【閑話】無事に戻って 鹿嶋家の父と娘
「お帰りなさい」
「ああ、ただいま。これお土産。結局何がいいのか分かんなくて、温泉まんじゅうにしちゃったよ」
「何でも大丈夫。無事に戻ってくれることが一番のお土産だから」
お土産袋を受け取る娘。喜多佳の言葉に内心ドキッとする。
「お茶入れるね」
「ああ、先にお風呂入りたいな」
「沸いてるよ、どうぞ」
妻の亡き後、家事全般を喜多佳は非常にそつなくこなしていた。昔から手伝いをよくする子だったこともあるのだろう。
温泉もいいが、やはり我が家の風呂は安心感が違う。身も心もすっかり緩んで私は、湯船に身を沈めた。
お風呂から上がると丁度喜多佳がお茶を入れてくれていた。
「はい、どうぞ」
そう言って湯気の立つ湯呑が置かれた。喜多佳が箱から温泉まんじゅうを二つ出して、一つを渡してくれた。
「美味しそうだね」
にこりと笑う喜多佳の三つ編みの髪が揺れた。妻が亡くなって以来切っていない黒髪は長い三つ編みになって胸元までの長さになっている。
「まあ、そこそこ美味しいな」
「何それ。きちんと温泉まんじゅうらしく、美味しいですよ」
まあ、そう言ってくれるのならよかった。
「大変だったみたいね?」
「ん?ああ、そうだな。今回はちょっと大変だったな」
「ちょっと?」
覗き込むように喜多佳が微笑んだ。いろいろとバレているようだ。
「ちょっとって顔じゃないですよ、お父さん」
「まったく。喜多佳には敵わないなあ」
「無事でよかった」
改めて喜多佳が言った。
「その、喜多佳」
「何?」
「お父さんがこの仕事するの、嫌か?」
驚いたように喜多加が私を見た。しばしの沈黙の後、うーんと考える素振りを見せる。
「嫌じゃない。嫌じゃないけど」
「けど?」
「心配」
「ああ、そうだな。そうだよな」
「だから無事に帰って来て。無事に帰って来てくれれば、それでいいから」
「もちろんだよ。無事に戻って来る」
「約束だよ。絶対だよ」
「約束だ。絶対無事に戻って来る」
私の言葉に喜多佳は微笑んで、湯呑を片付けた。
「じゃあ、私は少し課題が残ってるから」
「ああ、しっかりな」
「ふふ、もちろんですよ。あ、そう言えば、例の虐待してるっぽい父親だけど」
「ああ、どうだった?」
近所のアパートで幼い子を虐待していると思われる父親がいると、喜多佳が言って来たのは先日のことだ。父親の背後に黒い影が見えると言っていたので、アパートの周囲に盛り塩をするように言っておいたのだ。
「盛り塩、崩れてた」
「本当か。色は?」
「うん少しだけ黒ずんでた」
「そうか。じゃあ今度お父さんが見に行こう」
「うん、お願い。手遅れにならないうちに。さて、課題、課題」
喜多佳がいなくなったリビングは途端に寂しくなる。
私は妻が亡くなって以来かけていなかったクラシックのCDをかけた。もちろん勉強している喜多佳に配慮して音量は控え目だ。
ソファに腰掛けて天井を仰ぐ。
妻の好きだった曲が、ピアノの悲しい旋律が、あれこれと思考を散らせる。
無事に帰ってきてほしいとこれほど喜多佳が繰り返したことは無い。
確かに今回の相手は凄まじかった。ずいぶん前に頼まれて事情を聞いた後、山道を登りかけて無理だと断った自分の判断は、正解だった。単独で挑んでいたらどうなっていたか分からない。
連合軍を組んでなお、よく祓うことが出来たと言わざるを得ない。それもあの上梨君という青年のおかげであると言っても過言ではないだろう。
最初に見たときもすごい逸材がいると思ったが、その彼が最後に九字を切った時にはさらにすごいことになっていた。
須賀原さんによれば、一時的なことで、ずっとあんな風ではいられないとのことだが、それにしたって破格だ。
自分にもあんな力があれば…。
思い出されるのは亡き妻の顔だった。
「よっと」
1曲目が終わったのをきっかけに、ソファから立ち上がって壁に飾ってある破魔矢を手に取った。
鹿嶋家では代々、水と塩で祓うことをしてきた。今回いろいろな祓い方を見ることが出来たことは幸いだった。
特に加茂さんはいろいろな道具を使っていたことから、私は別れ際にアドバイスを求めた。
『神社ですから、破魔矢とかどうですか?』
『破魔矢、ですか』
『ええ、何も弓で射る必要はありませんから』
『はあ』
どう破魔矢を使うのかまでは言及しなかったのは、きっとそれは私が考えなければならないことなのだろう。
確かにあの五人組は木の棒を使っていた。この破魔矢も使い方次第で、祓う補助に使える物になるに違いない。
しかし商品として売っている破魔矢は強度では非常に心もとない。破魔矢を神社で扱っているから、加茂さんは口にした可能性もある。
木、か。
確かに鹿嶋家で使う水との親和性も高そうだ。
木札も使えるかもしれない。
神水に浸してみるとか。
あれこれと試せそうなアイデアが次々と浮かんでくる。どうして今まで試さなかったのだろう。いつしか鹿嶋家の伝統に縛られていたのかもしれない。今の技量を高めて行けばそれでいいと。
喜多佳は決して悲しそうな顔や寂しそうな表情を見せないが、心配だと言ったのだ。
私は何としても無事に家に帰らなければならない。
そのための努力を惜しんでなどいられないのだ。
私は2曲目を最後まで聞くことなく、CDを止めた。
喜多佳ちゃんのためにもお父さん、がんばってください。




