オヨバズ 完結編 【総力戦】
「じゃ、行くよ。打ち合わせ通りに。つゆり、いいね」
「うん。「破魔」は「殿」に、だよね」
「そうだ。「オヨバズ」は加茂が抑える」
殿様の悪霊は「殿」と呼ぶことに統一されていた。そしてつゆりは「開眼」を俺と元オカルトハンター豪に使った。豪君は身体からお札の張られたこけしをどっさりぶら下げている。重そうだが体力には自信があるそうだ。
山道の入り口の澱みは昨日よりも少し少ない気がした。それが昨日「オヨバズ」を祓い、「殿」を弱体化させたおかげなのか、香炉やお札、盛り塩のおかげなのかは、俺には分からない。
いつになく体調がいい。力が湧いて来る気がする。こんな時に不謹慎かもしれないが、絶好調だ。
「井出羽の。頼むよ」
言われたジャージ軍団が五方陣護法を使う。
「入レズ、逃サズ。五方陣護法」
移動開始だ。
山道を五方陣護法の長方形を意識しながら登る。おばあさんが昨日5本の棒を刺したところに到達する。棒はそのまま残っていて、それをジャージ軍団が回収した。
今のところ「オヨバズ」も姿を現さない。
「出ないね」
「そうだな」
つゆりが不安そうな顔で言った。確かにこれは嵐の前の静けさな感じがする。
「妙だね」
おばあさんもつゆりと同じ感じなのだろうか。ぐるりと見回して周囲を確認している。
堂神さんは明らかに昨日よりもつらそうに歩いている。時々、若者が手を貸している。
「どう思う?」
おばあさんが加茂さんに聞いた。
「嫌な予感がしますね。こんなに出ないのは、昨日の下りのことを考えてもおかしいです」
そうか。昨日は祓ったのに「オヨバズ」は下りで襲撃して来た。いわゆる荒ぶる状態だったのだろう。それが一晩で収まったのだろうか。
「酒々井」
「うん?」
堂神さんがおばあさんを呼んだ。
「様子がおかしい。犬神を放つ。構わないね?」
「ああ」
堂神さんのお付きの二人が筒を掲げた。
屋上では見えなかったものが見える。
ずるりと筒から黒いものが出て来る。犬神と言うから犬の形をしているのかと思ったら、でっかいミミズみたいな物だった。
それが空中を飛んで行った。
飛ぶのかよ。
「さあ、用心しながら行くよ」
再び俺達は歩き始めた。
「止まって」
放たれた犬神がもう戻って来た。しかし一匹だけ。しかも随分と身体が毛羽立っている感じになってる。毛があるようには見えないけど。
「やられたね。気をつけな」
「果凛、用心しなよ」
おばあさんと堂神さんが同じような声を女性に掛けた。果凛と呼ばれた女性が青ざめている。
筒を犬神に向かって差し出すが、犬神はそこに入ろうとしない。筒が小刻みに震えている。
「果凛っ」
犬神がしゅるっと女性の腕に絡みついた。筒が落ちる。
「加茂っ」
おばあさんが叫び、加茂さんが紐を器用にあやつって犬神を絡めとった。ほんとにいろいろ持ってるんだな。
「上梨君、お願いできるかな?」
「え?俺ですか」
「うん、こいつぎゅっとして」
「ぎゅっとですか」
紐に縛られて暴れる犬神をぎゅっと握る。お、柔らかいと一瞬感じたが、すぐに犬神は雲散霧消した。
「なんて男だい」
堂神さんが俺を睨んで来る。
「腕を」
鹿嶋さんが女性の腕に何かの粉末を振りかけて塗り込んでいる。女性の腕にはくっきりとどす黒い痣のようなものが浮き上がっていた。
「果凛、失態だよ」
「ごめんなさい」
堂神さんがおばあさんを見る。
「犬神が倒されたってことは「殿」が復活しているってことだ」
「嫌な予感が当たってそうだ」
おばあさんも頷いた。
「やっぱり上に行っちゃったみたいですね、テレビ局の人達」
