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待合室には危険がいっぱい?

怖くないなあ。

「まあ、肉離れでよかったじゃんか」

「うー」


挿絵(By みてみん)


 酒々井しすいつゆりの頭を撫でてやるが、彼女は唸るばかりだった。


 大学に入っても女子バレー部に所属していた彼女は練習中に肉離れを起こしてしまった。


「ちゃんと追い払ってから練習すればよかったのに」

「うー」


 落ち込んでいるつゆりも可愛くて、髪をわしわししてしまう。


 体育館でも「見える」のだが、いつもは放置しているらしい。別に悪さもしないで練習を見ているから。


 ところが今回、彼女がブロックに跳んだところで、足元に少年がいたのだという。普通に着地してしまえばすり抜けるのだが、つい彼女は避けてしまった。

 着地に失敗して、肉離れ、というわけだ。


「アキレス腱とかじゃなくて不幸中の幸いだろ」

「うー」

「リハビリすれば次の大会前に復帰できるんだからさ」

「違うー」


 ん?そういうことで唸ってんじゃないのか?


「何?」

「病院」

「病院?」

「あの病院やだあ」


 そう言うことか。病院はよく「見える」場所らしい。


「何か「見える」わけ?」

「うん」

「気にしなければいいんじゃなく?」

「うーん」


 彼女が上目遣いで俺を見るので、俺は苦笑してずりずりと彼女の横に移動した。

 つゆりがこてっと肩に頭を乗せて来る。


「へっへー」


 嬉しそうなつゆりが可愛い。


「で?」


 俺は話の続きを促した。





 最悪だ。


 大会が近いのにこんな怪我なんて。タクシーを呼んでもらって病院に来たが、そのタクシー代も痛かった。しかもこれから医療費がかかるのだ。

 大会前にバイトのシフトを減らしていたので、あまりお金に余裕はない。彼は俺が出すよと言ってくれるが、私はあまり彼に頼る関係になりたくなかった。


 痛む足を引きずって受付を済ませて待合室の椅子に座った。


 病院はよく「見える」場所だ。しかしこの医院はあまり多くない。整形外科専門なので当然か。


 肉離れという診断には少し安心したし、全治までの期間も自分の予想よりも短くてほっとした。


 落ち込みつつも少し安堵しつつ待合室で会計の順番を待っていた時に、「それ」は姿を現した。


 背広姿の中年男性が、ずりっと壁から出てきたのだ。


 壁から出てきたり、天井から落ちて来るのは珍しくない。


 問題は「ぶつぶつ」と呟いていてそれが聞こえたことだ。


 おばあちゃんには、「聞こえる」相手には気をつけろと言われている。

 実際それを実感した経験も、今では数知れない。


 私はとりあえず無視を決め込んだ。「見える」とバレたら、あっちからアプローチして来る可能性が高まる。


 男はぶつぶつとずっと言い続けて、待合室の最前列に座っている中年女性の後ろに立った。

 おもむろにポケットからボールペンを取り出すとぶつぶつ男は、そのボールペンをぶすぶすと女性の首に突き刺した。


 もちろん傷が出来るわけでも、血が出るわけでもない。


 しかし女性は自分の首を撫でて、そして捻った。


 ぶつぶつ男は今度は腕を吊っている男子学生の横に歩いた。


 今度はボールペンを吊っている部分にぶすぶすと刺した。男子学生は少し痛そうな顔をしてそっと腕を撫でた。


 あー。


 嫌な予感しかしない。


 ぶつぶつ中年男がこちらへ歩いて来る。私の固められた足を見つめている。


 ボールペンを構える。


 足に振られたボールペンを、足をずらして躱した。さすがにこれは嫌だった。


 その瞬間に足元に屈んでいたぶつぶつ男が私をきっと見上げた。


「お前、見えるんだな」


 思わず首を振ってしまった。大失敗だ。


「おま」


 ぱん


 手を思い切り叩いた。一瞬にしてぶつぶつ男が消えた。


 ほっとした。そして手を叩いた私を待合室のみんなが怪訝な顔で見ているのに気付いた。


「あ、えーっと、蚊が」


 愛想笑いを浮かべて会釈したが、明らかに今、私、変な人。


 会計を済ませて病院を出る時に、またあのぶつぶつ男が壁から出てきた。


 早い。


 さっき消したばかりなのに。


