【余話】 雨の日のタクシー
評価、ブクマありがとうございます。笑いのツボは人それぞれですね。
「上梨って車の免許取らないの?」
「必要あるか?」
「えー」
「自転車と公共交通機関で生きていけるだろ?」
「ドライブデートが出来ない」
つゆりが笑って言う。でも目が本気だ。
「俺が運転中だといちゃつけないけど、電車ならいちゃつけるぞ」
「うー、ずるいー」
ずるくないわい。
「観光地だとタクシー丸ごと借り受けて観光地の案内してくれるサービスしてるところもあるよ」
「タクシーじゃいちゃつけないしー。でもそんなのあるの?」
食いついた。
「確か東京観光3時間で1万5千円とか」
「へえ、馬鹿みたいに高いわけじゃないんだね」
「まあ、大人のデートならありだろ」
まだ学生だけれども。
「でも東京観光じゃあもったいないよね。普通に行けるし」
「どこか観光地に旅行に行った時にそういうのがあれば利用を考えるってことで」
「いいですねー、それ」
そう言ってつゆりがこてんと頭を預けて来た。ふわっとシャンプーの匂いがした。
「タクシーって言えば、前に「見える」ドライバーが間違えて乗せちゃうって言ってたけど」
「うん、そういうのが幽霊話になったみたいよ」
「俺みたいに「見えない」人もそう言う経験があるみたいな例もあるじゃないか」
「あー、えーっとねー、何だっけなあ?おばあちゃんと話したんだよなあ」
つゆりの思案顔は可愛いのでずっと待つ。
「だいたい幽霊の話って、夜で、あと雨とかじゃない」
「相場はそうだね」
「夜って人も車も減るでしょ。だから刺激が少ないんだって」
「さらに雨となればなおそうだな」
「うんうん。で、そういう時って半分眠っちゃうんだって」
「居眠り運転のこと?」
つゆりが首を振る。
「もちろん居眠り運転につながることもあるけど、そうじゃなくって」
「半分覚醒みたいな?」
「そうそう、それそれ。目も開いてて運転も普通にしてる状態なんだけど、半分寝てるみたいな」
「それってレム睡眠とノンレム睡眠みたいなことかな?」
「あー、その言葉も言ってた。金縛りとか」
ふむふむ。何となく分かって来たぞ。
金縛りは実際に起きる現象だ。レム睡眠から覚醒へ移行する際に身体が動かない状態が稀に起きるのだ。この時に恐怖心がある状態で夢を見ると「幽霊を見た」となるらしい。
「その半覚醒の状態で「見えた」つもりになってるってことか」
俺としてはいいまとめをしたつもりだったが、またもやつゆりは首を振った。
「それがね。そういう状態になると、「見えない」人も「見える」ことがあるんだって。まあ、これも稀にって言ってたけど」
「マジか。じゃあホテルで金縛りにあって幽霊を見たとか、本当の話もあるってことか」
「うん。ほら、人って枕が変わるとよく寝られないって言うじゃない」
「言うね」
「そういう安眠できない状況って、そんな現象も起きやすいって言ってた」
「運転中も安眠は出来ないしな」
つゆりがあははと笑ってバシバシ叩いてきた。
「当たり前じゃない。運転中に安眠されたら困るよー」
ずっと笑ってる。そんなに変なこと言ったかな。
「じゃあ、まあ安眠はともかく、タクシーの運転手が「見たり」、金縛りのときに「見たり」、そういうのはありうるってことだな」
「安眠やめてー」
いつまで笑ってんだよ、つゆり。
◇
「止みそうにないね」
「そうだなあ。タクシーにするか?」
私と上梨は駅の階段を降りたところで、激しく降り続く雨を前に立ち尽くしていた。
天気予報では雨なんて一言も言っていなかったのに、このすごい夕立である。
「洗濯物全滅だー」