「どういうこと?」
「昨日ダメージを与えた「殿」が犬神をこんな風に出来る力を取り戻している理由。それは生贄が捧げられたってことだよ」
須賀原さんがさらりと言う。
「ぜ、全員?」
「さあね。それを確かめに行くとしよう」
女性はずっと腕を気にしている。相当痛いみたいだ。
「井出羽のっ。九字っ」
おばあさんが突然叫んだ。
道の先に、どっさり「オヨバズ」が現れた。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」
井出羽の五人が光で結ばれる。
しかし「オヨバズ」は接近して来ない。ずらっと山道を塞ぐように立っているだけだ。
「様子がおかしいね」
「準備しましょうか?」
加茂さんが申し出るが、おばあさんは決断しない。様子がおかしいと感じた、その原因を探っているように見える。
子供が手をこちらへゆっくりと伸ばす。
「あ、あ、あ、あああああ」
びゅんとその子供が後ろに引っ張られるように消えた。
「ぬう」
おばあさんが唸る。
須賀原さんがお経を唱え始める。鹿嶋さんが鍋をもう取り出している。
「あ、あ、ああああ」
「ああああ、ああああああ」
次々と子供たちが、老人が、後ろに引っ張られるように消える。
「ここじゃダメだ。上に行くよっ」
俺達が動き出すと、なんと「オヨバズ」達は道を開けた。
その間も、一人消え、二人消え、と数を減らしていく。
「食ってやがる」
桐野さんが吐き捨てるように言った。
「これって「殿」が「オヨバズ」を食ってるんですか?」
「そうとしか考えられない。生贄を得て、パワーアップしやがったんだ」
桐野さんはそう言いつつ付き人が差し出す刀を手に取った。
なぜかどんどん暗くなってきた。
上に辿り着くと、そこは夜になっていた。星が見えるわけではない、ただ暗いのだ。
「夜じゃないはずだよな」
「うん」
そしてそれは、朽ちかけた家屋の前に立っていた。
足元にはテレビ局の人間らしい人間が数人横たわっていた。そのすぐ横にはドローンが転がっている。
「殿」だ。
昨日と違って、はっきりと武士の形が分かる。
武士の身体に墨汁を掛けて、さらにまだらに塗りたくったような姿。
「殿」は手に「オヨバズ」の子供の首を掴んでいた。
「あ、あ、ああああ」
ぶちゅっと首が握りつぶされる。その瞬間「オヨバズ」は黒い粒子と変わり、そのまま「殿」に吸収されていく。
「正念場だよっ」
おばあさんの合図で、鹿嶋さんが鍋を置いてペットボトルの水を注いだ。
鹿嶋さんが鍋を擦ると水面がしぶきを上げ、音が響き始めた。
「殿」がこっちを見る。すごい威圧感だ。
「もって2分っ」
「上出来だっ」
「並べるぞ」
「はいっ」
加茂さんが元オカルトハンター豪と共に彼が持ってきたこけしを並べる。
「加茂。「オヨバズ」は任せるよ」
「はい」
桐野さんが俺たちの前に立って「殿」と対峙する。
「須賀原っ。少しでもいいから、入れてっ」
お経を唱えながら須賀原さんが頷いて、片手で桐野さんの手を掴んだ。
「もっと入れなさいよ。せっかくこんな美人の手を握れてるんだから」
お経を唱える須賀原さんがニヤリと笑うが、すでに玉のような汗を浮かべている。明らかに限界を越えている。
「もういいわよ、須賀原。ご苦労さん」
そう言いつつ桐野さんが抜刀する。すでに刀身が光を帯びている。
のそりと「殿」が一歩踏み出す。
つゆりが俺の腕を掴む。しかし怯えの色は無い。固い決意の表情で「殿」を睨むようにしている。
「さあ、一番槍よ。キツイの覚悟なさい」
桐野さんが腰を落として刀を構える。