「お」


 病院を出る私を見て、男がこちらへ歩いてきた。私は足が痛いのにも構わず急いで病院のエントランスから出た。


 完治が遅れたら、あいつのせいだからねっ。




「確かに気持ち悪いね」

「でしょ。だから気が重いの」

「そうやって人にちょっかい出すのって「呪い」にならないんだっけ?」

「うーん、一概には言えないんだよね」


 つゆりが困った顔をする。


「これはおばあちゃんに聞いた話だけど、ある母親は死んでからも毎日玄関に立って、息子が学校に行くのを見送ってたんだ」

「へえ」

「頭を撫でて「いってらっしゃい」って言うんだ。その子はすると「いってきます」って言うんだって。その子が大学に入って家を出るまでずっと続いてたって」

「それって本人は自覚あったわけ?」

「うん、いつもお母さんに頭を撫でられた気がして、挨拶言ってたって」

「ふーん」


 それは確かに「呪い」とは言えないだろう。


「ねえ、上梨―。私の代わりに行ってよー」

「俺?俺が行っても意味ないだろ」

「じゃあ、せめて今度行くとき一緒に行って。そんで祓って」

「うーん」

「何よー。可愛い彼女が頼んでるのにー」

「可愛いのは確かだ」

「な」


 何度も口にした言葉だが、つゆりは照れて赤くなった。こういうところも可愛いところだ。


「ところでお風呂は?」

「う、て、手伝ってください」

「お任せください」

「あ、でも、目隠しして、目隠し」

「それじゃ逆に危ないじゃんか」

「うー」

「もう全部見てるし」

「うー、恥ずかしいー」


 じたばたするつゆりを見て、俺は昔を思い出した。





「ぎゃー」


 迫る血まみれの死体に、つゆりが絶叫して俺に抱きついてきた。


「はは。大丈夫だって」


 そう答えながら俺は少々引いていた。


 初めての遊園地デートは都内の遊園地となった。つゆりが家族に入場無料券をもらったからだ。


 「見える」つゆりがお化け屋敷でこんなに怖がるなんて予想外だった。


「ふえええ」

「つゆり、大丈夫?」

「だめー。怖かったあ」

「なんでだよ、普段本物見てるのに」

「あんなの出てこないもん。どばーって脅かしながらなんてないもん」

「あ、そう」


 ぐったりしてしまったつゆりが回復するまでベンチでおしゃべりとなってしまった。

 高校生なので学校の話題がほとんどだが、よくもまあ我ながらずっと話せるもんだと感心した。


「あ、もうこんな時間だ」

「なんだかずっと話してたね」

「そうだな、何か乗りたいのある?」

「えーっとじゃあ観覧車」

「分かった」


 立ち上がって向かおうとするとつゆりがベンチから立ち上がらずに俺を見上げている。


「まだ調子悪い?」

「ううん。引っ張って」


 意味が分からないままつゆりの手を引いて立ち上がらせた。


「うふふ」


 俺は気が付いた。要するに手をつないで歩きたいのだ。


「手ぐらい、いつでも繋ぐのに」

「うわあ、ムード無し」

「そりゃ失礼」

「じゃあ、罰として、そ、その、観覧車で、その」


 ふむ。照れている様子からなんとなく想像は出来た。


「キス、しようか?」

「ふえ」


 ストライクだったようだ。つゆりの耳まで赤くなる。可愛いなあ。


 ところが、そう簡単にファーストキスのチャンスはやってこなかったのだ。


「う、うわあ」

「どした?」


 観覧車はガラガラで誰も並んでいなかった。数組が乗ってはいるようだが、並べばすぐに乗れる状態だ。


「うーんとね、乗ってる」

「ああ、「見える」のか」

「うん、どの観覧車にも漏れなく乗ってる」


 俺は見えないからいいんだが、つゆりにしたら誰かに見られながらのファーストキスになってしまうのだ。


「やめとく?」

「うー」

「見られながらじゃいやだろ?」

「うー、あきらめたくないー」


 じたばたするつゆりが可愛くて笑ってしまった。


「こら、何笑ってんの。キスしたくないのっ」

「キスしたいよ。つゆり可愛いし」

「んなっ」


 俺をジト目で睨むつゆり。可愛いから全然怖くないけど。


「祓って」

「はい?」

「私とキスしたかったら、上梨が祓って」

「祓うったってどうすりゃいいんんだよ」

「手でぱんてして」

「手を叩けばいいの?」