「もう、それはあきらめよう。ちょうどタクシーの列も消えたから、次にタクシーが来たら走ろう」
「うー」
階段からタクシー乗り場までは10mも無い。上梨がジャケットを傘代わりに上に持ち上げてくれたが、容赦なく雨粒が服を濡らした。
タクシーの後ろ窓をコンコンとノックする。すぐに開いて私が乗り込んだ。
いた。
なんでこんな時に。
タクシーの後部座席の入ってすぐに女性が座っていたのだ。
私は彼女を乗り越えて奥へ。
上梨が彼女と重なるように座る。半端ない上梨だから、女性は消えるかなと思ったがそのままだ。あまり意に介さないタイプみたいだ。
上梨が行き先を告げるとタクシーは走り出した。私は女性と重なるように座っている上梨の腕をぐいっと引っ張って真ん中に座らせた。
「え?いちゃいちゃするの?」
囁いて来る上梨にチョップする。すぐに察した上梨がそれまで自分が座っていたところを指さす。私は頷いて返した。
「祓う?」
上梨が囁いて来るが、私は彼女がずっと俯いて悲しそうにしていることが気がかりだった。私は運転手さんに聞いた。
「ねえ、運転手さん」
「はい?」
「タクシーってよく幽霊を乗せるみたいな話あるじゃないですか。そういう経験ありますか?」
上梨は黙って私のすることを見ていてくれる。
「あるもなにも、昨日あったんですよお」
「どんな幽霊だったんですか?」
「昨日も夜は雨が降ったでしょう?その雨の中傘も差さないで女性が手を挙げてたんで乗せたんですよ。シートが濡れちゃうなと思ったんですけど、可哀そうでしょ。雨の中」
「消えちゃったんですか?」
「そうなんですよ。いったん賃走にしちゃったから修正が面倒でねえ」
上梨と顔を見合わせる。
「ちなみに、行き先はどこでした?」
上梨が聞くと、運転手さんは近くの病院の名前を告げた。
「運転手さん、すいませんが、そこにいったん寄ってもらえますか?」
「え?はあ、まあ、いいですけど、お客さん達は消えないでくださいよ」
運転手さんがきさくに笑った。きっといい人なんだろうな。
雨の振りが徐々に収まって来て、タクシーは病院に滑り込んだ。
「運転手さん、一回後ろのドア、開けてもらえますか?」
「え?はあ」
後部のドアが開くと、俯いていた女性が出て行った。
「あ、もういいです」
「え?はい」
後部ドアが閉じて、タクシーが走り始める。振り返ってみれば、女性がお辞儀をしているように見えた。
「お客さん、ひょっとして霊感ある人?幽霊乗ってた?」
「はあ、まあ」
さすがにバレるか。
「で、降りてくれた?」
「はい。もう大丈夫だと思います」
「そうか、そりゃよかった」
家の近くまで来た頃には雨はすっかり上がっていた。
「どうもありがとうございました」
タクシーの代金を払って降りたら、運転手さんもわざわざ降りて来て頭を下げてくれた。
ああ、本当にいい人なんだな。
◇
「あーびちょびちょだあ」
「このまま洗濯機に全部入れちゃう?」
つゆりが頷いて洗濯籠を取りに行った。俺はすっかり濡れてしまった洗濯物を取り込んだ。
「うー」
一緒に残りの洗濯物を取り込んで、洗濯機にもう一度入れる。
「ほい、おつかれ」
一段落してコーヒーを渡す。
「ありがとー。天気予報あてにならないなあ」
「まあな。でも今日はなんかいいことした感じだろ?」
「んー、そうねー」
つゆりが肩に頭を乗せて来る。
「でも、いちゃつけてないしなー」
「いちゃつきますか?」
「ふふ。もちろんです」
俺は近づいて来るつゆりの唇を迎え撃った。
運転手さん、いい人だなー。まあ、乗車拒否したらそれはそれで問題があるけど。