「宿れ剣聖、斬魔一刀っ」
「殿」に向かって桐野さんが走る。
「いやあああああっ」
振った刀身から光の刃が「殿」に伸びる。
すごい。昨日とは比較にならない光の迸り。
「殿」の胴体が横一文字に裂ける。
ずるり、と「殿」の上体がずれていく。
音もさせずに上体が地面に落ち、下半身が倒れる。
「どんなもんよっ」
そう言いながらも桐野さんは付き人に支えられている。
「井出羽のっ」
「やるわよっ」
井出羽の女性がおばあちゃんの呼び掛けに応え、五人組がずらっと並ぶ。手には金属の棒。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前、破」
「闇ハラエ、魔フクセ、不動調伏」
光のカーテンのようなものが、倒れた「殿」に向かって奔る。
倒れた「殿」の身体がまるで黒い粉塵のように光のカーテンに吹き飛ばされる。
「すげえ」
元オカルトハンター豪が呟く。
「お、おい。あれって」
五人組の一人が呟いた。
彼の視線は「殿」が吹き飛んだ、そこだ。
小さな黒い塊が残っている。
「あれは」
つゆりが呟く。
「何よ、「殿」が本命じゃないってこと?」
桐野さんが事態の深刻さを無視した口調でさらっと言う。
「鎮めものが反転したんだね」
おばあさんが苦し気に言った。鎮めものって何だ?
もぞり
黒い塊が動く。
ゆっくりと。
ゆっくりと、それが立ち上がる。
よちよち歩きの幼児だ。
黒塗られた身体は呪いか沼の水か。
その幼児が一歩踏み出した。
「はヒい」
幼児が声を上げた。ぶわっと鳥肌が立つ。
「封じるよっ」
おばあさんが井出羽の五人組に駆け寄る。
「五方陣護法はこれでも出来るね?」
おばあさんが金属の棒を握って問う。
「これだと私達じゃ扱いきれないんですっ」
女性が泣きそうになりながら答えた。
「分かってる。桐野、須賀原、加茂、鹿嶋。来なっ」
呼ばれた四人が動き始める。
「あ、堂神さん。こけし見といてください」
「…分かった」
加茂さんが堂神さんにそう言って小走りにおばあさんのところに向かった。
「握りなっ」
そう言いながらおばあさんは女性と共に、黒い幼児の前に立った。あの前に立つ勇気に感激して、身体がぶるっと震えた。
「か、上梨?」
「俺達も行こう」
俺はつゆりの手を握った。つゆりが頷く。
井出羽の五人組に一人ずつがついて配置についた。
「入レズ、逃サズ。五方陣護法」
眩い光の筋か金属の棒を繋ぐ。明らかにそれまでの五方陣護法よりも力強い光だ。
「これ、呪われている堂神さんは入れない。俺達がやるしかない」
「うん」
二人で光のラインをあっさりと越える。
「つゆり、全開だよっ。いいね」
「うん」
つゆりにそう言ったおばあさんはしっかりと立っているが、一緒に立つ井出羽の女性はすでに膝がガクガクと震えている。
「つゆり、行くよ」
「うん、上梨。お願いっ」
つゆりを抱きしめるように力を流し込む。ものすごい勢いで流れ込んでいく感覚がある。
「うわあ」
手の中の石がすぐに輝き始めて、つゆりが驚きの声を上げる。
「まだ入れて大丈夫?」
「いいよ、上梨。もっと入れて」
つゆりの決意のこもった言葉に頷いて、さらに流し込む。
「んんっ」
つゆりが少し身を捩る。
「つゆり」
「うん、やるよ」
つゆりが手を前に掲げる。すでに光が周囲を昼のように照らしている。
「はヒい」
おばあさんの目の前の黒い幼児がよろめく。
「破魔」
物理的な圧力を感じるほどの光の奔流が迸った。
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