家が」
空気が一瞬にして張り詰めた。表情一つ変えない当主の中身が別の何かに入れ替わったように感じる。
思わず自分の腕を押さえたのは鳥肌が立っていたからだ。
「堂神だって?」
「え、ええ」
絞り出すように満さんが答えた。
「いいかい。堂神のやり方は邪道中の邪道だ。決して真似しようなんてしちゃならないよ」
「はい、もちろんです」
言われるまでもない。あの代償を見て、同じ方法を取ろうなんて、絶対に思えない。
「後釜も連れて来ていたかい?」
「はい、若い男女を連れていました」
「まだ続ける気なのか。愚かなことだよ、全く」
ふっと当主からの圧が消えた。
思わず息を吐いたのは、いつの間にか息を止めていたからだ。修と柚も私と同じだったようだ。ふうと息を吐いている。
その後も今回の報告を当主は聞くばかりだった。
「その上梨と同じようなことが、楓、柚、修。あんた達にも起きてるよ。気付いていないようだがね」
上梨君がみんなの影響を受けて突然覚醒したみたいになったことを告げると、当主は私達を見ながら言ったのだった。
「え?」
思わず三人で顔を見合わせた。
「その上梨というのと違って、お前達は元々修行していた身だからね。力が増したことに気付いていないんだね」
「マジ、いえ、本当ですか?」
修が食いついた。
「嘘なもんか。これでお前達もだいぶ頼りに出来るようになるね」
そろそろ本題だろうか。
「実はね。聡が請け負った仕事が予想以上にやっかいだったんだ」
「はあ」
「あいつはよく見えるが、祓うのが下手だからね」
聡おじさんの案件に応援に入れと、そう言いたいようだ。
「しかし、当主。平日ですとなかなか」
「分かってる。だから楓、柚。お前達だけ先行するんだ」
「え?」
「楓は自営業だろ。休みなさい」
「あの、私は?」
柚は会社勤めだ。平日にほいほいと休んで行くわけにいかない。当主もそれは分かっているはずなのだが。
「あんな会社辞めちまいなさい」
「うえ」
さすがにこれには柚ものけ反った。
「休みも取りやすいと聞いていたが、どうも違うようじゃないか」
「あー、えーっと、はい」
柚が私をちらっと見るが、私に何が言えるわけでもない。そもそも自営業だっていくらでも休めるわけじゃないのだ。有給休暇なんて無くて、休めば利益が減る。それだけの話だ。
「今日ここで辞表を書きなさい。私が明日親会社の社長に叩きつけて、おたくとは縁を切るって言ってくるから」
「はあ、はい」
確かあそこの社長は当主に頭が上がらないはずだ。子会社のごたごたを理由に縁を切られるなんて可哀そうだなと思いつつ、セクハラパワハラに苦しんでいた柚の苦労を知っているだけに、当主の判断は正しいとも思える。
まあ、もう当主は決めちゃってるみたいだから、もう誰が何を言っても無駄だ。
「二人は明日の朝、一番で出発だよ。もう電車も取ってある」
「あの、俺は?俺も学生だから行けますけど」
修が聞くと、じろっと当主が睨んだ。
「学生だから行けます?」
「あ、いえ、学生の本分は学業でした」
修が視線を漂わせて答えた。馬鹿なんだから、もう。
「向かう先は、埼玉だ。道具は一式、聡が持ち込んでるが、用心のために持って行くように」
「二人だと不安ですが、正直」
「土曜までもたせな。残りの三人も土曜には現地に入れるようにする」
「あ、あの、当主。うち、土曜日に移動教室の団体が入ってるんですけど」
「なんだい、満。お前がいなくなって山岳ガイドはたくさんいるだろう?」
バッサリと満さんが切って捨てられた。
「はあ、そりゃまあ、いますけど、ローテーションってもんが」
「何だい、不服なのかい?」
「いえ、めっそうもない。行かせていただきます」
そして満さんはいつものようにあっさりと折れるのだ。
「いつものことだが、井出羽の名に泥を塗るようなことをするんじゃないよ。私の信頼に応えて、私の判断が正しかったと証明してみせなさい」
「はい」
ここは声を揃えて答える私達だった。
「あーあ。修行免除で今夜がチャンスだと思ってたんだけどなあ」
修が原付にまたがりながら残念そうに言った。確かに私も同じように思っていた。今回の修のがんばりは見事だったし、それは私が励ましたおかげという自負もある。そのご褒美ってわけじゃないけれど、今夜は、と思っていた。
「お預けでごめんね。明日の朝一番となると」
「ああ、楓が謝ることじゃないよ。お預けが増えて、いつ使えるか考えるのも悪くないさ」
「修」
思わず原付のハンドルを握る修の手に自分の手を重ねた。
「はいはい、いちゃくつのは私達が帰ってからにしてよねー」
柚が大きな声で冷やかしながら、送ってくれる満さんの車に乗り込んで行った。
「楓」
「はい?」
同じように車に向かう要さんが声を掛けて来た。
「当主が言ったことは本当だ。満とも話したんだが、お前達若手三人の伸長は著しい」
「実感無いけど?」
「そうだな。たぶん、楓と柚、二人だけでも五方陣護法が使える」
「嘘?」
私より先に修が驚いた。
「もちろん五人でやるよりも弱いぞ。でもそうだな、聡おじさんよりは強力に出来るはずだ」
「その言葉を胸に、先行して持たせてきますから。必ず土曜日には来てくださいよ」
「もちろんだよ」
車が走り去るのを見送って、再び修と向き合った。
「じゃあ、我慢できるおまじないもらおうっかな」
「もちろん、あげますよ」
私は背伸びして修の唇にちゅっとキスをした。
そのまま腰を抱き寄せられる。あー、もう。馬鹿だけど可愛いんだよねえ。私はさっきよりも少し激しい大人のキスを迎え撃ちながら、修の腰にそっと手を添えた。
なぜジャージ姿なのかは未だに謎のまま。