オヨバズ 完結編 【出立】
「正式に断ったのか」
「うん、やっぱりそうした」
台所に立つ私の言葉に上梨が立ち上がった。鍋の中の麺をほぐす私の後ろに立つ。
「おばあさんは何て?」
「仕方ないって。断るのも勇気だって、言ってくれた」
「そうか」
「大切な人を守りたいって思うことは自然なことだって」
「そうか。おばあちゃんにとってはつゆりも大切な人だしな」
「え?うん。そうだね。そうかもね」
上梨が私の作業の邪魔にならない程度に腰を抱いてきた。
「つゆり」
「上梨」
私は首を捻って上梨を見上げた。上梨が唇を寄せて呟いた。
「麺、茹で過ぎ」
「きゃー」
◇
「ねえ、上梨」
「ん?」
「今回呼ばれた人ってどのくらいいるんだろうね?」
私はやはり気になって上梨に聞いた。麺は少し茹で過ぎたけれど、なんとか食べられるレベルにとどまってくれていてよかった。
「数よりもレベルが気になるね、俺としては」
「あー、それも気になる」
「つゆりのおじいさんみたいな一族もいるわけだから、世の中に広く認知されていないだけで、結構いるのかもしれないからなあ」
「あ、ほら、オカルトハンター豪に出てきた人みたいな人も」
「ああ、あの人は本物だったもんな」
そう言えば、オカルトハンター豪の動画更新がずっと止まってると聞いた。どうなったのかなあ。誰かにきちんと祓ってもらえていたらいいけれど。
「おじいちゃんの血筋の人も行くのかなあ」
「気になるなら、おばあさんに聞いてみたら?」
「どんな人たちが来るのかも聞いてみようかなあ」
断っておいて図々しいかな。でも、おばあちゃんならそんなこと気にすることないって言いそうだ。
私はスマホを手に取って、おばあちゃんに電話を掛けた。
「出ないなあ」
「電源オフ?」
「ううん。マナーモードなのかも」
なんだか胸がざわっとする。
「気になるなら、家の電話に掛ければ?」
私の様子にすぐに気付いて上梨が言ってくれた。背中を押された気がする。
「うん」
私はスマホを操作して実家の電話番号を押した。
『もしもし、酒々井です』
すぐに母が出た。
「あ、お母さん。おばあちゃんいる?」
『おばあちゃんなら旅行に行ったわよ』
「え?どこ?」
『どこって言ってたかしら。確か温泉だったわよ。ちょっと待ってね』
ざわざわと鳥肌が立っていく。
「か、上梨」
「どうした?」
どうしよう。
どうしよう。
どうしよう。私の予感はきっと当たっている。
電話口からお母さんが告げた温泉は、「オヨバズ」の温泉だった。
◇
「タクシーで行こう」
「え?」
私の話を聞いた上梨の決断は早かった。旅行に持って行くバッグを押入れからもう出している。
「この時間だから、電車だと明日になる」
「あ、うん。そうだけど。タクシーだとすごいお金が」
上梨がバッグを私の胸に押し付けて来る。
「こんな時に使うためのお金がある」
上梨のまっすぐな視線に思わず泣きそうになる。
「うん。ありがとう」
すぐに荷造りを始める。もちろん石も忘れずに持たなければならない。
「今日の夜に集合だったはずだ。今夜は恐らく説明だけで明日からが本番だと思うけど」
「でも、人目を避けるなら夜だよ」
「夜の山道は「オヨバズ」じゃなくても危険だろ」
「うん、それはそうだけど」
それにしても驚いた。まさかおばあちゃんが自ら行くなんて。ふと、私はおばあちゃんの言葉を思い出した。
「おばあちゃん、これも運命だって言ってた」
「そうなのか?」
「私が断ったら、自分が行くつもりだったのかもしれない」
「そうか。つゆりがそう言うならそうかもしれないな」
上梨がスマホでどこかに電話している。私の視線に気づいて上梨がカードを差し出した。
「あ、これ。この前のタクシーの?」
上梨が頷いて電話口に話し始めた。以前雨の日に乗ったタクシーの会社のタクシーカードだ。連絡先が書いてあるそのカードには、上梨の字で運転手さんの名前がメモしてあった。いつの間に取ったのだろうか。
「よかった。まだこの前の人、走ってるって。夜の話をしてたから、午後から夜の勤務だと思ったんだ」
なんだかすごく上梨が頼りになる。おばあちゃんのことを聞いて動揺していた私にとっては、この上梨の落ち着きぶりがありがたかった。
「どのくらいで来るって?」
「10分くらいで」
それを聞いて私は荷造りの手を速めた。
◇
「高速使っていいですか?」
「もちろんです」
運転手さんは遠い行き先なのに嫌な顔一つせずに引き受けてくれた。まあ、遠くへ行けばそれだけ儲かるのだから、当然と言えば当然だが、それでも嬉しかった。
