鬼退治 【対峙】
「今、私達に言ったよね?」
つゆりの言葉に頷いた。
依頼主である亜世さんの部屋に入って来た元カレの霊は、確かに彼女に対して「あよ」と言っているように見えた。
古い言葉で「去れ」とか「逃げろ」という意味になるのだと知った。
贄として命を奪われるかもしれない彼女を守ろうと、「鬼」と対峙し散った元カレが、彼女をそれでも助けようと現世に残って伝えようとする言葉。
その言葉を元カレの霊は、間違いなく、今、我々向かって言ったのだ。
我々の存在を感じ、そして「鬼」から逃げろと言ってくれたのだろうが、そうはいかない。
元カレが窓の方向へ消えて行く。よくぞ笹をどっさり置いて、お香も焚いてあるこの部屋に入って来られたものだ。
彼が彼女を心底愛していたとしてもありえない。彼がどれだけ分かっていたかは不明だが、恐らくそれなりに能力の高い者だったのだろう。
いや、もしかしたら自分の力には気付いていたのかもしれない。だからこそ単独で「鬼」に挑んだのかもしれない。
「うわ」
「むう」
つゆりと同時に声を出した。
窓の外からぐうっと圧が感じられる。身体全体が後ろに押されたような感覚になる。
須賀原さんがお経を唱え始めた。それに従う武田さんがお経にぴったり合わせておりんを鳴らし始める。息がぴったりだな。
「祓え給え、清め給え、神ながら守り給え、幸え給え」
その武田さんが平坦なイントネーションで言葉を口にする。あれが略拝詞か。
彼女が略拝詞を唱えると、圧に押されて消えかかっていた部屋の静謐な感じが戻って来る。
「すごいね」
つゆりの言葉が武田さんの略拝詞のことを指していることが分かって、頷いた。
「あっちも」
「うん」
俺の言葉につゆりも頷いた。俺が視線で示したのは桐野未散ちゃんである。
以前使っていた木刀ではなく、今日は真剣。桐野家に伝わる斬魔刀「青龍」という刀を持っているのだが。
彼女の持つ斬魔刀がすでに青い光を帯びているのだ。
彼女が流し込む気だろうか。それが刀身から青く漂っているように見える。
「もしかしてひかりさん以上?」
「そう見える」
桐野ひかりさんも物凄い使い手だったが、技を出す前の段階でこんな状態になったところは見なかった気がする。
「聞こえていますよ」
「あ、ごめんなさい」
しかもこちらに向かって小さく笑みを浮かべる余裕すらある。
新しく使うことになった斬魔刀に、まだ慣れていないとか聞いていたのに、全くそんなことはない気がする。
家がみしみしと鳴った。
「ひっ」
依頼人の亜世さんが息を飲む音がした。
部屋にぬうっと入って来た黒い塊。ぼんやりと正体ははっきりしないが、明らかに禍々しい瘴気のようなものが周囲に漂っている。
須賀原さんのお経の声のボリュームが一段階上がる。
彼の言葉が自分に力を与えてくれる感覚に陥る。お腹の奥で何かがぐうっと力を増した。
「浄間」
つゆりが石を手に言うと、部屋がさらに静謐さを増す。
一瞬、鬼が後退する。
すごいな、つゆり。強さが増している気がするのは、もしかしたら、今俺が覚えた体の感覚と同じことがつゆりの身にも起きているのかもしれない。
それでも鬼は部屋に入ってこようとする。しかしその身体に纏った黒い瘴気が剥がれ落ちていく。
その姿が徐々にはっきりとしてくる。
それでも黒い。まるで闇が歩いているみたいだ。
そして、明らかに頭上に二本の角がある。
「魔を祓う一刀是成、光明の太刀」
未散ちゃんがその鬼に向かって斬魔刀を振り、青い光が鬼へと飛翔してぶつかった。
鬼がのけ反る。
あれに効くのか。やっぱりすごい。
「すごい」
つゆりの言葉を背中に感じつつ、俺も一歩を踏み出す。
杖を構えて腰を落とす。お腹の中で気を練って、それを腕から杖に流し込む。
「しっ」
一気に距離を詰めて杖を鬼に突き出す。
どんっと衝撃が腕から肩に響く。すごい手応えだ。
一瞬鬼が部屋から消える。
効いた?いや、まだだ。
跳んでつゆりの前に戻る。
ずいっと鬼がまた部屋に入って来るのと同時に手に持っていた物を振った。斧だ。黒ずんでいるが、形は斧だった。
跳んで下がっていなかったら切っ先が俺に届いていたかもしれない。
さらに須賀原さんのお経の声の音量が上がった。
「わ」
なんと敷き詰めた笹がぶるぶると震えている。
つゆりの石を使うタイミングが重要だ。もう少し俺と未散ちゃんが手を尽くしてからと考えていたが、相手が斧を振って来たとなると、早めた方がいいだろうか。
「放ちます」
未散ちゃんが言った。斬魔刀の光がさらに増している。
「渾身の一刀、魔を伏し断つ」
斬魔刀が青い光に包まれる。すごい気の量だ。
「伏魔両断」
見事な踏み込み。振られた斬魔刀が光の帯をその剣筋に残しつつ鬼へと向かう。
鬼は身に迫る斬撃を察し、黒い斧を振った。
青い光と黒い斧が交わり、どしゃっと斧が消し飛んだ。
未散ちゃんが見事な残心を決めるが、斧を失った鬼はまだ動いた。
吠えている?
耳が痛くなる感覚に耐えながら今度は俺が踏み込む。
「しいっ」
再び腕と肩に衝撃が走る。十分すぎるほどの手応えが踏ん張った足にまで響いた。
ぐうっと鬼が部屋から出そうになるが、堪えた。ダメか。
「上梨っ」
「おうっ」
しかし鬼にダメージは入っているはずだ。
俺は跳び下がってつゆりの背後に回った。杖をわきに抱えてつゆりの腕を掴む。
そして流し込む。
するすると入って行く。
「あ」
つゆりが少し喘ぐが、もちろんそれはスルーする。
つゆりの手の中の石がすごい光を放つ。一瞬鬼がたじろいだように見えた。
「破魔」
一瞬視界が真っ白になったように思えた。
そして光が収まると部屋には静寂が満ちていた。
まだ続きます。