「んとね、気合入れて叩く」

「あ、そう」


 あいまいな指示に苦笑しつつ観覧車に向き合う。


 気合ね。


 キスさせろ、おらあ。


 ぱんんんんんっ


 お?なんかやけに響いたな。


「うわ、すごっ」


 つゆりが驚きの声を漏らした。


「出来た?」

「出来過ぎ。全部消えた」

「へえ、それはそれは」


 まあ、見えない俺にはよくわからない。


 大事なのは観覧車で無事につゆりとファーストキスが出来たことだった。





「あー、何か思い出してる顔だ」

「はは、バレたか」

「何よ、もう、にやけちゃって」


 つゆりの髪を拭いてやりながら考える。


 祓えばいいのかな?なんとなく引っかかっていた。


「ちょっと調べていいかな?」

「え?うん」


 パソコンを起こして病院の名前で検索する。


 もしそのぶつぶつおじさんが何か「呪い」に近いことをしているのなら、何か異常が起きているに違いない。


 しかしいい評判ばかりで何も悪い噂が無かった。


「うーん」

「何もない?」

「ないね。逆に腕がいいって評判だよ」

「医者の腕は別にいいの。問題はぶつぶつ親父だよ」

「最近なのかもね、出始めたのが」

「いつからでもいいの。問題は私が足をぶすぶすされちゃうってこと」

「そうだな。じゃあ次に病院行くときにはついていくよ」


 俺の言葉につゆりが安堵の表情を見せた。

 本気で嫌なんだな。





開眼かいげん」 


 これで上梨にもあのぶつぶつ男が見えるはずだ。


「気を付けて」

「うん。行ってくる」


 上梨が気楽な顔で待合室に入っていく。何度目かの「開眼」だから大丈夫だとは思うが、何しろ相手はボールペンを刺してくるぶつぶつ男だ。用心して欲しかった。


 待合室のベンチに座る上梨。


 ドキドキしながら見ていると壁から背広姿の中年男性がにゅっと出てきた。


 上梨が少し驚いた顔で、それを指さしている。


 そいつだよ、そいつ。


 ぶつぶつ男はやはり前列からベンチに座る人に近づいてはぷすぷすとボールペンを刺し始めた。


 早く、早く祓って、上梨。


 しかし当の上梨は落ち着いてぶつぶつ男の様子を伺っているようだ。


 どんどん上梨が座っている位置に近づいて行く。


 とうとう同じ列の男性の足をぶすぶずと刺している。


 早く、早く祓わないと。


 そしてぶつぶつ男が上梨の前に来た。上梨は平然とその男のぶつぶつに耳を傾けているように見える。


 刺されちゃう。


 刺されちゃうよ、上梨っ。


 上梨が右手を上げた。そこへボールペンが突き刺さった。


「上梨っ」


 私は叫んで待合室へ駆け込んだ。


「よお、つゆり」


 手をぶすぶすと刺されながら上梨が笑った。


「へ?」


 叫んだことでまた待合室の人々から注目されていることにも気づかず、私は呆けてしまった。





「まさかねえ」


 つゆりが足をぶつぶつ男にボールペンで刺されながら言った。


「まあ、確かに予備知識なしで出会ったらびびるよ」


 ぶつぶつ男が立ち上がって、壁に消えて行った。


「でも言ってたろ」

「うん、言ってた」


 ぶつぶつの内容をよく聞けば、それは治療の必要な部位なのであった。


「上梨が腱鞘炎気味だったとか、知らないし」

「まあ、軽いやつだから。でもほら、もう楽になっちゃった」


 ひらひらと右手を振ると、つゆりが嘆息した。


 この病院に悪い評判がないどころか、いい評判ばかりな理由。それが彼だったのだ。


 事情を知ったつゆりは治療の無い日も待合室に座ってぶすぶすと刺してもらった。驚異的な回復を見せて肉離れを完治させ、見事に大会に間に合わせたのは言うまでもない。


「もうすっかり?」

「うん、今日も寄ってみたんだけど、どこも刺してくれなかった」


 あれ以来、つゆりは小さな怪我をすると待合室に行っては刺してもらっている。まるで無料トレーナーだ。


「代わりに上梨に刺してもらおうっかな」

「お前、下品だぞ、その言い方」

「ごめん。でも、ダメ?」

「刺すわい」


 俺は部屋の明かりを消して、つゆりとベッドに倒れこんだ。



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