オヨバズ 完結編 【序】
「オヨバズ」の話でのもう一人の犠牲者。
「くそっ。なんだってんだ」
俺は左腕を打った枝に文句を言った。
山道から少しでも外れると足元は不安定だし、枝葉が顔や体を打つことが分かって、元の山道に戻るか躊躇した。
ロケハンはこの番組の肝だ。いかに物語のある場所を見つけるか、それにかかっていると言っていい。人の立ち入らぬ場所にある建物を見つけてそこを訪問するだけなら馬鹿でも出来る。
ロケハンでその建物やあるいは住人についての背景を掘り起こして、そのエピソードが番組の人気につながっているのだ。
俺とあいつのコンビは今までうまくやってきた。目立たないADだったあいつが、ロケハンでは使える女に変身した。人の話を引き出すのがうまいのだ。
ロケハンとなれば同宿も多い、自然と仲もよくなりお互いの情報もずいぶんと知る間柄になった。外泊が多くなり、彼氏と別れたと聞いて、バツイチの俺としてはもしかしたらなんて考え始めて来たところでのここだった。
マップで見つけた多くの候補地の中で、まず気になったのは有名な温泉街でありながら、山の上の建築物に関する情報が皆無だったことだ。だいたい何かしらネットに情報が転がっているのに、全くなかったのだ。
温泉街となれば、俺と彼女との仲が深まるかもなんて思いも少しあったので、今回はここをターゲットにしたのだが。
俺は彼女を追いかけるのをあきらめて、山道へ戻ることにした。
聞き込みの結果は芳しくないものだった。何の情報も無いばかりか、温泉街の人々は話題にすることそのものを嫌っているようだった。逆に俺たちにとっては興味深かった。
もちろんこの番組はファミリー向けであるから、殺人事件や怪談話の類の情報があっても没だ。しかしそれはそれで、そっち方面を得意とする連中には喜ばれることになる。ソースとして売れば、それは俺への恩になる。
山道から入ろうとしたらすごい剣幕で追い払われたことからも、逆に何かがあると思わせることになった。
俺はこっそり山に入ることを提案したが、珍しく彼女は嫌がった。
「なんだか怖い」だとか「ぼんやりと煙みたいなのが見える」だとか言い始めたときにははっきり言って、またかと思った。以前もホテルの部屋がおかしいとか言って、わざわざ部屋を変えたことがあった。そういう非科学的な話をするところは大いに気に入らないが、俺も大人だ。適当にあしらってきたのだが。
それでもロケハンをしないわけにはいかないと、彼女の責任感を刺激して、半ば強引に連れてきた。
腹をくくるかと思ったのに、ずっと「怖い」と言い続けて、とうとう悲鳴を上げて、山道を外れて木立の中に走って行ってしまったのだ。
あきれて物も言えない。あんな馬鹿だと思わなかった。
もしこれであいつが行方不明になってしまったら、安全管理が出来ていたのかと責任を追及されるのは俺だ。
彼女が山を下りて来ないようなら、警察に届けなければならないが、気が重かった。
やっと元の山道に出た。
こうなったら俺だけでも山の上の建物を撮影して来なければならない。
俺はため息をついて、バッグからハンディカメラを取り出した。
山道の様子を撮影して、また登り始める。勾配はきつくは無いが、ゴールまでどのくらいか分からない登山はスタミナを奪う。
「ったく」
俺の文句に誰かが笑ったような気がした。
くすくすと、どこかで誰かが笑った声が聞こえた。
あわてて山道の上下を見るが誰もいないし、もちろん木立の中にも人影はない。
鳥の鳴き声でも間違えたか。
そう思って歩き出して愕然とした。
鳥の声がしない。
これだけの山の中で、鳥の鳴き声が何もしないというのは不気味だった。すでに夜が明けて、懐中電灯も必要ない明るさだ。今までの経験から、この時間には森はずいぶんと騒々しくなって来ているはずなのに。
ぞくりと背筋を何かが抜けていく。
自分の腕の鳥肌が、自分が怯えている証拠に思えて、思わず目をそらした。
「ふん」
声を出して勇気に変換して、俺はまた山道を歩き始めた。
いい加減山の上のはずだ。
俺はもう一度、ハンディカメラを取り出した。
残りどのくらいか分からないが、登りの道を撮影する。
続いて振り返って、今来た道を撮影する。
「うわっ」
腰が抜けるほど驚いた。
カメラに子供が映っていたのだ。
昔の子供のようで服はみすぼらしい布を羽織って結んだだけ。
しかし、カメラから目を離すと、そこには誰もいなかった。
はは。
ビビり過ぎだ。
俺はもう一度、カメラを構えなおした。
少年は、いた。
画面の向こうから俺をじっと見つめている。
そんな馬鹿な。
いない者が映っているなんて。
画面の中の少年が口を開いた。
「オヨバズ?」
俺は少年から逃げるように山道を走った。
振り向いてはいけない。
振り向いてはいけない。
振り向いちゃダメだ。
ダメだ。
だ
だめ、だ
足が動かなくなる。身体全体が鉛のように重い。吹きだす汗は、走ったためではない。
とうとう足が動かなくなった。
ゆっくりと振り返るが、当然そこには何もいない。
俺は震える手でカメラを持ち上げた。
見ちゃいけない。
見たらダメだ。
そう思うのに、手が止まらなかった。
俺の身体にしがみつく少年が三人。
口を揃えて言った。
「オヨバズ?」
完結編はそこそこ長くなっているので、分けて投稿していきます。