「ごめんね」
つゆりはバレー部の部員に土日の練習に出られないことを連絡していた。
「えっと。飛ばした方がいい感じですか?」
「はい、実は」
「では、法定速度内でがんばらせていただきます」
「お願いします」
急な用件でタクシーを呼んだことを運転手さんは察してくれた。
つゆりは今度はおばあさんに連絡を試みていた。相変わらずマナーモードのようで、つゆりが首を振ってスマホをしまった。
「繋がらない?」
「うん」
つゆりが手を握ってくる。
「どうしよう、上梨。悪い予感しかしない」
「あのおばあさんだぞ。信じよう。孫のつゆりならなおさら」
「うん。うん、そうだよね。あのおばあちゃんだもんね」
今頃元気にくしゃみでもしていてくれればいいのだが。俺も明確ではないが胸騒ぎみたいなものを感じていた。
俺はつゆりの手を握り返した。
「上梨?」
「大丈夫。大丈夫だよ」
俺は自分に言い聞かせるように言った。
◇
途中のPAで休憩を取った。運転手さんは降りて背伸びをしたり、腰を回したりしていた。仕事とは言え長い時間の運転に感謝の気持ちでいっぱいだった。
私と上梨もトイレを済ませ、上梨が飲み物を買いに行ってくれている間に、私はまたおばあちゃんに電話を掛けた。
『はい?つゆり?』
「お、おばあちゃん」
あっさり繋がった。
『なんだい、急な用件かい?』
「おばあちゃん、なんで「オヨバズ」に?」
『あら、もうばれたのかい。早いねえ』
「早いねえじゃないよ。危険だって言ってたじゃない」
電話口のおばあちゃんがしばし沈黙する。
『まあ、これも運命だよ。あの時、尻尾を巻いて逃げ出さずに、知り合いでも何でも集めて何とかすればよかったんだ。これは尻ぬぐいだよ。自分のね』
「そんなのダメ。今、向かってるから」
『なんだって?』
「いい?私達が行くまで何もしちゃダメだからねっ」
電話の向こうでおばあちゃんが爆笑している。なんなのもう。心配してたのに。
『分かったよ。到着は明日かい?』
「タクシーで向かってる」
『タクシー?そりゃまた豪気だねえ』
「笑い事じゃないんだから。どこのホテル?」
おばあちゃんがホテルと部屋番号を教えてくれた。ホテルに着く頃には寝てるかもしれないなんてのんきなことを言っている。
それでも今夜、「オヨバズ」を祓うことになっていなかったことにほっとしていた。
電話を切って、上梨から缶コーヒーを受け取った。
「今夜じゃなかった?」
「うん、よかった。ホテルも聞いた」
「じゃ行こうか」
タクシーの運転手さんは、タクシーの屋根に缶コーヒーを置いて、まだ体操をしていた。本当に頭が下がる。
タクシーに乗り込んでホテルの名前を告げると、運転手さんはそれをナビに入れていた。あと2時間くらいか。到着は日付が変わりそうだった。
◇
「遠くまでありがとうございました」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました。またのご利用をお待ちしています」
タクシーの運転手さんには代金に色を付けて支払った。この後東京まで帰ると言うから、タフなのだろう。くれぐれも道中幽霊を乗せないことを祈ろう。
教えられたホテルのフロントには誰もいなかったが、ベルを叩くとスタッフが出てきた。
「酒々井様のお連れ様ですか?」
「そうです」
すでにおばあさんが話をしておいてくれたようだ。
「お部屋をお取りしています。酒々井様のお隣の部屋です」
「ありがとうございます」
「もう酒々井様はお休みなので、起こさないようにと言付かっております。あと、朝、起きたら部屋に来るようにと」
「分かりました」
フロント係の方が部屋に案内しようとするのを丁重にお断りして、俺達は部屋へと向かった。
「うー、眠いー」
つゆりはここまで来られた安心感もあったようで、急に眠気に襲われていた。バッグを置くとぼふっとベッドに倒れ込んだ。
「着替えろよ、つゆり」
「分かってるー」
絶対寝る気だろ。
俺は服を脱いで備え付けの浴衣に着替えた。案の定つゆりはすでに寝息を立てている。
「つゆり、ほら、着替えて」
「うーん、分かってるー」
絶対に寝る気だ。
「脱がすぞ、いいな」
「んー」
俺はつゆりの服を脱がせた。つゆりはされるがままである。下着姿に浴衣を着せるのに苦労した。少々はだけた感じになったが、そこまでは面倒見切れない。
布団を掛けると幸せそうにつゆりが枕の位置を調節してた。可愛い顔しやがって。
俺はつゆりの髪を撫でて、おやすみのキスを頬にした。
やっと到着。長い前振りを読んでいただきありがとうございます。